凶幻獣戦域ラージャーラ

幾橋テツミ

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第1章 異空の超戦者たち

愛華領魔闘陣⑨

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 そいつは、両手両足を超硬物質の枷によって、同じ素材で造られた壁面に磔にされていた。                   
 黄土色の血管がぐねぐねと隈なく這い回る亀裂だらけの岩塊のごとき茶褐色の、2メートル・200キロは確実に超過しているであろう巨体-その1/4を優に占める巨大な頭部にはテニスの硬球ほどもある山吹色の瞳の目玉が、狂おしいほどにびっしりと埋め込まれていた!
 しかも一瞬も静止することなく、ぐるぐると回転するそれは一体いかなる映像を脳内に送り込んでいるというのだろうか?-だがそのうち半数近くは雷堂 玄と坂巻雪英に無残に潰され、じくじくと黄色い体液を滲出していた。
 刑架である壁にべたりと張り付いた、蝙蝠を彷彿とさせる黒褐色の翼もまた捕獲者の証言通り鋭利な刃物でズタズタに切り裂かれており、二度と飛行は不可能であろうことは明白であった。
 これらの深傷が絶えざる苦痛を及ぼすのであろう、神牙教軍の尖兵は動けぬ全身を小刻みに震わせ、黄色い牙を剥き出して苦悶と呪詛の唸りを発しているようであったが……それは完全に遮断され、幸いにも隣室には届かない。
 
 「そもそも、岩眼魔コイツにインタビューなんて可能じゃないでしょうし、唸り声も聴きたくもありませんがね……神牙教軍という組織自体を象徴するかのような醜悪な姿を我々に見せることで清く正しい絆獣聖団の結束を固めることが目的なんですかね、この集会は?」

 嫌悪と興奮が入り混じる、異様な雰囲気の場内を眺めやりつつ、夏月と共に雛壇状の、仕切りのない座席の最後列中央に陣取ったジェニファーがピルケースから摘み出したフリスクを口中に放り込みつつ宣う。

 「もちろんそれもあるだろうさ……だがね、わが聖団史上、屈指の激戦となるであろう〘ミッション181〙を前に戦闘準備を中断させて招集を掛けたということは、それなりのサプライズがあると思わないかい?」

 思わせぶりな口ぶりの総指揮者に、メデューサは訝しげな視線を向ける。

 「アイツを実験台にして、新兵器のお披露目をするぐらいしか思いつきませんけどね……」

 エース操獣師から取り上げたケースから掌に白い粒を振り出しつつ、伝説の殺戮姫が微笑む。

 「兵器は兵器でも、情報収集用らしいよ……昔の特撮に出てくる“怪獣翻訳機”みたようなヤツじゃないかね?精度の方はどう考えても不安だが……おっ、我が聖団の問題児が御入来だよ」

 室の両サイドに設えられた扉の右側から現れた雷堂 玄と坂巻雪英を見下しつつ、竹澤夏月がフリスクを思い切り噛み砕く。

 「雷堂の後ろの、面白いカッコしたボーイ……名前は忘れましたけど、彼はたしか“サラブレッド”なんでしたよね?」

 メドゥーサの言を受け、夏月が答える。

 「ああ、雪英ちゃんかい……話してみると素直でいい子なんだが、サラブレッドっていうのはどうかね?まあ、あれの親父はたしかにそこそこの錬装者ではあったよ……世代はあたしより一つ上だが、何度も一緒に戦ったし、助けられたことも助けたことも何回もある……でもまあ、人間的にはちょっとね……現在いま三次元あっちで日本人聖団員の“重鎮”を気取ってるが、よからぬ評判は相変わらずさ……まあ、“雷堂のオヤジ版”と思ってくれりゃ間違いないよ」

 「……そりゃ、大概ですね……」

 「実際、大概なんだよ……まあ、息子の方は玉朧に聞くとまともな性格でスジも悪くないそうたが……同世代の同胞とはいえ玄なんかとつるんでるようじゃ、あんまり期待は出来んわな……」

 「そうですね。-ところでその雷堂ですが……けっこうヤバい噂を耳にしたんですが、あれ●●は本当なんですかね?」

 ケースを返しつつ、夏月は質問者をジロリと一瞥する。

 「……アンタがこんなに詮索好きとは思わなかったよ……先に言っとくと、答えはイエスさ。でもさすがにこれは指導部としても見過ごすわけにゃいかないから、奴への喚問は間違いなく行われる。場合によっちゃかなり重いペナルティが課されるだろうね……でも現在は非常時だ。そしてアレも“三下”とはいえ戦力の端くれであることには変わりない……だから全てはミッションが一段落してからのことになるだろうね……」

 「でも、あの肩の怒らせ方を見る限り、自分を三下とは思ってないでしょうね。どうやら岩眼魔アイツの傷と英雄気取りの態度から判断するに、捕獲したのはあの二人みたいだし」

