盲目的な献身

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罪業深重

24. 白苑会開祖 -2

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るいが次の一歩として足を踏み入れたのは、他大学との合同で行われるインカレのゼミだった。

テーマは『向精神薬が行動心理に与える影響』。
人の心を掌握し、依存させる。そのプロセスを加速させるためには、心理学的なアプローチだけでなく、脳そのものに作用する化学的な知見が必要だとるいは考えていた。

「――つまり、特定の受容体を刺激することで、個人の不安を一時的に消失させ、対象への盲信を誘発することは理論上可能です」

ゼミの後半、質疑応答の時間にある学生が放った言葉に、るいは視線を向けた。

そこには、周囲の学生とは明らかに一線を画す、圧倒的な気品と知性を纏った青年がいた。

聖和医科薬科大学 薬学研究科、高上たかがみ慧嗣としつぐ
鶯茶色の髪をモダンに整え、剃刀のように鋭い顎のラインを持つその青年は、一目で育ちの良さと非凡な知性を感じさせた。

るいはゼミが終わった後、資料を片付ける彼に迷いなく歩み寄った。

高上たかがみさん、ですよね。先ほどの発表、非常に興味深かったです」

声をかけられた慧嗣としつぐが振り向く。そこには、陽光を弾く白金の髪と、淡い桃色の瞳を持つるいが立っていた。慧嗣としつぐは穏やかな笑みを浮かべ、その温和な眼差しでるいを真っ向から見つめ返す。

「東都文大の久世くん、かな。君のレポートも読ませてもらったよ。臨床心理の枠を超えて、いかに効率よく精神を変容させるかに焦点が絞られていた。……面白い視点だ」

二人は自然と、キャンパスの隅にある静かなラウンジへと場所を移した。

午後の柔らかな光が差し込む中、るいは目の前の青年の、隙のない洗練された佇まいに視線を向けた。

高上たかがみさんのような方が、どうして薬学の研究を? その知性と家柄なら、他にも道はいくらでもあったでしょう」

るいが探るように問いかけると、慧嗣としつぐは苦笑いとも取れる穏やかな笑みを浮かべた。

「……よく言われるよ。けれど、僕は政治や経済のような不確かなものより、もっと確実な結果が出る世界にいたいんだ。祖父が築いた製薬会社の技術を使って、既存の薬を超える革新的な新薬を自分の手で生み出したい。……僕の価値を証明するには、それが一番効率的だと思っているからね」

こともなげに語られたその言葉に、るいは内側で静かな衝撃を覚えた。

るいはゆっくりとグラスを置き、薄桃色の瞳で慧嗣としつぐを真っ直ぐに見つめた。

「実は僕にも、夢があるんです。……この不条理な世界で、行き場を失った人々を救いたい。彼らの孤独や恐怖を、根底から取り除いてあげたいんです。高上たかがみさん、あなたなら僕の言わんとすることが、分かってくれる気がして」

るい慧嗣としつぐの反応を伺った。
凡俗な人間であれば「素晴らしい志だ」と称賛するか、「理想論だ」と笑うだろう。だが、慧嗣としつぐは違った。彼は鶯茶色の髪を揺らし、獲物を観察するような鋭い知性を瞳に宿して、るいの言葉の裏側を覗き込もうとしていた。

「救済、ね。……それはつまり、君が提供する環境やシステムに、彼らの意志を完全に依存させる……という解釈でいいのかな?」

慧嗣としつぐの答えは、るいの期待を上回るものだった。
るいは椅子から立ち上がり、完璧な微笑みを浮かべた。

「……高上たかがみさん。あなたに見せたいものがあるんだけれど、この後どうかな?」




るい慧嗣としつぐを案内したのは、再開発の波から取り残され、コンクリートの骸と化したビルの廃墟だった。ひび割れた壁には黒ずんだ蔦が這い、割れた窓からは湿った夜気が忍び込む。

最上階に近い一室の重い扉をるいが開けると、そこには常軌を逸した光景が広がっていた。

「……これは?」

慧嗣としつぐの声が微かに強張る。
部屋の隅、冷たい床の上に、肥え太った中年男性が四つん這いで繋がれていた。男は裸で口枷を嵌められた状態で、犬のように太い鎖で繋がれている。

「これは僕のペットです」

るいは、何でもないことのように言い捨てた。慧嗣としつぐが呆然と立ち尽くす中、るいは四つん這いの男の背に、迷いなく腰を下ろす。男を椅子代わりに使い、優雅に脚を組むその姿は、この世の倫理を嘲笑うかのように美しい。

