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宿業と執念
9. 記録官 - 1
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目を開けると、見慣れない天井が視界に入った。
白色灯の光は均一で、時間帯を判断する手がかりにならない。久世はじめは一度瞬きをし、ゆっくりと上体を起こした。
「伊織さん、目が覚めたんですね」
声の方向に視線を向けると、白衣を着た中年の男が椅子に腰掛けていた。表情は穏やかで、こちらを観察するような視線でもない。
「……ここは、どこですか」
沈慈恩の車に乗って以降の記憶は、ところどころが途切れている。
「白苑会 の一時保護室です。昨日の夕方ごろ、沈慈恩導師が貴方を運んで来られました。つい先ほどまで付き添っておられましたが、職務に戻られましたよ」
説明を聞きながら、久世はじめは視線を落とした。
自分のために時間を割かせてしまったことに申し訳なさを感じた。
「……ありがとうございます。お手数をおかけしました」
「いえいえ。事件に巻き込まれたそうですね。おそらく精神的な負荷による発熱でしょう。今は安静が一番です」
医師らしき男は終始柔らかく、必要以上の詮索はしなかった。
「シャワーを浴びたいのですが」
「ええ、もちろん。高熱で汗もかかれましたからね。右手にあります。何かあれば、遠慮なく呼んでください」
深く一礼し、男は部屋を出て行った。
シャワー室で鏡の前に立った瞬間、久世はじめはわずかに動きを止めた。
映っているのは 柊伊織の身体のはずだが、髪と瞳の色が、記憶よりも淡く見える。
考えるのをやめ、湯で体を流す。
用意されていた衣服に袖を通すと、それが一般信徒用の服であることが分かった。
着替えを終えたところで、扉を叩く音がした。
「……すまない。シャワー中だったか」
扉を開けると沈慈恩が立っていた。濡れたままの髪から水滴が落ちているのを見て、一瞬、視線が逸れる。耳がわずかに赤い。咳払いで誤魔化すような仕草だった。
「いえ。こちらこそ……昨日はありがとうございました。医師から、ここまで運んでくださったと聞きました」
「気にしなくていい。体調は?」
「一晩眠って回復しました。明日には助手として復帰できます」
その言葉が終わる前に、沈慈恩の両手が伸び、久世はじめの頬を包んだ。
強くはないが、逃げ場を塞ぐ力だった。自然と視線が引き上げられ、沈慈恩の墨色の瞳に吸い込まれそうになる。
「柊伊織、貴方の瞳は、こんなに薄かったか」
久世はじめは反射的に手を払った。
「……勘違いです。部屋の光のせいでしょう」
沈慈恩は何も言わず、数秒間、黙ってこちらを見ていた。
「……そうだな。私の勘違いだ。明日、問題なければ私の部屋に来てくれ」
それだけ告げると、踵を返し、廊下へと消えた。
扉が閉まった後、久世はじめは視線を落とした。
慈恩の指摘通り、違和感は否定できない。髪も、瞳も、色素が抜け始めている。
最悪の仮説が浮かぶ。
柊伊織の肉体が、完全に同化し始めているのではないか。
前世の 久世はじめは、軽度のアルビノだった。
白金の髪、血色のない白磁のような肌、薄い桃色の瞳。
首を振り、思考を遮断するために頬を打つ。
まずは事件について整理するべきだ。
昨日の老信者、そして以前の神奈川の怪奇事件。共通点は存在している。
久世はじめはこの現象について心当たりがある。
白苑会の上層信者――高額奉納者向けに供与されていた特別供与物「 恩寵供与」
万病に効くとされ、依存性の高い薬物。持続性があり、一錠で二週間の多幸感をもたらし、三週目に禁断症状が出る。用法を守れば致死性はなく、タバコより安全だと説明されていた。
過去に、一瓶を丸ごと服用した者がいた。
一日目は恍惚、二日目には家畜の血を求め、三日目に自死を選ぶ。
それ以降、配布は一錠ずつに制限された。
老信者と、その金持ち。
死因は異なるが、共通点がある。正三角形を描くように並んだ三つの赤い朱点だ。老信者には左手首に、金持ちにはうなじにそれが発現していた。
そして沈慈恩が言っていた。
神奈川の事件と、今回の老信者。首元に穿刺痕があった。
関連性は、否定できない。
