25歳、終電後の元カノは俺の知らない匂いがした

どえろん

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第四話

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 ホテルの自動ドアを抜けると、土曜の朝の、少しひんやりとした空気が肌を撫でた。
 コンビニで買ったコーヒーの温かさが、やけに掌に心地よい。
 俺は熱い缶コーヒーを、栞はペットボトルのカフェラテを、どちらからともなく選んでいた。そういう些細な好みは、四年前から何も変わっていない。

「……なんか、変な感じ」

 ホテルに戻る道すがら、栞がぽつりと呟いた。

「何が?」
「ううん。……こうやって、湊と並んで朝の街を歩いてるのが、不思議だなって」

 その横顔は、昨夜の涙の跡が嘘のように穏やかだった。
 俺のぶかぶかのYシャツの上に、自分のトレンチコートを羽織っただけのちぐはぐな格好なのに、なぜかそれがひどく様になって見える。

「俺もだよ。……昨日まで、普通に会社行って、上司にため息つかれて、一人で吉野家食って帰るだけの毎日だったのに」
「ふふ、湊らしい」

 彼女がくすくすと笑う。その笑顔だけで、モノクロだった俺の世界に、色が戻っていくような気さえした。

 部屋に戻ると、栞は手際よくベッドを整え始めた。まるで、それが当たり前のことであるかのように。
 俺は買ってきたサンドイッチと菓子パンをローテーブルに並べる。
 ホテルの、何の変哲もない部屋。けれど、栞がいるだけで、そこはもう俺たちの「日常」の始まりの場所になっていた。

「いただきます」
「……おう」

 向かい合って、黙々とサンドイッチを頬張る。
 あれだけ激しく肌を重ねた後だというのに、いざ服を着て向き合うと、妙な気恥ずかしさが空気を支配した。
 何を話せばいいのか分からない。この沈黙は、心地よいのか、それとも気まずいだけなのか。

「……あのさ」

 先に沈黙を破ったのは、栞だった。

「俺の部屋、来るか?」

 俺は、彼女の言葉を遮るように言った。
 栞が、ぱちくりと目を瞬かせる。

「いいの……?」
「良くなかったら誘わねえよ。どうせ、帰る場所もねえんだろ」
「……うん」
「それに……」

 俺は言葉を切り、彼女の瞳をまっすぐに見た。

「お前がこれからどうしたいのか、ちゃんと聞きたい。……その、なんだ。昨日の夜みたいな、勢いだけじゃなくて」

 俺の言葉に、栞は一瞬だけ俯いた。
 そして、ゆっくりと顔を上げると、決意を固めたように、はっきりと頷いた。

「……うん。行く。……あなたの、部屋に」

 その「あなた」という呼び方に、心臓が小さく跳ねた。

 チェックアウトを済ませ、二人でタクシーに乗り込む。
 窓の外を流れていく景色を眺めながら、俺は自分の人生が、今、大きく変わろうとしているのを実感していた。

 俺の部屋は、駅から徒歩10分。築15年の、ありふれたワンルームマンションだ。
 鍵を開けてドアを開けると、昨日までの俺の一人暮らしの匂いがした。

「……狭いけど。まあ、入れよ」
「……おじゃまします」

 栞は、少しだけ緊張した面持ちで、部屋に足を踏み入れた。
 そして、物珍しそうに、ぐるりと室内を見渡す。
 読みっぱなしのビジネス書。積み上げられた漫画。PCが置きっぱなしのローテーブル。
 四年間、俺が生きてきた証。栞のいなかった、俺だけの時間。

「……本当に、湊の部屋だ」
「なんだよそれ」
「ううん。湊の匂いがするなって」

 そう言って、彼女はふわりと笑った。
 その笑顔に、俺はたまらなくなって、背後から彼女を抱きしめていた。

「わっ……! み、湊……?」
「……悪い」

 肩口に顔をうずめる。シャンプーと、俺のYシャツの匂いと、そして栞自身の甘い香りがした。もう、俺の知らない香水の匂いはどこにもない。

「……栞。とりあえず、シャワー浴びてこいよ。服、俺ので悪いけど、Tシャツとスウェット貸すから」
「……うん」
「あと、これ」

 俺は洗面台の棚から、まだ封も切っていない、新しい歯ブラシを取り出して彼女に手渡した。
 栞はそれを受け取ると、一瞬だけ目を見開いて、そして……泣き出しそうな顔で、ありがとう、と呟いた。

 たかが歯ブラシ一本。
 けれど、それは俺からの、言葉にならない誓いだった。

「お前はもう、一夜限りの客じゃない」
「お前の居場所は、ここにある」

 シャワールームに消える彼女の背中を見送りながら、俺は大きく息を吐いた。
 勢いで連れてきてしまった。後悔はない。
 ただ、途方もない責任と、それ以上の幸福感が、胸の中にずしりと満ちていた。

 俺たちの、ぎこちなくて、不器用な、二度目の同棲生活が始まった。

【続く】
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