禁書庫の管理人は次期宰相様のお気に入り

結衣可

文字の大きさ
7 / 10

第7話 過去の暴露

しおりを挟む
 その夜、王国図書館は静まり返っていた。
 分厚い石壁に守られた館内には、風の音も雨の気配も届かない。
 カミル・ローレンの自室はいつも通り整然とし、机の上には分厚い記録簿が広げられている。

 蝋燭の灯が揺れる中、カミルは深いため息を吐いた。
 幾日も前から胸を締め付けている影──ディランの姿が頭から離れない。
 外で彼を見かけて以来、恐怖は増すばかりで、夜ごと夢に見るほどになっていた。

「……考えるな」

 小さく呟き、本に視線を戻そうとしたその時だった。

 きしり、と扉の音がした。

 誰も入ってこないはずの時間。
 衛兵が巡回に来るにはまだ早い。

 カミルは眉をひそめたとき、扉が強引に押し開けられる。

「……久しぶりだな、カミル」

 現れたのは、見間違えようもない男。
 ディラン・ローウェル。
 騎士団の鎧を纏い、にやついた笑みを浮かべている。

「……っ」

 呼吸が止まり、喉が乾く。

「こんなところに籠ってるとはな。噂通り、禁書庫の番犬になったんだって?」

 勝手知ったように室内へ足を踏み入れ、扉を閉める。
 狭い部屋の空気が急速に淀む。

「やめてください……! ここは立ち入り禁止です」

「禁止? 俺は騎士団員だ。衛兵に咎められるはずがない」

 ディランは余裕の笑みを崩さず、机に置かれた本を無造作にめくる。
 カミルは思わず後ずさった。

「……近づかないで」
「まだ怯えるのか。……学園の頃と変わらないな」

 その一言で、全身が強張った。
 耳の奥で、あの夜の笑い声が蘇る。
 押さえつけられ、息もできず、ただ痛みに耐えるしかなかった記憶。

「そうだ、その顔が堪らない。その綺麗な顔が歪むところが」

「……やめ……!」

「やめる? あの時も言ってたな。けど結局、俺に抱かれただろう」

 ディランの手が伸び、肩を掴む。
 力強い指が肌に食い込み、呼吸が乱れる。

「嫌だッ!」

 必死に振り払おうとするが、男の力は強い。
 机に押し付けられ、冷たい木の感触が背に広がる。

 恐怖で視界が滲む。
 抵抗の言葉は声にならず、涙だけが零れた。

 その瞬間だった。

「カミル!」

 扉が開き、鋭い声が飛び込んできた。
 黒髪の青年──セドリック・ヴァレンティス。
 怒りを湛えた琥珀の瞳が、室内を切り裂くように光った。

「……何をしている」

 低い声が響く。
 ディランはわずかにたじろぎながらも、唇を歪めた。

「何って、昔の関係を取り戻そうとしてただけだ」

「関係……?」

「こいつは昔、俺に抱かれたんだよ。初めは嫌がってたが、結局は俺の腕の中にいた」

 カミルの体が震えた。
 その言葉は、何よりも隠したかった真実。
 過去を暴かれる恐怖と恥辱に、足から力が抜ける。

「……お願い、やめて……!」

 涙が頬を伝う。
 絶望の中で目を伏せた瞬間、強い腕が彼を引き寄せた。

 セドリックだった。
 震えるカミルを抱きかかえ、鋭い視線をディランに突きつける。

「……お前」

 その声音は低く、怒りに震えていた。

「よくも、カミルを」

「俺のものだったんだ。何が悪い」

「黙れ!」

 セドリックの拳が振るわれ、ディランの頬を打つ。
 鈍い音とともに、男は床に叩きつけられた。

 すかさずセドリックは背後から腕を捻り上げ、拘束を施す。
 ディランは呻き声を上げながらも抗えず、床に押さえつけられた。

「衛兵!」

 叫ぶと、廊下にいた衛兵たちが駆け込んできた。
 セドリックは冷ややかに命じる。

「この男を連行しろ。禁書庫への不法侵入と、司書への暴行未遂だ」

「はっ!」

 数人の衛兵がディランを取り押さえ、部屋から引きずり出していく。
 最後まで罵声を吐き散らしていたが、扉が閉まるとすべてが静寂に包まれた。

