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王宮での騒動

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「ですから、わたくしが木の上で見たのはキャンディですわ! 」

「何言ってるんだ。そんな訳ないじゃないか」

「王女様と子猫を間違うわけはなくってよ。オリビア様はその間、ずっとピアノを弾いていました」

「それはエミリーが」

「キャンディは木から降りられましたのにわたくしが早とちりして、助けようとしてこうなりましたの。エミリーは良い子でジェイコブと小屋にいましたわ」

「何を言うんだ」

「ギル、あなたも見ていましたわね?」

「ええ、全くお嬢様の説明通りで」

 ギルバートが大きく頷いた。

「オリビア様、貴女はピアノのレッスンをしておりましたわよね」

「はい、そうです!」

 オリビアは大変良い返事をした。

「エミリー、あなたはここで子猫の世話をしていました」

「は、はい。そうです……」

 エミリーがはにかみながら答える。

「ジェイコブさん、あなたは孫娘とお庭に居ましたわ」

「えーっと……そうでしたかな? ……そうかも、知れませんが」

 煮え切らない様子で、ジェイコブもマーガレットの勢いに押し負ける。

「ヘインズ先生、あなたはオリビア様にピアノを教えていましたわ」

「いえ、私は……」

「先生!」

「先生!」

 2人の幼い生徒に懇願するように呼ばれ、観念したようにため息をつく。

「……はい、その通りです。申し訳ございません王太子殿下」

「なっ……」

 パン、とマーガレットが手を叩いた。

「殿下が証拠を集め、今回の件を立証することを止めるすべはありませんわ。けれどよくお考えになって。この中庭は木登りなんてことをしない限りはごく安全に出来上がっておりますわ。きっとここを使う方の安全を最大限配慮しておりますのね。それに、王女様にも使用人の孫娘にも慕われる良い先生がいらっしゃる。そして、その使用人の孫娘のためを思ったオリビア様はとても良い子にお育ちですわね」

「それは……」

「起こらなかった事故に対して、失うものが多すぎますわ。断罪は、正しい判断ですの?」

 アレクサンダーは目を閉じ、むむむと唸る。

「君は随分と難しい判断を、僕に迫るものだな」

「身に覚えのないことで断罪される人間を作りたくないだけですわ」

「君との話を、こんなに早く突きつけられるとはな……」

 アレクサンダーは悩みに悩んで空を仰ぎ、やがて大きくため息をついた。

「………仕方ない。今回は目を瞑ろう。他ならぬ君がそう言うなら。悔しいが僕は今回、何の役にも立っていない。外部から来たマーガレットが気づいたことを、僕が気づかなかった」

 残念そうに、首を振るアレクサンダー。 気づかないのは無理もない。マーガレットは複雑な気持ちで苦笑いをした。

「だが、ジェイコブ、ヘインズ先生。約束をしてくれ。これからはこの件も踏まえ、オリビアが決して危険な目に遭わないように気をつけてくれ。そして、二度とこの僕に嘘や隠し事をするな。僕はまだ幼く頼りないかもしれないが、信頼出来る王を目指すつもりだ」

 はい、と大人二人は頷く。

「そして、オリビア。今回のこと、わかっているな? 君の責任は、やはり重大なんだ。どうするのが良かったのか、わかるかい?」

「はい……オリビアがワガママを言わなければ」

「違うよ」

 ふふ、と柔らかく笑って、アレクサンダーはオリビアを撫でる。

「まずは僕に相談だ。エミリーが一緒にピアノを弾けるよう、父上と母上に頼んでみよう」

「お兄様……!」

「王子様……!」

 オリビアとエミリーがまたシンクロする。その後、見つめあって互いに笑った。本当に仲が良いのだろう。

「……いやぁたまげた。堅物の王子を言い聞かせちまって」

 ジェイコブが呟くようにそう言った。

「……では、わたくしは着替えねばなりませんので、後ほどまた」

マーガレットはそう告げると一礼をして、中庭を後にした。


***


「あーーーっ。疲れましたわ!!」

 バタン、と行儀悪く自室のベッドに倒れ込むマーガレット。

「万事、丸く治まったようでなりより」

 ギルバートが適当な調子で言う。

 人払いはしてあるから、ここには今、マーガレットとギルバートしかいない。気安くできる時間なのである。

 あの後、時間になっても集まらずにどこに居たのかとアレクサンダーとマーガレット共々両親にたっぷりと叱られた。

 そして恙無く、婚姻の義に進んで行ったのである。

 あろうことかアレクサンダーは、マーガレットならば未来の王妃に相応しいだろうと述べた。正式な婚約が決まる流れになってしまったのだ。

 だからマーガレットは必死で食い止めたのだ。お互いまだ成長するのだから、これから入学する学園を卒業してからでもいいのでは無いかと。

 そういう訳で、以前とほぼ同じ、婚約者候補筆頭という形に収まったのだ。マーガレットの父はやや不満そうではあったが、概ね和解はしたと思う。

 最後にオリビアが満面の笑みでマーガレットに駆け寄り、また是非いらしてね、と何度も言う姿はなんとも可愛らしかった。「ギルバート様も絶対連れてきてね!」と念を押されたことも。

「アレクサンダー殿下は単純で直情的なところがありますのよ。今回はそこが上手く回ったわね。わたくしの知っているアレクサンダーはもっとずっと融通の利かない堅物でしたし。なんだかんだ、まだ12歳の少年だから言い聞かせられたわ」

「年の功ってやつですね」

「失礼ね。人を年増みたいに」

「だって、17と17と12を足したら……」

「それは! 年数で単純に決まるものでは無いと思いますの! わたくし、まだ18の成人だって一度も迎えておりませんのよ!」

「しかし、良かったんですかこれで。あの王子と婚約出来たら、いざと言う時に後ろ盾も得られる可能性もありますよ」

「それはダメですわ。これから入学する学園には、ハンナがきっと来ますの。彼女は本物の慈悲深くて思慮深い女の子ですわ。今は利害でわたくしを選んでも、恋をするのは止められませんわよ。わたくし、思い合うふたりの邪魔者になるのは遠慮したくてよ」

「今日のお嬢様の行動は、思慮には欠けても慈悲はあったと思いますが」

「褒めるにしても一言余計ね」

「王子様は、味方にはなり得ませんか」

「どうかしら……今の彼ならばあるいは。でも」

 あの後、アレクサンダーはなぜマーガレットがオリビアに気づいたのかを問うてきた。マーガレットはとっさに、偶然オリビアの姿を中庭で見たのだとごまかした。

「彼は、無実を訴えるわたくしを、信じてくださらなかった人よ……」

 寂しそうに枕に顔を埋めるマーガレット。

「それまでは、好きだったのでは」

 あまり内面には干渉してこないギルバートが、珍しい質問をなげかけたのでマーガレットは思わず顔を上げた。

「……どうかしら。確かに地位と容姿と何もかも完璧で、婚約者候補として誇らしくはありましたわ。けれど、恋をしていたかと言うと……」

 何となく、ギルバートの顔に目が行った。

 あの日、ギルバートが暗い顔をしてマーガレットを拒絶したことは、今思い出しても心が苦しい。

「……わかりませんわっ! 恋なんてものは! 疲れたからもう休みます」

 顔を隠すように布団を被るマーガレット。それを見てギルバートが何を思ったかは分からないが、おやすみなさいと告げる声は、案外に耳の近くだった。

 疲れているのは本当なのに、ドアが閉まる音がしたあとも、マーガレットは眠りにつくことが出来なかった。
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