改訂版 愛のエキスと聖女さま

にしのみつてる

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第1章

堤防の下の家~差別の闇~

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 オカロダ町はすでに夜の帳が降り、人々は灯りのともる家々へと足早に帰っていった。  
 テンプル通りの喧騒も静まり、石畳の道には荷馬車の車輪の音だけが響いていた。

 その一方で、アチヤ川の堤防の下に広がる集落は、まるで別世界のようだった。  
 粗末なあばら家の家々が肩を寄せ合うように並び、軒先にはなめした獣の皮が吊るされている。  
 鼻をつく獣脂の匂いと、皮革を叩いて加工する音が夜の静けさに混じっていた。

 この集落に住む人々は、イポニアの社会では「亜人」と呼ばれていた。  
 人間の姿をしていても、彼らは“人ではない”とみなされていた。  
 その理由は、彼らの出自がロキシアとその周辺国からの移民であること、そして領主の町に住んでいないことだった。

 イポニアでは、明確な差別階級が制度として存在していた。


 国王  
 ↓  
 上級貴族  
 ↓  
 下級貴族  
 ↓  
 平民(領都市民)  
 ↓  
 亜人・村人(非市民・移民)


 この階級制度は、アンギリア、ガリア、ロキシアで没落した貴族たちが20年前のロキシア鉄道がナトホカまで開通してから、新天地を求めて移民して来たのであって、自らの権力の支配を正当化するために領都は築き上げたものだった。
   
 領都に住む平民は、貴族の使用人や商人、工房主として働くことで“市民権”を得ていたが、村人や亜人にはその権利は与えられなかった。

 亜人たちは、皮革加工、屠殺、下水清掃、墓守など、都市の人々が嫌がる仕事を一手に引き受けていた。  
 彼らの存在は都市機能に不可欠でありながら、社会的には“見えない者”として扱われていた。

 ヒロシとミサエさんがこの事実を知るのは、もう少し後のこと。  
 勇者と聖女――マリティレスのオーディックとアネルマに睨まれ、差別の言葉を浴びせられてからだった。

 今夜、二人は無事に二日間の冒険者講習を終え、アチヤ川の堤防を歩いていた。

 
「ヒロシさん、創造魔法で転移門を作りましょう」
「賢者、転移門って何なの?」

「転移門とはヒロシさん達が知っているアニメの青狸が使う『何処にでも行けるドア』の事です」
「ヒロシさん、アニメの青狸がお腹のポケットから出してくる『あのドア』の事よ」
「ミサエさん、そのとおりです」
 ヒロシは具現化で転移門を直ぐに作った。ソタイン村の自宅を思い浮かべてドアを開けると直ぐに帰ってこれたのだった。

 ◇ ◇ ◇ ◇

 その夜、ヒロシとミサエさんはソタイン村の自宅に戻っていた。転移門の魔法は、まるで夢のように便利だったが、心の中には堤防下の光景が静かに残っていた。

 夕食後、二人は魔女の家に戻り、ベッドに腰を下ろして、魔導ランタンの灯りの下で静かに語り合っていた。

「ミサエさん、オカロダ町の勇者と聖女が言っていた『ソタイン村のザリット』って、やっぱり差別語だろうね」 「ええ、あの言い方って、……明らかに私たちを見下していたわ」

「ギルマスが慌てて『村人』って言い直してたのも、何かを隠してる感じだった」
「そうね。あの町では“村人”って言葉すら、危ういのかもしれない」

 ヒロシは、堤防下の集落で見た皮革の匂いと、干された獣皮の光景を思い出していた。
  あの場所にいた人々の目は、どこか諦めと警戒が混じっていた。

「俺たちも、ソタイン村の出身だって人に言わない方がいいね」
「そうよ、元の世界にもあったわ、“見てはいけないもの”っていう空気」

「お義父さんが生前に言ってたよね。『じっと見るなよ』って」
「ええ、あれは優しさだったのかもしれない。見ないことで、無益な争いを避けたのだと思うよ」

 ヒロシは、講習で出会った少年少女たちの顔を思い浮かべた。 彼らは純粋に冒険者に憧れていたが、ダニヤ村のダンジョンで命を落とした子どもの話を聞いて、現実の厳しさを痛感していた。

「ミサエさん、俺たち、異世界に来てから色んなことを知ったね」
「ええ、魔法も、ギルドも、差別も……全部が現実なのよ」

「でも、俺たちは生きていく。この世界で、ちゃんと」
「そうよ。誰かに決められた階級じゃなくて、自分たちの力で」

 二人は手を握り合い、向かい合わせなって目を閉じた。 手の温もりが、異世界での唯一の確かなものだった。この様子は神々も知っており、二人の愛情が神界に還流されていた。

「ミサエさん、明日もオカロダ町に行こうよ」
「ヒロシさん、何か魂胆があるのでしょう?」

「うん、ダニヤ村のダンジョンに一度行ってみたいと思ったんだ」
「そうね。明日の朝早くに行きましょう」

 ランタンの灯りが揺れ、魔女の家の窓の外には、ソタイン村の静かな夜が広がっていた。
 その静けさの中で、ヒロシとミサエさんの心には、確かな決意が芽生えていた。

 終り──
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