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第三章:角笛の音色と新たな夜明け
開戦①
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最後にこのニダベリルの大地に小雪が舞ったのは、三日ほど前のことだった。
ヴァリは灰色の雲が重く垂れ込めている空を見上げて目をすがめる。そう、相変わらず日の射さない空ではあるが、雪雲はそろそろニダベリルの上から去りつつあるのだ。
厳しい冬が明け、根雪が融ければ春が来る。生命の輝きに満ちたものではないけれど、それでも一応は春だ。
重い装備を保持するニダベリル軍は、雪の深い冬の間は動けない。春になるということは、即ちどこかの国と戦が始まるということだ。
「今度の敵はグランゲルドだよな。ヴァリ、お前、どんな国か知ってるか?」
隣を歩くベリングがそう訊いてくるのへ、ヴァリは肩を竦めて返す。
「ああ……人伝だがな。森と水が溢れる――ニダベリルとは正反対だ」
そう答えはしたが、まるで楽園のように豊かだと言われるその地を、彼は実際に目にしたことはない。滔々と流れる澄んだ川や瑞々しく溢れる緑。ニダベリルの景色を見慣れた者には、まるでおとぎ話のように聞こえる。
ヴァリは思う。
そんな所に住むことができたら、どんなにか幸せなことだろう、と。
だが、ニダベリルがかの国を手に入れたとしても、きっと、ヴァリには関係ない。『ニダベリル人』ではないヴァリがその恩恵を被ることはないのだ。
ヴァリもベリングも、ニダベリルが滅ぼした部族から連れてこられた『転向者』だった。
彼と同じような者は、この国の軍には大勢いる。親を失い――いや、もしかしたら生きているのかもしれないが――この国に連れてこられ、『兵士』という名の武器に作り上げられた子どもたちの成れの果て。
彼らの命は剣や弓や投石器と大差がない。単なる消耗品だ。むしろ、投石器の方が価値があるくらいかもしれない。
毎日毎日、訓練をし、戦をし、また訓練をする。
戦いに明け暮れる日々が好きなわけではないが、さりとて、他に行き場もないのだ。戦うことしか知らない彼らは、ニダベリル軍から離れたとしても、きっと途方に暮れるばかりだろう。
ふと、ヴァリは冬になる前に姿を消した仲間のことを思い出した。
――赤目のロキス。
彼は戦うことが好きだった。戦う場さえ与えてもらえれば、それで満足しているようだった。
強いけれども我が身を振り返らない戦い方をするロキスは、ヘルドの村に不審者が現れたあの時から姿を消してしまった。
「まあ、本望なんだろうな」
ヴァリは呟く。
最近の戦は手ごたえがない、と嘆いていた彼は、きっと不審者と戦って命を落としたのだろう。誰よりも戦いを望んでいた彼が軍から逃げ出すとは思えなかったから。
「何がだ?」
ベリングが眉をひそめてヴァリを見た。それに肩を竦めて返す。
「別に」
と、不意に響いた角笛の音。
集合の合図だ。
「始まる、か。行くぞ、ベリング」
ヴァリは小さく息をつくと、ベリングへ顎をしゃくって駆け出した。
ヴァリは灰色の雲が重く垂れ込めている空を見上げて目をすがめる。そう、相変わらず日の射さない空ではあるが、雪雲はそろそろニダベリルの上から去りつつあるのだ。
厳しい冬が明け、根雪が融ければ春が来る。生命の輝きに満ちたものではないけれど、それでも一応は春だ。
重い装備を保持するニダベリル軍は、雪の深い冬の間は動けない。春になるということは、即ちどこかの国と戦が始まるということだ。
「今度の敵はグランゲルドだよな。ヴァリ、お前、どんな国か知ってるか?」
隣を歩くベリングがそう訊いてくるのへ、ヴァリは肩を竦めて返す。
「ああ……人伝だがな。森と水が溢れる――ニダベリルとは正反対だ」
そう答えはしたが、まるで楽園のように豊かだと言われるその地を、彼は実際に目にしたことはない。滔々と流れる澄んだ川や瑞々しく溢れる緑。ニダベリルの景色を見慣れた者には、まるでおとぎ話のように聞こえる。
ヴァリは思う。
そんな所に住むことができたら、どんなにか幸せなことだろう、と。
だが、ニダベリルがかの国を手に入れたとしても、きっと、ヴァリには関係ない。『ニダベリル人』ではないヴァリがその恩恵を被ることはないのだ。
ヴァリもベリングも、ニダベリルが滅ぼした部族から連れてこられた『転向者』だった。
彼と同じような者は、この国の軍には大勢いる。親を失い――いや、もしかしたら生きているのかもしれないが――この国に連れてこられ、『兵士』という名の武器に作り上げられた子どもたちの成れの果て。
彼らの命は剣や弓や投石器と大差がない。単なる消耗品だ。むしろ、投石器の方が価値があるくらいかもしれない。
毎日毎日、訓練をし、戦をし、また訓練をする。
戦いに明け暮れる日々が好きなわけではないが、さりとて、他に行き場もないのだ。戦うことしか知らない彼らは、ニダベリル軍から離れたとしても、きっと途方に暮れるばかりだろう。
ふと、ヴァリは冬になる前に姿を消した仲間のことを思い出した。
――赤目のロキス。
彼は戦うことが好きだった。戦う場さえ与えてもらえれば、それで満足しているようだった。
強いけれども我が身を振り返らない戦い方をするロキスは、ヘルドの村に不審者が現れたあの時から姿を消してしまった。
「まあ、本望なんだろうな」
ヴァリは呟く。
最近の戦は手ごたえがない、と嘆いていた彼は、きっと不審者と戦って命を落としたのだろう。誰よりも戦いを望んでいた彼が軍から逃げ出すとは思えなかったから。
「何がだ?」
ベリングが眉をひそめてヴァリを見た。それに肩を竦めて返す。
「別に」
と、不意に響いた角笛の音。
集合の合図だ。
「始まる、か。行くぞ、ベリング」
ヴァリは小さく息をつくと、ベリングへ顎をしゃくって駆け出した。
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