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見解の相違◇サイドC

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 誰かにずっと傍にいて欲しいと思ったら、どんな方法があるだろう。

 まず、男だったら?
 僕は書斎の机に頬杖をつきながら、書類を整理しているジェシーの背中を見つめた。
 彼は僕が生まれる前から、この屋敷の当主に仕えてくれている。ジェシーの父親がそうだったから、多分、息を引き取るその瞬間まで、辞めはしないだろう。

 女性でも、マーゴはそうだ。彼女は元々母が連れてきた侍女で、先代のハウスキーパーからその仕事を引き継いだ。それから、結婚することもなく働いてくれている。
 どちらも、ずっと僕の傍にいてくれる。

 だが――
「なあ、ジェシー」
「はい?」
 振り返った彼に一瞬迷い、そして僕は問いを口にした。
「誰かと死ぬまで一緒に居る為には、どうしたらいいと思う?」
 ジェシーは姿勢をただし、僕を真っ直ぐに見つめてくる。その眼差しは、胸の内を悟らせない。
「それは、女性でしょうか、男性でしょうか?」
「……男なら?」
「そうですね、一生お仕えするに値する主人だと思わせることでしょうか」
「それは、なかなか大変だな」
「まあ、簡単なことではありませんな」
 頷き、ジェシーは軽く肩をすくめる。自分が彼にとってそんな主になれているかどうか、あまり自信がない。
 とりわけ、こんなふうにボールドウィン家の為とはならない、至極個人的なことで頭を悩ませている今は。

「女性の場合も、意見を申し上げた方がよろしいでしょうか?」
 むしろそちらが本命だという台詞は呑みこんで、僕は頷く。
「ああ」
「そちらの方が、難しいかもしれません」
「へえ? それは、どんな方法だい?」
「結婚です」
 淡々とした口調で、ずばりとジェシーがその言葉を口にした。
「結、婚……そうか」
 口ごもった僕には気付かず――いや、気付いているとしてもおくびにも出さず――続ける。
「結婚すれば、その女性の全てが貴方のものになり、貴方の全てがその女性のものになります。私にも妻がおりますが、仮にどちらかが先に逝ったとしても、二人の絆は切れないでしょう」
 揺らぎない声で、ジェシーはそう断言した。そんな彼が、羨ましい。
 しかし、僕にとって、その関係を結ぶのは簡単なことではないのだ。

「仮に……仮に、だが。もしも僕が身分のない女性を妻に迎えたら、父上と母上はどう思われるだろう?」
 反応を窺うようにそう問いかけた僕の台詞の一部を、ジェシーが繰り返す。
「身分のない、女性?」
 たいそうな爆弾発言の筈だが、ジェシーはいつものように冷静そのものの顔で繰り返しただけだった。もしかしたら、散々浮名を流してきた僕が結婚しようと言い出したこと自体を信じていないからかもしれない。
「そう。農民とか牧師の娘とか商人の娘とか……爵位も財産も持っていないような子。どうかな?」
 目敏いジェシーのことだ。メイドとか、と入れてしまえば何かに勘付かれてしまうかもしれないので、敢えてそれは外して例を挙げる。

 僕のその言葉に、ジェシーの目がわずかに細くなった。
「平民、ですか……まあ、身分がある女性の方が、色々と簡単に済むことは確かですが」
「簡単?」
「はい。社交界のしきたりやら屋敷の取り仕切り方やらを教える必要がありませんし、何より、周囲の目を気にせずに済みます」
 彼らしくない俗物的な台詞に、僕はムッと眉間に皺を寄せた。
「僕は別に誰に何を言われようが気にしない」
 けれど、憤慨を隠さずにそう断言した僕に、ジェシーは「やれやれ」と言わんばかりの眼差しを向けてくる。

「セディ様はそうでしょう。貴方に面と向かって何か言う方はいらっしゃらないでしょうし、もしいたとしても確かに貴方はお気になさいますまい。私が申し上げるのは、お相手の女性の方ですよ」
「え?」
「厳しい目が向けられるのは、奥方となる方です。下賤の者が、やら、財産狙いが、やら、きっと色々と噂されることでしょう。そんな埒もない言葉を跳ね返せるような方なら、よろしいですが?」

 僕は口をつぐんだ。

 あの子は――エイミーはどうだろう?
 心無い噂を素知らぬ振りをして聞き逃せるだろうか。いや、もしも耳にしてしまったら気にするに違いない。だが、それは簡単なことだ。そんな輩からは、僕が守ってあげればいいのだから。

