煌焔〜いつか約束の地に至るまで〜

紫南

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第一章

004 敵か味方か

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2018. 10. 3

題名の『煌焔コウエン』と読みます。

**********

あれは、母が弟の沙稀を身篭った頃だったのだろう。

叔母達もごたついていて、数日食事を朝と夕の二回だけ持ってくる以外は、誰一人側にいなかった。

七つの子どもが、日がな一日誰にも構っては貰えない事がどれほど心細いことだろう。人が人から最も知識を吸収できる時期だ。好奇心の方が手招きをする。だからあの日、一人で部屋を脱け出した。

心臓が壊れそうなくらい身体を打ち、わけもなく大声を出したくなるような不思議な感覚で満たされていく。庭へ抜ける道を頭に描き、トコトコと歩きだした。

「どちらに行かれる」
「ッ……っ」

突然背後から声を掛けられ、凍りついた。人がいるなんて思いもしなかったのだ。仕置きをされるだろうかと不安になる。

以前、入ってはならないと言われた儀式場をこっそり覗いた時は、祖父だったか叔父だったかに真っ暗な地下牢に丸一日閉じ込められた。

「部屋にお戻りを」
「……っ」
「……」

振り返る気はなかった。捕まらなければいいのだ。だが、見てみたいとも思った。

叔父達の様な、上から命令する言葉ではなかったからだろう。そっと振り返ると、そこに立っていたのは、黒い衣を纏った少年だった。

樟嬰とほとんど変わらない年であろう少年は、冷たい眼をしていた。何一つ信じてはいないというような眼だ。

「樟嬰様。お部屋にお戻りください」
「……っ」

何より驚いたのは、少年が叔母達しか呼ばない樟嬰の名を口にしたからだ。

「そのような薄着ではお風邪を召されます。お部屋にお入りください」
「……っ、わかった……」

部屋に入ると、中央にある椅子に大人しく腰掛けた。

「お茶をお煎れいたしましょうか……」
「……うん」

手際良く煎れられたお茶は、啜るととても美味しかった。飲み干し、椅子から立ち上がると窓辺へと歩み寄り、美しい空を見上げた。

「そなた……名は……」
朔兎サクトと申します」

感情の映らない瞳は、それでも微かに揺れていた。何か迷いのある瞳だった。

「こっちに来てそとを見るといいよ。ちっぽけな”なやみ”などきえてしまうから」

一瞬躊躇うように、けれど少年は距離を空けてではあったが隣に立った。そして、長いこと二人してその場を動かなかった。

◆  ◆  ◆

夕餉も終わり、読みかけの書物を机に広げる。琵紗ヒサには、休むように伝えたので、朝餉まで部屋には誰も来ないだろう。

書物に集中していた為に始め、その音に気付かなかった。何回目かの扉を叩く音で顔を上げる。

「どうぞ」
「失礼いたします……書解のお時間でしたか」
「いいよ。どうした?」

入って来たのは朔兎だった。出会った頃より幾分か柔らかくなった瞳。鍛え抜かれた身体は、素晴らしく均整がとれている。

「こちらは樟嬰様にお渡しすべきと思いまして……沙稀様の世話役達からお預かりいたしました」

大切に掌に収まっていた物は、青く、時に緑に輝く守り石。

「沙稀にあげた物だ。よく一族の者達に見つからなかったな。見つかっていたら今頃大騒ぎだ」
「沙稀様は大切に懐へ隠していらしたとか……」

渡した時の肌身離さずにと言い含めた言葉通りにいつも持っていたのだろう。

「そうか……あれが喜ぶ顔が見たくて、危険だったが……王でさえ、こんな大きな青影桔石ショウエイキセキは持ってないだろうな」

美しいこの石は、国では大変貴重で高価な石だ。加えて、国の宝物庫にもないくらいの大きさなのだ。見つかれば、何処で手に入れたのかと尋問されるだろう。

その危険を推してまで渡したのは、沙稀の無邪気な言葉が原因だった。

「あの子が、姉上と同じお名前ですねと言ったんだ……」
「……」

鉱石の本を見ていた時だ。まだ難しい文字はわからなくて、言葉にしたその名前が同じだと目を輝かせた。

これがあったら、いつも姉上と一緒にいるみたいに感じるだろうと呟いたのだ。その後可愛い笑顔を向けて、恥じらうように冗談ですよと笑っていたが、その数日後にこれを渡した時、泣いて喜んでいた。

