君がいる奇跡

トウリン

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凌と銀次

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 銀次ぎんじに追い払われるようにして送り出され、りょうは通りを挟んだファーストフードの店へ急いだ。
 ひびきと銀次はやけに話が弾んでいるようで、凌が肩越しに振り返ってみても二人は額を寄せ合ったまま、彼の方には見向きもしない。
 銀次が余計なことを言っていなければいいと思いつつ、ろくにメニューを見もせずに注文し、品を受け取ると踵を返して彼らの元に向かう。
 いつもよりも速足で通りを渡る凌だったが、その時目に入ってきた光景に、眉間に皺を寄せた。銀次が響の耳元に顔を寄せ、何か言っている。

 近過ぎる。
 凌は唇を引き結び、彼らの様子を見やった。
 と、凌の視線を感じ取ったかのように、銀次が彼女から身体を離して彼に目を向ける。睨み付けてやると、彼がニヤリと笑うのが見て取れた。
 その笑いに更にムッとして、凌は足を速める。
 目の前にハンバーガーやらポテトやらの入った袋を突き出してやっても、銀次の笑みは口元に貼り付いたままだ。

「余計な事は言ってないだろうな?」
「余計な事って?」
 袋を受け取りながら、銀次はそう返してきた。まるで彼をひっかけようとしているかのようなその空とぼけた口調に、凌はイラッとする。
 ニヤニヤ笑いの銀次と、グッと目を細めた凌。
 睨み合いに雪崩れ込みそうになった二人の間に、響が取り成すように割って入った。
「あ、わたしお腹が空きました。早く食べたいんですけど」
 そう言って屈託なく笑った彼女を、凌はジッと見つめる。その様子はいつもと変わりなく、何か思うところがあるようには見えなかった。小さく息をつき、気持ちを入れ替えた凌は手にしていたもう一つの袋を彼女に差し出す。
「ありがとうございます」
 両手でそれを受け取った響は、少し身体をずらして彼に座るように促した。凌は頷き、そこに腰を下ろす。

「リョウさんはこっちですよね」
 袋を開けて中を覗いた響は、ためらいなく三個あるバーガーの内の二個を彼に差し出した。どちらもいつも彼が食べているもので、無意識のうちに選んでいたものだ。
 残った一つを手に取って、包み紙を剥きながら響がフフッと小さく笑う。
「何だ?」
 眉を潜めて彼女を見ると、やけに嬉しそうな笑顔が返ってきた。
「だって、これ、わたしの好きなのですから」
 響はそう言ったが、彼女とは何度か同じ店に行っているのだ。別に確認したわけではないが、何を好んでいるのかは判っていた。
 だが、何がそんなに嬉しいのか。
 好みのものを食べられる、と言っても、所詮はバーガーだ。そんなに喜ばなくても、と怪訝な顔をする凌に、響の向こう側から声がかかる。

「いやぁ、お互いに好きなものは熟知してるわけ? 仲良いねぇ。おじさん、いない方がいいかなぁ?」
 内心ではさっさと失せろと付け加えたかったが、そんなことを言えば響は凌に非難の目を向けるだろう。
 したり顔で見ている銀次に、凌は肩を竦めて返した。
「別に、普段見てれば判ることだろ」
「いやいや、どうかなぁ。僕とも何回か一緒に同じもん食ってるじゃない。僕、別にこれ好きじゃないよ?」
 食べかけのバーガーをちらつかせ、銀次はにや付きながらそう言った。彼に買ってきたのは、ただのハンバーガーだ。
「そりゃ悪かったな」
 だったら自分で買いに行け、と言いたいところをこらえて、凌はむっつりと銀次にそう答える。より一層深まったニヤニヤ笑いが、何だか腹立たしい。

「いえいえ、どういたしまして。無意識ってのがまた妬けるなぁ」
 好きじゃないというバーガーを頬張って、銀次は素知らぬふうに独りごちた。
 と、男二人に挟まれ、その遣り取りを耳にしながらせっせとバーガーやらポテトやらを口に運んでいた響が、不意に時計を見て声を上げる。
「あ、わたしそろそろ行かないと。バイトの時間が……」
「おや、残念。もっとお話したかったけどな」
 銀次のぼやきは凌の気持ちを代弁している。せっかく一緒にいたというのに、響とはろくに言葉を交わせなかった。
 もっとも、たいていの場合、会話と言うよりも彼女の話を一方的に聞くだけだったが、声を聞いているだけでも良いのだ。楽しそうなその声を聞いているだけでも、凌の気分はふわりと浮き立つような気がしてくる。
 それなのに、今の彼の耳に残っているのは、銀次の声ばかりだ。

「じゃあ、ごちそうさまでした」
 慌ただしく響が立ち上がり、ペコリと銀次に頭を下げる。そうして凌に向き直ると、微かに首をかしげた。
「わたしのバイト、九時には終わりますけど……」
 今日はコンビニではなく、ファミリーレストランのウェイトレスの筈だ。
「ああ、じゃあ、迎えに行く」
「はい」
 彼女はニコリと笑って頷くと、身を翻して人混みの中に消えて行った。時々人にぶつかられてよろめいているのが見えて、咄嗟に後を追いかけたくなるのを凌は何とか思いとどまった。

「可愛い子だなぁ」
 響の背を見送った銀次のその台詞には凌も同感だったが、何となく素直に頷けない。彼女が残していったポテトを漁りながら、彼の台詞を聞き流した。
 しばらくは沈黙が続く。
 平日の昼間に男二人が並んで座ってハンバーガーをパクついているという図は奇妙だろうが、食べ終わっている銀次は動こうとしない。
 黙々と袋の中身を平らげていく凌に、人の波を眺めていた銀次が視線はそのままに問いを投げてきた。
「で、僕に何か言いたいことあるんじゃないの?」
 唐突な言葉に凌は隣に目をやると、銀次はのんびりとした風情で正面を向いたままで続けた。
「今日会ったのは偶然でも、僕に何か話したいことがあるんだろ?」

