鈍色の先へ

上野たすく

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「加藤は自分を過小評価し過ぎだと思う」
「自惚れるよりマシだろ」

 駅を目指して歩き出す。
 空は真っ暗だ。
 寒い。
 そろそろ、コートが必要かもしれない。

「自惚れていい場合だってある」
「ある意味、自惚れていたから、今、こうなっているんだろうな」

 時計は逆に回ってくれない。
 だから、後悔をする。
 駅で切符を買い、各駅停車に乗った。
 学生らしき男女、子どもを連れた女性、サラリーマン。
 それぞれ違う背景の中で生きる人々が、同じ車両に乗り合わせる。
 声をかけられる距離にいるのに、声をかける人はいない。
 列車が動き出し、車窓の景色が流れていく。
 学生時代からずっと見ている景色。
 列車は線路の上を走る。
 だから、違う道へは行けない。
 でも、周りは変わっていく。
 今日あった店が、翌日には重機で壊されていたりするんだ。

 変わらないものなど、ない。ひとつも……。

 アナウンスがかかり、列車を降りた。
 俺と佐伯が卒業した大学の学生達の姿がホームにあった。
 ちくりと胸が痛むのは、彼らの今が、ずっとは続かないことを知っているから。

「おっ! 奇遇だな」

 学生達の固まりを通り過ぎようとしたとき、一人の男がこちらを向いた。
 遠野彰だった。
 近くにいた学生までもが、俺達に視線を注ぐ。

「なに? お前らも呼ばれてる口? 芸術祭、もうすぐだもんな」
「いや。俺達はここに住んでいるんだ。芸術祭には呼ばれていない」

 佐伯が一歩、遠野へと進んだ。
 遠野の傍にいた女子学生が、「あっ!」と声をあげる。

「佐伯さんだ! 遠野先輩の新作に出ていましたよね」

 黄色い歓声が広がっていく。

「お前、いつから俳優になったんだ?」
「なってないから」

 胸の辺りに、軽く突っ込みが入る。
 遠野がにやにやして腕を組んだ。

「そうそう。佐伯がプロになれるなら、俺でもなれる」

 加藤君、と遠野が俺を見つめる。

「それが理由だ。こいつが君んとこへ帰れなかったのは、俺のせいだ」

 遠野は唇を噛み、腕を戻すと「ごめんな」と涙を堪えるように目を細めた。

「やめてくださいよ。遠野さんは何も悪くない。それに、俺は佐伯を待っていたりしません。部屋をシェアしているから、確かに連絡がないと不都合なこともありますけど、佐伯が帰ってこなくても」

 あれ?

 ぽたぽたと冷たいものが頬を伝っていく。
 俺には恋人がいるんだ。
 佐伯のことで泣く必要なんてないはずだ。

 一人で、晩飯を食べたって、どうってことない。
 一人分の洗濯だって、そっちのが楽だから、逆にありがたかった。
 佐伯のために買ったケーキも、とっても美味しくて、独りで食べれてラッキーだったなあって。
 俺には佐伯以外に待つ相手がいるから、何をされても、全然平気だって……。

 あれ?

 小説家になりたくて、やっとのことで夢を叶えた恋人。
 ペンネームは佐伯英治。
 じゃあ、本名は? 
 どんな顔の男? 
 声は? 
 匂いは?

  どんな思い出がある? 
 いつ、どうやって告白された? 

「あれ? ……俺って、誰を待ってんだ?」

 さっと、佐伯が青ざめた。

「悪い。今日はこれで。また、連絡する」

 佐伯はそう早口で言い、俺を引っ張って階段を上がった。
 混乱していた。
 正しいことがなんなのか、わからず、自分すら信用できず、ただ、恥ずかしさが込み上げ、それを素直に受け入れることを、心が拒否していた。
 部屋に着くと、佐伯はすぐさまドアに鍵をかけ、明かりをつけた。
 走ってきたからだろう。
 佐伯の息が荒い。

「なあ、俺って、もしかして、リストカット、した?」

 佐伯が勢いよく、険しい顔で俺を振り返る。

「そう……なんだ。手が滑ったわけじゃないんだ」
「加藤?」

 佐伯の声が震えている。

「そっか。そうだよな。俺に恋人なんていないよな。俺が告白したの、佐伯だけだもんな」
「落ち着こう。なっ。コーヒー、淹れるから、座ってろよ」
「だから、佐伯、俺に病院へ行けって……。ああ、そりゃあ、そうなるか」
「まず、考えることをやめろ!」
「俺、惨めな自分を見たくなかったんだな」
「加藤!」

 佐伯に両肩を掴まれる。

「だから、誰かに愛されていると思いたくて」
「俺が愛しているって言ってるだろ!」

 肩が圧迫される。

「愛してるよ、お前のこと……」
「……なに言ってるか、わからない」

 体が小刻みに揺れる。

「なら、わからせる」
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