あの頃の事を思い出し、クスリと笑った後、痛ましそうに見つめている朔兎に雰囲気を変えるように問いかける。

「何処で手に入れたのか聞かないんだな。気にならないのか。これ一つで国庫を空にできるほどの金になるぞ?」

挑発するように笑み、答えを待つ。しかし、朔兎は苦笑するだけだ。

「教える気はないのでしょう。ならば、お話になる時まで知らずにおります」
「フっ、お前は変わらないな」

知られたくない事は聞かない。だからこちらも聞くなと暗に仄めかしている。何より真面目な性格だ。それが自身の首を絞めていることに気付いているだろうか。

彼がなぜ自分についているのか知っている。その事を後ろめたく思っているのも分かっているのだ。

「……本当は……」

全部分かっているぞと伝えてやればいい。そう思いはするが、彼自身が選んだ生き方だ。踏み入って良いものかどうか、それを樟嬰はずっと迷っている。

「……どうかされましたか?」
「いや。何でもない。そうだ。これはお前にやろう。ただ、自慢したくても誰にも見せるなよ」
「っ、ですがっ。これは沙稀様の形見ではっ……」

必死に固辞してはいるが『同じ名前』と言った時、その瞳の中に羨むような色が宿ったのに気付いていたのだ。

「私がやると言ったんだ。お前に……持っていてくれ。私の信頼の証だ。肌身離さず、持っていろ」
「……承知致しました……」

大切に、宝物のようにそっと受け取る朔兎を見て、樟嬰は自分がとても卑怯なことをしていると理解していた。

朔兎を楽にしてやりたいと思っているのに、こうして苦しみを与えてしまう自分の醜さに呆れるしかない。人の心とは本当に難しい。

「大切にいたします」

そう抱きしめるように石を握りしめ、前髪で隠れた瞳が真っ直ぐ向けられることに笑みを向けるのだった。

◆  ◆  ◆

夜も更け、家人達も寝静まった。

樟嬰は夜陰に紛れながら一人塀を越える。屋敷から足早に通りを三つ過ぎれば、賑やかな喧騒が聞こえてきた。提灯の明かりで幻の様に浮き立つ商店街は、昼間とは違った賑わいを見せている。

中央にある芸者楼に脇道の小さな裏門から中に滑り込むと、馴染みの門番が顔を見せた。気安く挨拶をして、専用に当てがわれた部屋へと向かう。

ここ月下楼には、領城である葉月城への行きと帰りに着替えの為に寄るのだ。

部屋へ向かう途中で、艶やかな薄紅の衣が目に入った。

「あら、樟嬰様。そろそろ来る頃だと思ってたわ。これはまた……今日は一段と美しい衣ねぇ。着替えたらシワにならないように気を付けなくては……」

古馴染みの芸者で紅璃コウリだ。今ではこの月下楼の女主人となっており、年は五つ上で、何かと世話を焼いてくれる、樟嬰にとっては優しいお姉さんだ。

「うん。着替えるから手が空いていたら手伝ってくれる? どうも人形の着せ替え遊びをされているようで……それも、これは寝間なんだ。こんなので寝れないよ……」

樟嬰が華月院の娘であるということを知っている者は少ない。その数少ない者の一人がこの紅璃コウリだ。

あの家で無能とされているとはいえ、着せられる服は最上級のものばかり。だからこそ、ここを着替えのための中間拠点として使用している。全て彼女は事情も知った上で協力してくれていた。

「では、シワは作らないとね。着替えは……」

そういって楽しそうに部屋に入っていく。次いで中に入ると、仕事用にと昼間に着て出掛けた衣が掛けてあった。

「これでいいよ。執務だけだし、わざわざまた選ばなくても……」

衣装箪笥をひっくり返す勢いで衣を選ぶ紅璃は、喜々として楽しんでいる。どうやら、ここでも着せ替え人形にならなくてはいけないようだ。

「選んでるから、脱いでおいて」

そう背中越しに言われても樟嬰は動けなかった。着ている衣を見下ろして手をウロウロさせながら諦める。

「……脱ぎ方がわかんないんだよ……新しい型がどうとか言いながら着せられたから……」
「あらまぁ。それは脱がすのが楽しみ」

子どもの様に、今にもはしゃぎ出しそうに見えた。苦笑しながら、何とか脱いで人形にならないように心掛けようと腰紐を解きにかかる。すると、慌てたように紅璃が手を出した。

「もうっ。せっかくの愉しみを取り上げる気ねっ?」
「だって。時間が掛かりそうなんだもの。早く領城に行きたいんだ。そう言う姉さんも仕事はいいの?」

今は落ち着いた頃だといっても、花街は今が稼ぎ時。いつまでも女主人が裏にいて良い訳がない。

「そうそう私が出て行くような客は来ないわよ。やる事はあるけど、急ぎじゃないし。それより、情報あるけど聞く?」
「聞く」

素早く手を動かしながら、紅璃は今日の客達から集めた情報を話し始めた。

酒も入り、美しい女達に酌をされれば、口も軽くなる。だからこそ、ここは最も多く、確かな情報を仕入れられる場所だ。

領主として知っておくべき情報を取捨選択しながら、大人しく着せ替え人形に徹するのだった。

**********

読んでくださりありがとうございます◎

次回、明日4日です。
よろしくお願いします◎
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