 残されたのは、セドリックとカミル。
 カミルは震えが止まらず、床に膝をついていた。
 涙が止めどなく溢れ、呼吸は乱れている。

「……カミル」

 セドリックがそっと抱き寄せる。
 温かな胸の中で、カミルは必死に声を絞り出した。

「やめて……離してください……! 私は……私は……」

「もう大丈夫だ」

 耳元に囁かれた声は、驚くほど穏やかだった。
 乱暴さはなく、ただ優しく、確かに守ろうとする響き。

「怖い思いをさせたな。……でも、もう大丈夫だ。俺がいる」

 カミルは抵抗をやめ、セドリックの胸に縋った。
 涙で濡れた頬を押し付け、嗚咽をこらえきれなかった。

「……どうして……どうして、あなたが」

「最近お前の様子が明らかにおかしかった。だから、しばらく監視させてもらった。カミル、お前を守るためだ。それ以外に理由があるか」

 その真っ直ぐな言葉に、胸が締め付けられる。

「で、でも私は……汚れている。昔、あの男に……」

「黙れ」

 セドリックの声が鋭く遮った。
 顔を上げさせ、涙に濡れた灰色の瞳を真っ直ぐに見つめる。

「そんな言葉、二度と口にするな。……お前は何も悪くない」

 強い声音。
 琥珀の瞳には、怒りと同時に揺るがぬ誠実さが宿っていた。

「カミル、お前は何も汚れていない。……俺にとって、お前はただ大切な存在だ」

 その一言に、堰を切ったように涙が溢れた。
 カミルはセドリックの胸に顔を埋め、声を殺して泣いた。

 セドリックはただ黙って抱き締め、震える背を撫で続けた。
 長い沈黙ののち、彼の低い声が再び囁く。

「……もう大丈夫だ。俺が必ず守る」

 その言葉に、カミルは初めて心の奥に微かな安堵を覚えた。
 恐怖と絶望に覆われた闇の中で、その声だけが温かな光となっていた。

 深夜の禁書庫。
 嵐のような騒動の後に残ったのは、互いの鼓動だけだった。
 抱き締められたまま、カミルは涙に濡れた瞼を閉じる。

 ──この人の腕の中なら、もしかしたら。

 淡い希望が、胸に灯った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

『君を幸せにする』と毎日プロポーズしてくるチート宮廷魔術師に、飽きられるためにOKしたら、なぜか溺愛が止まらない。

春凪アラシ
BL
「君を一生幸せにする」――その言葉が、これほど厄介だなんて思わなかった。 チート宮廷魔術師×うさぎ獣人の道具屋。
毎朝押しかけてプロポーズしてくる天才宮廷魔術師・シグに、うんざりしながらも返事をしてしまったうさぎ獣人の道具屋である俺・トア。 
でもこれは恋人になるためじゃない、“一目惚れの幻想を崩し、幻滅させて諦めさせる作戦”のはずだった。 ……なのに、なんでコイツ、飽きることなく俺の元に来るんだよ? 
“うさぎ獣人らしくない俺”に、どうしてそんな真っ直ぐな目を向けるんだ――? 見た目も性格も不釣り合いなふたりが織りなす、ちょっと不器用な異種族BL。 同じ世界観の「「世界一美しい僕が、初恋の一目惚れ軍人に振られました」僕の辞書に諦めはないので全力で振り向かせます」を投稿してます!トアも出てくるので良かったらご覧ください✨

「世界一美しい僕が、初恋の一目惚れ軍人に振られました」僕の辞書に諦めはないので全力で振り向かせます

春凪アラシ
BL
「君がどうしてもっていうなら、付き合ってあげないこともないけど?」 完璧すぎる僕、ブルーノ。美貌も才能も自信も満点のはずなのに、初めての恋ではまさかの振られ体験!? 誰もが振り返るほどの魅力を持つ猫獣人が、運命の軍人さんに出会い、初恋に落ち、全力で恋を追いかける――奮闘ラブストーリー! 前作の「『君を幸せにする』と毎日プロポーズしてくるチート宮廷魔術師に、飽きられるためにOKしたら、なぜか溺愛が止まらない。」と同じ世界線です。このお話だけで読めますが、トアの物語が気になったらこちらも是非よろしくお願いします!

