盲目的献身

耽読乙女

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死而不亡

1. 教祖は憑霊した

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……夜のざわめきが、耳の奥で泡立っている。

久世くぜはじめは、路地裏のゴミ捨て場で目を覚ました。
湿ったコンクリートの冷気。
鼻腔を刺す、生ゴミと酒精の混じった臭い。
遠くでは居酒屋の喧騒と、終電間際の笑い声が重なっている。

こめかみに鈍い痛みが走り、反射的に手を当てた。
上体を起こすと視界がわずかに揺れ、呼吸の間が掴めない。

右手には、ラベルの剥がれた酒瓶が握られていた。中身はほとんど残っておらず、底の液体が遅れて揺れる。

視線を巡らせ、記憶を辿る。

児童養護施設。
炎。煙。悲鳴。
そして、あの情けない男の震える指と、引き金。

久世くぜはじめは、そこで生が途切れたはずだった。

背後で短い振動音が鳴る。
後ろポケットから取り出した端末は、記憶にあるものより薄く、軽い。縁の形も、画面の質感も異なっていた。

ロックを解除する。
表示された日付を見て、動きが止まる。

2038年11月18日。

状況を処理しきれないまま立ち尽くしていると、背後から声がかかった。

「お兄さん、大丈夫? 救急車呼ぼうか?」

振り返ると、酒気を帯びた若者が数人、こちらを覗き込んでいる。
久世くぜはじめは首を横に振り、短く答えた。

「……大丈夫です」

それ以上のやり取りを避け、その場を離れる。



辿り着いたのは、繁華街の一角にあるネットカフェだった。
久世はじめは個室に入り、椅子に腰を下ろした途端、肺の奥から息が抜ける。

仕切り板の向こうから、誰かの咳と、キーボードを叩く乾いた音が断続的に漏れてくる。空調は効きすぎていて、指先が冷えた。

久世はじめは椅子に沈み込み、端末の電源を入れた。

感覚は現実的だった。
痛覚も、平衡感覚もある。
それなのに、鏡を見ずともわかる。これは自分の身体ではない。

スマホの内カメラを起動する。

画面に映った顔を見て、強張った。

栗色の髪、アンニュイなパーマ。
色白の肌とは対照的な血色の良い薄桃色の唇。
切れ長の目元は伏せがちで、長い睫毛が自然に影を作っている。
端正な顔立ちの美男子が写っていた。

久世くぜはじめはカメラを切り、端末内に表示されるスマホ所有者の名前を確認する。

アカウント名――ひいらぎ伊織いおり

その名を見て、指の動きが止まった。

この男を、久世くぜはじめは知っている。
宗教を共に立ち上げた男、ひいらぎ恒一郎こういちろうの実子だった。

十四年前、父の背に隠れながらこちらを見上げていた少年。
母親似の栗色の癖毛が印象的だった。
その記憶と、現在の画面の人物とを、静かに照合する。

通知音が、立て続けに鳴り始めた。

ミカ
『伊織~今どこ? まだ勃つでしょ? ラブホ直行でよくない?』

カナ
『寂しい…明日空いてる?』

メイ
『また合コンで女持ち帰り?笑 マジ節操なさすぎ。梅毒もらっても知らんからねww』

……なんて下品なのだろうか。

久世くぜはじめは無言でスクロールし、すべてを把握してから、淡々とブロックした。
かつて父の背に隠れていた少年は、夜遊びに耽る不貞の息子へと変わったらしい。

久世くぜはじめは眉を寄せ、ネットカフェ備え付けのPC端末に向き直り、少し悩んだ後に検索フォームにキーワードを打ち込む。
検索窓に打ち込んだ文字は、途中で消して、また打ち直した。

「2024年 児童養護施設 火災」

上位に表示された記事をクリックする。

――白苑慈育院火災事件はくえんじいくいんかさいじけん

公式発表は、久世くぜはじめの知る事実と大きく異なっていた。
記事には孤児14人、関係者4人、そして宗教法人 白苑会はくえんかいの教祖が火事に飲まれ犠牲になったと記載されている。
出火原因は夜勤警備員のタバコの不始末。
その場にいた人の証言では教祖は孤児を助けるために自ら火の中に飛び込んだと書かれていた。
事件は整理され、削られ、都合のよい形で固定されていた。

一通り読み終え、背もたれに体重を預ける。

私が開祖した白苑会はくえんかいは、どうなったのだろうか。

そう思い、関連情報を辿っていくと、白苑会は存続していることを知った。
それどころか、規模を拡大し、組織として再編されている。

現教主――ひいらぎ恒一郎こういちろう

さらに記事を読み進め、久世くぜはじめは画面を見つめたまま動きを止めた。

火災事件を題材にした映画。
教祖を英雄的に描いた実録作品。

これが、転機だったのだろう。

信者数、一万人を超え、
事件以降、右肩上がり。

まさか、自身が英雄譚にされるとは思わず、恥ずかしさに顔を覆いかける。

自分が退いたあと、ほどなく衰弱し、自然に解散すると考えていた組織が、
ここまで成長しているとは思っていなかった。

久世くぜはじめはデスクに突っ伏した。
……この身体の本来の持ち主、ひいらぎ伊織いおりの魂は、どこへ行ったのか。

ふと、幼い頃の無邪気な笑顔をしたひいらぎ伊織いおりの笑顔を思い出し、顔を曇らせた。

久世くぜはじめは静かに息を吐き、夜が明けるまで手元のスマホを操作し続けた。
白苑会はくえんかいへ向かうため、ひいらぎ伊織いおりという男の履歴を、ひとつ残らず頭に叩き込んだ。
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