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怪盗シャーマナイト
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「まずはわかっている状況を整理しますわ」
本日は授業どころではなくなってしまったため、マーガレットはギルバートを連れて図書館にやってきた。2人で話があるからと、強引に。
「学園長の執務室にて朝、遺体が発見されましたわね。被害者はあの副学長。彼は本国であるクロノス王国に送られて、牢獄にて捕らえられていたという話ですわね。けれど、この島に来るのは船で2日かかるわけで……これはどう考えてもおかしいですわね?」
「変ですね。取り調べ中の罪人を、そんな長期間放っておくことはまず有り得ないとは思います」
「モーター付きのボートや、飛行機があれば別ですけれど、そんなものはこの世界にありませんし……」
「もーた? なんです?」
「なんだか凄い動力を使って、高速で運行できる小型の船ですわ。仕組みはわたくしも良くは知りませんが……」
「へえ、そんなのが存在したんですね、お嬢様の前世には」
「でも、前世ですら存在を疑われているようなスペツナズナイフがあったのですから、秘密裏に開発されていることは有り得るかしら?」
マーガレットが首をひねる。しかしあれは、銃がある世界になら実用的ではなくとも存在は可能なレベルな気がする。馬車や帆船で移動するこの世界で、ガソリンで動くモーターは流石にオーバーテクノロジーが過ぎるだろう。
「やっぱり無理がある気がしますわ」
「お嬢様の知っている世界でも無理ですか」
「そうね。あとは副会長が実は双子だったとか、そっくりさんとか……」
そこまで言ってからマーガレットはふと、ギルバートを見る。
「時にギル、貴方によく似た親戚なんかはおられるかしら? 同年代で……」
「なんですか急に。いませんよ。歳の近い兄貴もさほど似ていませんし」
「そうよね……」
「そもそも、仮に別人だとしても、牢獄から本人が消えていることの説明にはなりませんよね」
脱線してつい考え込むマーガレットの話を戻すギルバート。
「……こればっかりはトリックとは思えませんわね。奇跡や魔法に関連する本を漁ってみようかしら」
なにしろ今回は、現場検証すらさせて貰えていない。薄暗い部屋の青白い光で照らされた死体。それしか見ていないのだ。情報が無さすぎる。
「魔女についてはもっと知っておく必要があるかも知れませんね。お嬢様がなぜ、その扱いを受けたのか。思い出せることはないですか」
「魔女ならば可能だと思われたのよね…。なんでもありだった感じですわ。姿が消せるだとか、体が乗っ取れるだとか、瞬間移動するだとか、呪い殺せるだとか……あぁ、シャンデリアも落とせるんでしたわね。そんなものを根拠にされたら、身の潔白なんて証明できませんわ。神の不在証明、ってやつですわよ」
「神の不在ですか。思い切ったことを言いますね」
「あぁ。そうでしたわ。存在しますのよね、神様って……」
そう。この世界では神様というものは基本的にいるものとして疑われていない。神様は実際にいて、この国を加護している。ハンナの力の源が、まさにそれなのだ。各国にそういった神が存在するので創世神と言うよりは建国神であるが、その力なしに国は成り立たない。さらに存在は確かだが、人間には決してお目にかかれない。
宇宙の始まりはビッグバンと言われているのを、漠然と信じている感覚に似ている。疑いを持つこと自体が何となく異端視されるのだ。
この辺りは宗教観、世界観がまるで違うので、ふたつの世界を知るマーガレットは度々混乱する。
魔女の力とはつまり、その力を外れた悪魔……もとい、他国の神に由来される力がそう見倣されるのだ。
ただし、一人の人間がそのような力を得るのは非常に稀だ。稀だが有り得る。そこが難しいのである。
「……やはり真犯人は、魔女なのかしら」
「俺もそう思います。お嬢様は『魔女』を押し付けられた」
はぁ、とマーガレットは額に手を当て項垂れる。
「そんなものがあったら、まともな推理なんて不可能ですわね……」
「そうでもないかも知れません。少なくとも、魔女には何ができるのか。その位は考えられるかもしれないですよ」
