あなたとぼくと空に住むひと

シラサキケージロウ

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青前さんと私

青前さんと私 その1

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 九月のとある木曜日のこと。私が目を覚ましたのは朝の八時半過ぎだった。起きたはいいが、中々布団に別れを告げられないままだらだらと過ごし、下の階のリビングへ降りたときには九時を過ぎていた。両親は仕事に出かけて既に家にはいなかった。

 洗面所で顔を洗った後、リビングに戻った私は朝食のハムエッグを焼いた。それをおかずに熱々の白飯を食べながら、今日の予定についてのんびり考えた。

 さて、今日は教授が体調不良とかで大学の講義もない。どう一日を過ごそうか。このまま家でのんびりとするのもいいかもしれないし、映画を観に遠くへ足を延ばしてもいい。もう一度寝てみるのも悪くないし、平林寺へお参りに行ってみるというのもある。

 様々な考えが浮かんでは消えた。私がついに、「まあ出たとこ勝負でいいさ」と結論づけたのは、朝食をすっかり食べ終え、流しで後片づけをしている最中のことだった。

 のんびりと着替えを済ませ、リュックサックに財布とタオル、念のために雨具を詰めれば準備は完了。足りないのは外へ出る目的だけであるが、無いならば無いで問題はない。理由なんてものは後付けで構わないものなのだ。

 私は「書を捨てよ、町へ出よう、出た後のことはそのときに考えよう」と唱えながら家を出た。これは私の友人が、たびたび口にする言葉である。空を見れば、天気は今のところ清々しいほどの快晴だった。

 自転車に跨がった私は、気の向くままにペダルを漕いだ。涼しげな風が強く吹き、私の前髪をかき上げる。遠くを眺めれば、ぐるりと新座を囲む強化ガラスで出来た透明の壁が、太陽の光を反射している。あれがあるおかげで、私達は空からの落下を恐れずに新座で暮らせるのだ。

 住宅街をしばらく走りやがて見えてくるのは、ジャガイモやら枝豆やらが植えられた畑である。その真ん中に通る、コンクリートで舗装された細い私道を抜けると、廃墟となって久しい、かつて和食レストランであった黒塗り屋根の建物が正面に見えてくる。私は建物を正面に見て右へ曲がり、片山の交差点へと続く坂道を下っていった。

 滅多なことが無い限り車道に車が走ることがない新座は至って静かだ。狭い世界で完結せざるを得ないこの町では、車なんてシロモノは無用の長物である。代わりに、市内に住む人の多くは移動のためにもっぱら自転車を使う。原付を使う人もいるが、ガソリンを運ぶ手間もあるので、それは極々一部に限られる。

 交差点で信号に引っかかり、車が通らないことを百も承知で青に変わるのをじっと待っていると、私の隣で誰かがスポーツタイプの骨ばった自転車を止めた。見れば、それは青前さんだった。

 青前さんとは、我が家が昔から懇意にしている喫茶店・アンリの一人娘である。年齢は私のひとつ上であるが、大学には行かず、実家である喫茶店を手伝う日々を送っている。
短く切った髪に、すらりと長い手足、整った目鼻立ちから、喫茶店の看板娘として数々のオジサマ方を魅了している。アンリに通う半分は彼女目当てという噂すらある。

「やあ、ナリヒラくん。今日も眠そうだね」

「ええ、おかげさまで」と頭を下げる私は、実のところナリヒラという名前ではない。在原という私の名字から、かの歌人・在原業平を連想した彼女が遠い昔に勝手につけたあだ名である。ちなみに本名は行人(ゆきひと)という。

「今日はどちらまで?」と私は訊ねた。
「決めてないよ、君と同じだ」
「なるほど。それは結構なことで」

 信号が青に変わったので、私は「それでは」と会釈して自転車を走らせた。なぜだか青前さんは私についてきた。

「どうしてついてくるんです?」と私は自転車を走らせながら訊ねた。
「ついていってるわけじゃないよ。君とたまたま行く方向が同じだけ」
「でしたら、どうぞ私を抜かしてください。私の自転車は青前さんのように速くはありませんから」
「ゆっくり走りたい日だってあるの。わかんないかな、この乙女心が」

 青前さんはそう言って私の後ろから離れようとしなかった。風避けか何かのつもりなのだろうと思い、私はそれ以上何も言わないことにした。彼女と言い合いになったところで、私に勝ち目が無いことは、十年以上も前に学習済みのことだ。

 しばらく道なりに進み、市内の児童センターを超えたところの交差点を右に曲がって、平林寺の方へと向かう。左手に伸びる錆びたフェンスの向こうには、手つかずの自然が広がっている。地表よりも近い位置からの太陽を受けて緑の葉を輝かすその姿は、いつ見ても涼しげで凛としている。

 五分ほど自転車を走らせた先にある新座市役所の駐輪場に自転車を止めた私達は、バス停に設置されたベンチにふたり並んで座った。葉が擦れあうざわざわという音と、やや遅れて地上に出てきた蝉の声だけが響き、世界は私達を残して人がいなくなってしまったようだった。

「いい気持ちだ。きっと、こんな日は平林寺の狸もひなたぼっこしてるね」
「そういえば青前さん、今日はお店の手伝いはいいんですか?」
「午後から入る予定だよ。お昼、食べにくる?」

「是非とも」と私が答えると、青前さんは「毎度あり!」と言って細い二の腕に力こぶを作ってみせた。

 しばらくのんびり過ごしていると、市役所前のバス停に一機のバスが静かに着陸した。タイヤの代わりに反重力装置が付いた、日本国内では大変珍しい〝空飛ぶバス〟である。

 運転手が扉を開けて、私達に「乗ってくの?」と声をかける。私が「いいえ」と答えると、飛行バスはゆっくりと扉を閉めて、再び空へと重たげに飛んでいった。

 浮遊する鉄の塊を見上げながら青前さんは言った。

「にしても、ここと下とじゃバスもずいぶん作りが違うよね。あたし、初めて下のバスに乗ったとき驚いたもん」
「まあ、新座以外じゃバスが浮いてる必要性はありませんからね。仮に空で衝突事故でも起こせば、下にいる人が巻き添えを食いますし」
「そうなんだけどさ、車が空に浮かんでる方が未来って感じがしない? ロマンは大事だよ」
「青前さんは昔の映画が好きですからねぇ。そういうイメージを持つのも無理ないかもしれませんけど……。だいたい、バック・トゥー・ザ・フューチャーだなんて、新座に住む二十代の人で見たことがあるの、青前さんくらいですよ」

「君だって見たじゃないの、あたしと一緒に」
「私はまだ十九歳ですから」

 青前さんは「コイツ!」と私の肩をばちんと殴った。手加減を知らない彼女の一撃は、私の肩を無闇に痛めた。
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