 それは、図星だった。確かに凌は考えていることがあって、銀次に連絡を取ろうかと思っていたのだ。
 とは言え、まだ凌自身もまだ迷っている事柄で、話せと言われてもすんなりとは出てこない。
 押し黙ったままの凌を急かすことなく、銀次はのんびりと人が行き過ぎるのを眺めている。凌はバーガーの最後の一欠けらを口の中に放り込み、袋をくしゃくしゃと丸めた。
 何と言っていいのか、判らない。
 取り敢えず、頭に浮かんだ台詞をそのまま口に出した。

「俺は……『普通』になりたいんだ」
 普通に――響の隣にいて、「これでいいのだろうか」という疑問を抱かずに過ごせるようになりたい。
 凌の知る限り、銀次が唯一の『まとも』な大人だった。彼のようになれれば、響の傍に、居てもいいような気がする。
「『普通』、ねぇ」
 腿の上に頬杖をついて、銀次が呟く。

 また、しばらくの沈黙。
 ややして、彼は再び口を開いた。

「仕事でもしてみるか?」
「仕事?」
「そ。仕事に就いて、まっとうな労働の対価として金を稼いで、それで大事な人を養うってわけ。――彼女は、今のお前の暮らしを受け入れてはいないんだろう? 人を殴って金を手に入れるって暮らしを」
 凌は押し黙った。
 銀次の言うとおりだった。
 響は、凌が人を殴ることも、人から殴られることも、良しとはしていない。凌の殆ど全てのことを受け入れてくれているが、その点に関してだけは、いつも食って掛かってくる。
 時には、涙すら浮かべて。

 だが、果たして自分にできることなどあるのだろうか。

 凌はヒトの集団に混じって生活したことが無い。
 常に独りで生きてきたのだ。
 今更、他人の指示を仰ぎ、他人と協調して物事を成すということができる自信がなかった。

 凌の迷いを感じ取ったかのように、銀次が苦笑する。
「まあ、その気になったら言ってくれ。伝手はいくつかあるからよ」
 そう言うと彼は腕時計に目を走らせて、よっこらしょと立ち上がった。
「僕もぼちぼち行かないとね」
 ヒラヒラと片手を振って、歩き出す。が、数歩行ってからふと立ち止まり、振り返った。彼らしくもなく、わずかな迷いを含んだ眼差しを凌に向ける。
「何だ?」
 あまり見たことのない銀次の表情に眉を潜めた凌に、彼は少しの逡巡の後、口を開いた。
「あの子の両親って、どこに住んでいるんだ?」
「あの子――響のか?」
「ああ」
「あいつの親は、両方早くに死んだらしい。母親はあいつが五歳の時で、父親は九歳の時だと言っていた」
「九歳――あの子は今十八か十九かってとこだよな?」
 凌の返事を聞いた銀次の顔が曇る。いつも飄々としている彼のらしくない表情に、凌は首をかしげつつ頷いた。
「ああ」
「そうか……」
「それが何か?」
「ああ、いや……そんなに早くに両親を亡くすなんて、可哀相だな」

 響の不幸を悼んでいるのか――それだけではないような気がしたが、銀次の目は伏せられ、その中にあるものが隠されてしまう。
 響の事で何か知っているのだろうかとも凌は思ったが、彼女のような平凡な少女が警察沙汰と関わっている筈もないだろう。
 銀次が目を逸らしていたのはほんの数瞬で、凌が考えをまとめるよりも先にまた視線を彼にヒタリと据えてきた。その眼差しは、凌が戸惑うほどに真剣な色を帯びている。

「大事にしてやれよ?」
 言われるまでもない。
 凌はそう答えたかったが、彼を見つめる銀次の目付きの鋭さに、その言葉を呑み込んだ。
「ああ……そうしたいんだ」
 凌の返事に、銀次の顔がフッと和らぐ。そうして温かみを増した眼差しで、彼は笑って言った。
「お前ならできるさ」
 短く、だがきっぱりと銀次が断言する。
「僕もそろそろ行かないとな……さっきの事、考えてみろよ? その気になったら言ってくれ」
 じゃ、と片手を上げると彼は今度こそ踵を返して去って行く。響とは違って、スイスイと縫うようにして人混みを抜け、あっという間にその姿は見えなくなった。

 独りになっても、凌はそこに座ったまましばらく人の流れを眺めていた。
 次から次へと行き過ぎていく人の波。
 彼等は皆、大事な相手と共に過ごすことに、何のためらいも覚えていないのだろうか。
 凌は響のことを大事に想っているし、放したくないと思う。
 それは嘘偽りのない気持ちだ。
 だが、彼女の傍にいるのが自分でいいのだろうかという迷いが時折頭の中をかすめることもまた、事実だった。
 響の幸せを願うけれど、絶対の自信はもてない。かといって、彼女を他人に委ねることもできない。
 ならば、彼が変わらなければならないのだ。
 凌は自分の掌を見つめた。響のものより遥かに大きなそれを。
 その手で彼女に触れるだけで、凌の胸は名状しがたい想いで満たされる。多分、それは、幸福というものなのだろう。
 ただいるだけで響が彼に与えてくれるものを同じ程に――それ以上にして返してやりたい。

 その為にできることがあるのなら、しよう。

 その決意と同じ強さで、凌は拳を握り込んだ。
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