「それは、大丈夫だ。ただ、ボールドウィン家としてはどうすべきなのかと思ったんだ。ジェシーはおじい様の代から仕えてくれているのだろう? おじい様や父上は、どうお考えになるだろうか」
 もしも血筋に拘るのならば、家督を遠縁に譲ってもいいかもしれない。今のボールドウィン家は繁栄の一途を辿っているから、きっと拒む者はいない筈だ。それに、もう充分な財を蓄えたから、余程の愚か者でない限り、誰が継いでもそうそう没落する羽目にはならないだろう。

 僕はふと夢想する。
 『貴族』ではなくなった自分を。
 こんなふうに、逢いたい者を探してウロウロと歩き回らなければならないような屋敷ではなくて、ちょっと視線を巡らせればすぐにその姿を目にすることができるような家で、大事な人と暮らすのだ。
 手を伸ばせば届くような場所に、いつもあの子がいる。
 エイミーは、贅沢な暮らしなど必要としないだろう。
 僕だって、別にそれで構わない。一から何かを築くのも、面白いのではないだろうか……
 何なら、しばらく旅暮らしをしてみてもいい。エイミーは屋敷からほとんど出たことがないから、あちこち連れて行ってやるのもいいかもしれない。
 あの子は滅多に表情を変えないが、その分、目が微かに見開かれたりとか、口元が何かを呟いたりとか、そんなほんの少しの変化がやけに心にジンと来るのだ。
 変化に富んだ生活にしてやったら、表情も豊かになるかもしれない。
 未だ目にしたことのない彼女の『満面の笑み』を想像してみる。
 きっと、胸が痛くなるほど愛くるしい筈……

 ――と、勝手に広がっていく妄想は、静かにヒシヒシと突き刺さってくる視線で押しとどめられた。

「ああ、すまない。で、どう思う?」
 小さく咳払いをして、もう一度ジェシーに問う。
 彼は何やら奇妙な眼差しで僕を見つめていたけれど、やがて口を開いた。
「……そうですね。私はボールドウィン家の繁栄を願っておりますが、真の繁栄は主の幸せがなければ得られないと思っております。伯爵家の財産は充分に膨らみましたから、他家との婚姻で更に増やす必要は有りません。確かに、侯爵や公爵方のどなたかと縁戚になれば、当家の家格も上がります。しかし、時流は名ばかりの家格よりももっと実のあるものが動かすようになりつつあります。いずれ、貴族という存在は形骸化するでしょう」
 ずいぶん遠回しな言い方だが、これは、僕がどんな相手を選んでも構わないと考えていると受け取ってもいいということだろうか。

 内心首をかしげた僕の前で、ジェシーの目が微かに和らぐ。
「ご両親が亡くなられてから、貴方はこの家の為にずいぶんと力を尽くされました。……まあ、女性とのお付き合いに関しては思うところはありますが、ボールドウィン家の当主としては、とても素晴らしいお働きぶりです。先代の旦那様はお人柄的には非の打ちどころのない方でしたが、少々、楽天的と申しましょうか……」
 言葉を濁すジェシーに、僕は苦笑を禁じ得ない。
 父も母もとても温かな人柄で尊敬し愛すべき人物だったのだが、領地の運営手腕には難有りだったのだ。民から受け取る税をギリギリまで減らし、そのくせ投資に手をかけるということはしなかったから、ボールドウィン家の財政は甚だ芳しくないものになってしまった。

 僕は十四の時からそれまでほとんど軍で過ごしていたから、家の経済状況に気を留めたことがなかった。両親は至極のんびりと過ごしていたし、何の問題もないと思っていたのだが。
 それが二十一歳で突然家督を継ぐことになって実情を知り、少々驚いた。きっと、ジェシーがいてくれたから、それでも何とか保てていたのだと思う。
 両親は散財する人たちではなかったが、広大な屋敷がある以上、それなりの出費はある。税を減らすというならば、他の手段で何とかしなければならないのだ。
 傾く一方だった財政状態を立て直すのは、そこそこ苦労した。
 領地の状況を把握し、人脈を作る為に社交の場にもマメに顔を出し……
 もっとも、そんな雑事に没頭できたから、両親を同時に喪った悲しみやあの戦場での出来事を乗り越えられたのかもしれなかったが。
 ぼんやりと振り返る暇なく動き続け、気付けば心の苦しさは和らいでいた。時間が、何よりも有用な薬となったのだろう。

