拗らせ問題児は癒しの君を独占したい

結衣可

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第4話 居場所②

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次の日、僕は約束通り図書室に向かった。アレクシスはまだ来ていなかったので、いつもの席に座って本を開いた。けれど、今日は少しばかり落ち着かない。彼が来るのを、無意識に待っている自分がいた。

(まずい気がする……これは)

前世の記憶が警告を鳴らす。人に期待することは、結局自分を傷つけることになる。特に、あのような地位の高い人間には尚更だ。彼が僕を呼び出す理由が、まだわからない。もしかしたら、何か下心があるのかもしれない。

「遅かったか?」

その声に、僕はハッと顔を上げた。アレクシスが、相変わらずだらしなく入り口に立っている。

「い、いいえ、僕も着いたばかりで」

「そうか。ならいい」

彼は隣の席に座ると、鞄から分厚い書物を取り出した。見ると、それは高等魔導理論の教科書だ。彼がそんなものを持ち歩いているとは思わなかった。

「……アレクシス様も、勉強されるんですか?」

「当たり前だろ。俺だって学生だ」

そう言いながらも、彼はほとんど本を開こうとしない。ただ、ページをぱらぱらとめくっているだけだ。

「……見たいのか?」

突然、彼が僕の方に本を傾けた。

「え?」

「お前、今見てただろ。この本」

またしてもやられた。確かに、僕は彼の持ってきた珍しい本に興味を引かれていた。それは、一般の学生には入手困難な限定版の魔導書だった。

「……すみません。つい」

「構わん。貸してやる」

彼はそう言って、さっさと本を僕の前に滑らせた。

「だ、だめです! こんな高価なもの……」

「だから何だ? 本は読まれてなんぼだろ」

彼はきっぱりと言い放つ。その言葉に、僕は押し黙った。確かにその通りだ。けれど、これほど高価な本を簡単に貸すなんて……。でも、やっぱり読みたい。

「……ありがたく、お借りします」

僕は好奇心に負け、小声で礼を言い、慎重に本を開いた。美しい挿絵と、詳細な解説。これは確かに、魔導理論を学ぶ者にとっては垂涎の的になる一冊だ。

「……どうした、セナ。そんなに感激か?」

彼の声に我に返ると、僕は無意識に目を輝かせていたらしい。顔が熱くなる。

「……すみません。つい……」

「謝るな。……その方が、お前らしい」

彼はそう呟くと、窓の外を見た。何故か、彼の耳元が少し赤く見えたような気がした。

それからの時間は、静かに流れた。僕は借りた本に夢中になり、アレクシスは相変わらずぼんやりと時を過ごしていた。けれど、今日は何故か以前より落ち着いていた。

時折、魔導理論について質問してみた。彼は面倒くさそうな顔をしながらも、的確に答えてくれた。その理解の深さに、何度も驚かされた。

(さすが、天才と言われるだけある)

彼の頭脳は、学院一と言われるのも納得だ。けれど、そんな彼がなぜ問題児なのか。ますます理解できなくなってきた。

「……なんだ、その視線」

彼が突然こっちを向いたので、私は慌てて視線を逸らした。

「い、いえ、何でも……」

「またか。お前、……俺のことが気になるんだろ?」

その直球な質問に、私は噎せ返りそうになった。

「へ?そ、そんな! ただ、アレクシス様がすごいので、感心して……」

「馬鹿め。誰がお前のそのお世辞を聞くもんか」

彼は吐き捨てるように言うが、何故か悪い気はしていないようだった。むしろ、少し楽しげに見えた。

彼は突然、真面目な口調で言った。

「他の連中は、俺がヴァルデリオ家の息子だから媚びへつらう。できるだけ近づいて、コネにしようと画策する」

彼の声には、少し疲れたような響きがあった。

「でも、お前は……違う。お前の言葉は裏がない」

その言葉に、僕は胸が苦しくなった。確かに、彼の家柄など気にしていない。ただ――。

(ただ、彼と一緒にいるのが……心地いいから)

その思いが頭をよぎり、僕は自分自身に驚いた。そんな風に思うなんて。

立場も身分も違う。彼はいつか、僕のような者との交流に飽きるに違いない。

「……また、考え込んでいるな」

彼の声が、現実に引き戻してくれた。

「すみません。つい……」

「いいから、その本の話をしろ。ここからだ」

彼は面倒くさそうに言いながらも、僕の読んでいる箇所を指さした。僕は驚きながらも、その部分を読み始めた。

それからの時間は、意外なほどあっという間に過ぎていった。彼は時折鋭い質問を投げかけ、僕はそれに答える。時には意見が対立することもあったが、彼は決して頭ごなしに否定しなかった。

(こんな風に、対等に議論できるなんて)