 メドゥーサの冷笑に、夏月は凄惨な笑みで応じる。

 「だから、三下なのさ」

 「へ~くしょい!!」

 誰はばかることなく大くしゃみを放った玄は、口元を拭いつつ監査室内を見回し、ニヤつきながら雪英を振り返った。

 「どうやら、主役の登場にご婦人方も内心のトキメキを抑えきれないらしいぜ……言葉には出さずとも、考えてるのはオレらのことだとこれで分かった」

 白っぽい作務衣姿の若者は一瞬怪訝な表情を浮かべたが、相棒の奇天烈な物言いには慣れきっているのかただ苦笑するのみであった。

 「さて、敵兵捕獲のVIPはどこに陣取るべきか……おっ、あそこに師匠がいるぜ」

 3列目の中央に、愛華領特有の淡いブルーの照明を鈍く反射するスキンヘッドを発見した雷堂 玄は雛壇横のステップを駆け下り、坂巻雪英がゆっくりと続く。

 その過程で二人は、鉄色の作務衣を纏った玉朧ぎょくろう拳師の隣に着席しているのが最強錬装者にして最大の錬装者グループ[真紅の悪漢騎士たち](Crimson Bad Knights)の総帥・レイモンド=スペンサーであることに気付く。

 「こりゃ、儲けたぜ。最強者様の御尊顔を拝するのはマジで久方ぶりだ……」

 160cmそこそこの拳師に対し、190cmに迫るスペンサーの対比はそのまま東洋人と欧米人の体格差のイメージそのものであったが、二十代半ばの後者に対し聖団草創期からの歴戦の勇士である前者は寧ろ貫禄で圧倒していた……だがそれは戦闘における鬼神のごとき勇猛さと裏腹に日常時においての紳士ぶりを礼賛される[CBK]リーダーの、大先輩に対するリスペクトの現れであったかもしれない。

 背中に“ C.B.K.”と金文字で刺繍された強化コーデュラ素材の深紅色クリムゾンレッドのチームの統一デザインジャンプスーツを身に着けた濃い栗色の髪と碧い瞳の美丈夫は、身振り手振りをしきりに交えつつ、微かに頷くほかは身じろぎもしない禿頭の中年男に話しかけている。
 二人の両脇には[CBK]のメンバーが陣取っているが真後ろが一列まるごと空席であるのを幸い、玄と雪英は一礼すると師匠から軽い一瞥と片手を挙げた返礼を受け、着席する。

 「……繰り返しますが、ここらで錬装者にも操獣師における[ドゥルガー]のような“統一組織”が必要であることは明白です……さもなくば、現在の無秩序アナーキーはやがて取り返しのつかない危機を聖団にもたらすことになるでしょう……!」

 「……そしてめでたく新組織が誕生した暁には、お前さん-いや失礼、[CBK]が錬装者の頂点に君臨するというわけか……」

 「そうではありません」

 失望を露わにしつつも、あくまでも抑制された仕草で[CBK]総帥は首を振った。

 「リーダーシップを執るのがどの個人やグループであるかは全く問題ではない……[鉄槌士隊]のモラレスであろうが、[バトルハッカーズ]のロジャースであろうが、[霊拳旅団]の鄭であろうが、もちろん[星拳鬼會]の玉朧拳師であろうと……そこは全く問題ではないのです」

 瞑目して耳を傾けていた拳師は、殆ど唇を動かさずに話者に問う。

 「……[皇帝狼]のベルガーは“条件”を満たしておらんのかな?」

 レイモンド=スペンサーはため息を吐きつつかぶりを振る。

 「彼だけは例外です……いわば今日の“錬装者頽廃現象”の元凶ともいえる人物なのですから」

 「“堕落した錬装者”というなら、わしも一人、身近に知っているが……」

 玉朧の呟きにスペンサーは軽く頷きつつ、視界の片隅に熱烈な注視を向ける黒衣の青年を捉えるが、すぐに玉朧拳師に視線を戻す。

 「もちろん、国籍もポリシーも異なる各組織をいきなり一つに束ねようというのはいくらなんでも乱暴でしょう。ならば欧米とアジアの融合の第一歩として[CBK]われわれ[星拳鬼會]あなたがたの合併を申し出ているのですが……」

 この意外な提案に、グループの意思決定に関与する立場ではないとはいえ玄は色めき立ち、雪英に“面白くなってきたぜ”とばかりに目配せするが、彼は懐疑的な表情で虚空を見つめる。

 「一つ聞きたいんだが……それはあくまでも[CBK]統率者としてのレイモンド=スペンサー氏が聖団の更なる戦力向上を目睹しての提案なのか、それとも(右手の小指を立ててコレ●●と言いかけ、慌てて引っ込める)何か“超自然的な啓示”を受けての発言なのか……それは確かめておきたいところだな」

 含みをもたせた物言いに、スペンサーは苦笑しつつ頭を振った。この唐突なオファーが、天響神エグメドと絆獣聖団を結ぶ[六天巫蝶]の一員たる恋人の意向を受けてのものではないかと疑われていることを察したのだ。

 「この件について、アリシアは全く無関係です。もしこれが天響神エグメドの意思であるならば、6人全員に誣告されるはずでしょう?」

 訊かずもがなのことをと後悔しつつ、玉朧拳師はアポロン像を彷彿とさせる美青年を真正面から見据えて言った。

 「それは建設的な意見であるし、わし個人としては反対する理由はない……だが[星拳鬼會]はわしの所有物ではないのでな、勝手に別組織にするわけにもいかん。やはり命懸けで“看板”を守ってきた連中の意見も聞いてみなければな……しかも都合の悪いことにそいつらに限って大半が三次元あっちに戻ってしまっておる……」