 だが、それだけではない。

 エイミー。
 引き取り、屋敷に連れてきたあの子の存在。

 幼い少女の存在は、とてつもなく大きかった。

 初めのうちは、義務感の方が強かった気がする。
 父を喪った――僕が喪わせてしまったという負い目と、弱き者を守ってやらねばならないという、義務感。
 それが、いつの間にか、小さな身体で一生懸命に僕の世話を焼こうとするエイミーに、僕の方が癒されるようになっていた。重責で張り詰めていた僕の心を、彼女がくつろげてくれたのだ。

 エイミーにとっては、僕はボールドウィンの当主ではなく、世話の焼けるダメなオトナで。
 いつでも傍にいた彼女が可愛くて、愛おしくて。

 『父親を亡くしたか弱い少女』を守るという気持ちは、いつから『エイミー』を守るという気持ちに変わっていたのだろう。
 ほんの少し前までは、この気持ちは兄や父のようなものなのだと思っていた――優しく見守るだけでいいのだと。
 だが、今はそれでは我慢できない。
 ひとたび気付いてしまった想いはどんどん重くなる一方で、もうなかったことにはできそうになかった。

 デスクの上できつく両手を握り締めた僕に、ジェシーの穏やかな声が降りかかる。
「セディ様、今、あなたが為されていることは、ボールドウィン家の長であるという義務感からのものでしょう。そうではなく、セディ様、あなたご自身が守りたいと思うものを手にお入れなさい。そうすれば、ボールドウィン家は更に盤石なものとなる筈です」
 見上げれば、彼は静かな眼差しで頷いた。
「今日処理する書類は、もうありません。私は失礼させていただきます」
「そうか」
 一礼して去って行くジェシーをぼんやりと見送る。
 そのまま出て行くのかと思ったら、彼は扉に手をかけたところで不意に振り返った。

「ああ、そうそう。お父上とお母上がどうお考えになるか、というご質問ですが」
「?」
「お二方は、全く気になさらないと思います。あの方々は、『愛が全て』でしたから」
「何だそれは」
「お父上もお母上も、愛さえあれば何でも解決できる筈、と常々おっしゃっておられましたよ。お父上は奥様がどんな身分であったとしても、迷わず求婚なさっていたでしょう。――たとえあの方がメイドだったとしても、ね」
「え……」
 最後の一言に反応し損ねて絶句した僕に、ジェシーはクスリと笑みを漏らした。そうして、今度こそ部屋から姿を消す。

 ポツリと一人になった書斎で、僕は椅子の背もたれに身体を預けた。

 僕が『守らなければならない』ものはボールドウィンという家だ。家名を、領地を、そこに住む者を、守らなければならない。

 では、僕が『守りたいもの』は何だろう。

 答えは、一つだ。
 僕はエイミーを守りたい。守って、慈しみたい。でも、それだけじゃない。僕が彼女を想うように、彼女にも僕を想って欲しい。

 セレスティアが屋敷を訪れ、そして去っていってから一週間。
 この一週間、散々考えた。

 エイミーの幸せと、僕自身の望み。
 エイミーを傍から離さず、お互いに想い合えるようにするには、結婚という絆を結ぶことが唯一かつ最善の方法だと思うのだ。考えれば考えるほど、これしかないという気がしてくる。

 けれど、その方法の一番の難所は互いの身分というもので。

 ボールドウィン家は伯爵ではあるが王家に連なる血筋を持つわけではないから、貴賎結婚が絶対の禁忌というわけではない。だが、確かにメイドであるエイミーを迎えるには、ジェシーが指摘する事態を頭の中に置いておかなければならない。

 僕が結婚を申し込んだら、あの子はどんな反応を見せるのだろう。
 驚くだろうか?
 エイミーは僕を嫌ってはいない。エイミーは、間違いなく僕の傍にいたいと思っている。
 きっと、ずっと傍にいてくれるだろうし、あの子もそれを望んでいる筈だ。

 ――それが男女の愛情からのものかと言われると自信がないと言わざるを得ないのだが……エイミーのことを『女性』として扱えば、きっとそのうちあの子の気持ちも変わってくるに違いない。
 これまで多くの貴婦人と過ごしてきた時間は、無駄ではない筈だ。

