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 思い出したかのように、教室から俺を攻撃する言葉が飛び交う。
 向井は何も言わない。

「林君、平穏な日常が宝だって言ってなかったっけ?」

 西山の溜息が聞える。

「まったくだ。自分から火に油を注いで、どうすんだっての」

 脇田の苦笑に、向井が振り返る。
 脇田は向井に口角を上げてみせた。
 再び俺を見た向井は、驚きを前面に出していた。

「悪いけど、俺、こいつのこと、手放す気はないから」

 俺は向井を見つめながら、声を張り上げた。

「どんなことをされても、離れてやんねえから」

 背後を振り返り、ガンを飛ばす。

「やべえ、ガチャピンだよ。来ちゃったよ、恐怖のガチャピン大王」
「林君、マジなんだ」

 脇田と西山が、昔のあだ名を引っ張り出してきやがった。
 まず、永遠の挑戦者ガチャピンさんの素晴らしさを、お前らはもっと知るべきだ。
 んでもって、俺はいつもマジだ。

* * *

 放課後。
 俺は部活を休み、黒塗りの門の前に立っていた。
 林と書かれた表札を見て、その下にあるチャイムを鳴らす。

「はい。どちら様ですか?」

 凛とした声。若い男だ。

「大輔です」
「……何の用だ?」

 男の声色が変わる。俺は目を細めた。
 こいつは舎弟じゃなく、親父が母以外の女に作らせたガキだ。

「鬼門会組長、林吾朗にお会いするために来ました。組長にアポは済ましています」
「…………暫く待っていろ」

 俺はチャイムから離れ、息をついた。
 他人を呼ぶなら、部下に話をつけておけっての。
 それにしても、本当に久しぶりだ。
 黒塗りの門の先には、日本庭園が広がっている。親父はその庭を気に入っていて、そこで遊ばれることを嫌っていた。幼い頃、走り回って頬を張られたことがある。俺はその時の親父の目を忘れられない。見下し、軽蔑を含んだあの目を。

「くそっ!」

 頭を振るう。
 俺は話を聞きにきただけだ。こちらから、何かを求めて来たわけじゃない。
 奥歯を噛み締めていると、前方から足音が近づいてきた。スーツ姿の眼鏡をかけた若い男だ。

「確認はとれた。ついてこい」

 インターフォンに出た男か。
 俺はその声に頷いた。
 男に案内され、屋敷へと上がる。
 スーツ姿の舎弟が、廊下ですれ違う度に頭を下げてくる。俺の前を歩く男に対して、敬意を表しているのだ。力があるのだろう。
 男は俺を座敷に通し、待つように言った。
 だだっ広い部屋で、俺は畳の上に正座をして、正面の掛け軸を見つめた。
 掛け軸の前には、座布団が置かれている。
 襖が開き、着流しを着た男が入ってくる。
 俺は両拳を畳みにつけ、男へと向きを変えると頭を下げた。
 男は掛け軸の前の座布団に座り、息をついた。

「こっちを向け」

 男の一言に従う。
 改めて視線を交わした男、林吾朗は、険しい表情をしていた。
 傲慢な言葉には似つかわしくない、甘いマスクをしている。
 女を垂らしこむには、うってつけってか。

