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第2話 頻繁な訪問
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セドリック・ヴァレンティスが初めて禁書庫を訪れた日からしばらく、カミル・ローレンはすぐにある変化を実感することになった。
──また来た。
そして、その翌日も。そのまた次の日も。
政務に忙しいはずの宰相家の嫡男が、日を置かずに訪れるなど、本来ならあり得ないことだ。
「……ようこそ、ヴァレンティス様」
「今日も頼む。昨日の続きだ」
黒髪の青年はいつも飄々とした笑みを浮かべ、禁書庫の重い扉を迷いなく開け放つ。
カミルは内心で小さくため息をつきながらも、事務的に案内を始めた。
セドリックが求めるのは建国期の史料や古代条約の記録だった。
確かに、政務を担う立場であれば必要とされる分野だ。
しかし彼は本を受け取るだけでは飽き足らず、必ずカミルに質問を投げかける。
「なぜ、この条約はこんなに短期間で破棄されたんだ?」
「……同盟相手の領土に、疫病が広がった記録があります。結果、条約の維持よりも防疫を優先したのでしょう」
「なるほど。じゃあ、これは?」
「王位継承争いの影響です」
的確に返すカミルの答えに、セドリックは素直に感嘆の声を上げる。
「やっぱりお前に聞いた方が早いな。書物より分かりやすい」
褒め言葉のつもりなのだろう。カミルはそっと眉をひそめ、声を落とした。
「……知識は、本来なら簡単に口にすべきではありません」
「なぜだ? お前は知っている。それを共有して、何が悪い」
「知識は力です。扱いを誤れば、誰かを傷つける武器にもなり得ます」
淡々とした言葉に、セドリックは一瞬黙り込んだが、すぐに笑みを浮かべ、椅子に背を預けた。
「なるほどな。……禁書庫の案内をお前に頼んで正解だったということだ」
軽口めいた言葉に、カミルは答えず視線を伏せる。
それでも、胸の奥がわずかにざわつくのを否定できなかった。
日を追うごとに、セドリックの滞在時間は長くなっていった。
最初は本を読みふけるだけだったのが、次第に「一緒に読もう」と当然のように隣に座るようになる。
「お前、字が綺麗だな。読みやすい」
「記録に残す者の務めですから」
「俺は筆が遅くて苦手だ。……代わりに書いてくれないか?」
「宰相家のご子息が、そんなことで司書に頼るのはよろしいのですか」
「問題ない。俺が頼みたいから頼むんだ」
強引な言葉に、カミルは返答を飲み込んだ。
どれほど否定しても、彼が臆せず距離を縮めてくるのは分かっていたからだ。
──本来なら、不快であるべきだった。
セドリックが机越しに真剣な目を向けてくるたび、なぜか胸の奥が小さく揺れる。
それは心地よいものではなく、むしろ戸惑いと不安を伴う感覚。
自分には縁のないはずの感情が、じわりと忍び込んでくる。
その一方で、カミルには決して忘れてはならないルールがあった。
彼は禁書庫を預かる司書だ。守秘義務は絶対。
外の世界との繋がりを断ち、ひたすら知識を守り伝えることだけが己の役目。
誰かと親しくなることなど、あってはならない。
それを理解しているからこそ、セドリックが禁書庫を訪れるたびに、自分を戒める。
(……私は、この人と親しくなるべきではない)
それでも、言葉を交わすたびに感じるわずかな温かさを、完全に否定することはできなかった。
***
ある日、セドリックは分厚い本を閉じると、カミルに笑いかけた。
「なあ、ここは静かでいいな。……俺はどうも、人が多い場所は息苦しい」
「……宰相家のご子息が、そんな弱音を吐いてよろしいのですか」
「弱音じゃない。ただ、お前とこうして本を読むのが落ち着くって話だ」
「……?」
冗談めかして言われた言葉に、カミルは返す言葉を失った。
胸の奥で、またあの小さな揺らぎが広がる。
慌てて視線を本に落とし、固く口を閉ざす。
──これ以上は危うい。
自分が越えてはいけない一線を、セドリックは容易く踏み越えてくる。
それに気づきながらも、突き放すことができない自分がいた。
その日、セドリックが帰っていった後、カミルは一人、閉ざされた禁書庫の中で深いため息をついた。
なぜ自分は彼に対して、ここまで意識を乱されるのか。
なぜ「また来る」と言われると、ほんの僅かに心が浮き立つのか。
答えを出せないまま、カミルは机に両手を置き、静かな闇に身を沈めた。
守秘義務を背負い、本と共に生きる自分には、決して許されない感情。
