呪いで猫にされた騎士は屈強な傭兵に拾われる

結衣可

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第5話 離れたくない

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夜は深く、暖炉の火はいつの間にか小さくなっていた。
アッシュは寝台の上で静かに眠っていたが、その額にはうっすら汗が滲んでいる。

夢の中で、何度も何度も――魔獣の咆哮が響いていた。

(いやだ……ロウガンが……)

夢の中のロウガンは、振り返らない。
どれだけ叫んでも届かない。

(いなくなるな……!!置いていくな……っ)

その恐怖に飲まれた瞬間――アッシュの身体が、ふっと光った。
寝台の上には黒猫が丸くなって震えていた。

「……アッシュ……?」

物音に気づいて、ロウガンが目を覚ました。
寝台の上には、今にも泣き出しそうな黒猫が縮こまっていた。

「おい……っ、どうした……?」

ロウガンが手を伸ばすと、黒猫はびくっと震え、勢いよくロウガンの胸に飛び込んだ。
深夜の静寂を破るほど強く、爪が服に埋まるくらいしがみつく。

「……っアッシュ……?」

喉から、細く悲しげな声が漏れた。

「………………にゃ……っ……」

かすれた、泣くような声。
ロウガンはその意味を理解するのに、一秒もいらなかった。

(こいつ……悪い夢でも見てんのか……)

ロウガンはゆっくり息を吸い、震える黒猫を胸に抱きしめる。

「大丈夫だ……大丈夫……」

その声は深く、温かく包み込むようで。

「ここにいる。お前をどこにも行かせねぇし……俺もどこにも行かねぇ」

黒猫は小さく鳴き、その頭をロウガンの胸にぐりぐり押し付ける。

(怖かったんだな……こんなに震えて……)

ロウガンは大きな手で背中をゆっくり撫で続けた。
毛並みに指が沈むたび、アッシュの震えが少しずつ弱まっていく。

「ほら……落ち着け……お前は一人じゃねぇ」

しばらくして、ようやく震えが止まり、アッシュの呼吸がゆるやかになった。

「……にゃ……」

ほっとしたような、小さな声。
ロウガンはその頭を指先で何度も撫でた。

「怖かったか?」

黒猫は、こくん、と頷くように頭を揺らした。

(こんなアッシュ……初めて見た)

猫の姿でさえ、こんなに必死にしがみつくのは初めてだ。

「……俺がいるだろ」

ロウガンが胸元で呟くと、黒猫はさらにぎゅっと体を寄せた。
その仕草は、甘えるというよりも――本気で“離れたくない”と訴えているようだった。

(離れたくない……?)

ロウガンの心臓が、少し速くなる。

(アッシュ……お前……)

やがて黒猫は、ロウガンの腕の中で静かに眠り始めた。
頬に押し付けられた黒い毛並みが温かい。
ロウガンは胸元に顔を寄せ、アッシュの背にそっと唇を触れさせた。
誰にも聞かれないような小さな声で呟く。

「大丈夫だ……アッシュ……」

***

朝の光が差し込む頃、黒猫はゆっくりと人間の姿へ戻った。
ロウガンの腕の中で、黒髪の青年アッシュが静かに眠っていた。
しっかりロウガンに抱きしめられたまま。

アッシュが目を開けたとき――自分がロウガンの腕の中にいることに気づき、ぽたり、と涙がこぼれた。

「……っ……」

「大丈夫か?」

「……夢、見た……お前が……いなくなって……」

アッシュは自分でも驚くほど素直に告げた。

「……怖かった……すごく……」

ロウガンは驚いたように目を見開き、アッシュを胸に抱き寄せた。

「俺がいなくなるわけねぇだろ」

「……っ……」

アッシュは震える指先でロウガンの服を掴む。

「離れたくない……」

「離れねぇよ」

その声は静かで強く、アッシュの心にすっと染み込んだ。

(……離れたくない……この人のそばにいたい……もっと……)

傷は治ったのに、猫化のせいで騎士団には戻れない。
彼の職務も、誇りも、居場所も。
呪いが続く限り取り戻せない。
ロウガンの胸元に顔を埋めながら、アッシュは静かに悩み始めた。

(……このままじゃ……だめだ……ちゃんと……呪いのこと……言わなきゃ……ロウガンに……)

言ったら嫌われるかもしれない。
気味悪がられるかもしれない。

(……キスで解けるなんて……ロウガンに言えるわけ……)

胸がぎゅっと痛む。

(でも……このまま……隠して……いつまでも猫のままで……この人の隣にいて……いいのか……?)

アッシュは小さく震えながら、ロウガンの腕の中でまぶたを閉じた。

(……どうすれば……いいんだ……)

その問いは、胸に沈んだまま答えが出ない。

ただ一つだけ確かなのは――アッシュはもうロウガンから離れられない、ということだけ。

***

呪いを受けてから3週間。
アッシュは、ロウガンの家で静かに過ごしていた。
傷は癒えたのに――猫化はそのままだ。
夜になれば、光に包まれ、黒猫の姿になる。
しかも、昼間に猫化する頻度も増えてきていた。

(……やっぱり……このままだと完全に猫になってしまう……)

アッシュはずっと迷っていた。

(でも、ずっと……ロウガンに甘えて生きていけたら……それでもいいと思ってしまう自分がいる……)

「そんなの……ダメだろ」

騎士の仕事を放棄したいわけではない。ただ、猫化しなくなれば、騎士団に戻ることになる。
それはロウガンとの日々がなくなることを意味している。

(離れたくないのに……)

解呪方法は呪いが掛かった呪術陣の傍に記してあった。

“解呪の条件”:心から信頼した相手に――キスされること。

その言葉をロウガンに告げたらどうなるのか。
自分にとって、”心から信頼した相手”はロウガンしかいない。
ロウガンも”守る”って言ってくれたが、自分と同じ気持ちだなんて確信もない。