 渋い表情で腕組みする玉朧に対し、スペンサーもまた映画俳優としても通用しそうな端正な顔立ちをしかめる。

 「分かります。錬装者も発言力を持つ古参ほど自主独立という美名の縄張り意識が強く、ちょっとした共同作戦への参加すら非協力的でどこまでも下らぬメンツにこだわり、主導権は絶対に手放そうとしない……それが現役ボーイズたちの生命を最も
危険にさらす行為であるにもかかわらず……ですが、意外でした。拳師と“重鎮”とは文字通り一心同体と勝手に判断していたもので……」

 まんまとだまされた、と言わんばかりの言葉と表情に破顔しつつ玉朧は首と右手を振った。

 「なんのなんの、わしとこそが同床異夢或いは呉越同舟という東洋の熟語イディオムの体現者と言えるだろうよ…だが、いかにソリの合わぬ存在とはいえ、彼奴はわしはかつての同志であり、互いの命の恩人でもある……ここまていえば察してくれるだろうが、その男が何より尊重しているのが君の言う“下らぬメンツ”なのだよ……雪英?」

 「はい」

 愛弟子に探るような視線を向けた玉朧が重い声音で問う。

 「……“実家いえ”とは連絡を取っているか?」

 「〔念送心話〕なら3日毎に届きます……それも“夢便”のカタチで。“定期便”なら観ないことが向こうにも分かってるんでしょう……」

 ついに来たか、と言わんばかりにベビーフェイスを歪めて“[星拳鬼會]のプリンス”が呟く。

 その表情に玉朧とスペンサーは苦笑しつつ顔を見合わせるのであった。

 「それは災難……いや、死地に我が子を送りし親として当然の心遣いであろう、感謝せねばならんぞ……ところで“泰彰オヤジ”は相変わらずか?」

 俯いた雪英は消え入りそうな声で

 「……お恥ずかしい限りです」と応えた。
   
 「まあ、この件については“継続審議”ということで……とりあえず、岩眼魔アイツからの情報収集を終わらせましょう……」

 このスペンサーの言葉を合図にしたかのように、別室の隅で待機していたCBKの錬装者たちが四人、身をよじらせる岩眼魔の前に一列となる。
 彼らの錬装磁甲は軍団名を彷彿とさせる、紅い西洋甲冑をモチーフとしているかのごとき意匠であり、その色合いは各自で微妙に異なっていたが、意外にもチームカラーたる深紅色クリムゾンレッドそれ自体は存在していなかった。
 何故なら、それは絆獣聖団最強錬装者であるチームリーダースペンサー
の色であったからだ!
 だが、それ以外の点において、[CBK]所属者の錬装磁甲は他チームとは比較にならないほど似通っていた……この事実は、天響神が創り上げた光彩陸離たる錬装磁甲製造システムに、絆獣聖団が誇る超技術者の集団、[無元造房]の手が加わったことを意味する……三次元人の目からすれば魔法使いとしか形容しようのない彼らのみが、存在した時点で無謬といえる天響神の創造物を、畏れ多くも可能な範囲で改変する権利を有しているのであった。
 メンバーたちをその行為に駆り立てた素因が総帥スペンサーに対する燃えるような憧憬と忠誠心であることはいうまでもなく、戦闘力のみならず結束力も兼ね備えた、つまり総合力で全チーム中No.1とされる所以も然りであった。
 
 「おっ、あの“棒”は……!」

 玄が嘆声を挙げ、玉朧も「ほう」と目を細める。

 「あれが噂の【エグメドの審火】か……」

 些かの羨望が含まれた“ライバルチーム”の長の呟きを受け、この男には珍しく微かな優越感を感じさせる口調でスペンサーがうべなう。

 「そうです。[無元造房]の幾多の偉業の中でも、かなりのエポックといえるアイテムでしょうね……もちろん神牙教軍の兵士に対しても有効で、これ●●から得られた情報で助けられたことは数しれず。ただ……」

 途切れた言葉の穂先を、玉朧拳師が繋ぐ。

 「ラージャーラ人にんげん以外の相手に有効がどうかは確証が無い、か……」

 「ええ、その通りです……何個か“成功例
”はありますが、少なくとも答えが“言葉”でもたらされることは全く期待出来ないでしょう、従って……」

 一呼吸措き、[CBK]総帥は尋問方針を明らかにした-。

 「“審火レベル”はMAXで行います」

 別室の[CBK]メンバーたちの両手には長さ1メートル、直径3センチは優にある深紅色の金属棒が握られており、計8本の“発射口”が標的に向けられた。

 「天響神よ、峻厳なる審判の焔によって邪醜極まる外法の造化物を灼き浄め、その灰燼をして真実を語らしめよ!」

 [CBK]チームNo.2、ゲイリー=ガルシアの絶叫と共に一斉に放射された紅蓮の奔流が標的の全身を隈なく飲み尽くし、体内にいかなる引火物を有しているものか、岩眼魔は意外なほどに激しく燃え上がった……。

 さすがに悲鳴こそ挙がらなかったが、分厚い水晶板を隔てた監査室では投入された新兵器に対する情報が素早く入り乱れ、スペンサー及び[CBK]への、殆ど崇拝に近い信頼も相俟って、一斉に嘆声と拍手が打ち鳴らされた。
 
 「この業火によって奴の“最重要細胞記憶”を炙り出し隔壁板上に“映像ヴィジョン化”します」

 「凄まじいものだな……だが痛恨にも我が[星拳鬼會]チームには“配備”の打診すらなかったわ……せめて東洋側にも一揃い欲しかったものだ……おお、早くも“上映”がはじまったか?」

