君がいる奇跡

トウリン

文字の大きさ
25 / 68

微かな影

しおりを挟む
 ここ最近、りょうはいつもどこか上の空だった。
 今も、一緒にテレビの投稿動画の特番を観ているのに、ひびきが思わず噴き出してしまった場面でも彼はクスリともしない。
 ――元々、ほとんど表情を変えない人ではあるけれど。

(何を考えてるんだろう)
 彼の頭の中を覗き込みたくてたまらない。背中に彼の胸の温もりを感じながら、響は肩越しに振り返りそうになるのを何度も我慢していた。
(これって、図々しい? わがままかな?)
 もっとわたしを見て、なんて言いたくなるのは初めてのことで、それが許されることなのかどうなのか、判らない。

 凌は、ちゃんと、響の話は聞いてくれている。
 相槌は打ってくれるし、彼女が何かを訊けば、内容にそぐった返事もくれる。
 けれども、そうしながらも、彼が何か他のことを考えているのは何となく感じられた。
 別に、ないがしろにされている感じは全然ないのだけれど、同じ部屋にいるのに見えない壁を隔てているような気がして、響は少し寂しくなる。

 こんなふうになったのは、一週間ほど前に銀次ぎんじという刑事と会ってからだった。いや、その前から少し何かを考えている様子はあったけれど、ここまでの隔絶感はなかったのだ。
(わたしがいなくなった後に、あの人から何か言われたのかな)
 響は気になって仕方がなかったけれど、凌のプライベートにどこまで踏み込んでいいのか測り兼ねて、結局何も訊けずにいる。

(だいたい、わたしとリョウさんって、いったいどんな『関係』なのかな)
 響にとって、そもそもの疑問は『そこ』だ。
 凌は優しい。とても優しいのだけれど――
(なんで、優しくしてくれるんだろう)
 なぜ、彼は、響と一緒にいてくれたり、抱き締めたりしてくれるのだろう。
 たまに、唇を重ねてくるけれど、それだけだ。それ以上のことは、してこない。
 その手も唇も、与えてくれるのは「守られている」という安心感だった。
 今も、響は凌の腕の中にいる。
 肌寒い季節でもないのに、彼はいつでも、気付くと彼女に触れていた。けれど、それはまるでそうすることで響が確かにそこにいることを確かめているかのようで、本当に、ただ『触れているだけ』だ。
 こうやって凌の胸に寄りかかって背中に彼の温もりと鼓動を感じていても、そのリズムはとてもゆったりと落ち着いていて、うっかりすると響は眠りに誘われそうになる。
 彼とのこの距離は、響にとっても心地良いものであることは確かだ。心地良くて安心できるものであることは。

 けれど。

(――これって、兄と妹みたいな感じ……?)
 そう思った響の胸が、チクリと疼く。
 いつぞやの海での凌の過去語りが、響の胸の中に小さな棘を植え付けていた。
 たとえ妹の代わりにされているのだとしても、それで彼が幸せなら響も嬉しい。
 一方で、自分が誰かの代わりであるということに、響はお腹の辺りに冷たいものが詰まっているような気持ちになる。
 身代わりはいや、わたしを見て、と言いたくなってしまう。
 そんなふうに思ってしまう自分が、彼女にはわがままに思えた。

(イヤだな)

 凌は、これ以上は無いというほど、響を大事にしてくれているのに。それに満足していない自分が、とても身勝手に感じられる。
 彼は幸せになるべき人だ――銀次から話を聴かされた時、響は強くそう思った。彼に幸せを感じて欲しい――感じさせたい、と。
 けれど、それには『身代わり』ではダメだ。身代わりにそんな力はない。

 『本物』でないと、きっとまた、良くないことになる。

(――『また』……?)
 ふと頭に浮かんだその一言に、思わず響はピクンと背筋を伸ばした。
「どうした?」
「あ、いえ、何でもないです……」
 彼女の顔を覗き込みながら訊いてきた凌に、響は笑みを作って答える。けれど、そうしながらも、彼女の頭の中には疑問符が浮かんでいた。

