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ギルバート・フォーブスの呪い

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 マーガレットとギルバートは、公爵家の近衛兵に背負われている。

 あの後、捜索に来た兵士の顔を見た瞬間、ギルバートは気を失ってしまった。満身創痍で血もかなり流れていたし、だいぶ気を張っていたのだろう。やたらと素直だったことや、弱っていたのも、そのせいかも知れない。

 あんなギルバートは、もう見ることは無いのだろうけれど。

「……ねぇ、お兄様とイザベラ様は?」

 今にも落ちそうなほど疲れ果ててはいるけれど、眠る気にはなれない。さりとて、心の中はぐちゃぐちゃになっているから、マーガレットは別の話題を兵士に振ってみる。

「……イザベラ様は現在、ジークフリード様に捕らえられ。お部屋に監禁した状態です。牢にぶち込めと騒ぎ立てておられましたが、さすがにカイロスの侯爵令嬢を、そのような扱いにするわけにもいかず」

「騒ぎ立てたって……お兄様が!?」

「そうです。イザベラ様に対して、あんなにお怒りになられた姿は見た事がなかったですよ」

 にわかに信じがたかった。あんなに溺愛していた婚約者を、仲の良くない妹のために。

「今はマーガレット様を必死で探しておられるでしょう。伝令は走らせましたから、ご無事なことが一刻も早く伝わるといいですね」

「お兄様はご無事なのね……」

 イザベラが何故あんなことをしたのか。どうして足元があんなふうに危険なことになっていたのか。気になることは沢山あるけれど、思考が追いつかない。

「イザベラ様に、話を聞かなければ……」

「危険ですよ。殺されかけたのですから」

「でも、わたくし死んでませんわ」

「そういう問題では無いでしょう」

「そうかしら? ……頭が回りませんわ」

「お休みください。お疲れでしょう」

「そうするべきね……」

 マーガレットは目を閉じる。視覚が無くなると、先程のギルバートの唇の感触を思い出してしまう。とても嬉しくて、でもそれ以上に悲しい。

 無かったことになんて、最初からするつもりはない。

 マーガレットの花言葉に『

秘めたる恋』というものがある。忘れられるわけがなければ、秘めればいい。思い出はもう、貰ったのだから。


***


 体を洗って、マーガレットは少し眠った。

 午前中の出来事だったので日はまだ沈んでいない。

 体の方は少しだけ痛かった。けれど細かい擦り傷などがある程度で、大した怪我もない。

「ギルは?」

 その分怪我をしたのはギルバートなのだろう。部屋にいるメイドに彼の所在を問う。

「彼は怪我も酷いので、まだ眠っているそうですよ」

「どの部屋? 案内して」

「いえ、まだお休みになっていてください」

「命令よ。ギルの部屋へ」

「は、はい……」

 実家での我儘お嬢様は健在である。

 無理やり案内させて、ギルバートの部屋にいた使用人も追い出す。

 ギルバートは、聞いた通りまだ寝ていた。

 体は拭いてもらったのか綺麗になっていた。足に包帯が巻かれ、大きな擦り傷には薬が塗られている。

 どこか骨が傷んでいるかもしれないから、絶対安静とのことだ。熱もあるらしい。

 時折呻き声を上げるので、痛みがあるのだろう。或いは……。

 マーガレットは寝顔を見つめた。よく知っている銀髪の、知らないギルバート。

 触れてみるといつものゴワゴワとした髪質と違い、柔らかくしなった。

 額に乗せられた布はすぐに熱くなっていたので、取り替えようと持ち上げた。

「あ……お嬢様」

 絞り出したような掠れ声だった。

「気づいたの? まだ寝ていてよろしくてよ」

「言われなくても、起き上がれそうにないですよ」

「助けてくれて、ありがとう」

「生きてて良かったです。怪我をさせてしまいましたね」

「それは貴方でしょうに」

「でも、顔に」

 ギルバートはマーガレットの頬に貼られた絆創膏を見る。

 森にいた時はお互いに泥だらけで、傷なのか汚れなのかわからなかったが、薄い傷になっていたのだ。

「大したことないわ。お嬢様のお顔の傷は、命をかけても必ず治しますってお医者様も」

「それならいいですが……」

「もし傷が残ったら、責任とってくれる?」

「どんな折檻でも受けますよ」

「……そうじゃなくて。あぁ、でも。責任。悪くない考えだわ」

 マーガレットは絆創膏に触れながら、半ば本気で考えた。マーガレットの顔に大きな傷ができたら、王妃としては見栄えが悪い。しかしギルバートは気にしないだろう。

「……やめてくださいね?」

「冗談よ」

 目が本気だったのか、ギルバートが疑り深い顔でマーガレットを見ていた。

「……お話は、できるかしら?」

「そうですね。目が冴えました」

「今度こそ、洗いざらい話して」

「何から話せばいいか」

「じゃあまずは……」

 マーガレットは絆創膏の端を指で弄びながら考える。

「貴方の顔の話ね。ね、あれはやっぱり、特殊メイクとかなの?」

 シャーマナイトの顔の火傷跡。本物にしか見えなかったけれど、そんな技術があるのだろうか。

「あれは本物ですよ」

「だって、貴方の顔は綺麗よ?」

「あれが代償で、寝てしまうのが嘘なので」

「……あ。そうよね。そこも矛盾しているわ」

「母の加護は、生まれた子に祝福を送ること、という話はしましたね」

「ええ。具体的には聞いていないけれど」

「病や怪我から、その子を守るという加護です。幼い時分限定らしいですが」

「優しくて素敵な能力ね」

「はい。しかし代償は素敵なものじゃないです」