「……正気ですか」

慧嗣としつぐが思わず呟く。るいはその言葉を受け流し、口角を吊り上げて妖しく微笑んだ。その淡い桃色の瞳には、底知れない狂気の光が宿っている。

「見ててください」

るいは部屋の隅にある古びたスチールラックへ歩み寄り、トレイに置かれた数種類の医療用メスの中から、最も鋭利な一本を手に取った。薄暗い部屋で、冷徹な銀色の刃がるいの指先と一体化しているように見える。るいは迷いなく、四つん這いになった男の肩へ刃を突き立て、深く引き裂いた。

「……っ! ――ぐ、ううぅ、んんんッ!!」

口枷の奥から、粘り気のある、ひどく耳障りな悲鳴が漏れる。脂汗を流し、悶える男の様子は、見る者の吐き気を催させるほど醜悪だった。

口枷の奥から、肺を絞り出すような悲鳴が漏れる男を前に、るいは自らの手のひらもメスで切り裂いた。滴り落ちる鮮血を、男の開いた傷口へと無造作に垂らす。

「あ……ああぁ、ああぁあぁッ!!」

男の喉から漏れていた悲鳴は、瞬く間に獣のような喘ぎへと変わる。白目を剥き、全身の筋肉を痙攣させながら、男は自らるいの足元に額を擦り付けた。傷口が超常的な速度で塞がっていく感覚が、神経を焼き切るほどの快楽を与えているのだろう。失禁し、よだれを垂れ流しながら悶えるその姿は、人間の尊厳を完全に喪失していた。

るいはポケットから取り出した清潔なハンカチで、返り血などついてもいない指先を丁寧に拭った。
そして、足元で震え続ける男をまるで道端の汚物でも見るように一瞥してから、慧嗣としつぐへと向き直る。

その瞳からは先ほどの冷酷さが消え、交渉相手にふさわしい、理知的で柔らかい光が宿っていた。

「この血には、あらゆる苦痛を快楽に書き換え、細胞を再生させる力があるんです。……ただ、見ての通り。一度でもこれを知ってしまえば、二度と抗うことはできない。……ひどい依存性でしょう?」

るいは、足元の男には一切触れようとせず、慧嗣としつぐを真っ向から見つめて微笑んだ。

「ああ、そんなに身構えないでください。この男は、以前僕を力ずくで手篭めにしようとした人だから。今はこうして、僕のための実験体として、その罪を贖ってもらっているだけなんです。
……彼はもう、これなしでは生きていけません」

淡々と、まるでお茶の銘柄を説明するかのような口調で、るいは自らの計画を口にした。

「僕は、この血を使って宗教を作りたいんです。
孤独や絶望に蝕まれた弱き人々には、無償の救済を与え、心から安らげる居場所を作ってあげたい。……けれど、その居場所を守り続けるには、どうしても活動の基盤となる資金が必要です」

るいはそこで言葉を切り、床で悶える男を、視界に入れるのも汚らわしいと言わんばかりに無視して続けた。

「ですから、有り余る富を持った層には、この血の成分を極限まで希釈し、法に触れない形に調整して提供したいと考えています。
彼らには、心身を癒やすための寄付ドネーションとしてこの力を受け取ってもらう。
……そうして集まった善意が、結果として弱者たちを支える糧になる。素晴らしいことだと思いませんか?」

るいは再び慧嗣としつぐを見つめ、交渉者としての静かな微笑みを浮かべた。

高上たかがみさん。この血を安全に、かつ効果的に製品化するための知恵を貸してほしいんです。僕一人では、法や科学の壁を越えることはできません。あなたの知識と人脈で、この僕の理想を現実のものにしてもらえませんか?」

慧嗣としつぐは生唾を飲み込んだ。

「……もし、私が断ったらどうなる?」

るいは目を細める。

「どうもしませんよ。ただ……このお話が外に漏れるようなことがあれば、僕も自分の身を守るために、不本意ながらペットを増やさざるを得なくなってしまいます」

るいの静かな声が、廃墟の壁に反響する。
数秒の沈黙の後――慧嗣としつぐの喉から、低く乾いた笑い声が漏れた。

「……っ、はは。面白い、興味深いよ、久世るいくん。君は本当に……」

慧嗣としつぐは深く息を吐き出し、るいを見つめた。

「あいにく僕の家系は敬虔なキリシタンでね。たとえ君が相手でも、別の神を仰ぐ場所へ入会することはできない。
……けれど、研究者としての僕は別だ。
既存の薬学では説明のつかない、未知のバイオロジーだ。君のその特異な体質を解明し、僕の手で製品として完成させる。
……それは研究者として、何物にも代えがたい達成感を得られる仕事になりそうだ。ぜひ、協力させてくれ」

慧嗣としつぐが差し出した手を、るいが握り返す。

「もし良ければ、私の伝手に製薬に詳しい友人がいるから、紹介したい人がいるんだけどどうかな?」

慧嗣としつぐの提案に、るいは満足げに目を細めた。


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