探偵令嬢の華麗なる再始動〈リスタート〉

無軸キリ

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ギルバート・フォーブスの呪い

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「――お嬢様。落ち着いて! 俺です。ギルです!」

 つかんだ何かに必死に縋ると、よく知っている声が慌てていた。でもそんなわけが無い。ギルは泳げないと言っていた。

「暴れると、俺も、溺れる、ので! あー! じっとしてくださいよ! 動くなって!」

 強めに言われてマーガレットはビクリと体を強ばらせた。ギルバートにこんな言い方をされたことがない。やはりギルバートのわけが無いと、何とか顔を上げる。

「ちょっとやばいですよ。流れが早くて、岩とかに当たったら心中です」

 自分を抱えて何とか浮いているその相手は、確かにギルバートであった。だが、いつものギルバートではなかった。マーガレットは頭が混乱する。

「ギル!? どうして」

「色々思うところは、あると思います、が! それは助かったあと、で!」

 ギルバートは、なんとか岸まで行こうと必死である。

「泳げますので、ご心配なく!」

 やがて川岸の枝になんとかたどり着くと、マーガレットを持ち上げた。

「ギル!」

 先に上がったマーガレットは、ギルバートを引き上げる。だがその拍子に、マーガレットの足元がずるりと滑った。

「きゃああああ!?」

 悪いことに後方は斜面であるようだ。そのままの勢いで滑り落ちていく2人。

 ようやく起き上がったのは、森の中であった。身体中が痛いが、大きな怪我はないようだった。しかし傍らで倒れるギルバートを見て血の気が引いた。

 彼はそこらじゅうが傷だらけで、足からはドクドクと血が流れているのだ。

「ギル! 死んじゃだめ!」

 マーガレットは思わずギルバートを揺さぶる。

「い、痛いですお嬢様……」

 力無くギルバートが答えたので、マーガレットは安堵する。

「わたくしを庇ったの?」

「お嬢様に大怪我なんかさせたら、公爵様に殺されますし……」

「そんなこと気にしてる場合? 足の傷口開いてるわ。止血しないと」

 マーガレットは己の服のリボン部分を解いて、ギルバートの足をきつく結ぶ。

「あー……すみません。しばらく起き上がれそうにないです。森の中も、危ないと思いますが……。お嬢様、迷子にならずに帰れますか」

「何を馬鹿なことを言ってますの。ギルを置いて行けるわけないでしょう? 起き上がらなくていいから、楽にして……」

 マーガレットは自分の膝に、ギルバートの頭を乗せる。

「……ねぇ、ギル。お話はできるかしら?」

「寝てていいなら、寝たフリしたいです」

 両手で顔の上部を覆って、ギルバートは言った。

「駄目よ。貴方は嘘つきね」

 マーガレットは、ギルバートの髪に触れる。水に濡れたその髪はいつもの灰色ではなく、木々の隙間から差し込む光を浴びて、銀色に光っていた。ゴワゴワとした癖もない。

 怪盗シャーマナイトと、同じ髪だ。顔を隠している今だから余計、その姿がはっきりとわかる。

「……わたくし、この髪を知っておりますわ」

「そうですか」

「白状なさい」

「なんの事だか」

「わたくしが、あなたを分からないと思って?」

「時間の問題だとは思ってましたけど……早くないですか」

「なにがよ」

「俺、まだお嬢様と……」

「わたくしと?」

「………恋人ごっこを、していたかったです」

「…………え?」

 ギルバートはずっと手で顔を隠しているので、その表情は分からない。しかし、耳が赤くなっているのはわかった。

「ギル。顔を見せて頂戴」

「嫌です」

「良いから、見せるのよ」

 マーガレットはギルバートの両手を持ち上げた。ギルバートは眉をゆがめ、口を引き結び、真っ赤な顔になっていた。

 マーガレットでもこんなギルバートを見たのは初めてである。

 思わずマーガレットの顔も赤くなる。

「ギル。貴方こんなに可愛い顔ができますのね」

「何を言ってやがりますか」

 ギルバートはふい、とマーガレットから背を向けるように寝返りを打つ。