それを知っているからこそ、余計に胸の奥が苦しかった。
──セドリック・ヴァレンティス。
その名を、心の中で繰り返すだけで、抑えきれないざわめきが広がっていく。
──また来た。
そして、その翌日も。そのまた次の日も。
政務に忙しいはずの宰相家の嫡男が、日を置かずに訪れるなど、本来ならあり得ないことだ。
「……ようこそ、ヴァレンティス様」
「今日も頼む。昨日の続きだ」
黒髪の青年はいつも飄々とした笑みを浮かべ、禁書庫の重い扉を迷いなく開け放つ。
カミルは内心で小さくため息をつきながらも、事務的に案内を始めた。
セドリックが求めるのは建国期の史料や古代条約の記録だった。
確かに、政務を担う立場であれば必要とされる分野だ。
しかし彼は本を受け取るだけでは飽き足らず、必ずカミルに質問を投げかける。
「なぜ、この条約はこんなに短期間で破棄されたんだ?」
「……同盟相手の領土に、疫病が広がった記録があります。結果、条約の維持よりも防疫を優先したのでしょう」
「なるほど。じゃあ、これは?」
「王位継承争いの影響です」
的確に返すカミルの答えに、セドリックは素直に感嘆の声を上げる。
「やっぱりお前に聞いた方が早いな。書物より分かりやすい」
褒め言葉のつもりなのだろう。カミルはそっと眉をひそめ、声を落とした。
「……知識は、本来なら簡単に口にすべきではありません」
「なぜだ? お前は知っている。それを共有して、何が悪い」
「知識は力です。扱いを誤れば、誰かを傷つける武器にもなり得ます」
淡々とした言葉に、セドリックは一瞬黙り込んだが、すぐに笑みを浮かべ、椅子に背を預けた。
「なるほどな。……禁書庫の案内をお前に頼んで正解だったということだ」
軽口めいた言葉に、カミルは答えず視線を伏せる。
それでも、胸の奥がわずかにざわつくのを否定できなかった。
日を追うごとに、セドリックの滞在時間は長くなっていった。
最初は本を読みふけるだけだったのが、次第に「一緒に読もう」と当然のように隣に座るようになる。
「お前、字が綺麗だな。読みやすい」
「記録に残す者の務めですから」
「俺は筆が遅くて苦手だ。……代わりに書いてくれないか?」
「宰相家のご子息が、そんなことで司書に頼るのはよろしいのですか」
「問題ない。俺が頼みたいから頼むんだ」
強引な言葉に、カミルは返答を飲み込んだ。
どれほど否定しても、彼が臆せず距離を縮めてくるのは分かっていたからだ。
──本来なら、不快であるべきだった。
セドリックが机越しに真剣な目を向けてくるたび、なぜか胸の奥が小さく揺れる。
それは心地よいものではなく、むしろ戸惑いと不安を伴う感覚。
自分には縁のないはずの感情が、じわりと忍び込んでくる。
その一方で、カミルには決して忘れてはならないルールがあった。
彼は禁書庫を預かる司書だ。守秘義務は絶対。
外の世界との繋がりを断ち、ひたすら知識を守り伝えることだけが己の役目。
誰かと親しくなることなど、あってはならない。
それを理解しているからこそ、セドリックが禁書庫を訪れるたびに、自分を戒める。
(……私は、この人と親しくなるべきではない)
それでも、言葉を交わすたびに感じるわずかな温かさを、完全に否定することはできなかった。
***
ある日、セドリックは分厚い本を閉じると、カミルに笑いかけた。
「なあ、ここは静かでいいな。……俺はどうも、人が多い場所は息苦しい」
「……宰相家のご子息が、そんな弱音を吐いてよろしいのですか」
「弱音じゃない。ただ、お前とこうして本を読むのが落ち着くって話だ」
「……?」
冗談めかして言われた言葉に、カミルは返す言葉を失った。
胸の奥で、またあの小さな揺らぎが広がる。
慌てて視線を本に落とし、固く口を閉ざす。
──これ以上は危うい。
自分が越えてはいけない一線を、セドリックは容易く踏み越えてくる。
それに気づきながらも、突き放すことができない自分がいた。
その日、セドリックが帰っていった後、カミルは一人、閉ざされた禁書庫の中で深いため息をついた。
なぜ自分は彼に対して、ここまで意識を乱されるのか。
なぜ「また来る」と言われると、ほんの僅かに心が浮き立つのか。
答えを出せないまま、カミルは机に両手を置き、静かな闇に身を沈めた。
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──セドリック・ヴァレンティス。
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