私の運命は高嶺の花【完結】

小夜時雨

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終章・女神

家庭を作り、安らかに……、

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 三度も人生を送っているのに、私は男の人生でも女の人生でも子供を持ったことがなかったので、どうやって産めばいいのか親になる気概とか心構えとか、いずれ訪れるであろう未来へ気が逸るも、まずは帰宅した夫を迎え入れねば。
(伝える、ってこんなにも緊張する……)
奥様、がんばれ! という応援は背中からひしひしと感じるも、手に汗を握る。
(うう……)
 馬の軽やかな蹄とともに、人の気配が慌ただしく増えていく。
自分の部屋で椅子に座っているだけだというのに、このドキドキ感。

「ヴィクリス様……」

 深呼吸をして気合を入れて立ち上がる。
部屋にある鏡、そこに映る女は陰惨ではなく未だかつて見たことがない顔をしていた。
人生の折り返し地点にいる私。お腹に手を当てる。
私もこうやって人の中にいて生まれてきた。記憶と感情を抱えて。
(彼は、どういう思いをして生きてきたのだろう)
改めて考えてみるが、遠い記憶はまるで木立に降り注ぐ雪のように儚い。
仰げば、きっと青いのだろう。まるで何事もなかったかのように晴れ渡る空。
気にしても仕方のないことは多い。

「あ……」

扉が開かれ、やってきた彼は肩に息をしていた。
私を見て、今にも泣きそうな、くしゃりとした笑み。
王家の慶事だし誰かが知らせたのだろう……それは残念だったが、私の名前を呼びながら駆け寄ってくる彼の破顔は心からのものだと私は理解し、私もまた、喜びに顔を緩ませるのだ。自然と。

 ヴィクリス様は、それはもう嬉しくて嬉しくてたまらない、とばかりに私のお腹に耳を当ててニコニコとしている。
毎日毎日、そうしている。
彼だって過去は過去、子供を持っていたと言うのに……ソワソワと、日々、我が子のためのおもちゃやら何やら……暇を見つけては探し出して部屋いっぱいに物を詰め込んでいる。私が宝石やらドレスやらいらない、と公言しているので注がれる対象が赤子に移ってしまったようだ。現時点でこの状態だと、生まれたらどうなるんだろう……誕生する前に誕生してしまった親馬鹿っぷりに拍車がかったらどうしよう、と私は別の心配をしてしまった。

 安産だった。
破水し、とんでもない痛みにあれは果たして安産だといっていいのだろうか?
と疑問を呈するしかないが、尽き果てた末の私は疲弊している。やっと終わった、と言える大仕事に、生まれたての赤ん坊のあまりの小ささ、温もりに、赤ん坊も大事だが……、ちら、と億劫なので視線だけ向けると、そこには赤子よりも号泣しているヴィクリス様がいらした。私も泣いたけど私よりも涙を流し、唇を噛み締めている……。

「ぐ、ううう、お、俺の……うううう、
 赤ちゃん……」

 普段の冷静な王子様然としていた姿はどこへいったのだろうか。
恐る恐るといった姿勢で赤子を腕にかき抱き、ぐずぐずと肩を震わせている。

「ありがとう、ありがとう……うううぅう」

 そして感謝をしながら私の額に口づけをし、赤ん坊にもキス。
感情の爆発に忙しそうなヴィクリス様のご様子に私は……胸の内に懸念が過ぎ去り、安堵感が広がった。

 今後、私はもう一人、二人三人と家族を産み続けることになる。
ヴィクリス様の、あの感動的な号泣はそのたびに発露され……普段の堂々とした振る舞いしか知らなかった父に尊敬の念を抱いていた長男はすっかり慣れたものでそそくさと部屋の隅へ行き、初見だった長女は驚きすぎて乳母の側から決して離れず……ヴィクリス様にしばし怯えた。

 賑やかになった私たち一家。
その絵姿は飛ぶように売れ、ヴィクリス様に至っては貨幣にもなった。

 情報紙たる新聞も王家の傍流とはいえ、賑々しい家庭を載せ続ける。
未成年の顔は出さないが日々の過ごし方は流れ出るもので、本家本元のアネモネス王家はわかっていてやっているのだろう。隣国とも安定的な仲であるし、幼少時からの夫の成し遂げたものが素晴らしかった。

 ヴィクリス様の忙しさは増しに増し、とうとう……王位継承権ですら、やってきてしまった。
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