「顔、見せてってば」

 マーガレットは頭を下ろしてギルバートの顔を覗き込もうとする。ひたり、とマーガレットの濡れた髪がギルバートの顔に落ちた瞬間、彼は慌てた様子で振り向く。

 鼻先が、触れそうなほど顔が近かった。

 息を吐いたら吐息がかかりそうで、マーガレットは呼吸すらできない。

 ギルバートの方も数秒の間固まっていたが、顔を逸らして起き上がる。動きがぎこちないのは、体がまだ痛いせいだろうか。

「ギル、まだ横になっていないと」

「……いや、無理でしょう。お嬢様があんな近くて」

「ギ、ギルが急に振り向くからでしょう!?」

「それはお嬢様のその……!」

 ギルバートは自分の後頭部を押さえて、掻きむしる。柔らかいものがそこへ触れて動揺したのだが、マーガレットは気づいていない。

「……いえ。俺が悪いんです。雰囲気に飲まれました」

 深呼吸をしてから、ギルバートが務めて冷静な口調で言う。

「公爵令嬢様に膝枕をさせるなんて、許されることじゃありませんでした」

「わたくしが勝手にしたことよ。貴方怪我人だもの。地面に頭をつけさせるわけにはいかないわ」

「気をつけてくださいね」

「なにを?」

「怪我人だからって、男の頭を」

「何言ってるのよ。ギルじゃなかったらやってあげないわよ」

「……お嬢様。俺は今、冷静になれそうにないので。言動には気をつけて欲しいんですが」

「生意気な要求ですわね」

「俺を男として見ていないという意味なら構いません。どうかこれからもそれでお願いします」

「……ギルはずるいですわ。わたくしのことを惑わせておいて、そんなことを言うなんて」

「俺がお嬢様を惑わせるなんて、あるわけないですよ」

「だって! 貴方がノアにあんな事を言うから……その、意識しちゃったじゃない」

「あれは失言でした。どうしてもあの男はお嬢様から遠ざけたくて」

 失言。そう言われたことは少し胸が痛んだが、あの時至って普通にしていたギルバートの心境がやっと聞けて、マーガレットは胸が高鳴る。

「……レッドラップを警戒していたから?」

「はい」

「それだけですの? ……ヤキモチを、妬いてくれていたとか」

「否めません。お嬢様に、たまには仕返しもしたいと思ってしまったのもあります」

「仕返し?」

「お嬢様はずっと俺を振り回してきたので」

「あら。不満があるの?」

「偶にはありますよ。お嬢様は酷いことを平気でしますからね」

「貴方が次の日動けなくなるくらい、お馬さんごっこに付き合わせたこと?」

「いや、あれも酷かったですけど確かに」

「じゃあ、わたくしがうさぎを追いかけて迷子になって、貴方がしこたま怒られる羽目になったこと?」

「……そんなこともありましたが、そうじゃないでしょう。本気で言ってますか?」

「言ってくれないとわからないわ……」

「……あの頃のお嬢様は、まだ会ったこともない王子様に夢中で、やれ剣技が強いらしい、勉学に秀でているらしいと、王妃になるのをそれはそれは楽しみにしていて」

 転生以前のマーガレットの話である。自分は王妃となる特別な人間なのだと、単純に浮かれていた頃だ。

「子供の頃の俺はバカだったので、それを聞く度に剣をがむしゃらに振ってみたり、図書館の本を片っ端から読んでみたり」

「……そんなことしてましたの?」

「でも、そんなことをしてもどうにもならなかったんですよ。お嬢様は、もっと頑張っていたので」

「わたくしが?」

「浮かれて憧れてるだけじゃなくて、王妃になるための厳しい淑女教育を受けているお嬢様の姿も見ました」

「あぁ……確かにあれは大変でしたけれど……。ルークラフト家では当たり前のことですわ」

「当たり前にあれなんですよね。お嬢様の暮らしというのは。俺なんかがどんなに頑張ったところで、手の届く人では無いというのを、俺は学びました」

 はぁ、とギルバートは頭を下げる。そのまま項垂れるように、自分の両膝に顔を埋めた。

「それなのに……よりによってその王子と初めて会う、婚約の現場に俺を連れて行ったりして。……いや、わかってますけど。オリビア姫様を助けるためだったのは。でも他の男から求婚を受けるお嬢様を直接見に行くという話は、すごく嫌でしたよ」

