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妖狐・すねこすり

妖狐・すねこすり③

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 血走った目で多数の牡が自分に向かってくる。牝として喜んでいい?

 そんなわけはない。
 狐火を無視するのなら、それを今度は攻撃に使う。背を向けた連中の背中に、火球をぶつけてやるのだ。
 胸板の上から毛むくじゃらだから、よく燃えてくれる。流石に一発で仕留められる程の威力はなかったが、簡単に消せるものでもないのが狐火だ。

 地にのたうち、砂で消そうとしているが、妖気で燃えるそれは燻れば、また直ぐに燃え盛った。
 そして、向かってくる前方からも新たに発生させた狐火を大量にプレゼント。
 大火傷は体力を奪い、痛みに叫び声が木霊してきた。

「そうら、こいつも食らいなさいよ」

 燃尾の得意な妖術は炎である。
 二代目タマモノマエは、陰陽の術まで使えるそうであるが、それは初代を葬った術で人間に復讐する為に覚えたそうだ。
 そんな芸等は燃尾にはできない。だから、とにかく、一芸を極める事にした。

「飲み込め、大洪炎!」

 舞うように振るった腕から、炎の大波を放つ。
 真っ赤に燃え盛る灼炎が、狐火にも手を焼く人狼どもを飲み込んで、更に渦を巻けば、息絶えるまで焼き尽くすのだ。

 やれる――自分一人で、充分に戦えるとその時は思った。
 最もヤバそうな奴が、少しずつこちらに近付いてきた。
 そいつの力は未知数であったが、心に焦りを齎す程には、不気味な存在である。

 三分の一は殺したか、動けなくさせていた。強敵が接近するまでに、もう少し削っておきたいところであろう。
 黒い西洋鎧の男が、手で何かを指示した。

 すると、残りの人狼らが後退していく。

「諦めてくれた? そんなわきゃないか」

 鎧の男の顔が見えてくる。褐色の肌に、白い短髪。やけに長い耳をしていた。彼だけがゆっくりとこちらに向かってくる。

 残りの妖力を計算して、ここらが引き際であろうか。
 踵を返そうとしたその時、異様な気配を感じた。

「な――」

 男は飛んでいる。地表すれすれを滑空し、その速さは人狼の走る速度の倍以上。

 ――こいつは駄目だ。たとえ、人狼を全部動けなくさせても、こいつは……。

 直ぐに逃げた獣人らに追いつき、一人で殺しつくしてしまうだろう。
 今なら自分だけなら逃げられる。

 が、そこに踏み止まった。
 闘争の本能に火が点いてしまった。

 それでもまだ冷静だったのは、闇雲に自分から仕掛けにはいかない。

 村の上空にやってきた黒鎧が見下ろしてきた。

「美しい獣よ。お前は何者か。獣人の娘かと最初は思ったが、そんな術を使う者を私は知らない」

 直ぐに攻撃をしてこなかった。それは、自分の力に自信があり、同時にこちらの力も測りかねているからだろう。
 ならば、ギリギリまで答えてやろう。人狼も動かないから、それだけ村の獣人らが逃げる確率が上がるはずだ。