 ――何で、『また』だなんて思ったのだろう。

 そんなふうに自問した途端、響の頭にツキンと何かが突き刺さるような痛みが走る。それは執拗で不快な疼きだった。そしてその痛みと共に、彼女は何かに追い立てられているような焦燥感を覚える。
 顔をしかめた響に、凌の目には本格的に案じる色がにじみ始めた。
 彼は響のウェストを掴んでヒョイと持ち上げると、身体を捻ってそれまで寄りかかっていたベッドの上に下ろす。
 向かい合わせになって、凌はしげしげと彼女の顔を見つめてきた。

「具合が悪いのか?」
「ちょっとだけ、頭が……あ、でもだいじょうぶです。ホントに、ちょっとだけだから」
 笑顔で答える響の言葉を、凌は全く信じていないようだった。
「薬は?」
「ない、です」
 凌は眉間に皺を寄せると、片手を上げて響の額に押し当てる。
「熱はないようだな」
「や、ホントにだいじょうぶですよ。ちょっとチクンってしただけですから。なんていうか……神経痛?」
「疲れているんじゃないのか?」
「違いますよ」
 何でもないという顔で笑って見せても、彼は眉間に深い溝を刻んだままで、ジッと響を見つめてくる。
 ニコ、よりもヘラ、になってしまったに違いない笑みを返してみると、凌の眉間の皺は少し浅くなった。実際、頭痛は薄らいで、もうほとんど気にならないほどだ。
 ベッドの上に座っていると、いつも見上げている凌の顔を見下ろす形になって少し新鮮な感じがする。
 マジマジと見つめると普段は見えない眉の上の傷跡が目に入ってきて、響の胸がキュッと締め付けられた。それはほとんど消えそうなくらい薄くなっていて、多分ずっと――ずっとずっと昔にできたものに違いない。

 無意識のうちに手が上がり、彼女は指先でそれに触れた。
 彼がまだ小さな少年だった頃に、本来なら守ってくれる筈の存在によって、付けられたもの。
 その頃に逢えていたら、彼を護ってあげられただろうか。
 それは不可能なことだけれど、響は時間を巻き戻したくて仕方が無くなる。たとえその場にいても、響にできることなんて、きっと、ほとんどない。
 けれど、少なくとも、小さな彼を抱き締めてあげることはできる。独りきりで戦わせずに済んだだろう。

 と、凌が傷跡を辿る彼女の手をそっとどけた。
 目が合った、と思ったら、凌の両手が上がり、響の頬を包み込む。

 彼の顔が近付いてきて、響の目蓋は条件反射のように勝手に下りていった。
 唇に触れる柔らかな温もり。それは二度、三度と触れては離れる。
 彼の唇から感じられるのは、優しさだけだった。

 唇から、頬へ。
 そしてついばむようなキスは、頬から目蓋へと移っていく。

 心地良さに頭の中に霞がかかったようになった響の頬が、解放された。と、目を開けようとした彼女の額が、不意に小突かれる。
「ひゃ!?」
 ぼんやりとしていたところでのその仕打ちに、たまらずバランスを崩して間抜けな声とともに響は後ろに倒れ込んだ。

「何するんですか!」
 慌てて起き上がろうとした響の額が大きな掌で押さえ込まれて、再び枕に頭が押し付けられる。ジタバタともがく彼女を、凌は短い台詞で制した。
「いいから、寝てろ」
 そう言うと、凌は響の両目を左手で覆ったまま、響の下敷きになった毛布を右手だけで器用に引っ張り出した。毛布を彼女にかけ、彼はそのままその手でトントンと彼女のお腹の辺りを叩く。

(――これって、ホントに子ども扱い……)
 そんなふうに思ったけれど、目の上の温もりとお腹の上で刻まれるリズムとが心地良くて、彼の目論見通りに響には眠りの帳が下ろされていく。
 彼女がトロトロとまどろみ始めた頃、凌が静かに立ち上がる気配がした。少し遅れて部屋の中が暗くなる。それは完全な闇ではなくて、小さな灯かりは消えずに残されていた。