 何だか、俄然やる気が湧いてきた。
 そうなると無性にエイミーに逢いたくなってくる。あの子は今の時間、屋敷のどこかの掃除をしている頃合いだ。

 椅子から立ち上って書斎を出て、彼女を探して廊下を歩いた。

 ややして。
 ――いた。

 僕は窓枠に浅く腰掛けるようにして、モップでごしごしと床をこすっているエイミーの姿を離れたところから見つめた。
 彼女は相変らず一生懸命に身体を動かしている。あんまり一生懸命だから、まとめてある栗色の髪が少しほつれて、うなじの辺りに幾筋かこぼれていた。
 あの髪を指に絡めたらどんな感じだろう。そんなふうに思って、指が疼いた。
 と、まるで僕の視線を感じたかのように、エイミーがクルリと振り返る。そうして、モップを壁に立てかけたかと思ったら、スタスタとこちらに歩いてくるではないか。

 あんまり近くに来られたら、変に高揚した今の気分では、シャレにならないことをしでかしてしまいそうだった。
 僕は近付いてきたエイミーから一歩後ずさり、距離を取る。ギリギリ、触れられないくらいの距離を。
 近寄られては一歩下がり、を繰り返していると、じきにエイミーから不審感溢れる眼差しを向けられてしまった。僕はごまかすようにニコリと笑顔を浮かべて見せる。

 エイミーの大きな目がほんの少し細められ、明らかに僕の言動を怪しく思っているのが伝わってきた。
 ――まあ、挙動不審ではあるよな。

 どう言ったらいいのだろうかと僕が頭を絞っていると、僕の方の結論が出るより早くエイミーの方から問いを投げかけてくる。
「旦那さま、わたしが何かしましたか?」
「え?」
 唐突な台詞に、思わず首をかしげてしまう。まじまじと見つめていると、エイミーがくっと胸を張って僕を見上げてきた。
 なんだかその様子が可愛らしくて、自然と口元が緩んでしまう。だが、ここで笑ったらきっとエイミーを怒らせるだろう。何とかこらえようと頑張ってはみたものの、やはり、無理だ。

 ああ、抱き締めたい。
 愛おしくて、大事にしたくて、たまらない。

 自分の理性の限界は果たしてどこら辺りにあるのだろうかと思っていると、そんな僕の気も知らず、また彼女が問い掛けてきた。 
「わたしがすることを、見張ってらっしゃるでしょう? わたしが何かしましたか?」
「見張ってなど……」

 僕は言い淀む。
 別に、見張っているわけではない。ただ、勝手に目が向いてしまうだけなのだ。
 君の姿を見ていたいだけなんだよ、などと、これまで数多の女性に告げてその言葉の通りに見つめてきたというのに、エイミーにはそれと同じ台詞を使って、同じ行動を取りたくはなかった。

 どうしたらよいのか判らず、とっさに目を逸らしてしまう。
「旦那さま?」
 不安そうな声。きっと、自分に非があるのだと思っているのだろう。
「あ、いや……本当に、君に非はないよ。ただ、見ていただけなんだ」
「そう、ですか?」
「ああ。何でもないんだよ」
 そう言って、微笑んで見せる。作った笑顔で、口元が引きつりそうだ。
 それで納得したのかどうかは判らなかったけれど、エイミーはその大きな目で、一度大きく瞬きをした。

「申し訳ありません、わたしの気にし過ぎでしたね。仕事に戻ります」
 そう言うと彼女はさっさと僕に背中を向けて、仕事に取り掛かろうとする。
 素っ気ない態度はエイミーらしいと言えばエイミーらしいのだが――納得いかない。
 気付いた時には、離れていこうとしていた彼女の腕を、捉えていた。軽く引っ張っただけのつもりなのに、エイミーは体勢を崩して僕の胸の中に倒れ込んでくる。

 ああ、まずい。
 その温もりと柔らかさに、反射的に彼女の華奢な身体に腕をまわしそうになって、慌てて距離を取った。

「何か、ご用ですか?」
 首をかしげた彼女が振り返って見上げてくる。

 用は、ない。用はないが――

「用、というか……その……訊きたいことがあるんだけど、いいかな?」
「何でしょう?」
 本当はまだ訊くつもりではなかった。もう少し周囲を固めてから、エイミーにも話を持っていくつもりだったのだが……仕方がない。僕は無難な形で話を切り出した。

「君は、将来のことをどう考えているんだい?」
 唐突な質問に、エイミーが目を丸くする。きょとんとしたその顔に、「考えたこともありませんでした」とはっきりと書かれている。