「そうね。神の加護にしろ悪魔の授けた力にしろ、そんなにいくつも持っているならばこんな小細工必要ありませんものね。出来ることは限られていると思って良いかも知れませんわ。――もっとも、力を持つが故の愉快犯であればお手上げですけれど」
「まぁ、それは置いておくとして。やはり、物質の転移でしょうか」
「それが濃厚よね……。死体、または生きた人間を移動させて……」
こめかみに人差し指を当て、マーガレットは首を傾げる。
「でも、それが出来るのならばなぜ、船の事件では使いませんでしたのかしら? そんな便利な力を使えるのなら、副学長があんなことをする必要はありませんわよね。確かに自白はまだでしたけれど、魔女が行ったにしては粗が多すぎでしたわ」
「別の力なのか、あるいは何か条件か縛りか、トリガーがあるのかもしれませんね。ハンナさんは祈りで発動するようでしたが、母の故郷では、儀式がいるのだと聞いたことがあります。それに、代償……が、」
そこまで言ってギルバートはマーガレットから目を逸らし、口に手をやった。明らかに失言をした様子である。
「……代償? ギルはそういうものに詳しいんですのね?」
ずい、とマーガレットは身を乗り出し、逃がさないとばかりに顔を近づける。
「……母の故郷ではまじないやのろいが盛んで、そういう話はよく聞いたんですよ。曰く、力を授かった人間でも、無制限で使えるものでは無いのだと」
「例えば、どういうものですの?」
「……生贄だとか、体の一部だとか、寿命だとか、軽くはないやつですよ」
相変わらずマーガレットの方は見ず、目線を左下に向けながらそう言う。
「ハンナも、そうだと言いますの?」
「おそらくは」
「どうしてそう言う大事なことを今までっ……!」
マーガレットがつい大声を出したので、シィ、とギルバートは人差し指を立てる。ここは図書館である。小声の雑談はともかく、大きな声は響く。
集まる視線は迷惑げと言うよりは、やや好奇を含んでいるように思えた。痴話喧嘩とでも見られただろうか。
コホン、と咳払いをし、「失礼」と謝罪をする。
「どうして教えてくれませんでしたの!」
そして今度は小声で詰め寄った。
「理由は……色々ありますが。確証はなかったですし」
「それでも言ってくれても良かったのではなくて?」
「怒られるので言いたくないんですが」
「もう怒ってますわ! 知っていたら、わたくし……」
マーガレットが眉根を寄せると、ギルバートがたじろぎつつ答える。
「ハンナさんの力を、気軽に使えなくなると思ったので。この先、使った方がいい事件も起きるかもしれないですし」
「使わせませんわ! ギル、酷いですわ。それならば船の事件は未然に防ぐべきでしたのに……」
「実際に元から蘇生は使っていた事件だったようですし。どうせなら起きることは変えない方が、わかることが多いかと思ったんですよ。あとは、ハンナさんも言いたくなさそうでしたし。実際教えて貰えませんでしたから」
「ハンナに聞いたんですの!?」
「はい」
マーガレットは頭を抱えて溜息を吐いた。
「知らなかったのはわたくしだけね……」
「いや、ほとんどは知らないと思います。王子殿下だって、知っていたらあんな提案しないでしょうし」
「そうね……」
アレクサンダーはいざと言う時にハンナの力が必要だと言った。だが代償のことを知っていたら、彼の性格上そんなことは言わなかっただろう。いや、国を背負う者の決断として、人命が迫っている時ならば頼むのかもしれない。
だがいずれにしろ、あんな風に安易に作戦に組み込むことは無いだろう。彼ならばハンナのことを気遣うはずだ。
「これまで、奇跡の力の話は聞いたことがありましたけれど、代償の話なんて知りませんでしたわ。文献にも見当たりませんし、王太子でも教えられていないなんて……。ハンナの代償はなにかしら」
ペラペラと本をめくりながら、マーガレットが呟く。
「他の国……ギルのお母様の国では、周知なのかしら?」
「恐らく。でもこの国ではあまり言わない方がいいと釘を刺されましたよ」
「他国との交流で知れそうなものですけれど……意図的に隠している感じはしますわね。ギルのお母様にもお話を伺いたいですわ」
「……まぁ母のことはともかく、後はことさらに魔女と言う言葉を持ち出してくるレッドラップは、やはり怪しいですよ」