 凌は、響が話したどんなことも覚えていてくれる。話したかどうかを彼女自身が忘れてしまったことでさえも。
 暗いのが嫌なのだというのも、どこかで話したのだろう。
 眠りに落ちてどれ程経った頃か。
 ふと、響の耳にコトンという微かな音が届く。それは玄関の方からのものだった。
 何だろう、とは思ったけれど、眠気の方が勝ってしまった響はそのまま放置する。

 ――音の正体が郵便受けに落とし込まれた鎮痛薬だと響が知るのは、翌朝のことだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。 その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。 そこで待っていたのは、最悪の出来事―― けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。 夫は愛人と共に好きに生きればいい。 今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。 でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。 妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。 過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。

設楽理沙
ライト文芸
2026.1.4 73話見直した際、瑛士の台詞《本音/懺悔》を加筆しました。😇 ☘ 累計ポイント/ 200万pt 超えました。ありがとうございます。 ―― 備忘録 ――    第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。  最高 57,392 pt      〃     24h/pt-1位ではじまり2位で終了。  最高 89,034 pt                    ◇ ◇ ◇ ◇ 紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる 素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。 隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が 始まる。 苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・ 消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように 大きな声で泣いた。 泣きながらも、よろけながらも、気がつけば 大地をしっかりと踏みしめていた。 そう、立ち止まってなんていられない。 ☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★ 2025.4.19☑~

あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜

瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。 まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。 息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。 あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。 夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで…… 夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。

結婚相手は、初恋相手~一途な恋の手ほどき~

馬村 はくあ
ライト文芸
「久しぶりだね、ちとせちゃん」 入社した会社の社長に 息子と結婚するように言われて 「ま、なぶくん……」 指示された家で出迎えてくれたのは ずっとずっと好きだった初恋相手だった。 ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ ちょっぴり照れ屋な新人保険師 鈴野 ちとせ -Chitose Suzuno- × 俺様なイケメン副社長 遊佐 学 -Manabu Yusa- ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 「これからよろくね、ちとせ」 ずっと人生を諦めてたちとせにとって これは好きな人と幸せになれる 大大大チャンス到来! 「結婚したい人ができたら、いつでも離婚してあげるから」 この先には幸せな未来しかないと思っていたのに。 「感謝してるよ、ちとせのおかげで俺の将来も安泰だ」 自分の立場しか考えてなくて いつだってそこに愛はないんだと 覚悟して臨んだ結婚生活 「お前の頭にあいつがいるのが、ムカつく」 「あいつと仲良くするのはやめろ」 「違わねぇんだよ。俺のことだけ見てろよ」 好きじゃないって言うくせに いつだって、強引で、惑わせてくる。 「かわいい、ちとせ」 溺れる日はすぐそこかもしれない ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 俺様なイケメン副社長と そんな彼がずっとすきなウブな女の子 愛が本物になる日は……

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

田舎暮らしの貧乏令嬢、幽閉王子のお世話係になりました〜七年後の殿下が甘すぎるのですが!〜

侑子
恋愛
「リーシャ。僕がどれだけ君に会いたかったかわかる? 一人前と認められるまで魔塔から出られないのは知っていたけど、まさか七年もかかるなんて思っていなくて、リーシャに会いたくて死ぬかと思ったよ」  十五歳の時、父が作った借金のために、いつ魔力暴走を起こすかわからない危険な第二王子のお世話係をしていたリーシャ。  弟と同じ四つ年下の彼は、とても賢くて優しく、可愛らしい王子様だった。  お世話をする内に仲良くなれたと思っていたのに、彼はある日突然、世界最高の魔法使いたちが集うという魔塔へと旅立ってしまう。  七年後、二十二歳になったリーシャの前に現れたのは、成長し、十八歳になって成人した彼だった!  以前とは全く違う姿に戸惑うリーシャ。  その上、七年も音沙汰がなかったのに、彼は昔のことを忘れていないどころか、とんでもなく甘々な態度で接してくる。  一方、自分の息子ではない第二王子を疎んで幽閉状態に追い込んでいた王妃は、戻ってきた彼のことが気に入らないようで……。

処理中です...