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3巻
3-1
しおりを挟む第一章 女神は退屈を厭う
フリーデル王国ヒュースリー伯爵領の領都、サルバ。
その街から馬で東へ三十分ほど行ったところには、森が広がっている。それほど強い魔物はいないものの、戦う術を持たない者には少々危険な場所だ。
太陽が中天に差しかかる頃、その森の奥で一人の女性が薬草を採っていた。
「いい感じに育ってるじゃん。やっぱり新鮮なのが一番!」
嬉しそうに薬草を摘み採っては、アイテムボックスと呼ばれる鞄に入れていく。そこらの店で売っている薬草よりも新鮮でいいのが手に入ったと、ご満悦だった。
彼女の名はティアラール・ヒュースリー。家族や友人からはティアと呼ばれている。
見た目は二十歳くらいで、目鼻立ちの整った美女だ。少々癖のある長い髪は、後ろで一つに束ねて前に垂らしている。
しかし、これは本来の姿ではない。【時回廊】という神属性の魔術によって一時的に成長した姿なのだ。
もうすぐ七歳になる彼女は、この世界に存在する七つの魔力属性――風・水・火・土・闇・光・神の全てを持っている。
七つの属性の中でも神属性は特に珍しく、持っているのは世界中でほんの数人だろう。それだけでなく、ティアは魔力の量に関しても、人族としてはあり得ない数値を示していた。
ティアが、こんな無茶苦茶なステータスを持っている理由。それには彼女の前世が深く関わっている。
今から五百五十年ほど前、この場所にあったバトラール王国という国。その国を滅ぼした第四王女サティアこそが、ティアの前世なのだった。
サティアは死後、『断罪の女神』として人々に崇められた。長い年月をかけて祈りを捧げられた結果、彼女は神格化されてしまったのだ。
そして膨大な魔力と反則級の能力を持って、同じ世界に転生したのである。しかも神から『世界を平和に導いてほしい』という、面倒な使命を与えられて。
「夜だと花が閉じてるから、採っても使い物にならないんだよね。過保護なルクスが遠出はダメって言うから、昼間もこの森には来られなかったし……。お父様っ、ナイス出張!」
昨日の朝、領主である父のフィスタークが隣街の視察に出かけていった。ティアの護衛兼保護者役であるルクス・カランも、それについていったのだ。
これ幸いと、ティアは屋敷を飛び出し、薬草採取にやってきた。とはいえ、優秀な家令のリジットにだけは隠し事ができないので、正直に出かけてくると言ってある。
「リジットなら、お母様に私の事を聞かれても、上手く誤魔化してくれるよね」
そう言って、ティアは満足げに微笑んだ。
それからしばらく、また薬草採取に集中する。しかし、そこでいつもよりも大きい自分の手を確認して、不意に動きを止めた。
「森に入って三十分経つけど……まだ余裕だなぁ。ちょっと前まで、この姿でいられるのは二十分が限界だったのに……また魔力が増えてるのかな」
姿を変える魔術は、魔力をかなり消費する。元々膨大な魔力を持っているティアでも、二十分が限度だったのだ。
しかし、今日は姿を変えてから既に三十分が経過している。その上、術が解ける気配もなかった。
「ギルドカード……見るの怖いな……うん。気にしないでおこう」
体力や魔力などが数値化して記載される、冒険者ギルドのカード。最近ティアは、それを見るのを避けている。人族ではあり得ない数値が書かれているので、直視するのが辛いのだ。
「さて、そろそろ帰ろうかな」
森の出口へ向かって歩き出したティアだが、しばらくして立ち止まる。
「……フットウルフが五頭にウッドベアが一頭。物足りないけど、まぁいいか」
そう言って、進行方向からやってくる魔獣を迎え撃つべく、アイテムボックスから棍棒を取り出した。