胸の奥で、少しだけ温かいものが膨らんでいくのを感じた。それは、危険な感情だとはわかっていながらも、止めることはできなかった。

日が暮れ始め、魔導灯の明かりが主役になった頃、彼は突然立ち上がった。

「今日はここまでにしよう」

「……はい」

名残惜しいという思いが、ふと頭をよぎった。僕は慌ててその考えを払いのける。そんな感情は、持つべきではない。

廊下を歩きながら、彼が突然言った。

「……明日は、中庭に来い」

「中庭ですか?」

「ああ。たまには外の空気も吸いたい」

彼はそう言うと、何も追加せずに歩き出した。僕は少し遅れて彼の後を追った。

***

学院の中庭は、夕暮れ時が一番美しい。西の空が茜色に染まり、噴水の水しぶきがキラキラと輝く。僕たちが到着した時には、もう誰もいなかった。

「ここなら……邪魔されない」

彼が呟く。その言葉は、以前にも聞いたような気がした。

僕たちは噴水の縁に腰を下ろした。少し冷たかったが、気持ちよかった。風がそっと髪をなで、鳥のさえずりが遠くから聞こえてくる。

「寒くないか?」

突然、彼が尋ねた。

「いいえ、大丈夫です」

「嘘をつけ。お前、震えているぞ」

そう言われるまで気づかなかったが、確かに僕は少し寒かった。学院の制服は、夕暮れ時の冷気には少し頼りない。

次の瞬間、彼は自分の外套を脱ぎ、僕の肩にふわっと掛けた。

「あ、あの……でも、アレクシス様が」

言葉とは裏腹に、布の温もりが心地よかった。彼の体温が、ゆっくりと僕の身体に伝わってくる。そして、ほのかな彼の香りがした。

「そのままでいい」

慌てて外套を返そうとすると、彼は軽く僕の手首を押さえた。その触れ方は優しく、しかし逃げられない強さがあった。

(……距離が、近い)

そう思ったのに、身体は動かなかった。むしろ、その温もりにすっと力が抜けていくのを感じた。

警戒心が、薄れている。自分自身が一番驚いていた。前世なら、ありえないことだ。距離を詰めてくる相手には、必ず理由がある。期待か、利用か、そのどちらかだ。

でも、アレクシスからは、それが感じられない。彼はただ――僕と一緒にいることを選んでいるだけのように思えた。

「……セナ」

名前を呼ばれて、心臓が小さく跳ねた。

「は、はい」

「……いや」

それだけだ。会話は続かない。

沈黙が流れる。けれど、それが苦しくない。寧ろ、この静かな時間が、とても居心地よく感じられた。

アレクシスは、そんな僕を横目で見ているようだった。彼は何を考えているのだろう。あの蒼い瞳の奥には、いつも読めない何かが潜んでいる。

(警戒が、薄れてきている)

アレクシスは夕焼けの空を眺めているセナを見て、そんなことを思っていた。

雲がゆっくりと形を変え、次第に夜の帳に包まれていく。

ふと、セナがアレクシスの方を見る。その視線がまっすぐに届き、しっかりと目が合った。

(……可愛いな)

思わず声に出そうになって、アレクシスは少し眉をひそめ、空を見上げた。まるで、自分自身の感情に戸惑っているかのように。

一方の僕は、噴水の音に耳を傾けながら、ぼんやりと考えていた。

(不思議だな)

誰かといるのに、気を張らなくていい。期待も、評価も、求められていない。ただ一緒にいて、同じ時間を過ごしているだけ。

それが、こんなにも楽だなんて。

前世では考えられなかった。あの世界では、常に何かを期待され、評価され、求められていた。少しでも怠れば、すぐに置いていかれる。そんなプレッシャーの中で、いつも息を詰まらせて生きていた。

「……アレクシス様は」

口をついて出た言葉に、自分で驚く。

「なんだ?」

「……どうして、僕と?」

少し間があった。彼は空を見上げてから、肩をすくめた。

「さあな」

嘘ではない。でも、本当でもない。彼自身も、まだ答えを見出せていないようだった。

僕は、それ以上聞かなかった。なんとなく聞いてはいけない気がしたからだ。

夕暮れが、夜に溶けていく。星が一つ、また一つと輝き始めた。

僕たちの距離は、まだ遠いかもしれない。けれど、確実に日々縮まっている気がした。

彼の外套の温もりが、僕の身体を包み続けている。その感覚は気恥ずかしいのに、心地よかった。

「……もう、帰るか。お前の身体が冷える」

彼が立ち上がり、僕に手を差し伸べた。一瞬躊躇ったが、僕はその手を取った。彼の手は大きく、そして温かかった。

学院の建物に向かいながら、彼が突然言った。

「明日も、来いよ」

「はい」

その返事は、もう迷いがなかった。

寮の前で別れる時、彼は僕から外套を受け取ると、何も言わずに去っていった。僕は彼の背中が見えなくなるまで、ただ立ち尽くしていた。

部屋に戻り、ベッドに横たわると、今日一日のことが頭を巡った。アレクシス・ヴァルデリオ――公爵家の次男で、学院一の問題児。彼が、なぜ僕のような者と時間を過ごすのか。

答えは見つからない。けれど、もうそれは重要ではない気がした。ただ、あの静かな時間が――彼と過ごす時間が、僕にとってかけがえのないものになりつつある。

(危険……だよね)

そう自分に言い聞かせる。期待はするな、と。けれど、心の奥で温かく灯った何かは、簡単には消えそうになかった。
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