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王宮での騒動

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「マーガレット。ええと、花を摘みたいのならばそこのメイドに声をかけるといい」

 ソワソワと落ち着きのないマーガレットに、アレクサンダーは照れくさそうに声をかける。

「お花を? ……あ、いえ!違いますわよ!」

 つまり、トイレに行きたいのではと気を使われたのである。今更そこに照れは感じないものの、ここから離れるわけにいかないから少し慌てる。

「ええと――先程わたくしの足元に触れたのが何だったのか気になりまして」

「あぁ。それはきっとキャンディだね」

「お菓子ですの?」

「猫の名前だよ。妹がつけたんだ。なかなか元気が良くてね。ここで遊ばせてるんだ」

「あぁ、猫ちゃんですのね。どこへ行ったのかしら?」

「警戒心が強くて、庭師以外はオリビアの前にしか出てこないんだ。さっきみたいに飛び出してくるのも珍しいくらいだよ」

 庭師。中庭で事故が起きた時、庭師はどうしていたのだろう。

 そう言えば、事故後に使用人を何人か解雇したと聞いた気がする。自分の管理下の庭で王女が怪我をしたのだ。庭師については当然だろうとマーガレットは思っていたものだ。

「庭師の方はどこにおりますの? 素敵なお庭の感想が言いたいですわ」

 だが、ピアノの音は今も聞こえている。何も起きないならばそれでいいが、何かが起きるならば庭師の状況も確認しておきたい。

「あぁ。管理小屋の方にいるかな。あっちだよ」

 そう言ってアレクサンダーが指し示した先は、ピアノの部屋のすぐ側、よく音が聞こえてくる場所だった。メロディがよく聴こえてくる。

 小屋の前では初老の男性が、どこか上の空の様子で上方を眺めていた。

「ジェイコブ、休憩中か?」

「へ? ……あ! これはアレクサンダー殿下! こちらにいらしてたんですね」

 ジェイコブと呼ばれた男は慌ててこちらを向く。

「おいおい、結構長いことここを散歩していたよ。気づかなかったのか?」

「面目ない。ぼーっとしておりまして。それで、あの……」

 慌てて頭を下げるジェイコブだが、ちらとマーガレットを見る。

「彼女が僕の婚約者……候補のマーガレット嬢だ」

「マーガレット・ルークラフトと申します。お庭、とても素敵ですわね」

「お美しい公爵令嬢様直々に褒めていただけるなんて、光栄の極みにございます。どうぞ心ゆくまでご堪能ください」

 先程まで慌てていたジェイコブであったが、挨拶をすれば対応はしっかりとしている。普段王族と接しているから慣れてはいるのだろう。それだけに先程の様子は少し気になる。アレクサンダーとマーガレットはそれなりに会話をしながら歩いていたし、軽くではあるが叫び声まで上げているのだ。それなのに気づかないほど、何に気を取られていたのだろう。

「ジェイコブはこの中庭をほとんど1人で作り上げているんだ。昔から仕えてくれている腕の良い庭師なんだよ。昔は城全体の庭を取り仕切るほどだったらしいよ」

「恐れ入ります。もはや隠居の身で。大仕事の時は息子や弟子たちを呼びますがね」

「では、少なくとも今日はこのお庭にはジェイコブさんしかおられないわけですわね。猫……キャンディちゃんのお世話もあなたが?」

「はぁ、猫の世話はですね、えっと」

急に歯切れの悪くなるジェイコブ。ちらり、と上を見る。ピアノの窓だ。世話はオリビアがしているという事だろうか。

「猫の世話は、ジェイコブの孫のエミリーの仕事だよ」

「お孫さんもここにいるんですの?」

「彼の家のお嫁さんが身重でね。具合が良くないらしいので、ジェイコブが仕事中も預かっているんだよ」

「あら、お嫁さん心配ですわね」

「まぁ、吐き気がおさまれば動けるようですよ」

「ところで、エミリーは何歳くらいですの?」

「エ、エミリーですか? いや、その、」

 他の話題は普通に受け答えができるのに、孫娘の話になると途端に歯切れが悪くなる。いかにも怪しい様子だ。

「エミリーはオリビアと同じくらいなんだ。8つか9つだったね」

「はい、その通りでございます」

「まぁ、可愛らしいですわ。是非、お会いしたいのですけれど、今はどちらに?」

 ずい、とマーガレットは1歩前に出て迫る。ジェイコブは後ずさりしながらチラ、とピアノの窓の方に目線を送った。

「ね、猫を追いかけてどこかに居るのでは。か、かくれんぼが得意な、猫のような娘でして」

「まあ! かくれんぼをしておりますのね!」

 パン、と手を叩いてマーガレットは微笑んだ。しめた、これで庭を隅々まで探索できる。木も茂り、かなり広い中庭だ。ただ散歩しているだけでは見切れない。

「では、わたくし達も探しましょうよ。わたくしもかくれんぼ大好きでしたのよ。懐かしいですわ。ね、殿下、どちらがオリビ……いえ、エミリーちゃんを見つけられるか勝負しませんこと? 時間は……あのピアノの音が終わるまで。いかがかしら?」