 ……闇黒世界の住人にふさわしく、紅く染まっていた隔壁板は不気味な昏さに翳ったが、目が慣れるに従い、それがぬらついた岩壁に囲われたかなりな広さの空間であることが推測できたが、映像は当然岩眼魔の視点で捉えられたものであるため醜悪な怪物の姿がカットされていることは“鑑賞者”にとって幸いであった。

 「へへ、目玉カメラは一個だけに限定されてるみてえだな。見やすくてありがてえや……」

 「……玄、黙って観ろ」

 師の注意を受け、未だ勝利の余韻に浸っているオメデタ男は鹿爪らしく腕を組んで「はい」と呟く。
 次の瞬間、画面中央に灰色の軽量装甲服を装着したスマートな戦士が映し出された。
 場内に微かなどよめきが起こり、最後列のジェニファーは低く唸った。

 「あの娘、知り合いかい?カッコいい仮面マスク被ってるけど正体分かるのか?」

 横顔に総指揮者の視線を受けつつ、メデューサは女戦士を-正確には彼女が手にした武器を指差す。

 「いえ、確証はないですがあの鋼鞭に見覚えが……アイツ●●●とうとうとっ捕まったのか……?」

 「……説明してもらおうか、ジェニファー」

 「あれは2年ばかり前のことですか、あたしが[セシャーク勇仙領]の教率者に無礼な申し出を受けたときのことです」

 ラージャーラ屈指の人気飲料である果乳液ミピーハの製造・取引によって、上位クラスの“富裕教界”であるセシャークはティリールカ愛華領のごとき非武装主義ではなく、むしろ教界名にもある通り尚武を伝統とする自主独立の気概に満ちていたが、富の蓄積に比例して軍事面の外部委託の比重が増加していた。その状況下でラージャーラ全体の最懸念材料といえる神牙教軍の増長に危機感を覚えないはずはなく、熱烈な懇請を受けた絆獣聖団は早速精鋭の派遣を実行したのであるが、予想だにしない反応を教率者ロギル本人から受けたのだった。
 最重要である勇仙領内部の“義守”(教界防衛を意味する聖団用語)は錬装者勢のみに任せたく、絆獣群は教界の外縁部に固定し、領内には一切“侵入”しないことを強要したのだ。
 巨大にして異形の絆獣が居住地帯を闊歩することによって教民を怯えさせたくない、というのがロギルの言い分であったが、これが錬装者と事ある毎に衝突してきたジェニファーの反骨精神を刺激せぬはずもなく、“中の人”のレベルの違いを証明するため、彼女は教界首脳を前にした錬装前錬装者●●●●●●との“公開スパーリング”を提案、意外にも自ら戦闘服を血に染めて教界を守ってきたかつての英雄ロギルはこれを快諾し、錬装者側も該ミッションの主体が特にメデューサを蛇蝎視する[皇帝狼]が主体だったこともあって即座に受諾したのだが、天性の喧嘩師たる[暁のドゥルガー]エースは更なる挑発行為に出た-何と己のみで3人の錬装者を相手にすると宣言したのである!
 激怒した錬装者側は[皇帝狼]が全責任を負う形で最強メンバーを編成、殺意に血を滾らせて闘いに臨んたが、単なる操獣師の域を遥かに超越した、聖団でも三本指に入る格闘者であるジェニファー=クリストファーが相手では無傷ただで済むはずもなく、中でも“大将”たるチームリーダーは精神に再起不能のダメージを負い、後に指導部によってラージャーラでの記憶自体を消去され、絆獣聖団そのものからフェードアウトしたのであった……青春の全てを打ち込んだMMA(総合格闘技)の技術テクを完封され、躰に触れることを極力忌避したメデューサに“蹴りの往復ビンタ”を浴びること十数回に及んで顔面をバスケットボール大に腫れ上がらされ、更に完全なる敗北感を与えるため緑の格闘魔女が止め技フィニッシャーに選んだ“胴締めチョークスリーパー”によって失神&失禁するに至っては、この末路もやむなしというところであったろう。
 そして指導部直々の指名によって新リーダーに収まったのがNo.2のヘルムート=ベルガーであったが、引導を渡されたオランダ人レスラーと角逐があったとはいえこのような形での昇格は決して本意とするものではなく、高校時代に五輪出場を目指して培い、母国ドイツのプロの世界からも注目されたボクシング技術がメデューサ相手では全く無力であることを、敵の必殺コンビネーションである左ミドルからの右ハイキック-通称“デスクロス・ファイヤー”でKOされることで痛感させられたこともあって[皇帝狼]は存続だけはしているものの活動実態は無きに等しく、不良錬装者の吹き溜まりと化していた。
 更にベルガーのプライドを傷付けたのがジェニファーが聖団の意向を受けたか或いは独断で、札付きの問題児であった旧リーダーを追放するためにこの決闘を仕掛け、“多少は見込みのある”副官を目算通り就任させたのではないかという噂である。そして[皇帝狼]自体が“使えない錬装者の墓場”であり、いずれはまとめて放逐されるのではないかという囁きであった……。
 ともあれ、完全実力主義を以て任じるセシャーク勇仙領教率者は目の当たりにした現実に認識を180°改め、絆獣部隊の教界内義守を許可したのは無論のこと、すっかり惚れ込んだメデューサ個人に“ボディーガード”を依頼してきたのであった。
 多忙を極めるエース操獣師の思わぬアナザーミッションは当然ながら聖団の歓迎せざるところであったが、ラージャーラ屈指の有力教界トップの申し出を無下にする訳にも行かず、メデューサもこれも任務と割り切って慣れない“要人警護ミッション”に就いたのだが、そこに端倪すべからざる先客がいた。
 “鋼鞭鬼女”の異名を取るラージャーラ人戦士ジジェアは、その武技の凄まじさと不屈の闘魂によって直ちに新任者の心に強烈な印象を刻み付けたが、激越な気性の両者が衝突するのにさして時間は要しなかった………それでも神牙教軍あたりの暗殺者や工作員が教界潜入して来たのであれば討伐にエネルギーを振り向けることによって護衛者同士の平穏は保たれたのかも知れぬが、不都合(?)なことに教率者の命を狙った5名の教軍戦士が悉くジジェアの鋼鞭の餌食となっており、メデューサ就任後、敵方の単独テロは嘘のように鳴りを潜めていた。
 きっかけは、ジジェアがロギル側近に漏らした一言だった。

