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怪盗シャーマナイト

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「知り合い? 手を出さないから刃物引っ込めてって頼んでくれない?」

 冷や汗を流しつつも、へらりとした笑みを浮かべて背後に問うノア。

「あの、ノアは助けてくれただけで、その」

「知っている。だが、マーガレットに気安く触れるのは許さない」

「……どっかの誰かさんみたいな牽制だなぁ」

「今すぐに立ち去るなら引いてやる」

「引きますって。だからその物騒なやつはしまってくれよ」

 怪盗がノアの首から短剣を離す。すると、ノアはすかさず振り向いた。

「これはこれは。巷を騒がす怪盗様じゃないか。道理で気配もないわけだ」

 怪盗の姿を見てもなお、笑みを浮かべているノア。

「マーガレット嬢の逢い引き相手は、怪盗ってわけ? ……なんだ。緊張して損したなぁ」

 ガッカリしたようにため息をつく。ピリついた雰囲気はそのままなのに、ノアはどこか余裕を見せるようになっていた。

「早く去れ」

「嫌だね。だってそれ、ただの脅しだろ? 俺も怪盗と話したいのに」

「俺が人を殺さないと思うのか?」

「殺せないだろ?」

「妙な話だな。俺は殺人犯として手配されているはずだが」

 シャーマナイトは短剣を空中で一回転させると、再びノアにそれを向ける。

「俺を殺人犯と思わないのは、真犯人とその関係者だけだろう。……そこのご令嬢を除けばな」

「俺、疑われてるの?」

「怪しいことに違いない」

「めっちゃ怪しいヤツに言われたよー。マーガレット嬢を助けたのを見てたってことは、その前から尾行られてたわけでしょ? あの時すぐに助けに入らなかったってことはぁ、俺を尾行してたんだよね?」