久世はじめは短く息を吐くと静かに服の前を開き、鎖骨の下を覗いた。
そこには、三方の均衡を保つように点在する赤い朱点があった。
この朱点は久世はじめが憑霊する前から存在していた。
―― 柊伊織はこの怪奇事件に巻き込まれていたのだ。
◆
翌日、久世はじめは沈慈恩の部屋の前で足を止めていた。
昨日の指摘が、頭に残っている。
他の信者は 柊伊織の些細な容姿の変化など気にも留めない。髪色について問われれば、染めたと説明すれば済む。だが沈慈恩に対して、それは通用しない。
扉の前を行き来していると、内側から音もなく扉が開いた。
「……何をしている。早く入れ」
眉を寄せた沈慈恩に促され、中へ通される。
久世はじめは反射的に顔を伏せたが、すぐに呼吸を整え、挨拶をした。
「沈慈恩導師、おはようございます」
室内に入った瞬間、視界の端で人影が動いた。
ソファに腰掛けていたのは、一人の女性だった。
久世はじめは、わずかに目を見開く。
記録官、東雲澪だった。
銀縁の眼鏡越しに向けられる眼差しは穏やかで、知性と慈愛が同居している。濡れ羽色の髪はセミロングで、艶やかに整えられていた。淡紅色の唇が微かに弧を描き、年齢を重ねた落ち着きと、都会的な洗練を感じさせる。そこにいるだけで場の空気が静まる、包容力のある佇まいだった。
東雲澪は珈琲を一口含むと、軽やかに声をかけた。
「伊織君、大きくなったね。こんなに美男子になっちゃって。おばさんのこと、覚えてる?」
「もちろんです。記録官」
「もう。昔みたいに澪お姉ちゃんって呼んでいいのよ?」
そう言うと、東雲澪は遠慮なく 久世はじめの背中を叩いた。
久世はじめは、短く息を吐くようにして苦笑した。
「どうして、記録官がこちらへ?」
そう問いながら、二人を見比べる。
記録官と導師に、目立った接点はないはずだった。一瞬、別の関係性が頭をよぎる。
沈慈恩は、その誤解を察したのか、片眉を僅かに吊り上げた。
「東雲澪とは同盟を組んでいます」
「同盟?」
久世はじめは、そのまま言葉を返す。
東雲澪は微笑み、沈慈恩の言葉を引き継いだ。
「そう。私たちは白苑会の裏で行われていた悪事、十四年前の事件、そして今起きている怪奇事件――その情報を、互いに取引しているの」
静かな声だった。
だが、その内容は、場の空気を確実に変える重さを持っていた。
白色灯の光は均一で、時間帯を判断する手がかりにならない。久世はじめは一度瞬きをし、ゆっくりと上体を起こした。
「伊織さん、目が覚めたんですね」
声の方向に視線を向けると、白衣を着た中年の男が椅子に腰掛けていた。表情は穏やかで、こちらを観察するような視線でもない。
「……ここは、どこですか」
沈慈恩の車に乗って以降の記憶は、ところどころが途切れている。
「白苑会 の一時保護室です。昨日の夕方ごろ、沈慈恩導師が貴方を運んで来られました。つい先ほどまで付き添っておられましたが、職務に戻られましたよ」
説明を聞きながら、久世はじめは視線を落とした。
自分のために時間を割かせてしまったことに申し訳なさを感じた。
「……ありがとうございます。お手数をおかけしました」
「いえいえ。事件に巻き込まれたそうですね。おそらく精神的な負荷による発熱でしょう。今は安静が一番です」
医師らしき男は終始柔らかく、必要以上の詮索はしなかった。
「シャワーを浴びたいのですが」
「ええ、もちろん。高熱で汗もかかれましたからね。右手にあります。何かあれば、遠慮なく呼んでください」
深く一礼し、男は部屋を出て行った。
シャワー室で鏡の前に立った瞬間、久世はじめはわずかに動きを止めた。
映っているのは 柊伊織の身体のはずだが、髪と瞳の色が、記憶よりも淡く見える。
考えるのをやめ、湯で体を流す。
用意されていた衣服に袖を通すと、それが一般信徒用の服であることが分かった。
着替えを終えたところで、扉を叩く音がした。
「……すまない。シャワー中だったか」
扉を開けると沈慈恩が立っていた。濡れたままの髪から水滴が落ちているのを見て、一瞬、視線が逸れる。耳がわずかに赤い。咳払いで誤魔化すような仕草だった。
「いえ。こちらこそ……昨日はありがとうございました。医師から、ここまで運んでくださったと聞きました」
「気にしなくていい。体調は?」
「一晩眠って回復しました。明日には助手として復帰できます」
