25歳、終電後の元カノは俺の知らない匂いがした

どえろん

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第六話

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 俺の胸でしばらく泣いた後、栞は顔を上げた。
 まだ赤く潤んではいるものの、その瞳の奥には、一本の芯が通ったような強い光が宿っていた。

「……行く。今から、行きたい」
「……わかった。準備しよう」

 もう、彼女の中に迷いはなかった。
 俺たちは、戦場に向かう同志のように、静かに頷き合った。

 問題は、栞の服装だった。俺のスウェット姿で元カレの家に行くわけにはいかない。
 クローゼットを開け、一番当たり障りのない、無地の黒いパーカーと、昔買ってほとんど履いていないジーンズを引っ張り出す。

「……これ、着れるか?」
「……うん。ありがとう」

 栞が再びバスルームで着替えている間、俺は昼食の準備を始めた。
 といっても、冷蔵庫には大したものは入っていない。棚の奥から、カップラーメンを二つ取り出し、ポットでお湯を沸かす。
 こんなものでも、二人で食べれば、きっと昨日までの味気ない食事とは比べ物にならないくらい美味く感じるだろう。

 パーカーとジーンズに着替えた栞は、少しだけ「借り物」のぎこちなさはあるものの、俺の匂いに包まれているせいか、どこか安心しているように見えた。フードをすっぽり被ると、その小さな顔が半分以上隠れてしまう。その姿が、守ってやりたいという庇護欲を掻き立てた。

「……うまいな、これ」
「……うん、おいしい」

 向かい合って、同じカップラーメンをすする。
 特別な会話はない。ただ、静かな時間が流れていく。
 腹ごしらえを終え、食器を洗い、俺たちはアパートのドアを開けた。
 これから起こるであろう修羅場を前に、まるで嵐の前の静けさのような、穏やかな時間だった。

 電車に揺られながら、俺たちはどちらからともなく手を繋いだ。
 栞の指先が、氷のように冷たい。俺はそれを温めるように、ぎゅっと力を込めた。彼女は何も言わず、ただ俺の肩にこてん、と頭を預けてくる。

(ああ、もう、駄目だ)

 完全に、惚れ直している。
 いや、四年前から、ずっと好きだったんだ。別れた後も、心のどこかでずっと。
 その気持ちに蓋をして、大人になったふりをして、やり過ごしてきただけなんだ。
 今、腕の中に感じるこの重みと温もりが、俺の凍りついた心をゆっくりと溶かしていく。

 目的の駅に着き、ホームに降り立つ。
 栞の元カレが住むというマンションは、駅から歩いて5分ほどの、小綺麗なオートロック付きの建物だった。

「……ここ」

 マンションを見上げ、栞が呟く。
 その声は、恐怖でかすかに震えていた。
 繋いだ手に、じっとりと汗が滲む。

「……大丈夫か?」
「……うん。湊が、いるから」

 彼女は一度、大きく深呼吸をした。そして、俺の顔をまっすぐに見上げて、言った。

「インターホンは押さないで、鍵で入る。……あいつ、土曜は昼過ぎまで寝てるから」
「もし起きてたら、俺が話す。お前は荷物をまとめることだけ考えろ」
「……うん」

 俺の言葉に、彼女はこくりと頷く。
 二人でエントランスを抜け、エレベーターで7階へ。
 目的の部屋の前に立った時、栞の身体がこわばるのが、繋いだ手を通して伝わってきた。

「……大丈夫。俺がついてる」

 俺は彼女の耳元で囁き、背中をそっと撫でてやる。
 栞は意を決したように、バッグから鍵を取り出し、震える手で鍵穴に差し込んだ。

 カチャリ、と小さな音がして、ドアのロックが解除される。

 俺たちは顔を見合わせ、息を呑んだ。
 栞がゆっくりとドアノブに手をかけ、ドアを内側へ押し開ける。

 そこに広がっていたのは、俺たちの想像を絶する光景だった。

 部屋は、荒れ放題だった。
 床には空の酒瓶やコンビニの弁当ガラが散乱し、ひっくり返ったテーブルの上には、粉々に割れた写真立てが転がっている。
 そして、その部屋の奥。
 ソファの上で、一人の男がぐったりと横たわっていた。

「……え……?」

 栞が、息を呑む。
 男は、俺たちが入ってきたことにも気づかない様子で、ぴくりとも動かない。
 その手元には、睡眠薬か何かの、空になったシートがいくつも散らばっていた。

 最悪の事態が、頭をよぎる。

「栞! 下がってろ!」

 俺は彼女を背中にかばい、一歩、部屋の中へと足を踏み入れた。
 腐った酒と、生活ゴミの悪臭が、鼻を突く。
 これは、ただの修羅場じゃない。
 もっと深く、暗く、救いようのない、人間の業の匂いだった。

【続く】
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