拗らせ問題児は癒しの君を独占したい

結衣可

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第6話 予感

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最初は、ただ効率の問題だった。
人が多い場所は嫌いだ。集中できないし、無駄に話しかけられる。だから――

「こっちだ。セナ」

俺はそう言って、セナを自習室の奥へと連れて行った。人目につかない席。窓際で、背後には壁がある。確かに静かで、集中できる環境だ。

セナは少し戸惑いながらも、素直にその席に腰を下ろした。拒まない。逃げない。疑いもしない。

(……ほんと、警戒心がないな)

そういう自分も無意識に、セナの椅子の位置を微調整している。通路側に座るのは俺。セナの背後には、人が通らないように配慮していた。それを「守っている」と自覚したのは、最近のことだった。

「ここ、静かでいいですね」

セナが小声で呟くと、俺は軽く頷いた。

「ああ。騒がしい連中がいない分、課題もはかどるだろ」

アレクシスの言葉はいつも通り冷たいが、その行動にはどこか温かさを感じる。少しだけ赤くなりそうな顔を伏せて、セナは鞄から魔法理論の教科書を取り出し、ページを開いた。

(アレクシス様と一緒にいると、なぜか息がしやすい……)

それは奇妙な感覚だった。前世では、人と関わること自体がストレスでしかなかった。期待されること、評価されること――それらは全て「消耗」の同義語だった。なのに、アレクシスの傍にいると、そんな重圧を感じない。

「おい、セナ。その数式、間違ってるぞ」

突然の指摘に、セナははっとした。

「え? どこですか?」

アレクシスがため息をつくと、彼の指が教科書の上を滑る。

「ここだ。ここの計算式が根本的に違う。お前、理論科首席のくせしてずいぶんと抜けてるな」

「……すみません」

自然と謝罪の言葉が口をついて出る。するとアレクシスの眉がわずかに曇った。

「謝るな。間違いは直せばいいだけだ」

彼はそう言うと、自分のノートを差し出してきた。

「俺のを使え。計算過程が詳しく書いてある」

僕は少し躊躇した。公爵家の息子であるアレクシスのノートなど、借りるべきではないという気がした。しかし、彼の鋭い蒼い瞳が「断るな」と言っているようで、僕は静かにそれを受け取った。

「……ありがとうございます」

「礼も要らん。早く課題を終わらせろ」

そう言って彼は再び自分の課題に集中するが、僕が理解できない部分があってペンを持つ手が止まると、すぐに解説を加えてくれた。彼の教え方は驚くほど丁寧で、わかりやすい。

(アレクシス様は、本当に教えるのが上手いんだな……)

そんなことを考えていると、彼が突然顔を上げた。

「何を見ている?」

「い、いえ! 何でもありません!」

慌てて俯くと、アレクシスが軽く笑った。

「変な奴だ」

その声には、なぜか優しさが滲んでいた。

***

朝は弱いらしい――それに気づいたのは、偶然だった。

いつもならもう登校しているはずの時間に、セナの姿が見えない。俺は何となく気になり、魔法理論科の教室の前まで足を運んでみたが、彼の姿はない。

(――珍しいな)

あいつは遅刻しない。几帳面で真面目なセナが、登校時間に間に合わないなんてことがあるのだろうか。

気になって仕方がない。次の瞬間、俺は自分の足が寮の方に向かっているのに気づいた。これが所謂「衝動」というものなのか。自分でもよくわからないまま、セナの部屋の前まで来てしまった。

「……セナ」

ドアをノックすると、中からかすかな物音がした。少しして、扉がゆっくりと開く。そこには眠そうな顔をしたセナが立っていた。

「え?……アレクシス様?」

彼の髪は少し乱れていて、制服もきちんと整っていない。いつもはきちんと着込んでいるのに、今日はネクタイも曲がっている。そんな彼の姿を見て、俺の胸が妙にざわついた。

(……まずいな)

これはただの心配ではない。もっと深いところで、何かが動いているのを感じる。

「時間だ」

それだけ言うと、セナは慌てて身支度を始めた。

「!?すみません! すぐに準備しますので……」

彼が鞄を探して右往左往しているのを見て、俺は支度が終わるまで待つことにした。急かす気には、なれなかった。

「め、目覚まし魔法が、うまく作動しなくて……。ご、ごめんなさい」

申し訳なさそうに呟くセナに、俺は思わず口元を緩めた。

「魔法理論科首席が、目覚まし魔法もまともに扱えないとはな」

「そ、それとこれとは……別の話です」

彼が照れくさそうに俯く様子が、なぜか愛らしく見えた。

(……やばいな、これは)

セナを教室まで送っていくと、周囲から視線が集まる。問題児の公爵家次男と、地味な奨学生の組み合わせは、どうしても目立ってしまうらしい。

ざわつく空気に、セナの肩がわずかに強張ったのを感じた。

――ああ。

俺は無意識に一歩前に出た。視線を遮るように。当たり前のように。

(見なくていい)