美人王配候補が、すれ違いざまにめっちゃ睨んでくるんだが?

あだち
BL
戦場帰りの両刀軍人(攻)が、女王の夫になる予定の貴公子(受)に心当たりのない執着を示される話。ゆるめの設定で互いに殴り合い罵り合い、ご都合主義でハッピーエンドです。

とある文官のひとりごと

きりか
BL
貧乏な弱小子爵家出身のノア・マキシム。 アシュリー王国の花形騎士団の文官として、日々頑張っているが、学生の頃からやたらと絡んでくるイケメン部隊長であるアベル・エメを大の苦手というか、天敵認定をしていた。しかし、ある日、父の借金が判明して…。 基本コメディで、少しだけシリアス? エチシーンところか、チュッどまりで申し訳ございません(土下座) ムーンライト様でも公開しております。

悩める文官のひとりごと

きりか
BL
幼い頃から憧れていた騎士団に入りたくても、小柄でひ弱なリュカ・アルマンは、学校を卒業と同時に、文官として騎士団に入団する。方向音痴なリュカは、マルーン副団長の部屋と間違え、イザーク団長の部屋に入り込む。 そこでは、惚れ薬を口にした団長がいて…。 エチシーンが書けなくて、朝チュンとなりました。 ムーンライト様にも掲載しております。 

追放された味見係、【神の舌】で冷徹皇帝と聖獣の胃袋を掴んで溺愛される

水凪しおん
BL
「無能」と罵られ、故郷の王宮を追放された「味見係」のリオ。 行き場を失った彼を拾ったのは、氷のような美貌を持つ隣国の冷徹皇帝アレスだった。 「聖獣に何か食わせろ」という無理難題に対し、リオが作ったのは素朴な野菜スープ。しかしその料理には、食べた者を癒やす伝説のスキル【神の舌】の力が宿っていた! 聖獣を元気にし、皇帝の凍てついた心をも溶かしていくリオ。 「君は俺の宝だ」 冷酷だと思われていた皇帝からの、不器用で真っ直ぐな溺愛。 これは、捨てられた料理人が温かいご飯で居場所を作り、最高にハッピーになる物語。

神獣様の森にて。

しゅ
BL
どこ、ここ.......? 俺は橋本 俊。 残業終わり、会社のエレベーターに乗ったはずだった。 そう。そのはずである。 いつもの日常から、急に非日常になり、日常に変わる、そんなお話。 7話完結。完結後、別のペアの話を更新致します。

姉の男友達に恋をした僕(番外編更新)

turarin
BL
侯爵家嫡男のポールは姉のユリアが大好き。身体が弱くて小さかったポールは、文武両道で、美しくて優しい一つ年上の姉に、ずっと憧れている。 徐々に体も丈夫になり、少しずつ自分に自信を持てるようになった頃、姉が同級生を家に連れて来た。公爵家の次男マークである。 彼も姉同様、何でも出来て、その上性格までいい、美しい男だ。 一目彼を見た時からポールは彼に惹かれた。初恋だった。 ただマークの傍にいたくて、勉強も頑張り、生徒会に入った。一緒にいる時間が増える。マークもまんざらでもない様子で、ポールを構い倒す。ポールは嬉しくてしかたない。 その様子を苛立たし気に見ているのがポールと同級の親友アンドルー。学力でも剣でも実力が拮抗する2人は一緒に行動することが多い。 そんなある日、転入して来た男爵令嬢にアンドルーがしつこくつきまとわれる。その姿がポールの心に激しい怒りを巻き起こす。自分の心に沸き上がる激しい気持に驚くポール。 時が経ち、マークは遂にユリアにプロポーズをする。ユリアの答えは? ポールが気になって仕方ないアンドルー。実は、ユリアにもポールにも両方に気持が向いているマーク。初恋のマークと、いつも傍にいてくれるアンドルー。ポールが本当に幸せになるにはどちらを選ぶ? 読んでくださった方ありがとうございます😊 ♥もすごく嬉しいです。 不定期ですが番外編更新していきます!

処理中です...