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第十九章 麓戸との再会
美しい人
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教室の戸口に慌ただしい足音が聞こえた。
乱暴に戸の開く音がして、着くずした制服姿の村田が飛び込んできた。鼻に皺を寄せて、笑って教室に入ってきた。村田愛照は、右肩にかついだくたくたになったスクールバッグをどさりと机に置いた。
「せんせ、遅れてごめん」
ふざけた口調で村田は言って、小坂の前の椅子にどかりと座った。
村田は、バンバンと机を叩いた。
「ちょっと、何、固まってんの?」
立ち尽くして、食い入るように互いを見つめ合っている麓戸と小坂。村田は二人を見上げて笑って言った。
「座って」
村田は再び、ここ、と言うように、手のひらで机を叩いた。
「ああ」
麓戸が答えて椅子を引き、窮屈そうに身をかがめ教室用の小さな椅子に座った。
小坂は困惑した。
「あの、申し訳ありませんが、これから面談なので」
と小坂は麓戸に断った。
「はい、お願いします」
麓戸は小さな机に額がつきそうに身をかがめた。
村田は、麓戸のようすを横目で見て、同じように身をかがめてみせた。
「いえ、そうではなくて」
小坂は、さらに当惑した。
「生徒との三者面談なんです」
小坂は麓戸に説明した。
麓戸の櫛目の入った艶のある髪。麓戸が頭をあげた。額にぱらりと垂れた前髪を、麓戸は片手でかきあげた。
誰かに似ていると小坂は思った。初めて見るような目で麓戸を見つめた。
麓戸の眼差しがいつもより優しく見えるのは、久しぶりだからだろうか。
ひょっとして、久しぶりに小坂に会うことを喜んでくれているのだろうか。小坂は、淡い期待を抱いた。
それとも教室だからだろうか。教室の健全な空気の中で、昼間の明るい日射しの中で見る麓戸は、新鮮だった。
不健康なところは微塵もないように感じられた。
そうか、この人は美しいのだった。
小坂は、初めてのように思い起こした。
校長より若い肌。胸もとから覗く筋肉。こぼれる笑顔。いつからこの人はこんなに健全な雰囲気を醸すようになったのか? 小坂に会わなかったから? それともこれが、麓戸の昼間の顔なのだろうか。
麓戸の耳の片方にはピアスがあった。そのお揃いのピアスの片方。銀色のピアスは、かつて、小坂の乳首にあった。だが、もう穴はふさがってしまった。
もう一度、つがいのようにピアスをしたいとさえ思った。あんな痛みを二度と経験したくないと思ったのに。どのみち夏の水泳の時期に見られるわけにはいかないのだが。
小坂の口は欲望に乾いた。
だが、こんな所でくじけてはいけない。せっかくつらい恋に報われない恋に、終止符を打ったのだ。
今まで我慢してきたのに、不意打ちをくらったからといって取り乱したりなんかしてはいけない。
思いきって「申し訳ありませんが、これから生徒と面談なので、帰っていただけませんか」と言わなければいけない。丁重に、冷たく、慇懃に。他人のように。もう、あなたとは一切かかわりません。もとよりあなたとは一切関わり合いはありません、というように。
そんな風に言ってしまえば、麓戸は小坂が拒否したと思い、怒って帰ってしまうだろう。せっかく会いに来てくれたのに。もう二度と会うことはできないかもしれない。
それでいいのだ。それが本望だ。
それとも、そんな風に言ったとしても、小坂の言葉が口先だけだと察してくれて、小坂の仕事が終わるまで、どこかで待っていてくれるだろうか。仕方がないなと、苦笑しながら、また、連絡をくれるだろうか。
なんと馬鹿な期待を。煮え切らない。
だめだ、だめだ。はっきり言わなくては。断らなくては。
小坂が重い口を開こうとしたとき、麓戸が言った。
「息子がお世話になっております」
乱暴に戸の開く音がして、着くずした制服姿の村田が飛び込んできた。鼻に皺を寄せて、笑って教室に入ってきた。村田愛照は、右肩にかついだくたくたになったスクールバッグをどさりと机に置いた。
「せんせ、遅れてごめん」
ふざけた口調で村田は言って、小坂の前の椅子にどかりと座った。
村田は、バンバンと机を叩いた。
「ちょっと、何、固まってんの?」
立ち尽くして、食い入るように互いを見つめ合っている麓戸と小坂。村田は二人を見上げて笑って言った。
「座って」
村田は再び、ここ、と言うように、手のひらで机を叩いた。
「ああ」
麓戸が答えて椅子を引き、窮屈そうに身をかがめ教室用の小さな椅子に座った。
小坂は困惑した。
「あの、申し訳ありませんが、これから面談なので」
と小坂は麓戸に断った。
「はい、お願いします」
麓戸は小さな机に額がつきそうに身をかがめた。
村田は、麓戸のようすを横目で見て、同じように身をかがめてみせた。
「いえ、そうではなくて」
小坂は、さらに当惑した。
「生徒との三者面談なんです」
小坂は麓戸に説明した。
麓戸の櫛目の入った艶のある髪。麓戸が頭をあげた。額にぱらりと垂れた前髪を、麓戸は片手でかきあげた。
誰かに似ていると小坂は思った。初めて見るような目で麓戸を見つめた。
麓戸の眼差しがいつもより優しく見えるのは、久しぶりだからだろうか。
ひょっとして、久しぶりに小坂に会うことを喜んでくれているのだろうか。小坂は、淡い期待を抱いた。
それとも教室だからだろうか。教室の健全な空気の中で、昼間の明るい日射しの中で見る麓戸は、新鮮だった。
不健康なところは微塵もないように感じられた。
そうか、この人は美しいのだった。
小坂は、初めてのように思い起こした。
校長より若い肌。胸もとから覗く筋肉。こぼれる笑顔。いつからこの人はこんなに健全な雰囲気を醸すようになったのか? 小坂に会わなかったから? それともこれが、麓戸の昼間の顔なのだろうか。
麓戸の耳の片方にはピアスがあった。そのお揃いのピアスの片方。銀色のピアスは、かつて、小坂の乳首にあった。だが、もう穴はふさがってしまった。
もう一度、つがいのようにピアスをしたいとさえ思った。あんな痛みを二度と経験したくないと思ったのに。どのみち夏の水泳の時期に見られるわけにはいかないのだが。
小坂の口は欲望に乾いた。
だが、こんな所でくじけてはいけない。せっかくつらい恋に報われない恋に、終止符を打ったのだ。
今まで我慢してきたのに、不意打ちをくらったからといって取り乱したりなんかしてはいけない。
思いきって「申し訳ありませんが、これから生徒と面談なので、帰っていただけませんか」と言わなければいけない。丁重に、冷たく、慇懃に。他人のように。もう、あなたとは一切かかわりません。もとよりあなたとは一切関わり合いはありません、というように。
そんな風に言ってしまえば、麓戸は小坂が拒否したと思い、怒って帰ってしまうだろう。せっかく会いに来てくれたのに。もう二度と会うことはできないかもしれない。
それでいいのだ。それが本望だ。
それとも、そんな風に言ったとしても、小坂の言葉が口先だけだと察してくれて、小坂の仕事が終わるまで、どこかで待っていてくれるだろうか。仕方がないなと、苦笑しながら、また、連絡をくれるだろうか。
なんと馬鹿な期待を。煮え切らない。
だめだ、だめだ。はっきり言わなくては。断らなくては。
小坂が重い口を開こうとしたとき、麓戸が言った。
「息子がお世話になっております」
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