「まずは名乗ったら? 礼儀じゃないの?」

「これは失礼をした。ハァ、ハァ、私はベオルグ、闇の魔導士にして、最も魔王に近き存在」

 なんか、息切れしてない?
 いや、めっちゃ見てる。胸元、めっちゃ見てる。
 ああ、こいつ、性格もヤバい奴だったわ。

「あたしは燃尾。異世界から来た妖狐よ」

「ヨウコ?」

「こっちにはいないの、妖狐? 妖怪って言ったら分かる?」

 ゆっくりと地に降り立ってきた。そして、相変わらず、めっちゃ見てくる。

「ヨウカイ……、ふむ、知らぬ」

 ベオルグの言葉だけで、この世界に妖怪がいないと決めつけるのは早計だが、少なくともこの地方には存在しないのか。

「じゃあ、妖術も知らないんだ」

「おお、君が使ったのは、ヨウジュツというのか。えーと、モエビ、さん?」

「なに?」

 体を少し動かせば、重量感のある胸の脂肪球がぷるるんっと大きく揺れる。

「ブハっ!」

 盛大に鼻血を吹き出しやがった。
 ビッチの直感が告げる。こいつ、童貞だわ。

 ――ははん、上手くすれば、こいつ、魅了できるかも。

 魔法を使う魔物は、元の世界にもいた。体力自慢でもなければ、そういう人型の魔物は、魔法の防御を体に周囲に張り巡らせている事が多い。
 精神耐性なども付与している事が殆どであろうから、魅了を通すには、それをまずは消させるか、脆弱にするしかない。
 ただ、この男は自分に興味を持っている様子である。精神耐性を少しでも脆弱にすれば、魅了を通してみせよう。

「ねえ、大丈夫?」

 ハンカチを取り出して、接近する。
 鼻にハンカチを近付けながら、胸を体に押し付けてやれば、効果はてきめんのはずだ。鎧が邪魔だが。

「おお、すまぬ。むほぉっ!」

 鎧でひしゃげる柔らかな双球をガン見してくるベオルグ。

 今だ。
 魔術的な防御に妖力を少しでも注ぎ込んでやれば、防御は崩れるはず。
 途端に、ベオルグが飛び退いた。

「今、何をしようとした」

「ち……」

 気付かれた。こうもあっさりと。

「誤魔化すのは無駄だ。私の持つスキルが警告してくれるのだ。油断のならぬ牝だな、君は。だが、もっと気に入ったぞ」

 ――スキル? 何よ、それ?

「気に入ってくれたなら、ここは退いてくれないかな? ここの獣人には、良くしてくれた恩義があるんだよね」

 邪魔した目的は私利私欲ではある。

「そうはいかん。私には破滅神様の期待に応え、魔王となる夢があるのだ」

 魔王。元の世界でも魔界に君臨している。

「貴方、魔王の後継者か何か?」

「異世界から来たと言ったな。この世界に魔王はいない。だから、魔王が必要なのだよ。世界を混沌に満たす為、我が物顔の人間を駆逐し、世界を魔物の天下とする為に」

「…………その気持ち、分からないでもないわ」

 人間に遠慮して、妖怪は彼らに合わせ、もしくは姿を消していなくてはならない。それを何度も疑問に思ってきた。

「おお、分かってくれるか。見たところ、ヨウカイとは、人間でも亜人でもなく、我ら魔物に近い存在のようだ。ならば、手を取ってくれ。先程までの人狼への仕打ちは忘れよう」

「でも断る」

「なに!?」

 闇に生き、しかし人の傍にあり、人があってこそ、妖怪には存在の価値がある。
 悔しいが、学校で習ったその言葉に、実は結構納得してしまっていた。これが妖怪と魔物の決定的な違いなのだ。

「だってぇ、人間がいなくなったら、人間を化かせないじゃない」

 身構えた燃尾は爪の先に炎を灯し、口から煙を吐く。赤い髪を逆立て、強烈な殺気を放った。

「それが君の本気か? ああ、ステータスが見えない。ヨウカイとはいったい?」

 正体不明、それこそが妖怪の本質なのかもしれない。

 敵が魔術師ならば、接近戦に持ち込む。この世界の魔物は妖怪を知らないが、燃尾は向こうの世界で魔物を知っている。これだけがアドバンテージだ。
 懐に飛び込んで、炎の爪で削ぎ取るように掻いた。