 これは転生してからの話だ。あの頃のギルバートはいつだってやる気がなさそうで、飄々として何を考えているかわからなかったのに。

 いや、確かに嫌そうな顔はしていた。マーガレットはただ面倒なだけかと思っていたのだが。

「それでも俺はあの時、王子様には好感を持ったので、お嬢様は結婚したら幸せになれるのだろうと納得しました」

「婚約、結んでませんわ」

「そんなこと問題では無いです。お嬢様が殿下とハンナさんをくっつけたがっていたように、俺もお嬢様と殿下が結ばれるよう希望していました」

「………え? わからないわ。どうしてそうなるんですの?」

 マーガレットは混乱した。

「だって、今貴方が言うのは、わたくしにずっと、その……恋心を抱いていたように聞こえますわ」

「そうですよ」

「……っ。それならどうして、殿下と結ばれることを望みますの?」

 勇気を持って言ったのにしれっと即答されて、思わず照れてしまうマーガレット。

「お嬢様が、魔女ではないからです」

「どういうこと?」

「お嬢様が悪名高い魔女ではなくて、由緒正しき公爵令嬢であれば、そこに障害は無いじゃないですか」

「あ……」

「それに俺はどうしたってあの王子には勝てないですよ。家柄も、剣技も、勉学も、容姿も、お嬢様が褒め称えることは何一つ」

「それはアレクを褒め称える言葉だからでしょう。ギルはギルで、アレクより優れていることはたくさんあるわ」

「そういう問題じゃないんですお嬢様。わかりませんか? お嬢様なんです、俺にとってあなたは」

「……家柄とか、身分の話、ですの?」

「端的に言えばそうです。俺がどんなに頑張っても、そこは変わらないです」

「それなら……お嬢様じゃなくて、名前で呼んで。顔を上げて、わたくしを見て」

 ギルバートは顔を上げる。困ったような。弱ったような。こんな顔は初めて見た。

「マーガレットと、呼んで。ギル」

「呼べません……」

「何度も呼んでくれたじゃない」

「今は、仮面をつけていません」

「ギルに呼んで欲しいのよ」

「俺にはその勇気も、覚悟もないです」

「わたくしだって、あなたが、」

「駄目ですよ」

 ギルバートはマーガレットの言葉を遮って、首を振る。

「言わせてもくれないの?」

「………俺はそれを、受け止められません」

 マーガレットは胸がギュ、と締め付けられるように傷んだ。涙が込み上げて来そうになるのを、ぐっと堪える。

「酷いわ、ギル」

「申し訳ありません、お嬢様。でも、どうか俺に……俺に、お嬢様が魔女だったら良かったなんて、思わせないでください」

 泣きそうなマーガレットの顔を見ていたギルバートの方が、泣いていた。

 マーガレットはギルバートの泣き顔を初めて見た。

 心はこんなにも悲しいのに、愛しくて、可愛らしくて、可哀想で。そんな感情がぐちゃぐちゃに巡って来る。

「それでもお嬢様を助けるまでは、一緒にいさせて欲しいです」

 溜め込んでいたギルバートの感情が、決壊している。きっとこれは、そんな涙だ。

「……怒るわよ、ギル」

 ギルバートの言い分はマーガレットにとってはかなり身勝手なものだった。けれど、マーガレットは咎めることが出来ない。だってギルバートはずっと、ずっとこんな気持ちを抱えて、押し込めて生きてきたのだ。隣にいて少しも気づいていなかったマーガレットに攻める資格はない。そう思った。

「わ、わたくしが、貴方をっ……て、手放すわけが……ないでしょう……!?」

 今度はマーガレットが泣き出していた。

 見えない敵に抗っていても、2人ともまだ、なんの力もない16歳にもならない子供なのだ。家にも翻弄されるし、不器用なのである。

「………良いわ。偶には貴方の言うことを聞いてあげる」

 しばらく泣きじゃくって、落ち着いてきたマーガレットが言う。

「ねぇギル。こんな伝説を知っていて? メイガス・リバーの魔女は嫉妬深くて、他人の幸せが許せないの。だから、ここで好き合った男女のことは、無かったことにできるのよ」

「聞いたことないですね」

 ギルバートが知らないのは当然である。

 なぜならこんな話は、マーガレットが今でっち上げたものだから。

「ねぇ、ギル。貴方が好きよ」

 マーガレットはギルバートの左の手を握り、寂しそうに笑う。

「……俺も好きです。お嬢様」

 ギルバートは答えて、冷えきった右の手でマーガレットの頬に触れ。

 そして互いに、恋心を忘れるためのキスを交わした。
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