 「神牙教軍はラージャーラ人の手で打倒すべきであるし、絆獣聖団なる正体不明の組織もまた異界●●から襲来した侵略者であり、最終目標は教軍打倒後に世界ラージャーラを征服することだ。彼らの友好的態度しばい
に騙されてはいけない………!」

 最もこの根拠に欠けた物言いを真に受ける者は多くはなかった-確かに聖団が何を目指しているかは不明であったが、現にラージャーラに最大の脅威をもたらしているのは鏡の教聖なる超魔人が率いる最凶破壊結社であり、絆獣聖団は彼らの敵として互角の戦いを遂行出来る殆ど唯一の存在であったからである。
 だがこの“妄言”を過剰な闘争本能を持て余していたメデューサがスルーするはずもなく、即座の謝罪(彼女が最も好むのは半昼夜にも及ぶ土下座)か生きるか死ぬかの決闘を要求したのであった。

 「……決して褒められたリアクションじゃないが、まあ特にお前さんじゃムリもないね……で、どうなったんだい?」

 興味津々の総指揮者に苦笑しつつ、ジェニファーはフリスクを最後の一粒まで頬張った。

 「ま、最初ハナっからそのつもりだったんでしょう、その日の晩に受けてやると速攻返事が来ましたよ」

 鋼鞭鬼女の反応は予想通りであったが、意外だったのは早くも情報を入手した教率者から“場所と時刻の指定”を受けたことであった-セシャーク入りした時から不思議とウマが合い、何かと便宜を図ってくれていたロギルの第2秘書からその理由として、メデューサの勝利を確信している教率者は戦士階級に少なからず存在しているジジェアの共鳴者が彼女の敗北の瞬間に行動を起こすことを懸念しているというのだ。

 「冷徹な計算って言うんですかねえ……ああ、この人はこのやり方を貫いて権力の座に就いたんだな、と感心しましたよ」

 「ま、政治のイロハだわな……で勝利したからアンタはここに座り、敗けたあの娘ジジェアはああして教軍の化け物に愛の告白を受けている訳だけど、あの凛とした佇まいを見る限り、簡単イージーな勝負じゃなかったんだろ?」

 伝説の殺戮姫の、こと荒事に対する慧眼を待つまでもなく、ジェニファー=クリストファーの赫々たる“格闘戦歴”においても、鋼鞭鬼女ジジェアとの決闘は派手な大技の応酬ラリーなどはなく要した時間の殆どは精神的な消耗戦であったものの、“無敵の格闘魔女”が生死の境をさまよう土壇場まで追い込まれた死闘であり、本人の記憶に深い爪痕を残していた。

 ロギルが指定したセシャークを代表する渓谷の、それも断崖絶壁で琥珀の深夜に開始された魔女の決闘は、実に檸檬色の払暁に及ぶ長期戦となった。

 「何でそんなに長引いたんだい?」

 夏月の素朴な疑問に、メデューサは現在も鮮明な記憶を、かつての強敵の“最後の死闘”を凝視しつつ語り始めた……。


 振り向いたゼド=メギンは、直径2レクトにも達する巨大な円形監視画面に映る光景に一瞬唖然とし、軽く頷きつつ苦笑した。
 医療室入口の警備を命じていた医門機2体が訪問者に従う護衛絆獣を襲撃者と認識し、先制攻撃を仕掛けてしまったのだ。
 ラズンが戦闘時に後肢で立ち上がることは彼らの優秀な人工頭脳には当然インプットされており、最強操獣師メデューサの動きを封じた轍を踏み、護衛絆獣の両肩を1機ずつで左右から押さえ込んだのであった。
 敵に非ざるはずの存在から予期せぬ仕打ちを受けたラズンは戸惑いから怒りに感情のベクトルを変え、咆哮と共に邪悪な機械を振り払うべく渾身の力を奮い起こした。
 所詮は医療用メカ、“天響神直属の超技術家集団”[無元造房]が創り給いし護衛絆獣の底力に抗すべくもなく、爆発的な筋力の反発を受けて大きく吹き飛ばされて各々が壁と天井に激突した後、クリーム色の廊下に無残に転がった。
 のたうつ2体に長い影を投げかける身長3レクトの豹頭の獣人は、鋭い爪を隠した巨大な“手”で医門機の頭部をむんずと掴むと、思い切りぶつけて破砕すべく大きく両腕を広げた。

