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悪女イザベラ

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 ルークラフト家での食事は重苦しい。学友達と楽しい食事の時間を過ごしていたマーガレットは、久しぶりの実家を余計そう感じる。

 ギルバートはすまし顔で執事たちと共に並んでいた。食事に加わるよりも気が楽かもしれないとマーガレットですら思う。

「マーガレット、学園では物騒な事件が続いているようだけど……。貴女も巻き込まれたと言うし」

 重たい空気の中、口火を切ったのは公爵夫人、つまりマーガレットの母であった。

「お手紙にも書きましたが、わたくしが巻き込まれた件に関しては解決しておりますのでご心配なく」

「それでも不穏なことが続き過ぎだわ。落ち着くまで休学するのはどうかしら?」

 来た。と、マーガレットは思った。懐かしい提案である。以前にも母は同じ事を言っていた。その時は己の居ぬ間にアレクサンダーとハンナが親密になるのが悔しくて、突っぱねたものだった。事件の犯人と疑われたまま休むのは認めたようで悔しかったこともある。

 だがそれは大きな間違いだった。この提案を受け入れて大人しくしていれば、少なくとも処刑は免れたのかもしれない。

「有り得ませんわ。お母様」

 しかし、今回もマーガレットはそれを断る。

「確かに、身の安全は大切ですわ。休学の選択をする方達はそれはそれで賢いとも思います。けれど、ルークラフトの家の者がこの程度の事態で我先に動揺するなんて、格好がつきませんもの」

 同じような理由を述べるが、真意は以前と全く違う。休む訳には行かないのだ。それではアレクサンダーの死が防げないかもしれない。

 彼に真実を告げたことで、本人が何とかするという期待もなくはない。マーガレットに出来ることなどたかがしれている上に、もしかしたらまた手のひらの上で転がされる可能性すらある。

 けれど、何もせずに休むことなんて出来はしない。だって彼は、マーガレットの大切な友人なのだから。

「娘ながらに肝が座っているな。ルークラフトの名に恥じぬよう、学び舎にて研鑽を続けるが良い」

 父であるルークラフト公爵は、マーガレットを気に入っている。故にこういった時は肯定の言葉をくれることが多い。おそらく性格や価値観が、子供の中で一番合うのだろうと思う。

「だが、ギルはやらかしたそうだな。カイロス公国のナタリー姫を目の前で死なせてしまう失態を犯したとか。国家間の大問題に発展し兼ねん事柄だぞ。マーガレット、これはお前の責任になるんだからな」

 マーガレットが褒められることをよく思わない兄ジークフリードが、すかさず入ってくる。彼はギルバートとの関係はそれなりに良好なのだが、マーガレットに攻撃が出来ればそれで良いのだ。

「何を言いますの。ギルが謝る必要はなくってよ。彼は巻き込まれた被害者ですわ。怪我までさせられたのだから、本来はこちらが文句を言いたいところですわよ」

 感情的に言い返したいところだが、頑張って抑えた。ここで拗れる訳にはいかないのだ。

 当のギルバートはすました顔で立っている。

「お、お兄様のその責任感の強さは尊敬いたしますけれど!」

 けれど結局内容は言い返してしまっただけになったので、慌てて付け加える。

「なんだ、気持ち悪いな急に」

 下手くそな付け足しに、ジークフリードは怪訝に眉をひそめた。

「何でも非を認めたら舐められるだけだ。ジーク、お前はもっと本質を見極めろ」

「はい、申し訳ありません」

 そこへきて、公爵が追い打ちをかけるものだから、ジークフリードの機嫌が悪くなる。

「お兄様は、カイロス公国との関係悪化を懸念されているんですよね? ほら、イザベラお姉様も心配なさっているでしょうし」

 イザベラ・アストリー。ジークフリードの婚約者で、カイロス公国の侯爵令嬢である。この女性が、今回起きる問題に絡んでいる。

 現在18歳の兄ジークフリードよりさらに三つ年上のこの女性は、マーガレットと折り合いが良くない。

 なにしろこの女は、4つも年下のマーガレットに対して何かとマウントを取りたがるのだ。何かにつけて張り合ってくるが、幼い時からの4歳差で勝てることは少ない。

 その癖、そんな大人気ない部分は巧妙に隠しているから、非常にタチが悪い。その狡猾さで、なぜマーガレットに構うのか不思議なものである。

 そして兄はこの女にベタ惚れである。

 マーガレットと入れ違いに聖ヴィンザンドを卒園したばかりの兄は、今すぐにでも結婚したくてウズウズしているに違いない。

 何しろこの2人、恋愛結婚の予定である。

 兄が12の時、すでに相手が決まっていたにも関わらず、ひとつ上の13歳だったイザベラに恋をした。微笑んだ顔に一目惚れをしたらしいのだ。

 婚約を破棄して一緒になりたい人がいると述べるのを、もちろん父は大反対したらしい。しかし、ジークがここまで我儘を言うのは珍しいのだから、と母が説得をしたと言うのである。母がこういったことに口を出すのも珍しいことだ。結局家柄にも問題は無いし、相手もまだ幼い時分なのもあり、相手方に少々お金を払って、なかったことにしたらしい。まだ8歳でジークフリードに対して何も想いはなかったところが救いではある。

 しかし小国であるがこれから発展すると見込んだ国の第三王女であったようで、父の落胆は激しかった。故に、より一層ジークフリードには厳しくなったようだ。

 そしてそれがあるから余計に、幼少時から優秀で、稀代の名君になると評される王太子アレクサンダーとマーガレットの婚約を強く望んでいる。

 マーガレットを贔屓するのはそんな事情もあるだろう。

 アレクサンダーとハンナの親密さが嫌だったのも、そのプレッシャーもかなりあったと今では思う。

「そうだ。イザベラはお前が心配でこちらに来てくれるらしい。自国が大変だというのに、優しい女性だよ。お前も見習う部分が沢山あるぞ」

 やはり今回もか。マーガレットは心の中でため息をつく。ジークフリードはやたらとマーガレットとイザベラを比べたがる。

 やれいつも笑顔を絶やさないイザベラに比べてお前の高慢な笑い方と来たらだの、イザベラは愛らしく見上げてくるがお前のは睨んでるようだ、だのと鬱陶しいことこの上ない。

 大体、自国が大変ならば婚約者のところに来ている場合ではないのではないか。あの女は兄と共にマーガレットにマウントを取ることで、ストレスを発散させているに違いない。

 そのイザベラがやって来る。正直逃げ出したいが、放置したらしたできっとろくな事にはやらない。

 こんな兄でも、身内が敵に回るというのは厄介なのだ。

 そして何より、前回してやられた雪辱を晴らしたいのだ。
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