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第一章 遠別
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しおりを挟む洗濯機をセットすると、リビングに戻った。
布団は畳んで壁際に積み上げてある。
その横に、古くて小さな棚。
これも、前の住人が置いていったもの。
その棚の上に置いてある、小さなラジオの電源を入れる。
控えめな音量でクラッシックが聴こえてきた。
「ああ…懐かしい…」
リストの「愛の夢」だ。
ピアノの旋律がとても美しくて…
必死で練習したな…どうしてもこの曲が弾きたくて…
君に、聴かせたくて…
ピアノは小さい頃習ったきりだった。
大人になってから、また再開したけど…
指が動かなくて、酷いものだった。
でも、この曲は…頑張ったなあ…
積み上げた布団に凭れるように、絨毯の床に座った。
懐かしい旋律に揺蕩っていると、君が戻ってくる。
「…なに?懐かしいの聴いてるね…」
ニット帽とダウンを脱ぐと、ストーブの前にしゃがみこんだ。
「ふふ…たまにはいいでしょ…?」
「いいね…この曲、俺だいすきだよ」
「俺のことは?」
「えー?決まってるじゃん…」
くるりと顔だけこっちに向けた。
「愛してる」
凄く…真剣な表情で。
思わず両手を広げた。
君はふふっと微笑むと。
俺の腕の中に、飛び込んできてくれた。
「俺も…愛してるよ…」
ふたりで、ラジオから流れる「愛の夢」を聴いた。
とても静かで、とても暖かく。
そして、腕の中の愛おしい君。
しあわせな時間…
「あのときは…」
君が俺の腕の中で身じろぎした。
俺を見上げると、くしゃっと笑って。
「ん…?」
「こんな時間、来るとは思わなかったね…」
「ああ…そうだね…」
「こんなに穏やかで、こんなに静かで…」
「うん…」
「…俺、しあわせだよ…」
「俺も」
その笑った顔が愛おしくて。
頬に手を添えて、額にキスを落とした。
「とても…今が、生きていて一番しあわせだよ」
嬉しそうに笑う君は、身を乗り出して俺の頬にキスをくれた。
なにもない…一日。
こうやって、君と二人。
なにもない部屋で抱き合って。
きれいな音楽を聞きながら、他愛もない話をして。
キスをして、キスをされて。
少しだけ身体に触れ合って。
穏やかな…そしてしあわせに溢れた時間。
夕方、夕飯の材料を買いに君が外へ出ていった。
その間、だいぶ動けるようになった俺は、風呂掃除をして。
乾燥機にぶち込んでた洗濯物を取り出して。
リビングで畳みながら、君の帰りを待った。
帰ってきた君は、手に何も持っていなくて。
その時が来たのを知った。
「おかえり…」
「…うん…」
ニット帽にダウンを着た君は、俺の顔をみたまま動かない。
暫くすると、買い物にでかけたはずなのに自分が何も持ってないことに気づいて。
「あは…買い物、忘れちゃった…」
玄関で長靴も脱がないで…
狭い狭い三和土で俺を見上げた。
「……来たんだね?」
小さな声で問うと、君は小さく頷いた。
「…そう…」
そっと手を伸ばして頬に触れると、冷たい。
「早く、温まりな」
そう言うと、やっと君は長靴を脱いで部屋に上がってきた。
ふたりでストーブの前に行くと、君はしゃがんで手をかざした。
俺もしゃがんで、その背中をそっと撫でた。
君は黙ってストーブのオレンジを見ている。
唇を少し噛み締めて…
「…ごめんね…」
そう呟くと、君は首を横に振る。
「…何も…悪いことなんてしてない…」
「ああ…」
ストーブの上に載せているやかんから、湯気が上って。
電気を消したままの台所にゆっくりと消えていく。
「…どうする…?」
その問いには、君はなにも答えなかった。
翌朝、起き出してきた君は、いつもどおりダウンを羽織って。
「しゃむいしゃむい…」
そう言いながらストーブをつけに行った。
その物音を聞きながら、まだ眠たくて。
目を閉じたまま布団に入ってたら、ダウンを着たままの君が布団に入ってきた。
「つめたっ…」
やがてストーブの暖かさが満ちてくると、起き出して。
「今日、仕事辞めてくる」
朝食を作っている最中、君はそんな事を言う。
「…辞めて、どうする…?」
昨日の問いの答えは、まだ聞いてなかった。
君は出しっぱなしにしていた水を止めると、こちらを振り返った。
「…一緒に…居たい…」
その目は、静かで。
何かを決意した目で。
「…わかった…」
立ち上がって、君を抱きしめた。
「俺も、仕事辞めてくる…」
「うん…」
少しでも、長く…
君と一緒に…
出勤してすぐに、辞意を伝える。
だいぶ引き止められたけど、押し切ってきた。
職場のデスクもロッカーも整理して、帰ってきた。
もう陽は落ちて、辺りは暗い。
短い間だったけど、通った道。
積もった雪を踏みしめながら、帰路についた。
家につくと、すでに明かりが灯ってて。
鍵を開けてドアを開けると、君はもう夕飯の準備をしてた。
「おかえり!」
玄関に入ると、君は嬉しそうに飛び出してきて。
「ただいま」
笑いながら返事をすると…くしゃりと笑って。
「今日はシチューだよ」
「やった」
いつもどおりの穏やかな時間。
暖かな時間。
「ねえ…」
「ん…?」
浴室はよく声が響く。
君を後ろから抱きしめながら、湯に浸かってじっくり温まっていると、君が呼びかけてきた。
「後悔…してない…?」
それは、何度も何度も君が問いかけてきた言葉。
俺よりも細い肩が震えてる。
「してない…」
ぎゅっと、君を抱く腕に力を入れた。
「君とこうしていられて…最高に幸せだ」
いつも、そう答えて…
君が安心してくれるのを待つ。
それは俺達の儀式で
何かを確認する儀式で
「…もう、出よう…」
君は立ち上がると俺に手を差し出して。
見上げると、君の顔からぽたりと水の雫が落ちてくる。
ぽちゃりと水面に小さく音を立てて落ちると、次々にその雫は降ってくる。
「…泣かないで…」
差し出された手を掴むと、引き寄せた。
水音を立てながら、君は俺の腕に飛び込んできた。
そして呟いた
「どうして…男に生まれたんだろ…」
それは多分。
何回も、何百回も君の中で問われた問いで。
何百回も、何千回も君を責めた言葉で。
「男に生まれてなきゃ…君と出会ってない…」
それは俺も何回も、何百回も問うた問いで。
何百回も、何千回も俺を責めた言葉で。
「君と出会ってなかったら…俺は…」
死んだまま…
自分の人生を生き続けていただろう
君と出会って、初めて
生きるということはどういうことか
愛し愛されるということはどういうことか
自分で自分を欺いて…
欺瞞だらけで傷つけ、死んでいたのだと
気づいたんだ
今、俺が生きているのは君のお陰なんだ
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