 「やめなさいラズン!!」

 「……教民の貴重な医療機器を破壊するのは御遠慮頂けますか?」

 弓葉しゅじんの制止に被せるかのように、美しき薬創士の穏やかな声が一同の耳を打ったが、怒れる絆獣の動きを止めたのが誰かは一目瞭然であった。

 ゆっくりと医門機を降ろしたラズンは弓葉の前に許しを乞うように跪き、彼女はその頭に手を置いて優しく一撫でした。

 「……ご無礼お詫び致します。ハギムラ様はお目覚めになられましたが、聖幻晶の処置に今少し時間を要しますので室内でお待ち下さい……」

 愛華領の紋章を刻印した白い扉が開かれ、蒼い空間が一同の前に広がった。

 
 「……原因は、アイツの戦法にありました」
 
 メデューサは、両手に握った4レクトになんなんとする鋼鞭を高速でクロスさせて波打たせる動きを続けるジジェアを見つめながら呟いた。

 「なるほど……催眠殺法の使い手って訳か」

 「しかも、[霊空勝士殿]仕込みのエゲツないヤツですよ……」

 思わぬ所で“悲劇の教界名”を耳にした総指揮者の顔色が変わった。

 「と、いうことは…」

 頷きつつ、ジェニファーが続ける。

 「お察しの通り……ジジェアアイツ勝士殿あそこの生き残りで、親父さんは鏡の教聖になぶり殺された5人の戦士の一人だったそうです。……それにアイツが現在被っている仮面も、例の〈ヤーゼリ妖樹高原〉に棲む魔鳥を象ったものと見ました」

 「………」

 「“あの技”も父親直伝みたいで……一応あたしを強敵と見てくれたのかじっくり時間を掛けて術をかけるため、強烈な副作用があるらしいセシャーク製の体力増強剤を大量に服用ドーピングしてたらしいです……まあこれは後から立会人に聞いた未確認情報ですが」

 “画面”の仮面戦士の両腕の動きはもはや肉眼で捉えることは不可能で、標的たる岩眼魔の視点が微動だにしないのは、既に怪物がジジェアの術中に陥ったことを意味していた……らしいが、次の瞬間、それが大きくブレた。
 乱れ散る茶褐色の飛沫と共に!

 「おっ、目玉が何個か潰されたな!」

 軽く口笛を吹き、玄が宣うた。

 観衆にとって幸いだったのはこの異様な映像が無音サイレントだったことであろう。岩眼魔のトラウマものの悲鳴を聴かずに住んだのだから。

 「あのバカが……それにしても凄まじい腕前だね……アンタ、あれに素手で立ち向かったのかい?」

 こと武技に関しては、常に厳しい鑑識眼を注ぐ夏月の讃嘆の口調にジェニファーはかぶりを振った。

 「ジジェアアイツの技倆については事前に調べてましたし、教軍の殺し屋を屠った記録映像も残らず目を通しました……さすがにこれはヤバいと感じ、【爪装手甲】と鎖帷子チェーンアーマーを着けて臨みましたよ……でも、無いよりはマシ、という程度でしたね」

 「ほう……それほどまでとはね……」

 「何しろ、鞭の動きを探っているうちに頭がぼうっとしてきて、それだけならまだしも、“そっちへ行ったら危なヤバい!”という方向にばっかり躰が動くんですよ……あたしもストリートファイトだけに限っても軽く500戦はってて、おかしな術を使う奴とも何度か遭遇しましたがあそこまで自分の肉体を制御出来なかったのははじめてです」

 気付いたときには、彼女の足裏は断崖の縁を搔いていた。

 「ふふふ、絆獣聖団屈指の腕っ節自慢として自信満々で乗り込んで来たようだけど、全然大したことないわね……あたしに掠り傷を負わせるどころか触れることすら叶わないじゃない……分かった?これが[霊空勝士殿]五勇士バジェム直伝の“鋼鞭妖殺術”よ……これによって死を与えられることを光栄に思いなさい!」

 いかなる窮地に追い込まれようと、罵言にはそれ以上の痛烈な悪罵を浴びせるのがメデューサの流儀であったが、今回ばかりはそれは叶わなかった……小指の先程の鋭い棘がびっしりと植え込まれた鋼鞭を回避しようとすればするほど鉛のようにいうことをきかない躰が全て鎖帷子に守られているはずもなく、無残に刻まれた無数の傷口から単なる痛み以上の恐るべき業苦が襲って来たのだ……。

 「どう?視界は昏くなり、呼吸も苦しくなってきたでしょう?すぐに凄まじい寒気と痙攣がやって来るはずよ……何しろ、鞭の棘には〈ヤーゼリ妖樹高原〉の【屍風草】を煮詰めに煮詰めて抽出した凶毒が塗りつけてあるんですからね……!」

 現在、刃獣の爪牙にもたっぷりと塗布されている、ラージャーラ有数の毒液の原料の名を聞かされ、ジェニファーは生まれてはじめて生命の危機を実感した。

 -このジェニファー=クリストファーが一矢をも報いることなく、生贄の子羊のように死んでいくというのか……?

