13 / 13
アサヒ
愛執の行き着くところ
しおりを挟む
アサヒは昏々と――気を失っているといってもいいような深い眠りに落ちているシイナの枕元に腰を下ろし、ベッドの上に腕を置いた。そうして、額が触れ合いそうな距離で彼女の寝顔を見つめる。
ツキヤは、意識を飛ばしたシイナをベッドに運ばせた後、そのまま自分の部屋に帰らせた。シイナの身体をたっぷり味合わせてやったのだ。この上彼女の寝顔も堪能させる気はさらさらなかった。
頬はまだほんのり火照りを残しているけれど、深い眠りの淵にいるシイナは、穏やかに安らいでいるように見える。肝心なのは、彼女が目覚めてからだ。
目覚めたら、シイナは、自分がアサヒの前でツキヤに身体を許してしまったことで、今まで何度もそうしてきたことで、そして彼に心変わりをしていたことで、自分を責めるだろう。
アサヒは頬にかかる癖毛を指先でそっとよけ、声は出さずに苦笑する。
(どれも、仕方のないことじゃない)
細いため息をゆるゆると吐き出しながら、アサヒは親指でシイナの頬を、唇を撫でた。
ツキヤをシイナに会わせれば、いずれお互いに惹かれ合うことになるだろうというのは、最初から判っていた――少なくとも、ツキヤが彼女に溺れるであろうことは、アサヒにとって意外性の欠片もない。
「あいつと私の趣味って、結局、よく似てるのよね」
二人とも、今まで付き合ってきたのは遊び上手な女の子ばかりだ。
浅く軽い関係ばかりで、楽しかったけれどものめり込むことはなかった。
ツキヤは性格からだけれども、アサヒはそうせざるを得なかったというところもある。
恋情を抱く相手が、同性だからだ。
アサヒは自分の性的嗜好が特殊であることは十分に理解し、受け入れている。これが一般的でないことが判っていたから、手に入る相手で満足していた。
そんなだから、相手の心まで求めたことはない。
ただ、自分の欲求を満たせれば、それで良かった。
それが一変してしまったのは、高校最後の春に、シイナを目にしたそのときだった。
一目惚れ。
まさにそれそのもの。
楽しげに煌く目と目が合うと同時に、彼女のことを、欲しいと思っていた。
いつもなら、そう思った瞬間から、恋の戯れが始まっていた。
けれど、シイナには、そうできなかった。
アサヒは閉じたままのシイナの目蓋を、そっと撫でる。
この大きな目で真っ直ぐに見つめられ、屈託のない笑みを向けられると、遊びのキスもできなくなった。
いつものよう戯れの恋に引きずり込むことができなくて、でも、諦めることもできなくて。
もしかしたら、シイナも自分のことを恋愛対象として見てくれるかもしれない。
一縷の望みを抱きながらアサヒはシイナに告白し、彼女が頷き、彼女に一番近い場所を確保した。
そして、気付く。
彼女は違う、と。
女子高という特殊な環境だったから、アサヒの刷り込みは成功したように見えた。シイナは自分が抱く想いが恋だと信じ、アサヒのことを恋人だと思った。
でも、違うのだ。
シイナのそれは、恋ではない。
恋のようなものに過ぎない。
いずれもっと広い世界に出れば、いつか必ず本当の恋を知る――知ってしまう。
高校を卒業した時、シイナと物理的な距離ができた時、そのまま諦めるべきだったかもしれない。離れた場所で、彼女の優しい先輩で居続けるべきだったかもしれない。
けれど、それでは、一生シイナの傍に居ることはできない。
だから、手を打った。
アサヒはシイナをツキヤと会わせ、一緒に過ごす時間を作った。
いつもの相手に対する態度とは全く違う弟の素振りに、何度噴き出しそうになったことか。
シイナは彼のことを生真面目で潔癖で優しい男だと思っていたようだったけれども、大間違いだった。本当は、あの容姿にフラフラ寄ってくる女の子たちを、来る者拒まず去る者追わず、飽きればさっさと放り出す、そんな男なのだ。
(まあ、いつものあいつじゃなかったから、シイナも引かずにいられたんだろうけど)
もっとも、少なくともシイナに対してだけは、彼女が思っているような男になってしまうのだから、それはそれで間違いではないだろう。
もっと印象操作をしないとダメかと思っていたけれど、その点では助かった。
さりげなく、ツキヤを食事に誘い、遊びに誘い、三人で過ごす時間を作った。
アサヒが目論んだ通り、シイナは次第にツキヤに惹かれていく。
そう望んでいたとはいえ、シイナが自分とそっくりな弟にはにかみながら笑いかけるのを見るのはやはりつらかった。何度、彼のことを部屋から蹴り出してやりたくなったことか。
そのたびに、五年先、十年先のことを考えた。
一方で、ツキヤの方はいとも簡単、何も企む必要がなかった。