「……しょうらい?」

 僕の言葉を棒読みで繰り返した彼女に、続ける。一度振り出した話を引っ込めるわけにはいかない。
 もしも――いや、むしろその可能性の方が高いのだが――エイミーが僕のことを全く男として認識していなかったら、僕が彼女をどんなふうに想っているかに気付いたら引かれてしまうかもしれない。

 ここは、一般論から攻めていこう。
「そう。まさか、ずっとここでメイドを続けるという訳じゃないだろう? 結婚とか、考えたことはないのかい?」
 これは、不自然な話題ではない筈だ。よくする世間話の一環として、おかしくはないだろう。
 そう、よくある話題を振った筈なのに、何故かエイミーは固まってしまった。

「エイミー?」
 彼女の名前を呼んでも、ピクリともしない。一瞬にして氷漬けにされてしまったように。
 その様が精巧な人形のようで、思わず僕は彼女の頬に手を伸ばしてしまった。

 触れれば――良かった、温かい。

 僕の指先がかすったことで、エイミーは我に返ったようだった。いくつか瞬きをして、僕を見つめ返してくる。その目がちゃんと僕を認識しているのが判ったけれど、どことなく壁があるようにも感じられてならない。

「エイミー?」
「はい?」
「大丈夫かい?」
「だいじょうぶです。少しぼぅっとしただけです」
 いつものように生真面目な顔で答えるエイミー。いつもと変わらないように見えるけれど、やっぱり、何かがおかしい。

 何だろう。
 エイミーは、この頭の中で何を考えているのだろう。
 判らない。だけど、この短い間で、急に彼女が遠くなったような気がする。
 エイミーの両肩を掴んで頭がもげんばかりに揺すってやりたいのを堪えて、僕は両手をきつく握り締めた。そうして、また笑顔を作る。

「君ももうじき十七歳だろう? そろそろ自分の家庭を持つことを考えても早くはないとは思うのだが」
「わたしは……全然考えていませんでした」
「全然?」
 結婚したいとは、本当に、少しも思わないのだろうか。
「はい、全然」
「――今後、考えることもないのだろうか」
「多分」

 サックリと答えるエイミー。
 ……彼女に結婚願望が皆無だとは、考えてもみなかった。

 セレスティアのように、一生、独りでいるつもりなのだろうか。
 だが、何故だ?
 セレスティアは解かるが、エイミーには全くそぐわない。エイミーには、彼女を守る夫と彼女が慈しむ子どもがいる、そんな温かな家庭こそが似合う筈だ。
 もしかしたら、まだ幼すぎて自分が結婚することなど想像できないのかもしれない。
 しかし、それにしては、やけに硬い顔をしている。
 どこか不安そうで……

「エイミー?」
 エイミーの中にあるものを知りたかったけれど、彼女は僕から視線を逸らして呟くように懇願してきた。そう、懇願だ。

「お仕事に戻ってもいいですか?」
 そんな台詞で、エイミーは僕から早く離れたがっている。
「エイミー……そうだね、仕事の邪魔をしてすまなかった」
 今の話の流れのどこがいけなかったのか判らないまま、僕はそう答えるしかなかった。
 ばね仕掛けの人形のように頭を下げたエイミーは、俯いたまま後ずさる。その頬に引っかかった後れ毛に、無意識のうちに僕の手が伸びていた。だけど、指先がかすっただけで、彼女がビクリと肩を震わせる。

 いったい、何がいけないというんだ?
 まるで僕に怯えているかのようなエイミーの反応に、訳が判らなくなる。そうして、訳が判らないまま、彼女に背中を向けて歩き出した。
 まずい、これは作戦を練り直さなければ。
 何の根拠もなく、僕が結婚を申し込んだらエイミーはすんなりと頷くだろうと思っていた。彼女は僕との身分差など頭の片隅でも気にしたことなどないだろうと思っていたし、ずっと僕と一緒にいたいのだろうと思っていたから。
 幼い彼女は深く考えることなく、僕の傍にいられる道を選んでくれるだろうと思っていたから。
 今はエイミーの方に恋愛感情がなくても、離れられない関係を作ってから彼女にもゆっくりと気持ちを育てていってもらったらいいと、そうできる筈だと軽く考えていたのだ。

 それが、そもそも結婚する気すらないなんて。

 だけど、彼女がその気になるまで何年も待つなんて、できそうになかった。

「どうしたらいいんだ?」
 立ち止まってそう呟いた僕を、すれ違ったデニスが怪訝な眼差しで見つめていった。
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