 「冥土の土産に聞かせてあげるけど、冷血な教率者ロギルにとってはどっちが勝とうとどうでもいいのよ……筋金入りの“決闘観戦マニア”の彼は執務室か自宅の安楽椅子の上でメデューサあなたの瀕死の表情にさぞ興奮しているはずよ……そして場所ここを選んだ理由は、谷底に棲む凶暴な“食人猿”ワグに御馳走を提供する代わりに彼らが掘り出した【輝幽石】をたんまりと頂くという寸法なの……え?“毒液漬けになった肉が喰えるはずがない”って……?ほほほ、おあいにくさま、標的が絶命した途端に、猛毒は嘘のように消失してしまうのよ!」

 仮面のジジェアの猛攻から逃れるため、岩眼魔が空中に舞い上がったのが角度アングルの変化で分かった。
 だが鞭の射程内から逃れ、旋回する怪物を見上げる復讐の戦士は慌てることもなく両腕を頭上に-即ち、的に向けて掲げ、両手首に巻かれた金属の腕輪に取り付けられた、各6本の直径1センチの筒から銀針彈が連続発射される。
 その殆どが命中し、標的が落下したことは大きくブレた画面の次の場面が褐色の血液が滴る石床であることで理解された。

 「……大した動体視力だこと……当然あの針にも塗ってるんだろうけど、屍風草はあの化け物にも果たして効くのかね?現にメデューサにんげん一匹始末出来てないのに?」

 「……さっき、あたしは人間じゃないっておっしゃったばかりじゃないですか……愉快な物言いじゃないですけど、実際、その通りなんです。助かったのは聖幻晶コイツのおかげなんで」

 薄暗い照明を鈍く反射するエメラルドグリーンの菱形の聖幻晶を人差し指の先で撫でながら応えたジェニファーは、

 「……勝てたのは聖幻晶から発射した、最初で最後の【蛇煌波】、あれが全てでした……」

 名称から“実体”を瞬時に察知した総指揮者は鹿爪らしく頷いた。

 「ああ……さっき萩邑をいたぶった“光のスネーク”だね」

 「ええ……何しろ意識が朦朧どころか消え入る寸前なんで、“威力”の方はからきしだったとは思いますがビックリだけはさせられたらしくて、アイツ、仰向けに地面に引っくり返ったんですよ……それだけは見えたんで、“勝つチャンスはここしかねえ!”とばかりに死力(+聖幻晶のサポート)を振り絞ってジャンプ、鎖帷子付きの肘打ちを思いっ切り顔面に叩き込んで何とかフィニッシュしましたよ……」

 「なるほど、文字通りの辛勝だね……まさしく聖幻晶様々だわ……毒死を免れたのもアレ●●のおかげなんだしさ?」

 「……その通りです。ま、三日三晩痛みと呼吸困難で一睡も出来ず死ぬ思いをしましたが。で、速攻セシャークを追放されたアイツのその後が気になってリサーチは続けてたんですが、用心棒から“流浪の殺し屋”に転身して、各地の教界に蔓延る神牙教軍の関係者を抹殺して歩いてたみたいです」

 二人の女傑は、複雑な表情で孤軍奮闘する仮面戦士ジジェアを見つめ同時に深いため息を吐いた。

 「その末路が岩眼魔とのランデブーとは、言っちゃ悪いけど悲惨極まる“女の一生”だね……」

 墜落のダメージによるものか或いは屍風草の死毒によるものか、うつ伏せになったまま動こうとしない岩眼魔に向けて渾身の“鞭撃”を再開するジジェアだが、目玉以外の部分には有効とは言い難く、ベルトに取り付けた複数のポケットケースから掴み出した【爆球】を連続して瀕死(?)の怪物に投じる。
 
 「どうやら“メインカメラ”が後頭部側の健在な目玉に代わったようだな……まあ、映像が途切れないのはありがたいことだ……」

 玉朧の呟きは殆どの聖団員の気持ちであったろうが、次の瞬間、彼らの視野は激しい爆裂によってたっぷり数秒間、何物をも捉え得ず、画面を覆い尽くした爆煙が晴れた時、岩眼魔は石床に仰向けになったジジェアに覆い被さっていた!
 
 「超低空飛行で体当りしたな……おそらくあの鋼鞭の棘には猛毒ぐらいは塗ってあったはずですが、【教軍超兵】には通用しなかったようですね……」

 スペンサーの分析に頷きつつ、玉朧拳師は暗い表情で頭を掻いた。

 「あの体勢から判断するに、奴め、今度は自分が術を掛けようとしてるようだな……」

 どうやら爆球によって左腕を喪ったようだが、元々のパワー差が圧倒的であるため、丸腰となった鋼鞭鬼女に成す術はなく、狂ったように抵抗していたジジェアはやがてぐったりと動かなくなった。
そして怪物の太い人差し指の先端に生えた鉤爪が仮面中心部をゆっくりと上下するや、堅牢とはいえ何らかの繊維によって作られたにすぎない仮面はあっさりと截ち割れ、露わとなったのは稚さを残しつつも数々の死線をくぐり抜けてきたであろう厳しい女戦士の貌であった。
 
 「あの鳶色の髪……極北の空のような灰色の瞳……間違いない、ジジェアだ……」
 それから3分あまりが経過し、息を呑んで状況を注視していた観衆たちは、明らかな異変がジジェアに起きたことを悟った。
 まず、瞳の色に変化が生じた-“術者”と同じいやらしいほどの精気を放つ山吹色へと。
 それを確認(?)した岩眼魔は被術者から降り●●、画面を独占したジジェアは異様な行動に出た。
 あろうことか命の盾とも言える灰色の軽量装甲服をもどかしげに、全身をくねらせて脱ぎ捨てるや、間髪容れず同色の下着をもかなぐり捨ててしまったのだ!
 何の逡巡も無しに、鍛え上げられた肉体美の全てを茫然とする聖団員たちに晒した孤高の女戦士は、徐ろに後ろを向いた-かくて男顔負けに逆三角形にビルドアップされながらもたおやかさを失わない嫣然たる背中と、立体の美の究極形とも言える引き締められた臀部を存分に見せつけ、何人もの聖団員から熱烈な賛美と欲情が渾然となった視線となまめいたため息を引き出した。
 