そして六頭の魔獣をあっさり倒したティアは、森を出るまでの間に更に十数頭を倒し、街へ向かって意気揚々と歩き出す。
「おっと。そろそろ解いておこうかな」
魔術を解いて本来の姿に戻ると、棍棒をアイテムボックスにしまう。そして風の魔術を使い、いつもの数倍の速さで駆け出した。
十分もしないうちにサルバの街の外門が見えてくる。そこで風の魔術を解き、人から怪しまれないようにのんびりと歩く。冒険者ギルドに登録しているとはいえ、まだ子どものティアが一人で魔獣のいる森に行っていたと知られたくはなかったのだ。特に過保護なルクスの耳に入るのは避けたい。
街へ続く街道には、商人や旅人、冒険者達の姿がある。この時間にやってくる冒険者達は、余所者が多い。どこから来たのだろうと思いながら、ふとその冒険者達の剣を見て、ティアは思った。
「そろそろ、ちゃんとした実戦用の武器が欲しいな……」
今までは、木製の棍棒を愛用してきた。木製と言っても、使い方によっては相手を死に至らしめる事もできる。
しかし当然、剣のように切り裂いたり突き刺したりといった事はできない。実際に生死を分ける戦いとなれば、棍棒よりも剣の方が断然有利だろう。
「よしっ。お金ならあるし、さっそく作ってもらおう」
思い立ったら吉日だ。幸い今日は、口うるさいお目付け役――ルクスもいない。とっておきの武器を注文しようと思いつつ、ティアはサルバの街へと入っていく。そして、ひとまず店を紹介してもらうため、冒険者ギルドへ向かった。
◆ ◆ ◆
「ベル様。あちらのお店がお薦めです」
昼時を過ぎ、人通りがやや少なくなってきた時分。ティアの兄ベリアローズと従者のクロノスは、ゆったりとした足取りでサルバの街を歩いていた。
「そうなのか? よく知ってるな」
「この街の隅々まで把握しておりますので」
「……お前がこの街に来てから、まだひと月しか経っていないはずだが」
怪訝な顔をするベリアローズは、今年で十五歳。輝く金髪と翡翠色の瞳を持ち、まるでお伽噺に出てくる王子様のようだ。すれ違う女達はもちろんのこと、男達もみな振り返っている。
「隅々まで調べませんと、落ち着かないのです」
そう言って苦笑するクロノスは、今年で二十八歳になる。背が高く、腰には長くて細い剣――レイピアを差していた。
切れ長の目に、落ち着いた物腰。ただ者ではない雰囲気を漂わせている。だが何よりも特徴的なのは、その髪の色だった。半分は茶色で、残り半分は銀色に輝いている。この銀の髪は先祖代々受け継がれているものだった。
「それはあれか? 前の仕事で身についた癖みたいなものか?」
「恐らくそうかと……ご不快でしたか?」
「いや。むしろ頼もしいと思うぞ」
「ありがとうございます」
ベリアローズの言葉を聞いて、クロノスはほっとしたように微笑んだ。
実はこの二人、ついひと月ほど前に出会った時は、誘拐犯と被害者の関係だった。しかし、ひょんな事からクロノスは、ヒュースリー伯爵家に雇われる身となったのである。
「それで、この店がいいんだな? ……なるほど。ここならティアに似合う髪飾りが見つかりそうだ」
ベリアローズはそうクロノスに確認した。
『祝福の儀』という七歳の子どもを祝う儀式が、まもなく行われる。もちろんティアも出席するので、伯爵令嬢である彼女に相応しい髪飾りを探しているのだ。
「はい。ドレスアップしたティア様には、少々大人向けの落ち着いたものがお似合いになるだろうと、リジットさんも話していました」
「リジットも? そうか。ならば間違いないな」
有能すぎるほど有能な家令が言うのなら間違いない。そう思い、ベリアローズは意気揚々と店内へ入った。
だが、一歩入ったところで体が強張り、つい立ち止まってしまう。
「……ふぅ……」
べリアローズは、ゆっくりと息を吐いて体の力を抜く。それを見たクロノスは、店内に数人の女性客がいる事を確認し、ベリアローズの心情を察した。
