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第一話:その筆先は、衣を剥ぐより雄弁に
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吉原の夜は、嘘で塗り固められた極彩色の夢だ。
金で買われた一夜の逢瀬。そこに真心などという野暮なものはない。
この廓で最高位の花魁であるわっち――薄雲は、そう己に言い聞かせて生きてきた。
「…絵師殿。手が、震えておりますよ」
豪華絢爛な見世の奥座敷。客を見送った後のわずかな時間、わっちは目の前の男に声をかけた。
名を、海斗という。
今、江戸で最も人気のある浮世絵師。彼の描く美人画は、まるで魂が宿っているかのようだと評判だった。
そんな彼が、版元の無理な依頼でわっちの“春画”を描くことになったのだ。
肌を見せることには慣れている。だが、彼の前に座ると、どうしてか胸の奥がざわついた。
「…申し訳、ございません。薄雲太夫のあまりの美しさに、筆が気圧されております」
海斗は顔を上げない。ただひたすらに、画帖に視線を落としている。
男という生き物は、わっちの肌を見ればすぐに卑しい目を向けるもの。だというのに、この男の視線は違った。まるで、壊れ物を扱うかのように、あまりにも真摯で、痛いほどに、優しい。
「言い訳はよしておくんなまし。さぁ、早くお描きなさい。わっちの時間が、無駄になりんす」
わざと冷たく言い放ち、わっちは着物の合わせに手をかけた。
衣擦れの音が、やけに大きく部屋に響く。
重い打掛がはらりと肩から滑り落ち、続いて帯を解けば、白い肌が燭台の灯りに艶めかしく浮かび上がった。
そこまでしても、海斗は顔を上げなかった。ただ、固唾を飲む音が聞こえただけ。
じれたわっちが、彼の名を呼ぼうとした、その時だった。
「…描けませぬ」
「…は?」
「このような場所では…あなたの魂を描くことなど、到底できませぬ」
魂、だと…?
何を言っているんだ、この男は。
わっちに魂など、とうの昔に売り払ったというのに。
「戯言を。あんたが描くのは、わっちの裸でありんしょう?」
「違う!」
初めて、海斗が顔を上げた。
その瞳には、欲望の色はどこにもなかった。あったのは、ひたむきなまでの情熱と、そして、わっちの奥底を見透かすような、深い哀れみの色。
「俺が描きたいのは、あなたの肌の奥にある“痛み”だ。笑顔の裏で、あなたが流してきた涙だ。それを知らずに、どうしてあなたの美しさを描けるものか…!」
その言葉は、わっちが十数年かけて築き上げてきた心の壁を、いとも容易く打ち砕いた。
涙なんて、とっくに枯れたはずだった。
なのに、どうして。この男の前では、こんなにも心が揺さぶられるのか。
「…ならば」
気づけば、わっちの口から、自分でも思ってもみなかった言葉が紡がれていた。
「あんたの筆で…わっちの“痛み”とやらを、教えておくんなんし…」
そう言って、わっちは震える海斗の手を取った。
そして、それを自らの肌着の合わせ目へと、ゆっくりと導いていく。
「ひっ…!?」
彼の指先が、胸の谷間に触れた。
びくり、とわっちの身体が大きく跳ねる。初めて男に触れられたかのような、初心な反応。
いつもなら、こんな失態はあり得ない。
「わ、わっちの肌は…どうでありんすか…? 絵の具の乗りは、良さそうかい…?」
声が、震える。
海斗の指が、まるで絵筆で輪郭をなぞるかのように、わっちの肌の上を滑った。
その優しい感触に、ぞくぞくと背筋が粟立つ。
彼の指が、膨らみの頂にある小さな突起に触れた瞬間。
「あっ…♡ そこは…っ」
だめだ、と続くはずの言葉は、吐息に変わった。
彼の指が、そこをきゅっと摘まむ。ただそれだけの行為なのに、身体の奥が、じゅわん、と熱くなった。今までどんな男に抱かれても感じたことのない、甘い痺れが腰のあたりを駆け巡る。
「…どうして、優しくされただけで……感じてしまうでありんすか……?」
涙が、一筋こぼれた。
それは、海斗の指の上にぽつりと落ち、小さな染みを作る。
海斗は何も言わなかった。
ただ、わっちの涙を拭うでもなく、もう片方の手で画帖を拾い上げると、濡れた指先で、そこに一本の線を引いた。
それは、まるで泣いているかのように、震えて、滲んだ線だった。
「…美しい」
彼の呟きは、わっちの心を射抜いた。
ああ、この男は。
本当に、わっちの魂を描こうとしているのかもしれない。
ならば、見せてやらねばなるまい。
この嘘だらけの吉原で、たった一つの真実を。
わっちの身体が、心を裏切って、悦びを求める、この瞬間を。
わっちは自ら着物の前を大きくはだけると、まだ誰も触れたことのない、秘められた花園へと、彼の手を導いた。
「さぁ、絵師殿。ここが、あんたが描きたがっていた“わっち”でありんすよ…」