誰にも、セナのそんな姿を見せる気はなかった。彼はきっと、こういう好奇の視線に慣れていないのだろう――そう思っていた。

「大丈夫ですか?」

セナが心配そうに俺の顔を覗き込む。

「何がだ?」

「なんというか……アレクシス様、ご加減が悪いようで」

俺は苦笑した。心配されているのか。逆だろう。

「何でもない。早く教室に入れ」

***

一緒にいる時間が増えるほど、周囲は騒がしくなっていった。

廊下を歩いていると、聞こえてくる噂話。

「最近、あの奨学生と一緒じゃない?」
「遊んでるだけだろ、きっと」
「でもアレクシス様が、わざわざ奨学生なんかと?」

その都度、俺は苛立ちを覚えた。しかし、何より気になったのは――セナがそれを聞いてしまったときの反応だった。

ある日の昼休み、食堂で一緒に食事をしていると、近くの席から聞こえてきた声。

「ほら、見ろよ。またあの二人だ」
「あの奨学生、何がいいんだろうな」
「媚びてるんじゃないの?」

思わず席を立とうとしたが、セナが静かに俺の袖を引いた。

「アレクシス様、お食事が冷めてしまいますよ」

彼の表情は平常そのものだった。まるで、噂など気にしていないように。

「……セナ」

「はい?」

「今の、聞こえていたか?」

セナは少し間を置いてから、静かに頷いた。

「ええ、聞こえてました」

「なら――」

「気にしません」

彼は淡々とスープを一口すくった。

「噂は、……いつも通りですし、慣れています」

そのあまりに静かな声に、俺は言葉を失った。

(慣れてる、ってことは……)

守られてこなかった、ということだ。これまでずっと、彼は一人でこういう噂や好奇の視線に耐えてきたのだ。

その事実が、俺の胸を締め付けた。

***

その夜、俺はセナを中庭に連れ出した。噴水の音だけが、静かな夜に響いている。

「……本当に気にならないのか?」

そう言うと、セナは首を傾げた。

「何を、ですか?」

わざとだろうか。それとも、本当に分からないのか。

「……俺のことだ。周りの噂、色々言われ始めていることは気がついているんだろ?」

セナは少し考えてから、小さく息をついた。

「アレクシス様は優しいんですね」

「……何を言っている」

「だって、僕のような者のために、わざわざそんなことまで」

彼の言葉に、俺は少しイラついた。

「『僕のような者』とか言うな」

「でも――」

「いいか、セナ。お前は……特別だ」

そう言ってしまった自分に驚いた。しかし、それは偽りではない。セナは確かに特別な存在だった。

彼はしばらく沈黙し、俯いたままだった。

「……ありがとうございます」

ようやく絞り出したような声だった。

「でも、大丈夫です。噂とか、本当に慣れてますから……」

その瞬間、俺の胸の奥で何かが決まった。

(セナを――俺が守らなければ)

ただ、この静かな少年が、これ以上傷つかないように。

***

次の日から、俺ははっきりと行動を変えた。

毎朝、セナを迎えに寮へ行く。最初は戸惑っていた彼も、次第に慣れていったようだ。

「アレクシス様、おはようございます」

ある朝、ドアを開けたセナの顔が、少し眠そうだった。

「……また目覚まし魔法が失敗したのか?」

「い、いえ、今日はちゃんと起きられました」

彼は照れくさそうに笑った。

「アレクシス様が……来るのを、待ってました」

その言葉に、俺の心臓が一拍飛んだ。

(……こいつ、無自覚にそんなこと言うな)

昼食も必ず一緒に取るようになった。誰かが声をかけようものなら、俺が間に入った。

「セナ君、ちょっと――」

「用事があるなら、俺を通せ」

「へ?え? アレクシス様? で、でもこれはセナ君に――」

「構わん。用事があるなら、まず俺に言え」

そんなやり取りが続くうちに、周囲も次第に諦めたようだ。

「すみません、アレクシス様。僕のせいで、ご迷惑をおかけして……」

セナが申し訳なさそうに俯く。

「謝るな」

思ったより強い声が出て、セナが目を瞬かせた。

「俺がやりたいだけだ」

それは、嘘ではない。確かに、俺はセナを守りたい。彼の無防備な様子や、時折見せる儚げな笑顔が、どうしても気になって仕方がない。

セナは少し考えてから、小さく笑った。

「……ありがとうございます」

その笑顔に心臓が高鳴った。

(くそ――やっぱり、可愛い)

自覚し始めてから、自分のセナへの想いが加速する。しかし、まだ追い詰めたくない。今はこの距離でいい。必要以上に踏み込まない。触れない……でも、離れはしない。

***

(最近、アレクシス様に守られている気がする)

僕は寮のベランダに立ち、夜空を見上げながらそう思った。

アレクシスは確かに変わった。以前よりも頻繁に一緒にいてくれるし、何より周囲からの視線や噂から守ってくれる。
自分のような、取るに足らない存在を、なぜ彼のような方が気にかけてくれるのだろう。
「期待されることは怖い」――それが僕の人生の教訓だった。期待は失望に繋がり、やがては自分を壊してしまう。だからこそ、目立たず、期待されないように生きてきた。

なのに、アレクシスは――なぜか怖くない。
むしろ、彼と一緒にいるときだけは、少しだけ息が楽になる。

(不思議な人・・・…)

アレクシス・ヴァルデリオは、公爵家の息子でありながら、僕のような者にわざわざ時間を割いてくれる。ときには冷たくあしらうこともあるが、根底には優しさがある。

「セナ」

突然呼びかけられ、僕ははっとして声の方向を見た。いつの間にか、アレクシスが寮の前に立っている。

「ア、アレクシス様? こんな時間に、どうして?」

「用はない。ただ、……なんとなくお前の顔が見たくなった」

彼はそう言うと、少し照れくさそうに顔を背けた。

「夜は冷える。早く部屋に戻れ」

「はい……でも、アレクシス様もお帰りになった方が」

「お前が部屋に入るのを見届けたら帰る」

その言葉に、僕は胸が温かくなるのを感じた。

(こんな風に気にかけてもらえるなんて……)

前世では味わったことのない感覚だった。大切にされている――そんな気さえしてきた。

「わかりました。部屋に戻ります。それでは、おやすみなさい、アレクシス様」

「ああ、おやすみ、セナ」

ドアを閉めながら、僕はその温かさに少しだけ涙を浮かべていた。
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