拗らせ問題児は癒しの君を独占したい

結衣可

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第9話 変化

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その数日後、 実技棟の廊下で、アレクシスは呼び止められた。  

「相変わらず、好き勝手やってるみたいじゃないか」 

 声の主は、兄だった。  

背筋の伸びた姿。 完璧な制服の着こなし。 周囲が自然と一歩距離を取る存在感。  

「結果は出してるだろ」  

アレクシスは、軽く肩をすくめる。  

「問題ない」 

 兄は一瞬、言葉を選ぶように視線を逸らした。  

「……まあ、お前はそういう役目じゃないしな」 

 悪意はない。 むしろ、気遣いのつもりなのだろう。  それが、一番きつい。  

「自由で羨ましいよ」 

 そう言われた瞬間、胸の奥が冷えた。 

 ――自由。 

――期待されない場所。 

 それが、どれほど空虚かを、兄は知らない。  

アレクシスは無造作に手を振ると、その場を離れた。兄は何か言いかけようとしたが、結局何も言わずに見送るだけだった。  

廊下を歩きながら、アレクシスは歯を食いしばった。

自由で羨ましい? とんでもない冗談だ。

兄にはわからないだろう、期待されないことの寂しさが。  

(あんたは全てを与えられている――家族の期待、将来の保証、すべてだ)

 対して自分は、自由という名の無関心の中に放り込まれている。  

教室に着くと、カイが近づいてきた。  

「おう、アレクシス。……なんだか不機嫌そうだな」  

「別に」  

「そりゃ嘘だろ。顔に書いてある」  

カイはからかうように笑う。アレクシスはそっぽを向いた。  

「兄貴に会ったんだろ? いつもそうなるのはその時だけだ」  

「分かっているなら、聞くな」  

カイはアレクシスの隣に腰掛ける。  

「で、今回は何て言われた? 『自由で羨ましい』とか、いつもの台詞か?」  

アレクシスは黙ったままうなずく。  

「はは、相変わらずだな。あの兄貴、本気でそう思ってるんだぜ。腹立つくらいに」  

「馬鹿げている」  

「同感だ。でもな、アレクシス、お前も少しは考えたほうがいい」  

カイの声が少し真剣になる。  

「お前、最近あの奨学生の子とよく一緒にいるらしいな」  

アレクシスはカイを睨みつける。  

「何が言いたい?」  

  カイは含みのある笑みを浮かべる。  

「まあ、何をしようとお前の自由だが……身分が違うんだ、気をつけろよ。変な噂がかなり広まっている」  

「どうでもいい」  

「そうか? でも相手のためにもならないぞ」  

カイの言葉に、アレクシスは眉をひそめる。確かにその通りだ。

セナはすでに奨学生という立場で大変なのに、これ以上変な噂が広がったら――  

(あれが注目されるのは……面白くないな)

「おい、聞いてるか?」  

カイの声に我に返る。 

 「ああ」  

「まあいいや。授業始まるぞ」  

カイは立ち上がり、自分の席に向かった。アレクシスは窓の外を見つめる。  

***

  放課後、アレクシスは中庭に向かった。 そこに、セナがいた。  ベンチに座り、本を読んでいる。 こちらに気づいて、顔を上げる。  

「……どうかしましたか」  

穏やかな声。  アレクシスは、その前に立ち、しばらく黙ってから言った。  

「……期待されないのも、結構きついものだ」  

セナが、目を瞬かせる。  

「え?」  

それ以上、アレクシスは続けなかった。 言えなかった。 

 期待されるのが怖い人間に、 期待されないことの痛みをどう説明すればいいのか、分からなかった。 

 セナは少し考えてから、小さく首を傾げる。  

「……そうなんですね」  

おそらくセナは分かっていない。 でも、否定もしない。  

(……それで、いい)  