「ここに来ることを、慶子には」
「言っていません」
「それで良い」
「それだけですか?」

 親父が眼光を鋭くする。

「どういうことだ?」

 拳を握りしめる。

「いえ。何でもありません」
「……大輔、お前、永岡組を知っているか?」

 永岡組。
 東海を拠点とする、やくざだ。

「はい」
「そうか」
「永岡と何かあったんですか?」

 親父は腕を組み、顔をしかめた。

「お前が産まれた時、本当はもう一人、産まれていたんだ」
「ああ、そういうことですか? 他の女も出産していたと」

 こちらの棘に気付いたのかいないのか、親父は低い声で「違う」と言った。

「慶子が産んだのは、お前だけじゃなかったということだ」

 それはどういう意味だ。

「お前は双子の兄として生まれた。お前には弟がいる。慶子は死んだと思っているがな」
「嘘だ」
「真実だ」
「だったら! だったら、その弟はどこにいるんですか? どうして、母さんは死んだと誤解しているんですか?」
「俺が永岡に養子へと出した。その後、どうなったのか、知らない。関与しないのが、向こうとの取り決めだ。それで良いと思った。養子に出すことでさえ、慶子は嫌がっていたからな。悪い話は知らない方が良い。だが、中国に売られたという噂が流れてな」
「母さんはそれを聞いて、死んだと?」

 親父が頷く。

「だが、生きていた」
「どこにいるんですか?」
「知らん。生きているということだけを、永岡から聞いた」
「どうして、養子に出したりしたんですか?」

 親父は俯き、額を押さえた。

「闘争を防ぐためだ」

 頭を振り、こちらを見つめてくる。

「俺が抱いた女が、永岡の頭の女だった」
「ふざけるな!」

 立ち上がり、俺は肩をいからせた。

「あんたの責任じゃねえか! あんたが悪いんじゃねえか! ふざけんなよ! ふざけんな!」
「鬼門会は性に依存してきた組だ。専ら、風俗を仕事にし、その技術を磨いてきた。お前だって、教えられただろう。それが鬼門会の教育だ」

 親父の胸倉を掴む。

「俺は、俺も母さんも、それに、その養子に出されたって野郎だって、あんたの玩具じゃねえんだ」

 乱暴に手を離し、腕で口元を拭った。

「先日、永岡組の頭、鳴海眞也から信書が来た。永岡の傘下に入れ、拒めば、制裁を下すとな。大輔、永岡はお前の弟に、その役目を果たさせようとしている」
「兄弟殺しがお好みたあ、永岡も鬼畜だな」
「人間には心がある。それを揺さぶろうとするのは、無難なことだ」
「あんたは拒むんだな?」
「永岡が狙っているのは、鬼門会の島なんかじゃない。もともと、鬼門会は薬師だった。先祖から受け継いだ毒薬、解毒、媚薬の知識を持っている。奴らは、その知識を手に入れたいんだ。それを渡すことはできん」
「俺が殺されることになっても?」

 親父は何も言わず、俺を見つめた。
 それが答えだと思った。

「分かったよ。殺されてやるよ。それで綺麗さっぱり、お咎めなし。永岡も鬼門会も丸く収まって、拍手喝采だ」
「大輔」
「あんたは俺に性の教育をさせたと言ったな。けど、俺が本当にさせられたのは、諦めの教育だ。俺はガキん頃から、いつ死んでもおかしくないと、そう教えられてきた。生きることにしがみつくのは惨めだと、誰も俺が生きることを求めていないのに、生きようとするのは惨めだと、そう教えられてきた。やっとだ。これでようやく、その学習が花開く。あんたのご希望通り、死んでやるよ」

 襖へと歩き、開ける。

「ただ、母さんだけは見捨てないでくれ。それが条件だ」
「俺はお前を、みすみす見殺しにするつもりはない」

 親父がこちらの背後まで来て、襖を閉める。

「お前に弟のことを話したのは、出来れば、取り戻したいからだ」
「都合が良いことで」
「大輔、盃を受けろ。そうすれば、お前にちゃんとした護衛をつけることが許される。俺はお前と亮輔、お前の弟に鬼門会を継いで欲しい」

 そうしたら、家族四人で笑い会あえるのか?
 誕生日やクリスマスにパーティーを開き、夏休みには旅行へ行って、週末はちょっとした娯楽を楽しむ。
 なんて健全で、なんて遠い夢だろう。
 俺達は紙の上でだけ家族で、実体を見てみれば他人も同然で、弟にいたっては顔すら知らない。
 俺達は家族なんかじゃない。
 俺は襖を開け、玄関へと走った。


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