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誰かが誰かを愛している ~蛍視点~
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夕方、カップを新聞紙で包んでビニール袋へ入れ、アパートへ向かった。
数日離れていただけなのに、二階廊下から見る景色はひどく懐かしかった。
風が冷たい。空が赤から灰色になっていく。
カンカンカンと階段を上る足音がした。振り返り、三田と目が合った。
男はこちらに驚きはしたが、踵を返すこともなく、近づいてきた。
「よお、どうした? そんな深刻そうな顔つきで」
笑う相手の肩には、ぺしゃんこのスポーツバックがあった。シャツにスラックスというスタイルで、彼がここに来た理由は一つ。仕事の合間に、昭弘の日用品を取りにきたのだ。
甘かった。昭弘がいつも通り、アパートへ戻ってくる訳がなかったんだ。
「昭弘は……」
「桜井がどうかしたか?」
はぐらかされる。
蛍は持っていたビニール袋を三田へ突き出した。
「昭弘に謝りたい」
三田はしばらくビニール袋を見つめていたが、笑顔をひっこめて袋を手にし、中身に顔を歪めた。
「昭弘の大切なものなんだ。自分の手で返したい」
「やめとけ。これはあいつの大切なものなんかじゃない」
三田は蛍に背を向け、ズボンのポケットから鍵を出した。
「これは俺が処分しておく。お前は家へ帰れ。いいな」
蛍は男の手を掴んだ。
「放せって。部屋に入れねぇだろ」
首を横に振る。相手は溜息をついた。
ずっと、昭弘の宝物だと思っていたカップは渡すことすら憚られるものであり、それを知らない自分と知っている三田とがいて、その差は一生涯、埋められない気がした。
求められていない自分。
何者にもなれなかった自分。
傷ついて、傷つけて。
「やっと気づいたんだ」
言うつもりはなかった。心に仕舞っておいて、昭弘の幸せを願うつもりだった。
「俺……」
男が男を好きになる。そのことで、自分はさんざん昭弘に暴言をぶつけてきた。
「好きなんだ。昭弘のことが」
三田は腕を下げ、俯いた。
「それは父親としての桜井を好きだってことか?」
「……違う。俺が抱いているのは恋愛感情だ」
突然、三田の指が首に食い込んできて、背中から勢いよくドアへぶつかった。
「こう……へ……?」
指に力が込められる。息がしづらい。相手の手を引きはがそうとするが、体が言うことを聴いてくれない。駄目だ。息ができない。くるしい。意識が薄れていく。くるし。
「苦しいか?」
なんとか目を開け、三田を見つめた。
「お前があいつにしたのは、これ以上の苦しみだ。お前はあいつに会うべきじゃない。いいかげん、わかれ。お前は遅すぎたんだよ」
何が? 俺の何が遅かった? 浩平は何を知っている?
「……ざけ……。ふざ。……ざけんな」
三田を睨みつける。酸素不足の体で相手の腕を引きはがした。空気が雪崩れ込み、咽る。
「そうやって……。ゲホッ! なんでもかんでも、俺抜きで、俺達のこれからを……、決めつけんな。俺は……。俺だって、昭弘が怖かった。……好きだから……、苦しかった」
昭弘は本心を語らない。近くにいても見えない壁があって、いつもそれが蛍を拒んでいた。
「どうして……。どうして、いつも、そうなんだよ。俺のことは、どうでもいいのかよ」
三田が舌打ちをする。グッと腕を引っ張ら、目前に、三田の顔がきた。
「本当に、桜井のことが好きなんだな?」
頷く。
「いいのか? 見たくないものを見るかもしれねぇぞ。恋は遠くから見ていた方が、綺麗に残しておける」
「そんなもの、いらない」
三田は値踏みでもするかのように蛍の瞳を見つめた。
「……なら、俺も腹をくくる」
訝しむと寂しげに笑われた。
「協力してやるって言ってんだ。ありがたく思えよ」
数日離れていただけなのに、二階廊下から見る景色はひどく懐かしかった。
風が冷たい。空が赤から灰色になっていく。
カンカンカンと階段を上る足音がした。振り返り、三田と目が合った。
男はこちらに驚きはしたが、踵を返すこともなく、近づいてきた。
「よお、どうした? そんな深刻そうな顔つきで」
笑う相手の肩には、ぺしゃんこのスポーツバックがあった。シャツにスラックスというスタイルで、彼がここに来た理由は一つ。仕事の合間に、昭弘の日用品を取りにきたのだ。
甘かった。昭弘がいつも通り、アパートへ戻ってくる訳がなかったんだ。
「昭弘は……」
「桜井がどうかしたか?」
はぐらかされる。
蛍は持っていたビニール袋を三田へ突き出した。
「昭弘に謝りたい」
三田はしばらくビニール袋を見つめていたが、笑顔をひっこめて袋を手にし、中身に顔を歪めた。
「昭弘の大切なものなんだ。自分の手で返したい」
「やめとけ。これはあいつの大切なものなんかじゃない」
三田は蛍に背を向け、ズボンのポケットから鍵を出した。
「これは俺が処分しておく。お前は家へ帰れ。いいな」
蛍は男の手を掴んだ。
「放せって。部屋に入れねぇだろ」
首を横に振る。相手は溜息をついた。
ずっと、昭弘の宝物だと思っていたカップは渡すことすら憚られるものであり、それを知らない自分と知っている三田とがいて、その差は一生涯、埋められない気がした。
求められていない自分。
何者にもなれなかった自分。
傷ついて、傷つけて。
「やっと気づいたんだ」
言うつもりはなかった。心に仕舞っておいて、昭弘の幸せを願うつもりだった。
「俺……」
男が男を好きになる。そのことで、自分はさんざん昭弘に暴言をぶつけてきた。
「好きなんだ。昭弘のことが」
三田は腕を下げ、俯いた。
「それは父親としての桜井を好きだってことか?」
「……違う。俺が抱いているのは恋愛感情だ」
突然、三田の指が首に食い込んできて、背中から勢いよくドアへぶつかった。
「こう……へ……?」
指に力が込められる。息がしづらい。相手の手を引きはがそうとするが、体が言うことを聴いてくれない。駄目だ。息ができない。くるしい。意識が薄れていく。くるし。
「苦しいか?」
なんとか目を開け、三田を見つめた。
「お前があいつにしたのは、これ以上の苦しみだ。お前はあいつに会うべきじゃない。いいかげん、わかれ。お前は遅すぎたんだよ」
何が? 俺の何が遅かった? 浩平は何を知っている?
「……ざけ……。ふざ。……ざけんな」
三田を睨みつける。酸素不足の体で相手の腕を引きはがした。空気が雪崩れ込み、咽る。
「そうやって……。ゲホッ! なんでもかんでも、俺抜きで、俺達のこれからを……、決めつけんな。俺は……。俺だって、昭弘が怖かった。……好きだから……、苦しかった」
昭弘は本心を語らない。近くにいても見えない壁があって、いつもそれが蛍を拒んでいた。
「どうして……。どうして、いつも、そうなんだよ。俺のことは、どうでもいいのかよ」
三田が舌打ちをする。グッと腕を引っ張ら、目前に、三田の顔がきた。
「本当に、桜井のことが好きなんだな?」
頷く。
「いいのか? 見たくないものを見るかもしれねぇぞ。恋は遠くから見ていた方が、綺麗に残しておける」
「そんなもの、いらない」
三田は値踏みでもするかのように蛍の瞳を見つめた。
「……なら、俺も腹をくくる」
訝しむと寂しげに笑われた。
「協力してやるって言ってんだ。ありがたく思えよ」
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