でも、言わなきゃ前に進めない。

***

夕暮れ時、ロウガンは暖炉に薪をくべながら、アッシュをちらりと見た。

「……そろそろ、お前のこと聞かせてくれないか?」

アッシュは肩を跳ねさせた。

「呪いにかかる前はどこで何をしていた?お前が王国騎士団に所属していることは聞いたが、この後、どうするか、考えているのか?」

「…………」

「傷はもう癒えた。騎士団の方へはまだ連絡してないんだろ?」

アッシュは俯いて、喉を鳴らした。

(どうしよう……どうしよう……何を言えば)

ロウガンは責めるような口調ではなかった。
ただ優しく、待っている。
アッシュは唇を噛み、顔を伏せた。
そして、ゆっくりポツリと話し始めた。

「……俺は王国騎士団の第1部隊に所属していた。単独の指令でこの街の先にある古城に入った。そこにはいくつも仕掛けがあって、それを踏破しながら、古城にある魔術書を持ち帰る予定だった。魔術書を手に入れて、古城を出るときにあるトラップに引っ掛かり、呪いが発動してしまった。ただ、前にも先輩の騎士がその呪いに罹ったことがあって、解呪方法は知っていた。とりあえず、手に入れた魔術書は古城付近で待機させていた連絡係に持たせて、本部に返した。その後すぐ、猫化してしまったから、人間に戻った時に本部に戻る予定だった。でも、運悪く、魔獣に見つかって……。それで、あんたに拾われたんだ……」

「そうか……。って、ちょっと待て。解呪方法知ってるのか?」

「あぁ、知ってる。ただ、その時はいなかったから、解呪できないと思っていた」

「その言い方だと、今はできるってことか?」

「……たぶん」

「何故試さない?」

「拒絶されたら、生きていけない。だから、言いたくない」

「対象は……もしかして、俺なのか?」

ロウガンは俯いているアッシュを真っ直ぐ見つめた。
自分の言葉にビクッと体を揺らした。

「そうなんだな?俺が何を拒絶するんだ?」

「嫌だ、言いたくない」

「アッシュ、俺はお前を拒絶しない。どんなことでも受け入れる」

「…………」

「そんなに……信じられないか?俺は」

「違う、そうじゃない。ただ、……怖い」

「大丈夫だ、絶対に拒絶しないと誓う」

ロウガンはアッシュの手を優しく掴んだ。

「ほんとうに?」

「あぁ、本当だ」

その一言で、アッシュの心の壁が、ごろっと崩れた。
アッシュは胸を押さえ、息を震わせながら椅子から立ち上がった。

「……あの……呪いが……解ける条件は」

アッシュは両手をぎゅっと握りしめる。
そして――勇気を振り絞った。
声が震え、何度も喉につかえそうになる。

「“心から信頼した相手に……キス、されること”……だ……」

ロウガンの瞳が揺れた。
アッシュは涙が滲んだ。

「だから……ずっと言えなかった。そ、そんなの……あんたにお願いなんか……できるわけ……」

その言葉を遮ったのは、ロウガンがゆっくり立ち上がる気配だった。

「アッシュ」

「……?」

ロウガンはアッシュの前に立ち、そっと両頬に手を添えた。
優しく、丁寧に、震える頬を包む。

「拒絶しないって言ったろ」

「……でも……っ」

「俺じゃ不満か?」

「そ……そんなわけ……!」

「なら言え」

「……え?」

「“解呪してくれ”って。お前の口から、俺に言え」

アッシュの胸がつぶれそうなほど震えた。
唇を噛み、涙をこぼしながら呟いた。

「……ロウガン……お願い……」

両手でロウガンの服を掴む。

「……俺を……解呪して。お前に……してほしい……」

ロウガンは、アッシュを強く抱き寄せた。
片腕で腰を引き寄せ、もう片方の手で後頭部を包む。
息がかかる距離で、囁くように言った。

「……アッシュ。解呪、するぞ」

「っ……!」

ロウガンはアッシュの額にそっと口づけた。
優しく、軽く――額からこめかみへ、頬へとゆっくり辿る。
そして、アッシュの唇のすぐ近くで止まった。

「アッシュ。お前が心から俺を信頼してるなら……」

「……してる……あんただけに……ずっと……」

ロウガンの胸が熱を帯びた。

「……なら、解いてやる」

アッシュは目を閉じた。
ロウガンはアッシュの頬をそっと撫で、触れるだけのキスを落とした。

――ぱぁぁ、と光が弾ける。

アッシュの身体が暖かい光に包まれ、猫の気配が霧のように消えていく。

呪いが――解けた。

「……ロウガン……」

アッシュは震える声で呟いた。

「……俺……戻った……?」

「……ああ」

ロウガンはアッシュを抱きしめた。
強く、優しく、腕の中に閉じ込めるように。

「……アッシュ」

アッシュは胸に顔を埋め、震えた声で返した。

「……ロウガン……ありがとう……俺……ずっと……んっ」

その続きを言う前に、ロウガンがアッシュの頬に手を添えたまま、もう一度唇を重ねた。
今度はゆっくりと。
優しく、深く。
解呪ではないキス。

アッシュの指が震えながら、ロウガンの服を掴んだ。

(ああ……この人から離れたくない……)

胸の奥でずっと叫んでいた言葉が、
今、小さく形になってあふれた。

「……ロウガン……好き……」

ロウガンは微笑み、アッシュの額にもう一度口づける。

「俺もだ、アッシュ」

アッシュは涙をこぼしながら、ロウガンの腕にしがみついた。

――こうして呪いは解け、二人の本当の始まりが来た。
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