 マーガレットは注意を向けるようにピアノの窓を指さす。ジェイコブはその度に慌てたような顔を隠せずにいた。やはり明らかに怪しい。

 こうなったら、王子も巻き込む。 二手に分かれて探せれば効率も上がるのだから。

「勝負か。いいだろう」

 勝負という言葉に刺激されたのか、アレクサンダーは少年らしい勝気な笑顔で頷いた。

 こうして、探索が始まる。マーガレットはスカートの裾を上げ、走り出した。

 見つかるのがエミリーであれば問題は無い。しかし、オリビアであったなら……事故が起きる前に見つけなければ。

きっと何人かが、不幸になる。そんな気がしてならないのだ。


***


 中庭は小さなおとぎの森のような雰囲気であったが、光は差しているし通路などが整えられており、怪我をするような危険な場所は見受けられなかった。もちろん悪い狼が襲ってくるようなこともない。

 だとすると、当たりをつけるのはそう難しくないように思えた。

 そう、木の上である。

 お嬢様育ちのマーガレットも、病気がちのメグも、木登りなどとは無縁であった。 しかし、子どもは高いところに登りたがることは知っていた。木から落ちたのだと骨折して入院する子も、病棟で見かけたことがある。

 マーガレットは木の上を探す。微かに聴こえるピアノの音は、色々なメロディに変わりながら、流れ続けている。

 ふいにガサリ、と足元で音がした。次の瞬間、すごい勢いで飛び出す小さな影。子猫だ。あれがキャンディだろうか。

 追いかけようとした瞬間、ヒク、と小さな声が聞こえてきて、マーガレットは猫の来た方向の木を見上げる。

 ーー少し奥まったその木の上で、しがみつく女の子の姿があった。

 若草色のエプロンドレスを身につけた、金髪の少女だ。先程会った時のピンクのドレスとは別の服だが、これはオリビアに違いないとマーガレットは思った。エミリーの姿は知らないが、オリビアには会ったばかりだ。

「オリビア様! 降りられなくなりましたのね!?」

 身を隠すように小さくなり顔を伏せるオリビアに、マーガレットは大声で声をかける。

「お待ちになっていてね、直ぐに誰かをーー」

 そう言って踵を返そうとした瞬間、ミシ、と枝が揺れた。

 オリビアの乗っている枝はかなり頼りなさそうな太さだ。

「ふぇぇ……!」

 泣き出すオリビア。ここで一人にしたらさぞ不安だろう。それに、呼びに行っている間に落ちてしまうかもしれない。

 マーガレットは意を決して、ハイヒールを脱ぎ捨てた。スカートの裾をたくし上げ、木に足をかける。けれど、やはり上手く登れない。木の皮が手足に刺さって痛いし、そうでないところは滑る。

 スカートは裂け、手足は傷だらけになっても、木登り初挑戦のマーガレットはオリビアのいる高い位置どころか、低い枝に手を伸ばすことすらも四苦八苦の有様だ。泣きじゃくりながらこちらを見つめるオリビア。頼りない枝がミシミシ音を立てている。

 ――失敗した。こんな事になるならば、助けを呼ぶべきだった。しかし、アレクサンダーとは逆方向へ走ってしまったから、彼はきっと遠い位置にいる。ジェイコブの所へも、声は届きそうにない。

 こうなったら、下で受け止めるべきか。――いや、上から落ちてくる子どもを支える力がマーガレットにあると思えない。

「――ったく! こういうことが起きるんなら、ちゃんと教えておいてくださいよ!」

 後ろから、聞きなれた声。いつの間にやらギルバートが駆けつけて、慣れた身のこなしですいすいと登っていく。そして、あっという間にオリビアを抱きかかえて降りてきたのだ。

「ギルバート……どうして」

「どうしてって、お嬢様がここに俺を連れてきたのはなにか理由があるからでしょう。だからそれなりに注意を払ってたんですよ。様子を見に来たら、いきなりこんなことになってるなんて」

 かなり走ったのか、呆れたように話すギルバートは息が上がっている。オリビアの方ははギルバートの腕に抱かれたまま呆然としていたが、見たところ無事なようだ。

「とっ、とにかく助かりましたわ! まずは、ジェイコブさんの元へ」

 ギルバートを連れてきたことに大した理由もないマーガレットは、そそくさとハイヒールを履き直して、誤魔化すように促すのだった。
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