あなたとぼくと空に住むひと

シラサキケージロウ

文字の大きさ
3 / 45
青前さんと私

青前さんと私 その2

しおりを挟む
 青前さんが「平林寺にお参りでもしよっか」と言った矢先、生暖かい風がふいに頬を撫でてきた。嫌な予感を覚えつつ空を見れば、遠くの方から黒い雲が近づいているのが見える。

 新座は空に浮かんでいるだけあって、天候の変化が非常に激しい。晴れていたと思ったら三十分後には雨が降っているし、大雨が降っていたと思ったらびっくりするほど暑くなるようなこともある。

 天気が多少変化するくらいなら、洗濯物に注意をしていればいいだけの話なのだが、落雷まであるものだからたちが悪い。もちろん町全体で雷への対策はしているが、だからといって事故数がゼロになるわけではない。つい先月も、小学校の桜の木が雷で真っ二つになったばかりである。

 私達は大慌てで駐輪場まで戻り、元来た方へと自転車を走らせた。道中、青前さんは私の背中に言った。

「あたしのお店に行こう。君の家に戻るよりは早いでしょ?」

 時間的にお昼には少し早かったが、雨雲が迫る中で四の五の言ってはいられない。私は彼女の提案に乗り、アンリまで自転車を走らせた。

 喫茶店・アンリは片山交差点に面した場所に看板を構えている。色あせた赤レンガの外装が、良い意味でも悪い意味でも目に付く店だ。一階は喫茶店の店舗として、二階と三階は青前さん一家の居住空間として使用されている。

 そこはかつて床屋であったり、冴えないブティック店であったり、どこかの政党の選挙事務所であったりした場所だが、紆余曲折の結果、現在の形に落ち着いた。お世辞にも広いとは言えず、十五人も客が入ればもういっぱいになる店だが、私が産まれるずっと前から同じ場所にある年季の入った純喫茶で、固定客は意外と多い。

 五台分のスペースしかない駐輪場に自転車を停め、私達が店の硝子扉を押したのと同時に、大粒の雨がざあざあと空から落ちてきた。間一髪のところである。ほっと息を吐きながら見回すと、店に客の姿は無かった。

 店に入った私達を、マスター――つまり青前さんのお父さんが出迎えた。

「ぎりぎりだったね。いらっしゃい」
「ええ。なんとかなりました」

 マスターは私達を窓際のテーブル席へ案内してくれた。閑古鳥で満員御礼の店内には、レトロなレコードプレーヤーが流すバイオリンの音が虚しく響いていた。

 私は窓の外へ目をやった。雨が絶えず窓へとぶつかり、ばちばちと音を立てている。店内がなんとなくひんやりとしてきて、マスターが冷房のスイッチを切った。

 この季節、ゲリラ豪雨という現象が新座の下ではよく起きる。しかしニュース映像などを見る限りでは、新座における天候の変化の仕方よりはよほどマシに思える。あれがゲリラならば、こちらはパールハーバーだ。

 やがてマスターがホットコーヒーをふたつ持って席までやってきた。

「しばらく降るらしい。こりゃ、今日は昼過ぎまで開店休業かな」
「ダメだよ。お父さん、こんな日だからこそ外で呼び込みしてこないと」
「そうだね、考えておくよ」

 青前さんの冗談を悠々受け流したマスターは、「ゆっくりしてね」と手を振ってカウンターの方へと引っ込んでいった。

 青前さんはコーヒーを一口すすると、カウンターの向こう側で食器を洗うマスターを眺めながら、「それにしても」と口を開いた。

「改めて考えれば、不思議だよねぇ、ここも」
「そんな。いつだって今日みたいに閑古鳥が鳴いてるわけじゃないでしょう」
「経営不振のこの店がいつまでも潰れない理由が不思議ってわけじゃないの。そもそも、赤字経営が一度も無いのだけが自慢の店だし」

「コーヒーだって自慢だけどね」というマスターの呟きを無視し、青前さんはさらに続けた。

「蛇口を捻れば水が出る。スイッチを押せば電気が点く。トイレだってレバーを捻れば流れていくし、コンロにだってしっかり火がつく。そりゃ、下じゃ普通のことなんだけどさ。空に浮かんでる新座で同じことが起きるのが不思議だよ」
「そんなに不思議ですかねぇ」
「不思議だよ。だって、水道管も電線もガス管も排水管も、下まで繋がってるわけじゃないんだよ。それなのに、蛇口を捻るだけで、スイッチを押すだけで、水も電気もガスも下から引っ張ってこれる。生活排水はどこを通るかわからないまま下に流れる。おかしいでしょ、こんなの」
「学者みたいなことを言いますね、青前さんは。そうなってるんだからそうなってる、それでいいじゃないですか」
「なんでそんなにのんびり屋かなぁ、ナリヒラくんは」

 青前さんはぷいとそっぽを向いてしまった。怒らせてしまったかなと思い、私は「すいません」と頭を下げた。

「でも、そのうち天才的な学者がふらっと現れて、この不思議の先にある答えを見つけてきてくれますよ。それまでの我慢です」
「六十年間答えが見つかってないのに、学者がそれを探してこれると思うの?」
「六十一年目なら、あるいは」
「そんなの待ってられないよ、あたし」