「そうね。商会は国を跨いで交流しているでしょうし、ノアは何か知っているか、関わっているかもしれませんわね」
謎が深まるばかり。国も怪しいならば何を信じていいやらと投げ出したくなりそうだった。
「……あの本。ハンナの本にも、代償なんて記述はありませんでしたわ」
「そうでしょうね」
マーガレットはますます何を信じていいかわからなくなった。以前、ハンナを信じていいのかとギルバートが言ったのはこういう事か。
もはや信じられるのは自分が見てきたマーガレットとしての記憶のみかもしれない。
「……でも、これで少なくとも怪盗の彼は殺人犯ではないと言えますわ」
「どうですかね。そいつが魔女の可能性だってあるじゃないですか」
「彼は以前は、ちょっとしたヒーローでしたのよ。お金は盗みますが、貧しい人に分け与えておりましたし、誰も傷つけませんでしたわ。まして人殺しなんて」
「……お嬢様が知らない裏の顔があったかも知れません」
裏の顔。マーガレットはギルバートを見た。彼は、何ですかと首を傾げる。
「人には裏表がある。そう言いたいんですのよね、ギルは」
「そう思いますよ」
昨夜。怪盗が死体を見て驚いていたのは確かだ。その時には何も盗んだりした様子もなかった。その後見つからぬようマーガレットを送り、また戻ったのだろうか。何のために? 盗んで血文字を書いたのは別人だったのか、あるいは……。
「きっと彼は無実ですわ」
「言い切りますね。正体不明のやつに対して」
「だって、以前もわたくしを、助けてくれた方なんですのよ」
「……そうだとしても、今回もそうだとは限らないのでは」
「わたくしは信じますわ」
「随分とご執心ですけど、お嬢様はそいつの正体を知っているんですか?」
「それは……」
ギルバートはやけにきつい言い方で詰めてくる。マーガレットは少し言葉に淀み、
「……知りませんけれど」そう言って俯いた。
「なら、そいつが犯人だって、別にいいじゃないですか」
――そう。つまりそういう事だ。
今回は推理の糸口がなく、結論を言えば今の所、魔女の仕業としか思えない。それなのに魔女の噂が立たないのは、謎の怪盗が自らが疑われるように仕向けたからだ。
間違ってもマーガレットが犯人にされないように。
本日は授業どころではなくなってしまったため、マーガレットはギルバートを連れて図書館にやってきた。2人で話があるからと、強引に。
「学園長の執務室にて朝、遺体が発見されましたわね。被害者はあの副学長。彼は本国であるクロノス王国に送られて、牢獄にて捕らえられていたという話ですわね。けれど、この島に来るのは船で2日かかるわけで……これはどう考えてもおかしいですわね?」
「変ですね。取り調べ中の罪人を、そんな長期間放っておくことはまず有り得ないとは思います」
「モーター付きのボートや、飛行機があれば別ですけれど、そんなものはこの世界にありませんし……」
「もーた? なんです?」
「なんだか凄い動力を使って、高速で運行できる小型の船ですわ。仕組みはわたくしも良くは知りませんが……」
「へえ、そんなのが存在したんですね、お嬢様の前世には」
「でも、前世ですら存在を疑われているようなスペツナズナイフがあったのですから、秘密裏に開発されていることは有り得るかしら?」
マーガレットが首をひねる。しかしあれは、銃がある世界になら実用的ではなくとも存在は可能なレベルな気がする。馬車や帆船で移動するこの世界で、ガソリンで動くモーターは流石にオーバーテクノロジーが過ぎるだろう。
「やっぱり無理がある気がしますわ」
「お嬢様の知っている世界でも無理ですか」
「そうね。あとは副会長が実は双子だったとか、そっくりさんとか……」
そこまで言ってからマーガレットはふと、ギルバートを見る。
「時にギル、貴方によく似た親戚なんかはおられるかしら? 同年代で……」
「なんですか急に。いませんよ。歳の近い兄貴もさほど似ていませんし」
「そうよね……」
「そもそも、仮に別人だとしても、牢獄から本人が消えていることの説明にはなりませんよね」
脱線してつい考え込むマーガレットの話を戻すギルバート。
「……こればっかりはトリックとは思えませんわね。奇跡や魔法に関連する本を漁ってみようかしら」