 「まさか、あの娘……⁉」

 絶句したまま言葉もないメデューサの横で、竹澤夏月は戦慄の予感に慄き、そしてそれは的中した。
 神牙教軍尖兵の妖魔術の傀儡と成り果てた哀しき復讐者は、肩幅ほどに脚を開くや、上体を思い切り前方に倒したのであった……。


 耳に心地よく、魂を天界に誘うかのごときラージャーラの絃楽器の調べが流れる小部屋で、聖団員たちにも熱烈に支持される果乳液ミピーハが満たされた美しいグラスを前に全身を包み込むような極上のクッションが敷きつめられたソファに並んで座り、傍らに護衛絆獣を侍らせた3人の女性は索漠たる思いでひたすら事態の進展を待ち望んでいた。

 「……一体、いつまで待たせるつもりかしら⁉萩邑先生はただ気絶しただけのはずなのに……ねえ、弓姉、やっぱり“変態”のメデューサがすぐに起こさなかったから、えらいことになっちゃったんじゃないの⁉」

 一息にグラスを空けた直後は大人しかったものの、持ち前の癇癪を爆発させて一しきり室内を駆け回ったり壁を蹴ったりした後、ようやく暴れ疲れて弓葉とドリィの間にお尻を割り込ませて座り込んだ真悠花が半泣きで訴えた。

 「大丈夫よ、何しろティリールカきっての薬創士のゼドさんが診てくれてるんですもの……さっき御本人が先輩はもう回復して問題は聖幻晶だけだっておっしゃってくれたじゃない……そうですよね、ドリィさん?」

 縋るような視線を正面から受け止めた愛華領民は、力強く頷き、那崎弓葉の言葉をうべなった。

 「そうですとも。当教界最高の頭脳と讃えられた現教率者のシーオ様を上回る才能の持ち主とされるゼド様の御業に限って間違いなど起ころうはずもございません……全ては毀損した聖幻晶の修繕と再調整で多少の時間を取られているのでありましょう。それもあのお方であればもうすぐ……」

 その時、医療室に続く扉が開かれ、若き天才薬創士が威厳を漂わせつつ姿を表した。
 弾かれたように立ち上がった3人は、期待と不安が入り混じった視線でゼド=メギンの美貌を仰ぎ見る。

 「ありがとうドリィ……その通り、新しい聖幻晶とハギムラ操獣師の生体波動の調律にちょっと時間を要したが、ようやく完璧な状態に仕上げられた……」

 優雅な仕草でゼドが脇へ退くと、彼の背後に控えていた更に優美な影が顕れる。

 「萩邑先輩……!」

 「りさら先生!!」

 夢中で駆け寄った教え子たちは、ティリールカ愛華領の女性たちが日常的に纏う瀟洒なベルトで腰部を引き締めた貫頭衣スタイルの衣装に身を包んだ思慕と敬愛の対象に縋り付く。

 「心配させてごめんね……でも、もう大丈夫よ。全てはドクター・ゼドのおかげ。聖幻晶も、よりパワーアップして頂いたわ……まさに、転んでもただでは起きない萩邑りさらの真骨頂といったところかしら」

 優しく抱きかかえられ、幸福感に包まれていた二人は師の“額の変化”にここではじめて気付かされた。

 「先輩、その聖幻晶は……」

 純白の八角形であったはずの美しき操獣師のシンボルは、黄金色に輝く愛華領の紋章が図案化された意匠へと換装されているではないか?
 返答は無論、“コーディネーター”によってもたらされた。

 「あの凶暴な戦士メデューサによって破壊されたハギムラ様の“旧式”聖幻晶の修理にはかなりの日数を要するでしょう……本教界で起きた事案である以上、絆獣聖団の手を煩わすまでもなく、これはティリールカの技術陣によって責任を持って行いたいと思っています」

 釈然としない思いはあるものの、当のりさらが信頼と感謝に満ちた眼差しで薬創士に頷きかけるのを目の当たりにしては二人に言う言葉はなかったが、弓葉はりさらの瞳にゼドへの恋慕の萌芽のようなものを見出し、微かな戦慄を覚えた。

 -事態は、ひょっとしたら恐ろしく悪い方向に向かっているのではないか……?

 その予感を払拭するため、瞑目した彼女は、ドリィの奇妙な呟きに改めて師の姿に注目した。
 愛華領の世話役は確かにこう言ったのだ。

 「あの衣裳はエレア様の……何故?」

 ドリィが纏っているものとは明らかに異なる高級感溢れる純白の生地……袖口や裾に施された金色の華麗な刺繍……これも黄金に輝くベルトの留め金はラージャーラでも希少な貴金属製であることも容易に想像された、のであるが……。

 異界人たる絆獣聖団員には知るべくもなかったが、それは未来の領袖の亡き母の愛用の品であったのである……!



 
 






 

 


 





 
 

 




 




 


 

 

 
 
 



 
 






 
 



 


 



 

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 


 


 
 



 

 

 


 
 
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