らいおんはうさぎにおぼれる

トウリン

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第二部:らいおんはうさぎにこがれる

過去が人を作り人は未来を創る:始まりの場所

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 花のGPSを追って司と空が辿り着いた場所は、山の中に建てられた一軒の邸宅だった。
 時刻に眼を走らせると、大学を出てから二時間近く経っている。まだ高かった陽は、だいぶ傾きかけていた。
 空がエンジンを切るより先に司はバイクから飛び降り、私道に停められていたSUVに駆け寄る。排気ガスの臭いがまだ辺りに漂っていたが、中に人の気配はない。
「獅子王さん」
「いねぇ」
 ヘルメットを手にしたまま問いかけてきた空に短く答え、司は格子柵の向こうに鋭い眼差しを向けた。
 余裕で5LDK以上あるだろうその家は、随分長いこと人の手が入っていないように見える。門扉は塗装が剥げて錆が浮かび、玄関までの前庭にも雑草が生え放題だ。パッと見たところガラスが割られていたりすることはないようだが、廃墟と呼んでもいいレベルの寂れっぷりだった。
「ここが――?」
「ええ」
 短い遣り取りで、お互いの意思が通じる。
 ここに、かつて花は囚われていた。十歳という年端もいかない子どもだった彼女は、問答無用で拉致され理不尽に自由を奪われていたのだ――このご立派な屋敷の中で。
 その場所にまた花が身を置いているのかと思うと、司の胸中は激しい焦燥に舐め尽くされる。今、彼女がどんな思いでいるのかを考えただけで、目の前の屋敷をこの手で叩き壊してやりたくなった。

 だが、まずは何より花を救い出さなければ。

「行くぞ」
 空にひと声かけ、司は門扉を押し開き玄関へと急いだ。
 玄関扉の鍵はかかっておらず、ノブを回すと蝶番が鈍い軋みを上げる。司は肩越しに振り返り無言で空に目配せすると、靴のまま足音を忍ばせて廊下を進んだ。
 一室残らず覗き込んだが、一階には、いない。
 リビング、キッチン、バスルーム、トイレ、二つの客間――その全てはもぬけの殻だった。
 司は顎で上階への階段を示す。
 向かった二階には寝室五部屋にバスルームとトイレがあったが、やはり人の姿はない。

「残るは屋根裏ですね」
 空の台詞に司は頷いたが、廊下にある階段は二階までで終わっている。外から見たら二階の上に小窓が見えたが、果たしてどうやってそこに行けるのか。アパート暮らしの一般庶民としては、屋根裏部屋がある家の間取りなどさっぱり判らない。
 渋面で天井を睨み付けた司に、スマホで何やら調べていた空がそれを差し出しながら言う。
「クローゼットの中とかどうでしょうかね?」
「クローゼット?」
 空の手の中を覗き込むと、画面には間取り図が映し出されていた。この別荘のものではないようだが、その図では納戸の中に階段が描かれている。
 確かに、洋画でクローゼットの中に引き下ろす形の梯子階段が出てくる場面を見た記憶がある。
 さっき一巡したが、どの部屋にもクローゼットはついていた。取り敢えず、一番手前の部屋に入ってみる。クローゼットは狭いもので、天井にも何もない。次も、その次も同様で、苛立ちながら司と空は一番奥の部屋へと足を踏み入れた。

「獅子王さん、あれ……」
 空の促しに、司も頷く。
「ああ」
 さっきは気に留めなかったが、ダブルベッドの向こうにある収納の扉は開かれている。近寄ってみると、他の部屋のクローゼットよりもだいぶ奥行きがあることに気が付いた。
 入ると中は三畳分ほどはあり、外からは見えなかったところに天井につながる階段が下りている。
 司がチラリと空に目を走らせると、彼は無言で頷き返してきた。

 垂直ではないものの、普通の階段よりは急なそれを上ろうと司が踏板に足をのせたところで、天井にポカリと開いた穴からくぐもった低い声が聞こえてくる。司は肩を強張らせて耳を澄ませたが、男の声だけで花のものはない。

 彼女が自分自身の意思で押し黙っているのか、それとも、言葉を発することができない状況なのか。

 前者であることを祈りつつ、司は両手を硬く握り締め、階段を上る。
 半分ほど行ったところで司の頭が天井裏に出た。チラリと見えただけでも、下の荒れ具合とは打って変わって、そこは新品同様に整えられているのが見て取れた。
 一階も二階も家具には白い布が掛けられていたが、屋根裏部屋のものはそうではない。真っ先に目に入った壁際に置かれた飾り棚の上には瑞々しい花すら活けてある。

 まるで今も誰かここを使っている者がいるか、あるいは、これから暮らす者がいるかのようだ。

 そんな考えが司の頭をよぎり、刹那、背筋におぞ気が走った。
 花をここに連れてきた者にとって、あの事件は過去のものではないのだ。これから先も、続く――続かせるつもりのものなのだ。
 思わず唸り声が漏れそうになり、司は奥歯を食いしばる。