そこはもう、彼の筆を待ちわびるかのように、熱く、濡れていた。
【続く】
金で買われた一夜の逢瀬。そこに真心などという野暮なものはない。
この廓で最高位の花魁であるわっち――薄雲は、そう己に言い聞かせて生きてきた。
「…絵師殿。手が、震えておりますよ」
豪華絢爛な見世の奥座敷。客を見送った後のわずかな時間、わっちは目の前の男に声をかけた。
名を、海斗という。
今、江戸で最も人気のある浮世絵師。彼の描く美人画は、まるで魂が宿っているかのようだと評判だった。
そんな彼が、版元の無理な依頼でわっちの“春画”を描くことになったのだ。
肌を見せることには慣れている。だが、彼の前に座ると、どうしてか胸の奥がざわついた。
「…申し訳、ございません。薄雲太夫のあまりの美しさに、筆が気圧されております」
海斗は顔を上げない。ただひたすらに、画帖に視線を落としている。
男という生き物は、わっちの肌を見ればすぐに卑しい目を向けるもの。だというのに、この男の視線は違った。まるで、壊れ物を扱うかのように、あまりにも真摯で、痛いほどに、優しい。
「言い訳はよしておくんなまし。さぁ、早くお描きなさい。わっちの時間が、無駄になりんす」
わざと冷たく言い放ち、わっちは着物の合わせに手をかけた。
衣擦れの音が、やけに大きく部屋に響く。
重い打掛がはらりと肩から滑り落ち、続いて帯を解けば、白い肌が燭台の灯りに艶めかしく浮かび上がった。
そこまでしても、海斗は顔を上げなかった。ただ、固唾を飲む音が聞こえただけ。
じれたわっちが、彼の名を呼ぼうとした、その時だった。
「…描けませぬ」
「…は?」
「このような場所では…あなたの魂を描くことなど、到底できませぬ」
魂、だと…?
何を言っているんだ、この男は。
わっちに魂など、とうの昔に売り払ったというのに。
「戯言を。あんたが描くのは、わっちの裸でありんしょう?」
「違う!」
初めて、海斗が顔を上げた。
その瞳には、欲望の色はどこにもなかった。あったのは、ひたむきなまでの情熱と、そして、わっちの奥底を見透かすような、深い哀れみの色。
「俺が描きたいのは、あなたの肌の奥にある“痛み”だ。笑顔の裏で、あなたが流してきた涙だ。それを知らずに、どうしてあなたの美しさを描けるものか…!」
その言葉は、わっちが十数年かけて築き上げてきた心の壁を、いとも容易く打ち砕いた。
涙なんて、とっくに枯れたはずだった。
なのに、どうして。この男の前では、こんなにも心が揺さぶられるのか。
「…ならば」
気づけば、わっちの口から、自分でも思ってもみなかった言葉が紡がれていた。
「あんたの筆で…わっちの“痛み”とやらを、教えておくんなんし…」
そう言って、わっちは震える海斗の手を取った。
そして、それを自らの肌着の合わせ目へと、ゆっくりと導いていく。
「ひっ…!?」
彼の指先が、胸の谷間に触れた。
びくり、とわっちの身体が大きく跳ねる。初めて男に触れられたかのような、初心な反応。
いつもなら、こんな失態はあり得ない。
「わ、わっちの肌は…どうでありんすか…? 絵の具の乗りは、良さそうかい…?」
声が、震える。
海斗の指が、まるで絵筆で輪郭をなぞるかのように、わっちの肌の上を滑った。
その優しい感触に、ぞくぞくと背筋が粟立つ。
彼の指が、膨らみの頂にある小さな突起に触れた瞬間。
「あっ…♡ そこは…っ」
だめだ、と続くはずの言葉は、吐息に変わった。
彼の指が、そこをきゅっと摘まむ。ただそれだけの行為なのに、身体の奥が、じゅわん、と熱くなった。今までどんな男に抱かれても感じたことのない、甘い痺れが腰のあたりを駆け巡る。
「…どうして、優しくされただけで……感じてしまうでありんすか……?」
涙が、一筋こぼれた。
それは、海斗の指の上にぽつりと落ち、小さな染みを作る。
海斗は何も言わなかった。
ただ、わっちの涙を拭うでもなく、もう片方の手で画帖を拾い上げると、濡れた指先で、そこに一本の線を引いた。
それは、まるで泣いているかのように、震えて、滲んだ線だった。
「…美しい」
彼の呟きは、わっちの心を射抜いた。
ああ、この男は。
本当に、わっちの魂を描こうとしているのかもしれない。
ならば、見せてやらねばなるまい。
この嘘だらけの吉原で、たった一つの真実を。
わっちの身体が、心を裏切って、悦びを求める、この瞬間を。
わっちは自ら着物の前を大きくはだけると、まだ誰も触れたことのない、秘められた花園へと、彼の手を導いた。
「さぁ、絵師殿。ここが、あんたが描きたがっていた“わっち”でありんすよ…」
そこはもう、彼の筆を待ちわびるかのように、熱く、濡れていた。
【続く】
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