 ノアは懐から銃を取り出し、怪盗に向ける。鼻先三寸、狐面に銃の先が当たらんばかりの距離だ。しかし怪盗の方も怯む様子は無い。

「ちょっと! 物騒なのはやめて2人とも!」

 状況を測りかね、暫く呆然と眺めていたマーガレットだが、あまりに不穏な空気に口を出さずに居られない。

「なんで? 先に刃物を向けたのはあっちなんだから、正当防衛だよ。まして、相手は殺人鬼の犯罪者なわけだし」

「わたくしが証言しますわ! 無抵抗の彼を撃ったと」

「マーガレット、駄目だよ。安い挑発だ」

「随分仲良しだなぁ。って言うかさぁ、マーガレット嬢って怪盗と知り合いだったわけ? 殺人犯と夜の逢い引きも、結構やばいんじゃない?」

「だって、彼は殺人犯ではありませんもの。わたくし、その話のために彼を探してましたのよ!」

「……マーガレット、やめろ」

「どうしてそう言い切れるのかなぁ? 仲間だから? 共犯なわけ?」

「あの日、わたくしは彼と……あ、逢引をしていたからですわ!」

 マーガレットはヤケクソ気味にそう言って、怪盗の左腕をつかんだ。ぎゅう、と彼にしがみつく。

「……それはそれは、大胆だなぁ、マーガレット嬢」

「道ならぬ恋ですの。秘密にしてくださいませんこと?」

「うーん。いろいろと、突っ込みたいところはあるんだけど……」

 ノアはニヤリと笑う。

「素顔も見せない相手と、取引はできないなぁ。今、仮面ごと顔面吹っ飛ばしちゃうのは勿体ないし……」

「それはっ……!」

 抗議しようとするマーガレットを、怪盗が止める。

「……いいだろう」

「えっ。いいの?」

 ノアよりも先に、マーガレットが反応をした。正直とても見たい。が、見せるわけに行かないものと思っていたのだ。

 マーガレットの予想通りならば、仮面の下の素顔は彼なのだから。

 短剣を下ろし腰にさすと、怪盗はその狐面を斜めに下ろす。ごくり、と生唾を飲み込んで、彼の横顔を見上げるマーガレット。

 ――その皮膚は、焼けたように爛れていた。

「……なるほどね」

 ノアは目を細め、ほんの少しだけ顕になった怪盗の顔を眺めた。

「よくわかったよ。今日は引いてあげる。もちろん、君たちの関係も漏らさないよ。商人は口が堅いんだ」

 ノアは銃を下ろして懐に仕舞う。

「その代わりシャーマナイト君。今後もレッドラップをご贔屓に。俺、この店と懇意にしてるからいつでも連絡してよ」

 そう言ってなにやらカードを渡すノア。

「レッドラップは盗品も扱うのか?」

「そうだなぁ。大きい声じゃ言えないけど……望まれるなら、なんでも扱うよ」

「人身もか?」

「それはどうだろう?」

「生きてないものなら、取り扱うんじゃないか?」

「あは。まぁそういうこともあるのかもね。じゃあまた会おう」

 八重歯をのぞかせた笑顔を見せるノア。

 互いに含みのありそうなやり取りではあるが、案外気が合いそうなのか。

 ともかく、案外あっさりとノアはマーガレットたちに別れを告げて去っていった。


***


「全く、君には呆れたよ。夜の街を女性が1人で歩くなんて、拐ってくれと言ってるようなもんだ」

「ごめんなさい……」

 怪盗は腕を組んで、深くため息をつく。

「でも、どうしても貴方に会いたかったんですの。貴方が殺人犯だなんて名乗りをあげるから」

「俺に会えるかもわからなかっただろう?」

「会えるまで、探すつもりでしたわ」

「……それがどれだけ危険かわかったら、二度と1人で外に出たりするな」

「1人じゃなければ良いんですの?」

「どういうつもりだ?」

「……ノアにでも頼みますわ」

「レッドラップを信用するのか?」

 さらに呆れたような声色で言う怪盗。明らかに苛立った様子だ。いつものキザな台詞回しはすっかりなりを潜めている。

 彼の裾を、マーガレットはぎゅっと握った。

「だって、貴方に会いたい時は、どうすればいいんですの?」

「君は、俺に会いたいの?」

「……会いたいわ」

 マーガレットは仮面の向こうの彼を見つめた。図らずも甘い雰囲気になってしまった気がして、心臓が高鳴る。

 マーガレットは彼の正体を、ギルバートなのだと疑っていた。瞳の色も、口元も、体型もよく似ている気はする。しかし、髪質も、髪の色もまるで違う。何よりギルバートには、顔に火傷の跡などない。さらに言えば、彼が夜更かししているのも見たことがない。
 それに、彼はこんな風にロマンチックな逢瀬はしてくれないだろう。

 でも、だからこそ罪悪感がある。

 ギルバートであって欲しかったのだ。

 この、ほんのりとした恋心のような感情が、それぞれ別の人間に向いているなんて、不誠実にも程がある。

「……これを」

 そんな複雑な乙女心を知ってか知らずか、怪盗は一枚の紙をマーガレットに渡してきた。

「これって……見取り図。隠し通路ね」

「学園長の部屋にあった見取り図に、俺が調べた道を書き込んである。……俺に会いたくなったらここに来て」

 そう言って怪盗は、女子寮のすぐ近くの隠し通路を指し示した。

「……わかったわ。でも、どうやって会いたいと伝えたらいいの?」

「その前に、贈り物を受け取ってくれるかな?」

「贈り物?」

「うん」

 怪盗がさしだしてきたのは、紫色のリボンで飾られた小さな箱だった。

「今、開けても?」

「もちろん」

 怪盗は画面の向こうの目を細めて頷く。マーガレットは丁寧にリボンを解いた。

「バレッタ……とても綺麗」

 箱の中はアメジストで飾られた髪飾りであった。持ち上げると月灯りを浴びて、紫色が煌めいた。

「やっぱり、君の瞳の方が綺麗な色をしているけどね」

 怪盗がマーガレットの目を覗き込む。マーガレットの紫色の瞳に合わせたプレゼントなのだろう。相変わらず鼓動が早くなるような言動をする。

「君にとっては安物だけど、盗品じゃないから安心して」

「本当に、とても嬉しいわ。今すぐつけたいのだけど……」

 マーガレットは、はにかみ笑いをしつつ、怪盗を見上げた。

「けど?」

「わたくし、あまり器用ではないの。後でお友達に頼むわ」

「つけてあげるよ。こっちにおいで」

 怪盗は後ろからマーガレットの両肩に手を置くと、くるりと背中を向けさせた。

「触れてみたかったんだ。君の髪。綺麗だね」

 手袋越しではあるが、優しく髪を梳かれて緊張するマーガレット。

(ギルも、頼めばこんな風に優しく触れてくれるのだろうけれど……。きっと、髪を褒めたりはしないわね)

 こんな時にギルバートと比較してしまうのはもうどうかしてるのかもしれない。けれど、やはりどことなく似ているから、後ろにいて姿が見えないと想像してしまう。

「俺に会いたい日は、これを付けていて。迎えに行くから」

「わかったわ。秘密の合図ね」

「そう。俺と君だけの、秘密」

「貴方って、やっぱり学園にいるの?」

「探してごらん。捕まってあげるつもりは無いけど」

「いいえ。いつか絶対捕まえてみせるわ」

 マーガレットは勝気な瞳で振り向いた。

「……そう言えば、わたくしの事ばかり言うけれど。あなただって危なかったのではなくて? 銃を突きつけられて」

「撃つつもりは無かったはずさ。撃鉄が下ろされていなかったからね」

「……そうなの?」

「あの男が、得にならないような殺しをするとも思えない。今日はずっと見張っていたが、尻尾を出さなかったな」

「得になれば殺すと思うの?」

「ノア個人はともかく、レッドラップはやるだろう」

「貴方は?」

「ん?」

「貴方は、ノアが逆らったら首を切っていた?」

「そう思う?」

「思うわけないじゃない。わたくしは貴方を信じているからここにいるのよ」

「正体不明の男を信じるのか?」

「正体より大切なものがあるのよ。それに貴方、ファントムみたいで格好良いわ」

 前の時間軸でも、この男の正体は知らなかった。けれど、唯一マーガレットを信じて助けてくれた人なのだ。それが、マーガレットにとって一番大切な真実である。

「ファントム?」

「遠い異国の物語の、怪人よ。オペラの舞台で、歌姫を連れ去るの」

「……連れ去って欲しいかい?」

 怪盗は、マーガレットに手を差し伸べる。

「えぇ。いつかまた、連れ去ってくれるのをお待ちしておりますわ」

 マーガレットはクスクスと笑いながら、その手を取った。

 怪盗の真意を問うことは忘れたが、夜の逢瀬はとても楽しいものだった。


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