「ベル様。大丈夫でしょうか?」
「あ、あぁ。どうにか見て回れそうだ。こればっかりは、ティアのスパルタ教育に感謝だな」
「どうか、ご無理はなさいませんように」
ベリアローズは幼い頃、誰もが天使のようだと口を揃えるほど可愛らしかった。だが、その容姿が原因で、何人もの乳母に誘拐されたのだ。
その経験が元で、極度の女嫌いになってしまったベリアローズ。心に深い傷を負った彼は、隠居した祖父母と共に田舎で暮らしていた。
しかし、先日祖母が身罷ったのをきっかけに、祖父はサルバの本邸へ戻る事を決めた。ベリアローズ自身も来年から貴族の子息が通う学校へ入学するため、このサルバで暮らす事になったのだ。
そんなベリアローズに思わぬ試練がやってくる。それは妹のティアとの出会いだった。
母でさえ拒絶してしまうほどの女嫌いを克服させるべく、ティアは彼に厳しい修行を課した。これにより、ベリアローズは半ば無理やりではあるものの、女嫌いを克服する事ができたのである。
「無理は無茶によって可能になるのだと、ティアが言っていた」
「それは素晴らしいお言葉ですね」
「クロノス……いや、なんでもない」
ティアに心酔しているクロノスに呆れ、ツッコミを入れようとしたべリアローズだが、言っても無駄だと思って首を横に振る。そして気を取り直し、店内に並ぶ装飾品を物色し始めた。
怪訝な顔をしていたクロノスも、すぐに元の表情に戻り、ベリアローズと共によさそうな商品を探した。
「ティア様は、どのようなドレスをお召しになるのでしょうか」
「母上が選ぶようだから、ピンク一択だろうな。髪飾りも同じピンクにするか……ああ、白もいいな」
「ええ。ティア様の髪色に映えるでしょうね」
クロノスはそう言ってにこやかに微笑む。
「うん。これかな」
ベリアローズが選んだのは、紅色、薄紅色、白色の小さな花々で形作られたバレッタだった。
「可愛らしくて清楚な花ですね。きっとティア様にお似合いですよ」
「あぁ。初めての贈り物としては上等すぎるかもしれんが、今までの礼も兼ねて贈ろうと思う」
ベリアローズ達は満足げに頷き合うと、会計を済ませて店を出るのだった。
屋敷への帰り道。ベリアローズとクロノスは、前方によく知る人物を見つけた。
「あれは……お祖父様とゲイルさんじゃないか?」
「はい、間違いありません。ゼノ様とゲイルさんです」
二人の少し前を歩いているのは、ベリアローズの祖父ゼノスバートと、護衛のゲイルだった。
ゼノスバートは伯爵位を息子に譲った後、妻とベリアローズを連れて田舎に隠居していた。上品な老紳士といった風情だが、剣の実力はそこらの冒険者よりも遥かに上である。
一方のゲイルは、長らく伯爵家の護衛を務めてきた。この街で唯一のAランク冒険者であり、国内にも十数人しかいない実力者のうちの一人だ。息子のルクスに家督を継がせた後は、ゼノスバートの友人兼護衛として伯爵家に厄介になっている。
そんな彼らも、べリアローズ達の存在に気付いたようだ。
「お、ベル坊。なんだ? クロを連れてナンパでもしてるのか?」
ゲイルがからかうように言うと、ゼノスバートが納得した様子で何度も頷く。
「運命の出会いというのは、意外と近くに転がっているからな。いい事だ」
「お祖父様まで……」
ベリアローズは呆れてしまった。ゲイルの冗談は挨拶みたいなものと思って聞き流せるが、祖父の方は本気で言っているに違いない。
「ははっ。確かに、俺もかみさんは近場で見つけたわ」
そう言ってゲイルは快活に笑った。
「ベルにも、そんな相手が見つかるといいな」
「はぁ……」
ゼノスバートに励まされ、ベリアローズは苦笑するしかなかった。
彼が女嫌いを克服した事を、祖父は誰よりも喜んでいる。これならいずれは結婚もできるだろうと、未来に希望を見出しているようだ。だが、それはさすがにまだ早い。
「そうだ。ルクスと嬢ちゃんを見なかったか?」
「ルクスとティアですか? いいえ……」
ゲイルの問いかけに、ベリアローズとクロノスは目を瞬かせる。それらしき人物が視界に入っていれば、二人ともすぐ気付くに違いないからだ。
「では、やはり街の外へ出たという事か……」
ゼノスバートは深刻な顔で顎に指を当て、街の外門の方へと目を向けた。
そんな彼に、クロノスが不思議そうに尋ねる。
「ルクスは本日、伯爵の護衛として隣街に行っているのでは?」
その疑問に答えたのはゲイルだった。
「そうだったんだが、予定よりも早く帰ってきてなぁ。嬢ちゃんが屋敷を抜け出した事に気付いて、慌てて出ていったんだ」
「ティア様がお一人で街の外へ? それは大変です!」
自身も探しに行くべく一歩踏み出すクロノスを、ゲイルが止めた。
「慌てんな。まだ明るい時間帯だし、大した危険はねぇよ。第一、あのティア嬢ちゃんをどうにかできる奴なんて、ちょっとこの国にはいねぇと思うぞ?」
ゲイルは苦笑しながら言った。Aランク冒険者であるゲイルがそこまで認める実力者。それがティアなのだ。
「それは分かっておりますが、ルクスに内緒で……というのが気になります」
「お、おう……確かにな。お前、何気に俺らより嬢ちゃんの事を理解してんじゃねぇか……?」
伯爵家の護衛となって日が浅いクロノスだが、既にティアの性格や行動パターンを把握している。その事にゲイルは驚いていた。
「いえ、まだまだです」
「頼もしいな」
目を細めて言ったのはゼノスバートだ。彼はティアの祖父として、仕事熱心なクロノスを好ましく思っている。
「ルクスが追いかけてんなら大丈夫だとは思うが、どうする? 俺らも行くか?」
「そうだな。ルクスはかなり怒っていたようだ。誘拐などよりそちらの方が心配だな」
「ルクスはティアを叱る事ができる唯一の存在ですからね」
ベリアローズも急に心配になってきた。もちろんティアの身の安全を心配しているのではなく、ルクスの雷が落ちるであろう事が心配なのだ。その後に『やってしまった』と落ち込むルクスを見るのは居た堪れない。
「本気でティア様を想っている証拠ですね。ティア様と信頼関係で結ばれているルクスが羨ましい」
「クロノス……お前はルクスと違って、ティアの行動全てを肯定してしまいそうだものな……」
「はい。ティア様が間違った事をなさるはずがありません」
自信満々で言い切るクロノスに、ゲイルとベリアローズは頬を引きつらせる。
「こいつは冗談じゃなく、本気で言ってるんだよな? 嬢ちゃんからどんな教育をされたんだ?」
「ティアの事ですから……教育というより洗脳では……」
「怖ぇよっ」
ベリアローズの呟きに、ゲイルが全力でツッコミを入れる。
だが、ティアの行動全てを肯定してしまう人物は他にもいた。
「ティアの行動に無意味なものはないからな」
「ゼノ……お前も嬢ちゃんの事になると変なフィルターかかるから、マジでどうにかしろよ?」
「む? そうか?」
呆れ顔のゲイルに指摘され、孫娘を盲目的に溺愛しているゼノスバートは首を傾げる。
そうして四人は、街の外門に向かって歩き出した。
賑やかな街を見回しながら歩いていたゲイルは、すれ違う冒険者達を見て、ふと気付いたように言う。
「なぁ、ゼノ。嬢ちゃんはもしかして、マスターんとこにいるんじゃねぇか?」
「あり得ない事ではないな。ちょうど通り道だ。立ち寄って聞いてみよう」
「だな」
ゲイルとゼノスバートが話しているのは、冒険者ギルドの事だ。ギルドマスターのシェリスと懇意にしているティアは、たびたび彼の執務室を訪れている。今日もルクスがいないのをいい事に、そこに入り浸っているのではないかと思ったのだろう。
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