なにしろ今回は、現場検証すらさせて貰えていない。薄暗い部屋の青白い光で照らされた死体。それしか見ていないのだ。情報が無さすぎる。
「魔女についてはもっと知っておく必要があるかも知れませんね。お嬢様がなぜ、その扱いを受けたのか。思い出せることはないですか」
「魔女ならば可能だと思われたのよね…。なんでもありだった感じですわ。姿が消せるだとか、体が乗っ取れるだとか、瞬間移動するだとか、呪い殺せるだとか……あぁ、シャンデリアも落とせるんでしたわね。そんなものを根拠にされたら、身の潔白なんて証明できませんわ。神の不在証明、ってやつですわよ」
「神の不在ですか。思い切ったことを言いますね」
「あぁ。そうでしたわ。存在しますのよね、神様って……」
そう。この世界では神様というものは基本的にいるものとして疑われていない。神様は実際にいて、この国を加護している。ハンナの力の源が、まさにそれなのだ。各国にそういった神が存在するので創世神と言うよりは建国神であるが、その力なしに国は成り立たない。さらに存在は確かだが、人間には決してお目にかかれない。
宇宙の始まりはビッグバンと言われているのを、漠然と信じている感覚に似ている。疑いを持つこと自体が何となく異端視されるのだ。
この辺りは宗教観、世界観がまるで違うので、ふたつの世界を知るマーガレットは度々混乱する。
魔女の力とはつまり、その力を外れた悪魔……もとい、他国の神に由来される力がそう見倣されるのだ。
ただし、一人の人間がそのような力を得るのは非常に稀だ。稀だが有り得る。そこが難しいのである。
「……やはり真犯人は、魔女なのかしら」
「俺もそう思います。お嬢様は『魔女』を押し付けられた」
はぁ、とマーガレットは額に手を当て項垂れる。
「そんなものがあったら、まともな推理なんて不可能ですわね……」
「そうでもないかも知れません。少なくとも、魔女には何ができるのか。その位は考えられるかもしれないですよ」
「そうね。神の加護にしろ悪魔の授けた力にしろ、そんなにいくつも持っているならばこんな小細工必要ありませんものね。出来ることは限られていると思って良いかも知れませんわ。――もっとも、力を持つが故の愉快犯であればお手上げですけれど」
「まぁ、それは置いておくとして。やはり、物質の転移でしょうか」
「それが濃厚よね……。死体、または生きた人間を移動させて……」
こめかみに人差し指を当て、マーガレットは首を傾げる。
「でも、それが出来るのならばなぜ、船の事件では使いませんでしたのかしら? そんな便利な力を使えるのなら、副学長があんなことをする必要はありませんわよね。確かに自白はまだでしたけれど、魔女が行ったにしては粗が多すぎでしたわ」
「別の力なのか、あるいは何か条件か縛りか、トリガーがあるのかもしれませんね。ハンナさんは祈りで発動するようでしたが、母の故郷では、儀式がいるのだと聞いたことがあります。それに、代償……が、」
そこまで言ってギルバートはマーガレットから目を逸らし、口に手をやった。明らかに失言をした様子である。
「……代償? ギルはそういうものに詳しいんですのね?」
ずい、とマーガレットは身を乗り出し、逃がさないとばかりに顔を近づける。
「……母の故郷ではまじないやのろいが盛んで、そういう話はよく聞いたんですよ。曰く、力を授かった人間でも、無制限で使えるものでは無いのだと」
「例えば、どういうものですの?」
「……生贄だとか、体の一部だとか、寿命だとか、軽くはないやつですよ」
相変わらずマーガレットの方は見ず、目線を左下に向けながらそう言う。
「ハンナも、そうだと言いますの?」
「おそらくは」
「どうしてそう言う大事なことを今までっ……!」
マーガレットがつい大声を出したので、シィ、とギルバートは人差し指を立てる。ここは図書館である。小声の雑談はともかく、大きな声は響く。
集まる視線は迷惑げと言うよりは、やや好奇を含んでいるように思えた。痴話喧嘩とでも見られただろうか。
コホン、と咳払いをし、「失礼」と謝罪をする。
「どうして教えてくれませんでしたの!」
そして今度は小声で詰め寄った。
「理由は……色々ありますが。確証はなかったですし」
「それでも言ってくれても良かったのではなくて?」
「怒られるので言いたくないんですが」
「もう怒ってますわ! 知っていたら、わたくし……」