 と、また、男の声がした。

 反射的に司はそちらへ眼を走らせる。
 見えたのは、男の背中だ。ベッドに腰掛けているが、上体を捻ってその向こうに身を乗り出すようにしているせいで、司に見えるのは彼の背中だけだった
 司の目線が床の高さだから、ベッドの上の様子を見て取ることができない。だが、その上に男以外の誰かがいるのは、明らかだった。彼は触れんばかりに頭を下げて、その誰かに一方的に話しかけているのだ。
『誰か』――それは、一人しかいない。

 もう足音など気にかけず、司は一気に屋根裏部屋に躍り出る。
 と、男がパッと振り返り、仁王立ちになった司に目をみはった。

 これが、巳之口久治か。

 司は男を睨み据えた。顔立ちは、悪くない。整っているとすらいえるだろう。司のように威圧的なガタイもしていないし、多分、普通に街を歩いていれば女性には持て囃される類の男だ。
 だが、十歳の花にとって、そんなことは関係ない。
 十歳の少女にとって、二十歳の男は脅威でしかなかったはずだ。

「お前、誰だ!?」
 ヒステリックな甲高い声でそう叫び、司から守ろうとするかのように巳之口がベッドの上のものを掻き抱く。それが何か判った瞬間、司の胸に灼熱の渦がとぐろを巻いて噴き上がった。
 花だ。
 いったい何をされたのか、彼女はぐったりとされるがままになっている。

「そいつを放せ!」
 吠えた司に巳之口が身をすくめたが、それは一層強く花を抱き締めることにもなった。
「ぅう……」
 花が小さく呻き、身じろぎをする。
「宇佐美――花!」
 呼ばわった司の声に、彼女がピクリと反応したのが見えた。
「花!」
「うるさい! 何なんだ、お前は!? 馴れ馴れしく彼女の名前を呼ぶなよ!」
 重ねて呼んだ司から隠そうとでもしているかのように、巳之口が花を抱え込む。だが、そうすることで、いっそう彼女の覚醒が促される。
「ん……ゃ、なに……?」
 無意識にもがいた花に、巳之口の眼が移った。司は三歩で距離を詰め、ハッと振り返った巳之口の腕を捻り上げ、問答無用で花を奪い取る。
「やめろ! 返せ! 返せよ!」
 司は花を左腕で抱え込み、彼女を取り返そうと挑みかかってきた巳之口の襟ぐりを右手で掴み上げ、無造作に部屋の隅へと放り投げた。彼が叩きつけられ壁が揺れたが、構わない。

「花」
 彼女を両腕に抱き上げ、そっと呼びかけた。伏せられていた長い睫毛が微かに震え、ゆっくりと持ち上がる。
「……しし、おう……くん……?」
「は――宇佐美?」
 危うく『花』と呼びかけそうになり、言い直すと、彼女はふわりと笑みを浮かべた。
「さっき、なまえ、よんでくれた?」
 花の台詞に、そんな場合ではないだろうにと、司はホッとしつつも渋面になる。
「どこか怪我をしているとか、ないのか? 痛い所とかは?」
「ない、よ。でも、……くらくら、する。なにか、ちゅうしゃ、されて……そこから、おぼえてない……」
 心許なげにつぶやき、花は意識をはっきりさせようとするかのように、一つ二つ瞬きをした。その様はとても頼りなく見え、司のみぞおちがどうしようもなく締め付けられる。

(くそ)

 腕の中の花を、抱き締めたくてたまらない。
 ほとんど意識を失っていたとはいえ、ほんの一瞬でも彼女が怖い思いをしたのは確かだ。それを慰めたかったし、何より、彼女がこの腕の中にいるという安堵の念が、司の中のその衝動を掻き立てた。
 ピクリと、彼の腕が疼く。グラグラと気持ちが揺れて、もう少しで、衝動が勝ちそうになった。
 だが、すんでのところで思いとどまる。
 司は、花にとって単なる友人に過ぎないのだ。彼女を抱き締められる者では、ない。その権利を、持っていない。
 だから司は、そうする代わりにギリギリと奥歯を食いしばる。と、そんな彼をまだ茫洋とした瞳で見上げ、花が、また、微笑んだ。
 笑えるような状況でもないのに、やけに緊張感のない花に、司は憮然と問う。人の気も知らないで、と思いつつ。

「……何を笑っている?」
「だって、獅子王くんがいるから」
 先ほどまでよりもだいぶしっかりとしてきた口調で、花が言った。
「なんか、ホッとしちゃって」
「――……それは、俺の台詞だ」
 ボソリと応えた司の台詞に被さるように、呆れた空の声が届けられる。

「ちょっと、獅子王さん。そろそろいいですか?」

 花を抱えたまま司が振り返ると、シャツと思しきもので縛り上げられ床に這いつくばらされた巳之口と、彼を床に押さえつけている空とがいた。
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