その言葉が終わる前に、沈慈恩の両手が伸び、久世はじめの頬を包んだ。
強くはないが、逃げ場を塞ぐ力だった。自然と視線が引き上げられ、沈慈恩の墨色の瞳に吸い込まれそうになる。
「柊伊織、貴方の瞳は、こんなに薄かったか」
久世はじめは反射的に手を払った。
「……勘違いです。部屋の光のせいでしょう」
沈慈恩は何も言わず、数秒間、黙ってこちらを見ていた。
「……そうだな。私の勘違いだ。明日、問題なければ私の部屋に来てくれ」
それだけ告げると、踵を返し、廊下へと消えた。
扉が閉まった後、久世はじめは視線を落とした。
慈恩の指摘通り、違和感は否定できない。髪も、瞳も、色素が抜け始めている。
最悪の仮説が浮かぶ。
柊伊織の肉体が、完全に同化し始めているのではないか。
前世の 久世はじめは、軽度のアルビノだった。
白金の髪、血色のない白磁のような肌、薄い桃色の瞳。
首を振り、思考を遮断するために頬を打つ。
まずは事件について整理するべきだ。
昨日の老信者、そして以前の神奈川の怪奇事件。共通点は存在している。
久世はじめはこの現象について心当たりがある。
白苑会の上層信者――高額奉納者向けに供与されていた特別供与物「 恩寵供与」
万病に効くとされ、依存性の高い薬物。持続性があり、一錠で二週間の多幸感をもたらし、三週目に禁断症状が出る。用法を守れば致死性はなく、タバコより安全だと説明されていた。
過去に、一瓶を丸ごと服用した者がいた。
一日目は恍惚、二日目には家畜の血を求め、三日目に自死を選ぶ。
それ以降、配布は一錠ずつに制限された。
老信者と、その金持ち。
死因は異なるが、共通点がある。正三角形を描くように並んだ三つの赤い朱点だ。老信者には左手首に、金持ちにはうなじにそれが発現していた。
そして沈慈恩が言っていた。
神奈川の事件と、今回の老信者。首元に穿刺痕があった。
関連性は、否定できない。
久世はじめは短く息を吐くと静かに服の前を開き、鎖骨の下を覗いた。
そこには、三方の均衡を保つように点在する赤い朱点があった。
この朱点は久世はじめが憑霊する前から存在していた。
―― 柊伊織はこの怪奇事件に巻き込まれていたのだ。
◆
翌日、久世はじめは沈慈恩の部屋の前で足を止めていた。
昨日の指摘が、頭に残っている。
他の信者は 柊伊織の些細な容姿の変化など気にも留めない。髪色について問われれば、染めたと説明すれば済む。だが沈慈恩に対して、それは通用しない。
扉の前を行き来していると、内側から音もなく扉が開いた。
「……何をしている。早く入れ」
眉を寄せた沈慈恩に促され、中へ通される。
久世はじめは反射的に顔を伏せたが、すぐに呼吸を整え、挨拶をした。
「沈慈恩導師、おはようございます」
室内に入った瞬間、視界の端で人影が動いた。
ソファに腰掛けていたのは、一人の女性だった。
久世はじめは、わずかに目を見開く。
記録官、東雲澪だった。
銀縁の眼鏡越しに向けられる眼差しは穏やかで、知性と慈愛が同居している。濡れ羽色の髪はセミロングで、艶やかに整えられていた。淡紅色の唇が微かに弧を描き、年齢を重ねた落ち着きと、都会的な洗練を感じさせる。そこにいるだけで場の空気が静まる、包容力のある佇まいだった。
東雲澪は珈琲を一口含むと、軽やかに声をかけた。
「伊織君、大きくなったね。こんなに美男子になっちゃって。おばさんのこと、覚えてる?」
「もちろんです。記録官」
「もう。昔みたいに澪お姉ちゃんって呼んでいいのよ?」
そう言うと、東雲澪は遠慮なく 久世はじめの背中を叩いた。
久世はじめは、短く息を吐くようにして苦笑した。
「どうして、記録官がこちらへ?」
そう問いながら、二人を見比べる。
記録官と導師に、目立った接点はないはずだった。一瞬、別の関係性が頭をよぎる。
沈慈恩は、その誤解を察したのか、片眉を僅かに吊り上げた。
「東雲澪とは同盟を組んでいます」
「同盟?」
久世はじめは、そのまま言葉を返す。
東雲澪は微笑み、沈慈恩の言葉を引き継いだ。
「そう。私たちは白苑会の裏で行われていた悪事、十四年前の事件、そして今起きている怪奇事件――その情報を、互いに取引しているの」
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