鈍色の先へ

上野たすく

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 朝、起きると、佐伯英治が隣にいた。
 大学で一緒だった男だ。
 小説家になる夢を応援したくて、俺は彼を金銭面で助けている。
 歌手になる夢を諦めた俺は、佐伯が夢を追いかける姿に魅かれた。
 だから、夢のために、離れた場所で奮闘している俺の恋人も、きっと許してくれると思う。
 だけど、一つのベッドを二人で使うのは、客観的に見たならアウトだ。
 佐伯の恋愛対象は女だから、俺にどうこうすることはないが、偶然、恋人が帰ってきたら誤解を招く。
 手をベッドにつく。
 痛みに呻くと、佐伯が飛び起きた。

「どうした?」
「やっ、手が痛くて」

 左手首に巻かれた包帯に血が滲んでいる。

「昨日の今日で治るわけがないだろう。もうするなよ」

 佐伯が指を絡めてくる。
 違和感のある触り方に、相手の手を払った。

「なに? 慣れない?」

 友人が甘く微笑む。
 こいつ、こんな笑い方できるんだな。

「まだ夢の中にいるのか? 俺は女じゃない」
「女とか、男とかじゃない。加藤だからしたいんだろ」
「大丈夫か、お前」
「それはこっちの台詞だ」
「小説の書き過ぎだな。少し、気晴らしでもした方がいい。そうだ。小説といえば」

 ベッドから出て、ローテーブルに置いた袋から雑誌を取り出す。

「昨日、恋人から連絡があったんだ。新人賞をもらえたって」
「恋人?」

 佐伯の呟きを無視してページを繰る。

「これ、これ。佐伯英治。あいつのペンネーム。すごい偶然だよな。お前と同じ名前だなんて。ああ、だから、俺、嬉し過ぎて、料理の途中で、包丁を持つ手を滑らせたんだな。そっか、そっか」
「加藤?」

 震える声を耳にし、佐伯を見た。

「小説家としては佐伯のライバルだな。目指している方としては読みたくないかもしれないけど、よかったら、読んでやってくれ。ずっと、才能があるのに、くすぶっていた奴なんだ。親近感、沸くだろ?」
「なあ、さっきから、ふざけてるんだよな? 俺、仕返しされてるんだよな?」

 佐伯が半笑いをする。

「お前、今日、変だぞ。気晴らしより、病院へ行くべきなんじゃないか?」

 友人はベッドからおり、俺の両腕を掴んだ。

「加藤の恋人は俺だろ?」

 訳のわからないことを言う。
 ふざけているのは、俺じゃなく佐伯の方だ。

「なに馬鹿言ってんだ? 俺のことを友達だって言って振ったのは、お前じゃないか」

 瞬間、佐伯の目から生気が消えた。
 彼は泣き声を出さずに涙を流した。
 佐伯が泣くのを、俺は初めて見た。
 佐伯は俺が健康体であるにも関わらず、仕事を休めと言った。
 理由もないのに休めない、と応えると、職場まで送る、と用事もないのに、俺の勤め先まで同行する有様だった。
 佐伯が何を心配しているのか、かいもく検討がつかない。
 いつものようにルーティンワークをこなし、昼食を採るために会社の外へ出ると、壁に凭れていた男と目が合った。

「お疲れさま」

 佐伯だった。

「お前、本当にどうしたんだ?」
「気分や体調に変化はないか?」
「ない。そもそも、俺は病気じゃない」
「……そうだな」

 相手は少しだけ唇を伸ばした。

「昼、食べに行くんだろ? 一緒に食べよう」

 気紛れな男だと思った。
 そのうち飽きるだろう。
 人恋しいときだってある。
 だが、佐伯は翌日も、翌々日も、俺から離れようとしなかった。
 病院へ行こうとは言わないが、数時間おきに、心身の具合を訊いてくる。
 それはもう、気持ち悪いくらいに。
 俺の知っている佐伯は、こんな男じゃない。
 少なくとも、俺に対する態度は異様だ。
 佐伯は俺に興味がなかったんだ。

 ずっと。

 仕事帰り、バーへ行こうと言ったのは、佐伯だった。
 以前は俺の、そして、今は佐伯のバイト先。
 俺が洋子さんと出会い、夢を諦め、佐伯が継母とキスをしていた場所。
 俺と佐伯には共通する話題や思い出が乏しい。
 だけど、あそこには俺達の過去の姿があり、最悪、仕事の話もできる。
 そういえば、佐伯に再開したのも、あのバーだった。
 年配のバーテンダーに二人で挨拶をし、カウンターに座る。

「バージン・ブリーズを二つ」

 奢るよ、と佐伯は俺に目配せをした。
 奢るからノンアルコールカクテルを飲めということらしい。
 バーテンはクランベリージュースとグレープフルーツジュースをシェイクし、グラスへ注いだ。
 開店して間もない店内には、俺達以外、客はいない。

「どうぞ」

 バーテンが俺達の前に、赤いカクテルを出してくれる。
 ありがとうございます、と佐伯が言い、すみません、と俺は頭を下げた。

「バーでわざわざノンアルコールを頼むなよって思ってる?」

 口角を上げた友人に、別に思ってない、と嘘をついた。
 相手はグラスを手にし、真顔になった。

「お前は当分アルコール禁止だ」

 いいな、と念押しされる。

「なに? 俺って、まだ、病人にカテゴライズされてる?」

 佐伯は無言でカクテルを喉に通した。
 溜息が出た。

「ありえない」
「なにが?」
「俺は佐伯の所有物じゃない」
「俺の言い方が気に食わない?」
「言い方だけじゃない。一日中、監視されているみたいで気が滅入る」
「本音を言えば、一秒だって俺から離れて欲しくない」

 佐伯の言葉を聞き流し、カクテルを一気に胃へ落とした。

「帰る」

 立ちあがろうとし、佐伯に腕を拘束された。

「奢ってくれるんだろ?」
「ああ。だから、飲み終わるまでは付き合え」

 佐伯はグラスを空にし、バーテンに金を払った。

「ごちそうさまです」

 友人がバーテンに頭を下げる。
 俺も、彼に倣った。
 バーのドアを開けたとき、バーテンが俺を呼んだ。

「気が向いたら、また、弾いてくれないか?」

 男がライトのあたらないピアノに視線を向ける。

「あいつも、まだ、現役だ。オブジェにはなりたくないだろうよ」

 目を伏せ、唇を噛んだ。

「はい……」

 佐伯が肩に手をのせてくる。
 深くお辞儀をし、バーを出た。
 俺の拙い演奏でもいいと言ってくれる人がいることが、ありがたかった。
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