アレクシスは、セナの隣に腰を下ろす。 肩が触れそうで、触れない距離。

守りたい。 
手放したくない。  
それが恋かどうかは、まだ分からない。  

ただ――この少年だけは、 自分の世界から消えてほしくないと、強く思った。  

「アレクシス様」  

セナが静かに声をかける。  

「何だ?」 

「お話、ありがとうございます。僕に打ち明けてくださって」 

 「別に大した話じゃない」 

 「そうでしょうか? アレクシス様が人に話すような内容ではないと思います」 

 セナの指が、本のページの端をそっとなぞる。  

「僕は……アレクシス様がそんな風に思っていたとは知りませんでした」  

「当然だ。俺だってお前のことを何も知らなかったのだから」  

「そうですね」  

セナはかすかに微笑んだ。  

「でも、お互いに少しずつ、知っていけるのかもしれません」  

その言葉に、アレクシスの胸が軽く衝撃を受けた。知っていく? そんなこと考えたこともなかった。誰かと深く関わることなど――  

「お前は本当に変な奴だ」 

 思わずそう口に出してしまう。  

「そうですか?」  

「ああ。俺のような厄介者に、わざわざそんなこと言うなんて」  

「アレクシス様は厄介者ではありません」  

セナの声には、少し力がこもっていた。  

「確かに、問題児と言われていることは知っています。でも、アレクシス様は優しい方です」  

「はっ、優しい?」 

 アレクシスは笑い出したい衝動を覚えた。  

「誰も俺のことを優しいなんて言ったことはない」 

 「それはただ……皆さんがアレクシス様の本当の姿を見ていないからだと思います」 

 セナはうつむき、自分の指を見つめる。  

「僕にはわかります。アレクシス様が人を傷つけるようなことはしないと。たとえ口は悪くても、行動はいつも誠実だと」  

「お前……」  

アレクシスは言葉を失った。この少年は、自分が気づいていなかった自分自身の一面を見透かしているようだ。  

「どうしてそんなことがわかる?」  

「だって――」  

セナは顔を上げ、アレクシスをまっすぐ見つめる。その淡い金色の瞳が、夕日を受けて輝いている。  

「アレクシス様は、僕が変なことを言っても、決して笑わないでくださいました。否定もせず、でも無理に慰めもせず……ただ、聞いてくださいました」  

「それだけのことで?」 

 「それだけのことです」 

 セナの微笑みが、ほんの少し大きくなる。  

「でも、それだけで十分でした。僕にとっては、それが――」  

言葉を切って、セナは照れくさそうに視線をそらす。  

「……とにかく、ありがとうございます」  

アレクシスはただ黙ってセナを見つめていた。

この少年は、自分が思っている以上に鋭い。そして、とても傷つきやすい。 

 風が吹き、セナの柔らかい髪がほんのりと揺れる。アレクシスは無意識に、その髪を触りたい衝動を覚えたが、ぐっとこらえる。  

(何を考えているんだ、俺は)  

こんな感情は初めてだ。触れたい――そんな思いに駆られるなど。

 (まずいだろ、これは) 

 自分が誰かにここまで執着するなんて、異常だ。  それでも、その異常さを止めたいとは思わなかった。

***

その夜、セナは自室でため息をつき、ベットに腰掛けた。

(アレクシス様のことが、どんどん気になってしまう)  

これは危険な兆候だ。深く関われば、きっと傷つく。でも、なぜか離れられない。  

ベッドに横たわり、天井を見つめながら、セナは考え込む。  

アレクシスは確かに危険な存在だ。しかし、同時に唯一の安らぎでもある。  

(この気持ちは、何だろう)  

恋? そんなはずがない。自分が恋愛するなんて――  

それに、アレクシスは公爵家の息子。自分とは雲泥の差だ。  

「無理だよ……」  

小声で呟くと、胸が少し痛んだ。  それでも、明日もアレクシスに会えると思うと、自然と笑みが浮かぶ。

  (だめだ、こんなことでは) 

 セナは布団にもぐりこむ。しかし、アレクシスの顔が頭から離れない。  

あの蒼い瞳、少し乱れた金髪、時折見せるかすかな笑み――  

(止まれ……止まれってば)  

自分に言い聞かせるが、心はもう止められなかった。
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