「く……」

 漆黒の鎧に傷は付けたが、それだけ。

「かた! 何よ、その鎧……」

 戦車のボディだって、紙のように切り刻める攻撃が通らない。敵の防具が伝説的なそれなのか、それともこの世界の金属がそれ程に強固なのか。

「ほお、肉弾戦も得意とは……、この伝説の邪神の鎧でなければ、大怪我をしていたところだぞ」

 教えてくれて、ありがとう。

「なら、肌の出ているところを狙うまでよ」

 狙いを教えてしまったが、今ので、敵の接近戦の動きが大した事はないと分かった。
 追撃で、眉間へと突き込んでいく。

「魔導士には魔導士の戦い方があるのさ。クイック!」

 一瞬、ベオルグの顔が消えたように見えた。
 それだけ素早く躱されたのだ。

 驚愕の暇もなく、腹に拳が突き刺さってくる。

「ぐは――」

 後ろに吹き飛ばされながら、足を踏ん張らせ、どうにか膝は付かずに済んだ。
 敵を睨みながら、汗が額から流れていく。

 ――あいつ、確か、クイックって……、えーと、ゲームで似たような呪文……。

 おそらくは、時間操作の魔法か。
 知る限り、完全な時間停止の魔法は存在しない。これは白き衣の化物も言っている事だ。
 時間の停止は、全宇宙に干渉しなくては成立しない魔法なのである。そんな膨大な魔力や妖力を持つ存在がいたら、神をも超える。

 ただし結界を施し、閉鎖された空間内なら可能だという。
 今、結界が施された感覚はない。
 ならば、自分の体だけの速度を高める魔法だろう。

「ああ、厄介……」

 剣を抜いてきた。今度は本気で殺しにかかってくる。
 正面から飛び込まれる。フェイントもなく、真っ直ぐに。

「舐められたものね!」

 バタン――ベオルグは転んだ。
 そのショックで、彼に掛けられていた魔法も解けた様子である。

 ベオルグの足元で、すねこすりがVサインをしていた。
 すねこすり――足元にからみつき、時に転ばしたりする犬や猫に似た姿の妖怪。

「ぬぐぐ……」

「ぷ……、くくく……、舐めて真っ直ぐに向かってくるから、そうなんのよ」

 うつ伏せて倒れ込んだベオルグの頭を踏み付け、蹴ってやる。

「うぎゃ、おっ、おおっ、おほ……、も、もっと……」

 しっかり、スカートの中を覗かれていた。

「死ね、変態」

 とりあえず、地面に顔が半分、埋まるまで蹴っておいた。

「ふう……」

 いい汗を掻いた。

 すると、ガバっとベオルグが起き上がる。

 ――げ、このくらいじゃ死なないとは思ったけど、全然元気じゃない。

 もう一度、加速の魔法を使われると、今度は空を飛ばれると不味い。今のままでは勝てるイメージが浮かばない。

 ――ああ、あたしは、こんなに弱い。あのお方なら、こんな奴、片手間で倒せるのに。

 四本の尻尾が自慢だった。今は、四本しかない尻尾が悔しい。

「人狼らが混乱しているようです。どうやら、ゾッとする程の恐ろしい気配が近付いているようで……、失礼します」

「は?」

 飛び去っていくベオルグ。
 何か、待機していた人狼らに起きたのだろうか。

 すねこすりと共に、村の端から、平原を見てみた。
 すると、高笑いをした女が、次々と人狼らを殺しているのだ。

 ベオルグが近付いていく。
 女が殴った。
 ベオルグは涙目で撤退していく。

 唖然とする。

「え、閻鬼……」

 ライバル視する鬼の娘だった。
 あの常識外の鬼っ子の気配に慣れ過ぎて、近付いていた事に気付かなかったのだ。

 将に置いていかれた人狼らが、惨殺されていく様子をポカーンと見ていると、やがて夜が明ける。
 血塗れになった閻鬼が村までやってきた。

「…………」

「あら、こんなところにいたのですね」

「はあ、一番会いたくない相手と再会したわ」

「自分よりも美しい者が傍にいては目立ちませんものね」

 やはりこの鬼、殴ってやりたい。
 が、先程、見せ付けられたように、純粋な戦闘力では、圧倒的に閻鬼の方が上なのである。

「ところで、閻鬼さあ……」

「何ですか?」

「その背中のって、なに?」

 閻鬼の背中には幼女が張り付いていた。
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