シイナを彼の前に出した瞬間、双子の弟が真っ逆さまに深みに堕ちていくのが見て取れた――アサヒ自身がそうであったように、彼もまた、恋という名の二度と醒めない夢に頭の天辺まで浸かってしまったのだ。
「四ヶ月耐えたのは、まあ、褒めてやってもいいわよね」
あの雷の夜、二人きりになる状況に追い込んでやっていなければ、まだ頑張っていたかもしれないが。
シイナが雷を異常に怖がっているのは知っていたし、夏場の部屋着がどんなものかも知っていた。その二つがどんな事態を招くかは、自明のことだった。
「ごめんね、シイナ」
その時点で、ツキヤに対するシイナの気持ちには気付いていたけれど、彼女自身はまだ気づいていなかった。
恋愛感情を持っていない――持っていないと思っている相手に抱かれるのは、怖かっただろう。その上、シイナには自分はアサヒの恋人だという思いがあったのだ。その後も抱かれ続けたことに、シイナが戸惑いと罪悪感でいっぱいになっていくのが明らかで、次第に笑顔が陰っていくのにはアサヒも胸が痛んだ。
アサヒとツキヤと、二人に惹かれる自分を、シイナは責めている。
でも、本当はそんな必要はないのだ。
最初から、アサヒに対する想いと、ツキヤに対する想いは、まったく別のものだったのだから。
「あいつなら、あなたを絶対幸せにするから」
それだけは、確かだ。
アサヒがしたいと思っているように、ツキヤもシイナを愛おしみ、慈しみ、守り、大事にしていくだろう。
シイナはツキヤと一生を共にすることになり、そうなれば、アサヒも彼女の人生の一部になれる。
――一番近くには、いられないけれども。
(でも、それでも、あなたの人生からはじき出されてしまうよりは、遥かに良い)
シイナの中には心変わりをした罪悪感と二心を抱く罪悪感とが居座り続け、それ故に、三人の関係の歪さには目をつぶっていてくれるだろう。
少なくとも、しばらくの間は。
「あなたが気付く前に、私の方が変われればいいんだけどね」
苦笑し、アサヒは身を乗り出してシイナの唇にそっと唇を重ね合わせた。
もしも、自分が変われなければどうなるか。
シイナのことを諦められるとは思えない。そんな自信はこれっぽっちもない。
最悪、今よりも執着を募らせている可能性もある。
「まあ、その時はその時よね」
呟き、アサヒはシイナのすぐ横に頭を乗せる。
穏やかなシイナの寝息に耳を傾けながら、取り敢えず、明日目を覚ました彼女にかける第一声に思いを巡らせた。
ツキヤは、意識を飛ばしたシイナをベッドに運ばせた後、そのまま自分の部屋に帰らせた。シイナの身体をたっぷり味合わせてやったのだ。この上彼女の寝顔も堪能させる気はさらさらなかった。
頬はまだほんのり火照りを残しているけれど、深い眠りの淵にいるシイナは、穏やかに安らいでいるように見える。肝心なのは、彼女が目覚めてからだ。
目覚めたら、シイナは、自分がアサヒの前でツキヤに身体を許してしまったことで、今まで何度もそうしてきたことで、そして彼に心変わりをしていたことで、自分を責めるだろう。
アサヒは頬にかかる癖毛を指先でそっとよけ、声は出さずに苦笑する。
(どれも、仕方のないことじゃない)
細いため息をゆるゆると吐き出しながら、アサヒは親指でシイナの頬を、唇を撫でた。
ツキヤをシイナに会わせれば、いずれお互いに惹かれ合うことになるだろうというのは、最初から判っていた――少なくとも、ツキヤが彼女に溺れるであろうことは、アサヒにとって意外性の欠片もない。
「あいつと私の趣味って、結局、よく似てるのよね」
二人とも、今まで付き合ってきたのは遊び上手な女の子ばかりだ。
浅く軽い関係ばかりで、楽しかったけれどものめり込むことはなかった。
ツキヤは性格からだけれども、アサヒはそうせざるを得なかったというところもある。
恋情を抱く相手が、同性だからだ。
アサヒは自分の性的嗜好が特殊であることは十分に理解し、受け入れている。これが一般的でないことが判っていたから、手に入る相手で満足していた。
そんなだから、相手の心まで求めたことはない。
ただ、自分の欲求を満たせれば、それで良かった。
それが一変してしまったのは、高校最後の春に、シイナを目にしたそのときだった。
一目惚れ。
まさにそれそのもの。
楽しげに煌く目と目が合うと同時に、彼女のことを、欲しいと思っていた。
いつもなら、そう思った瞬間から、恋の戯れが始まっていた。
けれど、シイナには、そうできなかった。
アサヒは閉じたままのシイナの目蓋を、そっと撫でる。
この大きな目で真っ直ぐに見つめられ、屈託のない笑みを向けられると、遊びのキスもできなくなった。
いつものよう戯れの恋に引きずり込むことができなくて、でも、諦めることもできなくて。
もしかしたら、シイナも自分のことを恋愛対象として見てくれるかもしれない。