マーガレットが眉根を寄せると、ギルバートがたじろぎつつ答える。
「ハンナさんの力を、気軽に使えなくなると思ったので。この先、使った方がいい事件も起きるかもしれないですし」
「使わせませんわ! ギル、酷いですわ。それならば船の事件は未然に防ぐべきでしたのに……」
「実際に元から蘇生は使っていた事件だったようですし。どうせなら起きることは変えない方が、わかることが多いかと思ったんですよ。あとは、ハンナさんも言いたくなさそうでしたし。実際教えて貰えませんでしたから」
「ハンナに聞いたんですの!?」
「はい」
マーガレットは頭を抱えて溜息を吐いた。
「知らなかったのはわたくしだけね……」
「いや、ほとんどは知らないと思います。王子殿下だって、知っていたらあんな提案しないでしょうし」
「そうね……」
アレクサンダーはいざと言う時にハンナの力が必要だと言った。だが代償のことを知っていたら、彼の性格上そんなことは言わなかっただろう。いや、国を背負う者の決断として、人命が迫っている時ならば頼むのかもしれない。
だがいずれにしろ、あんな風に安易に作戦に組み込むことは無いだろう。彼ならばハンナのことを気遣うはずだ。
「これまで、奇跡の力の話は聞いたことがありましたけれど、代償の話なんて知りませんでしたわ。文献にも見当たりませんし、王太子でも教えられていないなんて……。ハンナの代償はなにかしら」
ペラペラと本をめくりながら、マーガレットが呟く。
「他の国……ギルのお母様の国では、周知なのかしら?」
「恐らく。でもこの国ではあまり言わない方がいいと釘を刺されましたよ」
「他国との交流で知れそうなものですけれど……意図的に隠している感じはしますわね。ギルのお母様にもお話を伺いたいですわ」
「……まぁ母のことはともかく、後はことさらに魔女と言う言葉を持ち出してくるレッドラップは、やはり怪しいですよ」
「そうね。商会は国を跨いで交流しているでしょうし、ノアは何か知っているか、関わっているかもしれませんわね」
謎が深まるばかり。国も怪しいならば何を信じていいやらと投げ出したくなりそうだった。
「……あの本。ハンナの本にも、代償なんて記述はありませんでしたわ」
「そうでしょうね」
マーガレットはますます何を信じていいかわからなくなった。以前、ハンナを信じていいのかとギルバートが言ったのはこういう事か。
もはや信じられるのは自分が見てきたマーガレットとしての記憶のみかもしれない。
「……でも、これで少なくとも怪盗の彼は殺人犯ではないと言えますわ」
「どうですかね。そいつが魔女の可能性だってあるじゃないですか」
「彼は以前は、ちょっとしたヒーローでしたのよ。お金は盗みますが、貧しい人に分け与えておりましたし、誰も傷つけませんでしたわ。まして人殺しなんて」
「……お嬢様が知らない裏の顔があったかも知れません」
裏の顔。マーガレットはギルバートを見た。彼は、何ですかと首を傾げる。
「人には裏表がある。そう言いたいんですのよね、ギルは」
「そう思いますよ」
昨夜。怪盗が死体を見て驚いていたのは確かだ。その時には何も盗んだりした様子もなかった。その後見つからぬようマーガレットを送り、また戻ったのだろうか。何のために? 盗んで血文字を書いたのは別人だったのか、あるいは……。
「きっと彼は無実ですわ」
「言い切りますね。正体不明のやつに対して」
「だって、以前もわたくしを、助けてくれた方なんですのよ」
「……そうだとしても、今回もそうだとは限らないのでは」
「わたくしは信じますわ」
「随分とご執心ですけど、お嬢様はそいつの正体を知っているんですか?」
「それは……」
ギルバートはやけにきつい言い方で詰めてくる。マーガレットは少し言葉に淀み、
「……知りませんけれど」そう言って俯いた。
「なら、そいつが犯人だって、別にいいじゃないですか」
――そう。つまりそういう事だ。
今回は推理の糸口がなく、結論を言えば今の所、魔女の仕業としか思えない。それなのに魔女の噂が立たないのは、謎の怪盗が自らが疑われるように仕向けたからだ。
間違ってもマーガレットが犯人にされないように。
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