らいおんはうさぎにおぼれる

トウリン

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第一部:らいおんはうさぎによりそう

ある夜のこと:少しばかりの後悔

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 大学の講義以外の司の時間は、主にバイトで占められている。日曜は不規則な短期バイト、平日の夕は居酒屋、今日のような土曜日の午後はガソリンスタンドの給油員だ。
 十九時半に店が閉まり、諸々の後片付けも終わった司は、ロッカールームで帰り支度にかかっていた。ルーチンワークで考えることなく手が動く彼の頭の中にあるのは、花のことだ。
 合宿での短い遣り取りがどうにも気になって、意識して観察するようになった司は気が付いた。確かに、金古や乾に対するときと、それ以外の者に対するときとでは微妙に花の反応が違うのだということに。
 もちろん、あの二人とその他大勢とでは親しさが違うのだから、まるきり同じように接するということはないだろう。

 だが――

(そういうのとは、違う)
 ヒトは、相手との親しさで他者との距離を変える。物理的、空間的にだけではなく、不可視の様々なことについても。
 それは誰しもが無意識にしていることで、そうしなければストレスが溜まって仕方がないだろう。
 だが、花を見ていて気付いたものは、それとは違っていた。彼女の場合、距離感だけではなく、見えない壁を感じるのだ。
 誰かに声を掛けられると、花に笑顔が浮かぶまで、ほんの一瞬――意識して見ていなければ気付かないほどの間が生まれる。金古たちを前にしている時は自然と現れる笑みが、他の者に対するときでは『浮かべた』ものになる。少なくとも、司にはそう感じられた。

 では、その違いが意味するものは何なのだろう。

 高校の頃はどうだったかと振り返ってみたが、思い出せなかった。あの頃は、周囲が自分をどういうふうに見ていたかが解かっていたから、つい手が出てしまったとき以外はできるだけ花に近づかないようにしていたのだ。芳しくない彼の風評に、彼女を巻き込みたくなかったから。
 もっとも、そんな司の気遣いなどまったく意に介さず、しばしば花の方から寄ってきてしまっていたのだが、そんな時でも、ひそひそと周囲からの囁き声が聞こえてきたものだ。

(あの頃に、気付いていれば……)
 ほんの少し意識して見るようになっただけで、今まで気付かなかったことに気付いてしまった。
 だったら、高校の三年間があれば、もっと花のことを理解することができていたかもしれない。

「もっと、見ておけば良かった」
 少しばかり、司は後悔の念を抱く。幸せそうな――そう見せようとしている彼女の表層しか見てこなかったことに。

 思わずポロリとこぼした独語に、背後から声がかかる。
「何を?」
 振り返った先にいたのは、同じシフトで働いている岩隈晃《いわくまあきら》だ。彼とは中学時代から付き合いがある。そもそも司は個人的な関わりをあまり持たないから、相対的に見れば彼は親しいうちに入るだろう。

 小学校の頃から晃の親は完全に育児放棄をしていて、中学で司と出会った時にはもうすでに相当出来上がったヤンキーだった。地域でもかなり名を馳せたグループに所属していたが、愛情とか以前に何より経済的に困窮していたから、生きていく手段として半グレ集団に属するしかなかったのだろう。
 だが、そんな環境でも人生を投げるつもりはなかった晃は学校をドロップアウトすることはせず、そこで司と出会った。学校では目立った揉め事を起こすことのなかった晃だったが、司の金髪とガタイと目つきの悪さを晃が見過ごすはずがなく、当然のように喧嘩を吹っかけてきた彼を返り討ちにしたのが付き合いの始まりである。
 当時はギスギスと尖っていた晃だったが、中学卒業と同時に半グレとはスッパリ手を切り働き出し、以来すっかりチャラくなった。
 このガソリンスタンドもそうだが、今の司のバイト先は、中学卒業と同時に働き始めた晃から紹介してもらったところばかりだ。晃自身、長期短期含め、多分両手の指の数でも足りないほどのバイトを掛け持ちしている。

 司は晃を一瞥し、ロッカーに向き直った。
「で、何を見ておきゃ良かったって?」
 突っ込んできた晃に背を向けたまま、司は取り出した上着を羽織る。
「何でもねぇよ」
 素っ気なく答えた司の隣に来た晃は、彼の肩に馴れ馴れしく腕を掛けてきた。
「またまたぁ。どうせ、可愛い可愛い花ちゃんのことだろ? いい加減、写真くらい見せてくれたっていいじゃんよ」
「持ってない」
「マジで?」
 言うなり晃はヒョイと司の背後に手を伸ばした。そして彼は拒む隙を与えず司の尻ポケットからスマホを引き抜いてしまう。
「あ、おい」
「何だよ、あるじゃん」
 司が取り上げるより早くスマホを操作し、晃は声を上げた。
「この子だろ? 見るからにそんな感じ」
 晃は表示させた写真をピンチアウトし、司に向ける。
 それは先日の合宿の時に撮った写真で、司のフォルダの中に入っている唯一の写真であり、花が写っている唯一の写真でもある。部活の連絡網用に教えたアドレスで、乾が勝手に送り付けてきたのだ。
 晃が拡大させたのは間違いなく花で、司はムッと眉根を寄せた。そんな彼の渋面になど取り合わず、晃はヘラヘラ笑いながら言う。
「確かに可愛いけど、お前、ロリコンだったんだ? 見た目、中学生じゃん」
「ぅるせぇ」
 スマホを奪い返し睨み付ける司を前にして、晃はニヤつくだけだ。が、ふとその笑みを消した。

「それ見る限り、完璧に趣味に合ってないってのが良く判るけどさ。お前、玲於奈《れおな》のことはどうすんの?」
 突然出されたあまり聞きたくない名前に、司の眉間の溝が深まった。
 玲於奈――梶山玲於奈《かじやまれおな》は、高校の時にバイト先で出会った女だ。彼女は晃から紹介されたバイト先で先に働いていて、そこで接点を持ってしまったのだが。
 いったい司の何を気に入ったというのか、玲於奈は彼への好意を開けっ広げに訴えて、しばしば付きまとってくるのだ。その都度「もう来るな」と言っても、さっぱり聞く耳を持たない。
「あいつさぁ、ここも嗅ぎ付けたらしいぜ? まだ二ヶ月だってのによ。あ、言っておくけど、バラしたの、オレじゃねぇからな? でもさ、そんなに嫌ならはっきり言ってやったらいいじゃん。お前と付き合うつもりはないってさ」
 肩をすくめつつ言った晃に、司はボソリと答える。
「もう言った」
「はっきり?」
「ああ」
「でも、諦めないかぁ。そこまで惚れ込まれて、男冥利に尽きると言っていいんかな」
「こっちには欠片もそんな気はない。迷惑なだけだ」
 苦虫を噛み潰す顔で司は唸った。
 彼女の想いに応じるつもりはないと何度も言ってきたが、伝わってはいないようだ。

「あんまり逃げてッと、そのうち大学にも押し掛けてくんじゃねぇの?」
 晃の台詞をそんなまさかと笑い飛ばせない。実際、高校の時もそういうことが何度かあった。
 渋面で押し黙った司に晃が肩をすくめた。
「どうせ本命にゃ大事にし過ぎて手が出せないんだろ? だったら玲於奈でいいじゃん。取り敢えず身体だけでも」
 軽い口調でいい加減なことを言う晃を、司は睨み付ける。
「そういうわけにはいかねぇだろ」
 苛立ち混じりでそう答えた時、手の中のスマホが震えた。
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