 青前さんはふいに私の手を取った。彼女の手のひらは暖かく、そしてカラリとした彼女の性格と裏腹にふわふわしていた。急なことに頬を染めた私は、それを気取られないよう下を向いて「なんでしょう」と言った。

「責任を取りなさい、ナリヒラくん。じゃないと許してあげない」
「まさか、ハタチを迎える前にそんなドラマみたいな言葉を浴びせられると思っていませんでした。私にどうしろというんですか」
「心配しないで、大したことじゃないから」

 青前さんは何てことのない調子で大したことを言った。

「新座が空に浮かんだ理由を、あたしの元まで持ってきなさい」





 雨が止んだのは十二時を過ぎたころだった。雲一転にわかに晴れたと思ったら、空が太陽の独壇場となるまでは早かった。強い太陽の光がコンクリートに照りつけて、ぎらぎらと反射して眩しいほどである。

 少しすると私以外のお客さんもちらほらやってきた。青前さんは「そろそろかな」と席を離れてエプロン姿に着替え、アンリの看板娘へと華麗なる転身を遂げた。

 徐々に混み合ってきたアンリの忙しそうな光景を横目に見ながら、私は考えた。

 そういえば、青前さんは昔から新座という存在について疑問を呈することが度々あった。

 確かに、考えてみれば新座というのは妙な町だと私も思う。理由もなしに空に浮かぶ町なんて、世界中のどこを探してもこの新座しか見当たらない。元祖空中都市のマチュピチュですら、空中とは名ばかりで、山の上にあるというだけなのだ。それに、彼女が指摘したライフラインの問題もある。

 しかし、そういった難しい問題に私達が頭を捻らせても仕方のないことであるのもまた事実だ。好奇心は猫を殺す。君子危うきに近寄らず。わからないことは学者に任せておけばよろしい。

 そんなことを考えていると、マスターがオムライスの乗せられた皿を片手にやってきた。私はアンリに行くと、大抵の場合はオムライスを食べてコーヒーを飲む。

「ウチの娘が困らせちゃってるみたいで、悪いね」と申し訳なさそうに言いながら、マスターはテーブルに皿を置いた。

「いえいえ、昔から一緒にいて飽きないですよ」
「そう言ってもらえると助かるよ。あの子は昔から突拍子もないことを言い出すのが好きだから」
「存じていますとも」
「だからまあ、よろしく」
「待ってください。その、よろしくとは?」

 私の問いにマスターは苦笑いで答え、他の客の接客に回った。それから少しして、何故か私の席に頼んでもいないチョコバナナパフェが運ばれてきた。おまけにその日の勘定はタダであった。いくら今現在の社会の主流が資本主義といえども、タダより高い物はないのは、この世における覆しがたい真実である。

 満腹になった腹をさすりながら、私はそう遠くないうちに青前さんの好奇心に付き合わされることになるのだろうと予感した。

 後でするのも面倒なので、ついでに覚悟もそこで決めた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

僕《わたし》は誰でしょう

紫音みけ🐾新刊2月中旬発売!
青春
※第7回ライト文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。 【あらすじ】  交通事故の後遺症で記憶喪失になってしまった女子高生・比良坂すずは、自分が女であることに違和感を抱く。 「自分はもともと男ではなかったか?」  事故後から男性寄りの思考になり、周囲とのギャップに悩む彼女は、次第に身に覚えのないはずの記憶を思い出し始める。まるで別人のものとしか思えないその記憶は、一体どこから来たのだろうか。  見知らぬ思い出をめぐる青春SF。 ※表紙イラスト=ミカスケ様

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

「真白」〜〜雪と蛇の女〜〜

まへまへ
キャラ文芸
恋愛ファンタジー小説です。 本作品の画像は全て生成AIを使用しております。 信州の雪深い山中で、母とともに小さなロッジを営む青年・一朗。 父を雪崩で亡くし、幼なじみをかばって手に傷を負った過去を抱え、静かに、淡々と日々を生きていた。 そんな彼の前に、ある日“白い蛇”が現れる。 罠にかかっていたその蛇を助けた夜から、運命は静かに動き出した。 吹雪の晩、ロッジに現れた少女――名を「真白」。 彼女は、あの日の白蛇だった。 純粋で無垢、けれどどこか懐かしい。 人の姿を得た彼女は、初めて知る「世界」に心を震わせ、一朗のそばで少しずつ“人間”を学んでいく。 雪に閉ざされた山のロッジで生まれた、人と白蛇の奇跡の絆。 過去の痛みと孤独を包みこむように、真白は優しく一朗の心に灯をともしていく。 けれど、やがて訪れる春が二人に突きつける――「蛇としての運命」と「人としての願い」。 白い雪の中で出会い、心を通わせた一朗と真白の、静かで切ない恋の物語ですが、ラバーフェチ要素やちょっとR15な要素(まへまへらしさ)が中盤以降登場しますので、、、。笑

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

処理中です...