「……どんな?」

「術者がこれから宿す子供が、その子の病や怪我を引き受けるとこになるわけですよ」

「そんな……」

「母の故郷の王室では、なかなか世継ぎが生まれなかったそうです。それで、ようやく授かった王太子に、祝福が送られました」

「それがギルのお母さんのお仕事ね?」

「そうです。そしてある日の夜更けに、王を恨む使用人が王太子に熱湯を注いだらしいです。なので俺は、夜だけ顔が爛れます」

「そんな……! 痛みはありますの?」

「成長と共になくなりました。いまは引き攣れる程度ですね」

「それでも辛いわね……」

「母さんは呪いを受けた子供を産まなくてはいけなかった。そうしないと、代償は倍になって王太子に降りかかると」

「代償を受ける人間が、移動する可能性があるということ……?」

 マーガレットはしばし思考する。ハンナの代償を誰かが肩代わりすることも可能だろうか。

「それでようやく生まれた銀色の髪の子供が俺でした。銀色の髪は呪いの証だそうです。母の故郷では忌まれる髪色らしいので、毎朝黒い染料で染めさせられてました」

「面倒臭がりの貴方が、よくそんな事していたものね」

「慣れれば着替えのついでみたいなもんですし。何より、俺の髪を見ると母さんが辛そうな顔をするので」

 なんの罪も無い息子が毎晩、火傷に苦しむ。それはフォーブス夫人にとってどれだけの罪悪感となるだろう。マーガレットはあの平和なフォーブス家の影を目の当たりにして、言葉に詰まる。

「……フォーブス家が狙われたのは、もしかしてそこに理由があるのかしら。ほら、ギルがいなくなると、代償がまた跳ね返るとか。それを望んでいる人間がいても、おかしくない話じゃない」

「全く有り得なくは無いですが……それならば、俺個人の命を狙えばいいだけですからね。母はもう力を使えませんし、まして俺は夜に火傷するだけで、フォーブス家はやはり、田舎の男爵家でしかないと思いますが」

「本当にそうかしら?」

「俺がそんなに特別なやつだと思いますか?」

「平凡な人間は、夜な夜な怪盗なんかに変身しないのよ」

「ごもっとも」

 ギルバートの新たな話が出た以上、あの事件の真相は気になるけれど、ひとまず置いておくことにした。もう1つ、それより気になる件がある。

「どうして、貴方が怪盗なの?」

「その話、あんまりしたくないんですが」

「駄目に決まっているでしょう? 散々わたくしに嘘や隠し事ばかり。信用なくなってますわよ」

「……お嬢様の話の中の俺は、何をしていたのかって。ずっと気になってたんですよ」

「あぁ……」

 マーガレットは思い出す。思い出の中で、一番暗い顔をしたギルバートを。

「お嬢様が処刑されるほどの目に遭っているというのに、俺は何もしていなかったのかって。そこがまぁ不満というか……ショックで。それで」

 ギルバートはマーガレットから目線を逸らし、窓の外を見る。日が陰ってきた。

「……お嬢様から、銀髪の謎の男の話を聞いたので」

「怪盗シャーマナイトね」

「何だかあんまり詳しく話してくれないので、もしかしたら恋仲とかだったのかと思ったら、その。……どこの誰だそいつは、と」

 つまり、それは嫉妬だろうか。多分そうなのだろうけれど、突っ込めない。顔が赤くなるだけである。

「でも、もしそいつが俺なら、って思ったんですよ。だって俺も銀の髪ですし、結構珍しいでしょう、これ」

「そうね。とても綺麗」

 クロノスにおいて銀髪は、全く居ない程では無いが、あまり見かけない。現にギルバートの髪も、遺伝由来では無いわけだ。

「それにしても、わたくし彼のことはほとんど語らなかったのに、よくあんなに再現出来ましたわね」

「俺がもしそれをやるなら、自分とはかけ離れた人物像を演じると思いました。試しにやってみたら、お嬢様は違和感を覚えた様子もないし、どうやら本物が現れる様子もないし、あぁやっぱり俺なんだなって」

「ふふっ。確かにギルとは思えませんでしたわ。誰か、モデルはいますの?」

「……王太子殿下、ですよ。俺の知り合いの中で一番、キザな台詞を吐き出すでしょ」

「まぁ、アレクですの?」

 マーガレットは怪盗の口調を思い起こす。どことなく、納得できる気もした。

「やってみたら案外暗躍しやすいし、割と便利でした。お嬢様が危なっかしいので監視の意図もあったんですが、その。……まぁ、それはもういいですよね。終わった話です」

 それがいつの間にか逢瀬を楽しんでいたということか。確かに普段のギルバートといるよりも、スリルやドキドキがあるデートだった。

 ギルバートはそれも終わらせたつもりなのかと、心が傷む。先程の極限状態から回復したせいか、普段の淡々とした調子が戻っていて、冷たくすら感じてしまう。

 恐らくわざとそうしているのだろうとマーガレットは思った。

「……それにしても、怪盗行為はどうしてですの?」

 マーガレットは辛くなるので、話を逸らす。

 彼の拒絶は受け入れると決めたのだから。

「以前のことは知りませんが。今回は隠し通路が教会だったので、街の教会も怪しいと思って入り込んだんです。そうしたらですね、宗教絵画の裏に隠し部屋がありまして。まぁ酷いことが起きていたんですよ」

「酷いこと?」

「人身売買です」

 マーガレットは息を飲んだ。街で遭遇した際に、ノアも言っていた。学園都市島としてのクリーンなイメージからは想像できない。

 けれど実際に、マーガレットだってすぐさま捕まって、売られそうになったのだ。

 あの島は、そもそも何かある。そんな不穏な予感に、背筋が凍った。

 ギルバートは語り出す。怪盗が見た、その世界を。
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