一縷の望みを抱きながらアサヒはシイナに告白し、彼女が頷き、彼女に一番近い場所を確保した。
そして、気付く。
彼女は違う、と。
女子高という特殊な環境だったから、アサヒの刷り込みは成功したように見えた。シイナは自分が抱く想いが恋だと信じ、アサヒのことを恋人だと思った。
でも、違うのだ。
シイナのそれは、恋ではない。
恋のようなものに過ぎない。
いずれもっと広い世界に出れば、いつか必ず本当の恋を知る――知ってしまう。
高校を卒業した時、シイナと物理的な距離ができた時、そのまま諦めるべきだったかもしれない。離れた場所で、彼女の優しい先輩で居続けるべきだったかもしれない。
けれど、それでは、一生シイナの傍に居ることはできない。
だから、手を打った。
アサヒはシイナをツキヤと会わせ、一緒に過ごす時間を作った。
いつもの相手に対する態度とは全く違う弟の素振りに、何度噴き出しそうになったことか。
シイナは彼のことを生真面目で潔癖で優しい男だと思っていたようだったけれども、大間違いだった。本当は、あの容姿にフラフラ寄ってくる女の子たちを、来る者拒まず去る者追わず、飽きればさっさと放り出す、そんな男なのだ。
(まあ、いつものあいつじゃなかったから、シイナも引かずにいられたんだろうけど)
もっとも、少なくともシイナに対してだけは、彼女が思っているような男になってしまうのだから、それはそれで間違いではないだろう。
もっと印象操作をしないとダメかと思っていたけれど、その点では助かった。
さりげなく、ツキヤを食事に誘い、遊びに誘い、三人で過ごす時間を作った。
アサヒが目論んだ通り、シイナは次第にツキヤに惹かれていく。
そう望んでいたとはいえ、シイナが自分とそっくりな弟にはにかみながら笑いかけるのを見るのはやはりつらかった。何度、彼のことを部屋から蹴り出してやりたくなったことか。
そのたびに、五年先、十年先のことを考えた。
一方で、ツキヤの方はいとも簡単、何も企む必要がなかった。
シイナを彼の前に出した瞬間、双子の弟が真っ逆さまに深みに堕ちていくのが見て取れた――アサヒ自身がそうであったように、彼もまた、恋という名の二度と醒めない夢に頭の天辺まで浸かってしまったのだ。
「四ヶ月耐えたのは、まあ、褒めてやってもいいわよね」
あの雷の夜、二人きりになる状況に追い込んでやっていなければ、まだ頑張っていたかもしれないが。
シイナが雷を異常に怖がっているのは知っていたし、夏場の部屋着がどんなものかも知っていた。その二つがどんな事態を招くかは、自明のことだった。
「ごめんね、シイナ」
その時点で、ツキヤに対するシイナの気持ちには気付いていたけれど、彼女自身はまだ気づいていなかった。
恋愛感情を持っていない――持っていないと思っている相手に抱かれるのは、怖かっただろう。その上、シイナには自分はアサヒの恋人だという思いがあったのだ。その後も抱かれ続けたことに、シイナが戸惑いと罪悪感でいっぱいになっていくのが明らかで、次第に笑顔が陰っていくのにはアサヒも胸が痛んだ。
アサヒとツキヤと、二人に惹かれる自分を、シイナは責めている。
でも、本当はそんな必要はないのだ。
最初から、アサヒに対する想いと、ツキヤに対する想いは、まったく別のものだったのだから。
「あいつなら、あなたを絶対幸せにするから」
それだけは、確かだ。
アサヒがしたいと思っているように、ツキヤもシイナを愛おしみ、慈しみ、守り、大事にしていくだろう。
シイナはツキヤと一生を共にすることになり、そうなれば、アサヒも彼女の人生の一部になれる。
――一番近くには、いられないけれども。
(でも、それでも、あなたの人生からはじき出されてしまうよりは、遥かに良い)
シイナの中には心変わりをした罪悪感と二心を抱く罪悪感とが居座り続け、それ故に、三人の関係の歪さには目をつぶっていてくれるだろう。
少なくとも、しばらくの間は。
「あなたが気付く前に、私の方が変われればいいんだけどね」
苦笑し、アサヒは身を乗り出してシイナの唇にそっと唇を重ね合わせた。
もしも、自分が変われなければどうなるか。
シイナのことを諦められるとは思えない。そんな自信はこれっぽっちもない。
最悪、今よりも執着を募らせている可能性もある。
「まあ、その時はその時よね」
呟き、アサヒはシイナのすぐ横に頭を乗せる。
穏やかなシイナの寝息に耳を傾けながら、取り敢えず、明日目を覚ました彼女にかける第一声に思いを巡らせた。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
29
この作品の感想を投稿する
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる