陽のあたる場所で

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4話・地道な作業と魔法の活用

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翌日、まだ朝もやが残る時間にテュフォンとリュンクスは揃って指定の集合場所にやってきた。久しぶりに寝具が整った環境で眠ったので肉体の疲労感は無い。だが、もう少し眠っていたかった欲はあり、テュフォンもリュンクスも何度目かのあくびを噛み殺す。
日は昇っているものの時間は早朝。街の大半は眠っている。
そんな中でも集合場所である役所の隣の広場にはそこそこの人数がいた。
作業がしやすいように動きやすい服装と言う指定がされている中で、役所の制服を着ている職員が数人いた。彼らも朝早くから大変だとテュフォンは思った。
「おはようございます」
大きい木板を持っている職員に挨拶をすると、彼は少し疲れた雰囲気はあるものの笑顔で挨拶を返す。
「おはようございます。本日の清掃に参加される方ですか?」
「はい。お世話になります」
職員はテュフォンはリュンクスを見るとうなずいてペンを持ち直す。
「それでは、お名前を教えてください」
2人が名乗ると職員は木板に書かれたリストにチェックを入れ、2人に11と12の番号を伝え、近くで待っているように案内をした。それを受けて2人は職員以外の人たちが緩く集まっている輪の近くで待つことにした。
やや待って、朝もやが晴れた頃に集合時間となった。
待機している間に数人がやってきていたので人数は少し増えている。
「皆さま、お待たせいたしました」
受付をしていた職員とは別の職員が声を張り上げた。若い男性で声がとてもハツラツとしている。
「改めましておはようございます。本日は清掃作業にご協力いただきましてありがとうございます。今回は人数があまり集まらなかったので、1日の作業になるかと思いますが水分と昼食は簡単な物をご用意しておりますので、作業道具と一緒に配布いたします」
若い職員は右手を上げて指し示した場所には様々な道具が用意されている。
「それでは、1番の方から順番に作業に必要な物を受け取ってください」
道具の前にいた職員が手を挙げて並ぶ場所をわかりやすく示してくれている。参加者はほとんどが男性で、年齢は若いか老齢の二極化している印象だった。
今回はほとんどが二人一組での作業になるようで、テュフォンとリュンクスは同じペアだった。
渡された道具は木のスコップが3本、大きめの猫車、大量の大袋、皮手袋2つ、なめし皮のコート2着、厚い革製のロングブーツ2足、黒パンと干し肉の弁当と水筒が数本と地図だった。
清掃と聞いていたので箒が渡されると思っていたので、正直予想外だった。とりあえず、コートは着て行ってしまおうと思い、袖を通すと職員から止められた。なにが問題なのかわからなかったが、職員曰く着方が違うらしい。
なめし皮のコートは一般的なコートとは少しデザインが違い、本来なら背中側になる部分を前にして着用する物で、コートと言うよりエプロンと言った方が物としては近い。なぜそんな物が必要かと言うと、今回の清掃作業は溝さらいだからである。
「結構範囲が広いですね」
受け取った地図を見ながらリュンクスが眉を潜めて言う。テュフォンは猫車を押しながら小さくうなずく。
「報酬が誰でもできる清掃作業の割には悪くなかったのにはちゃんと理由があったんですね」
美味しい話には裏があると言うが、その通りだと実感する2人だった。
2人が担当するの商店が集まる地域だった。肉屋のような血や汚水が出やすい場所は小まめに排水路の清掃が行われているそうだ。肉屋も費用を負担をしているとか。しかし、その他の場所はある程度の期間ごとに清掃を行っているらしい。このあたりの地域は雨が多くなる時期が近づいているので、排水路の清掃に力を入れているらしい。
ただ、溝さらいは力作業なのでなかなか人の集まりが悪いらしい。
「長く住んでいる人はこの時期の清掃作業は避けているんでしょうね」
まんまといっぱい食わされた気がしてテュフォンは苦笑いをするしかなかった。緊急時なら清掃を得意とした人物に直接依頼をするのだろう。「水」の魔法を使用できる者ならかなり能力を有効活用できそうだ。実際、清掃を仕事とする人には「地」と「水」の素質を持つ人が重宝されるらしい。
「水」はわかるが、なぜ「地」の素質も重宝されるのかとリュンクスに聞けば「地」の素質を持つものは土から生まれたものを土に返すことが出来る魔法が使えるので、物を処分する時に大変重宝されるらしい。
実際、今回の清掃作業でもさらった汚れは特定の場所に積んでおくことになっている。それを「地」の素質を持つ職員か誰かが大地に返すという流れらしい。
流れはわかったが、そこまでのおぜん立てをするのは自分たちなのだ。
地図で示された地区に到着するとスタート地点をどこにするかを決めて、作業を始めることにした。
溝には木の板で蓋がされているので外す。板自体はさほど重くはないが、内側の汚れが気になるので手袋はしっかりと嵌める。
排水路はじめっとしていて、ドロが半分近く積もっている。汚臭は無いのでそこまで不快感は無かった。ロングブーツとエプロンを装備し、スコップで溝の汚れを掬って大袋に入れる。袋がいくつか出来たら猫車に乗せて、それをリュンクスが指定場所に運んでいく。その間もテュフォンが大袋に汚れを詰めていくという事を繰り返す流れで決まった。
リュンクスは自分が簡単すぎると不満を口にはしていたが、はじめたら2人とも動きっ放しになるのだからどっちも大変だよとテュフォンは答えて納得させた。
テュフォンは溝に足を入れるとスコップを土に刺して掬おうとした。力を込めて持ち上げようとしたところ、木のスコップから軋む音がした。このまま持ち上げたら折れる可能性を予感させる音だった。
「後の2本も見た目は同じようですね…」
念のため、別の1本も使ってみたが結果は同じような物だった。1回で掬う量を減らせば問題は無さそうだが、時間は間違いなくかかる。
「新しいのを用意していもらいますか?」
心配そうに提案するリュンクスに対してテュフォンは少し考えてから答える。
「新しいのがあれば良いけれど…」
なんとなく、役所への信頼感が下がっているのもあって頼りになる気がしなかった。
「代わりに、もしかしたら上手く行く方法があるけれど、リュンクスに教えてもらう必要があるんですよ」
「え?私、ですか?」
テュフォンは頷くとスコップを持ち返る。
「昨日の占い師の鑑定によれば、俺は魔力は少ないけれど「風」の素質を持っていて道具を通して発現させることに向いているそうだから…」
テュフォンがそこまで言えばリュンクスが判らないわけがない。
「テュフォンさんの魔法でスコップから風を発して土を持ち上げる浮力に活用するわけですね」
「上手く行けば良いけれど…」
頭で考えた通りに上手く行けば良いが、テュフォンにはあまり自信が無かった。そんなテュフォンの心中を知らずにリュンクスは楽しそうだった。
「やってみましょう。テュフォンさんが以前、魔法を使えていたのかわかりますし。損はありませんよ」
「そうなんですか?」
「えぇ、魔力操作は一度覚えたら身体が覚えるので、初めての人と経験者では違うんです」
「へぇ」
頭ではなく、身体で覚えると言う物だろうか。
歩くのも出来るようになれば、そこまで意識しなくてもなんとなくで出来るようになるのと同じなのだろう。
しかし、身体が覚えていても、キッカケの方法を覚えていない頭では仕方ないので、リュンクスから魔力操作の基礎を教えてもらった。
まず、魔力と言うものが血液と同じように体中をめぐっている事をイメージして、次にその流れが手に向かうように変更させると言う。手に集めることが1番イメージしやすく、基本になるらしい。その後、今回の場合は手に持ったスコップに魔力を注ぐことをイメージし、スコップの先で魔力を発現させると言う。発現させる時はどのような「風」を創り出したいのかイメージできると良いらしいが、まずは発現させることを意識出来れば十分だと言う。
テュフォンはなんとも感覚的な話でしっくりこない部分もあったが、やるだけやってみることにした。
スコップをドロに浅く差し込み、リュンクスのレクチャー通りに身体をめぐる魔力のイメージを浮かべ、手に向かって流れを作る。これであっているのかと自分で疑っていたが、手に熱を感じた。
「っつ!」
テュフォンは本能的に出来たと確信し、それと同時にドロがポンっと音を立てて跳ねた。「風」が発現してドロを跳ね上げたのだった。
スコップが浅かったのと、風の勢いが弱かったのでドロが飛び散ることは無かった。
「出来ましたね!テュフォンさんはきっと前から魔法を使っていたんですよ」
リュンクスが胸の前で手を合わせて嬉しそうに言っているが、テュフォン自身はどこか釈然としていなかった。理想的な結果にはなったが、魔法と言う物に対してやはりどこか残念な印象が拭えなかったのだった。
何回かリュンクスからの魔力操作に関するアドバイスを受けて調節すると、負担少なく汚れを掬い上げるコツを掴むことが出来た。
なかなか地味ではあるが、有効活用としては最も良い形だろう。
「テュフォンさん、無理はしないでくださいね。魔力は消費しすぎると頭痛がしたり、酷いと意識を失う事もあるので、適度に休憩を挟んで行きましょう」
大袋の口を絞めてリュンクスが助言をする。その言葉にテュフォンはうなずいて答えたが、彼は疲労を感じていなかった。
太陽が昇り、街に活気が出てきたころには2人が担当する地域の溝さらいは6割方終わっていた。テュフォンはペースを落とすどころか、むしろ効率が上がっているように感じられた。
リュンクスが空の猫車を押して戻ってきた時には、中身が詰まった大袋が予想よりも増えている。
「…テュフォンさん、無理されていませんか?」
額の汗を拭いながらリュンクスがテュフォンに問いかけるが、テュフォンは明るい表情で答えた。
「いや、全然、本当に無理していませんよ。むしろ、リュンクスさんは少し休んでください。水分もしっかり取ってくださいね」
「やはり、体力の差がありますね…」
リュンクスは猫車を道の端に置くと、下げていた水筒を取り出して口を付ける。
少女と成人男性、魔法使いと剣士と言う元々のポテンシャルの違いが如実に出た結果だろう。
テュフォンは疲れらしい疲れを感じない自分の体力に驚いていた。占い師に筋肉量が多いとは言われていたが、体力はそれ以上にあるのではないだろうか。
魔力の方も頭痛を感じることなく、調子は良いまま変わらない。魔力量が少ないと言うのは1度に使える量の事だろうか。尽きる様子は全くないのだ。
このまま最後まで休憩なしにやっていけそうなテュフォンだったが、リュンクスに昼過ぎには強制的に休憩を取らされることとなった。
けれど、ほんの短い時間でテュフォンは休憩を終えると残りの作業を片付けたのだった。
西の空がほんのり赤く色づきだした頃に2人が担当する地域の作業が終わった。最後の方は大袋を運ぶだけの作業になっていたのだった。
最後の大袋を指定の場所に運び終わると、ちょうど良いタイミングで役所の職員がやってきた。彼は積み上げられた大袋を見て驚きの声を上げた。
「おつかれさまです。もしかして、この量の袋ってことは作業が終わったんですか?」
袋の量を見て作業ペースがわかるのはさすがと言うところだろうか。
「はい。これでちょうど最後です」
言ってテュフォンは猫車から袋を下ろす。リュンクスは現場で休憩兼道具の番をしているので、ここにはいなかった。
「今回の清掃は正直、終了できる人が居るとは思わなかったけれど…ありがたいですね」
やたらと担当区画が広いとは思ったが、判って設定していたのかとテュフォンは内心で苦笑していた。こうしてまた彼の中で役所に対しての信頼感が順調に下がるのだった。
職員から作業終了の印札を受け取ると、テュフォンはリュンクスと合流して役所の本部に戻る。印札を提示し、道具を返却したのちに本日の報酬を受け取った。日が沈むより早く終わったが、ちゃんと満額受け取れたのはありがたい話である。
「テュフォンさん、1日お疲れさまでした」
疲れ切っている自分の事を後回しにして労いの言葉をかけるリュンクスを見てテュフォンは優しい人だと思うよりも、気の毒な気がした。
彼女が自分よりも他者を優先するのは優しさや慈愛の心からだと思っていた。いや、もちろんそれが間違いではないはずだ。しかし、それ以上に彼女は自己肯定感が低いように思えた。
「リュンクスさん」
テュフォンが改まって彼女の名を口にすると、リュンクスは少し顔をこわばらせた。
「あなたの方が疲れていますよ。腕も足も筋肉痛になるかもしれませんし、今夜は身体を温めてゆっくり休んでください。俺に付き合ってもらって本当にありがとうございます」
「あ…」
「俺は問題なく元気なんで。リュンクスさんを宿まで送りますよ。食欲があれば途中でなにか買いましょうか」
テュフォンの言葉にリュンクスはしばしポカンとして少しうつむいた。しかし、うつむいた時間はわずかですぐに顔を上げる。
「ありがとうございます、テュフォンさん」
そう言ったリュンクスの目は夕焼けを映し、少し潤んでいるように見えた。
テュフォンはそんなリュンクスを見て、不思議と愛おしさを感じていたのだった。
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