あなたとぼくと空に住むひと

シラサキケージロウ

文字の大きさ
4 / 45
茂川先生と私

茂川先生と私 その1

しおりを挟む
 私の通う専洋大学は、新座から遙か遠く離れた、東京都の文京区にある。

 自分で言うのも何だが、私はそれなりに真面目な男であるので、土日を除いて大学には毎日きちんと通っている。またたとえ土日でも、レポートなどの課題があれば、大学の図書館まで足を伸ばすのも辞さない。

 その日も私は大学へ向かうため、家のそばにあるバス停で、下へと運んでくれる空飛ぶバスを待っていた。見上げれば雲が浮かんでいるが、見たところ雨が降る心配はしばらく無さそうだ。新座の人間は天気の変化を匂いと肌で感じることが出来る。

 やがてバスがやってきて私はそれに乗り込んだ。私以外に客は数人のサラリーマンがいるだけであった。その昔、片道270円の空飛ぶバスに客が数人だけでは経営が立ち行かないのではなかろうかと、子どもながらに思っていた私だが、中学生に上がった辺りで父から「新座の空飛ぶバス事業は国から補助金が出ているんだ」という話を聞いて納得した。利権という言葉もそこで覚えた記憶がある。

 バスはいくつかの停留所を経て、やがて下へと針路をとった。感覚としては長いエレベーターに乗っている時と同じで、僅かではあるが胃が宙に浮くような感じがある。
もう慣れたものだが、私は昔この感覚が嫌いであった。気圧差で耳が嫌な感じがしてくるのも相まって、違う世界へ連れていかれているような気分にさせられるのかもしれない。

 窓の外へ目をやると、新座にいる時は豆粒程度であったビルやマンションが瞬きする度に大きくなっていく。新座を避けて敷かれた西武池袋線の線路に、黄色い電車が走るのが見える。かつて新座があった場所は、とんでもなく大きな穴がぽかんと口を開けている。地獄への入り口なんてものがあるとすれば、きっとあんな感じだろうと、私はあれを見る度に思う。

 バスは大泉学園駅前に着陸した。急行電車に乗り込んだ私は池袋で山手線に乗り換えて、そこから巣鴨まで行って三田線に再度乗り換えた。目的地である白山駅に着いたのは八時半を過ぎたころだった。

 駅から大学へ歩く途中、私に「おーい」と声を掛けてくる人がいた。振り返ると、そこにいたのは茂川先生であった。

 茂川先生は私の通う大学に勤める妙な人である。目上の人に対して妙な人と呼ぶのもどうかと思うが、妙なのは事実であるので仕方がない。

 彼は文学部哲学科の准教授でありながら、新座が空に浮かぶメカニズムを探ることに命を懸けている。もしかしたら、ひねくれ者の巣窟である哲学科の准教授にまでなった人だからこそ、こういった神秘に興味を持つのかもしれないが、結局のところそんなことはどうだってよい。傍から見れば妙な人は妙な人だ。

 そんな妙な人が、何故私と知り合いかといえば、きっかけはやはり新座であった。

 私が入学したてのころのことだった。生粋の新座市民が大学へやってきたという話をどこからか聞きつけた茂川先生は、経営学入門の授業を受けていた私の隣の席に突如として現れ、自分がいかに新座浮遊現象の謎解明に対して熱意を持っているかを語り、私を大変にうんざりさせた。

「もう来ないでください」

 私はそう言い放ち、なんとか先生を追い払った。しかし翌日も、その翌日も先生は私の元にやってきて、溢れんばかりの熱意の押し売りをしてきた。

 一週間と経たないうちに「だめだこりゃ」と根負けした私は、先生に「何がお望みですか」と訊ねた。

「ひと月に一度、君の健康状態を調べさせて欲しい。代わりに、僕の授業の単位はあげるから」

 単位の話は丁重に断った上で、私は先生の頼みを引き受けた。そんな薄汚れた単位をもらうことは、私のちっぽけなプライドに反する行為であった。

 茂川先生は私の隣に並んで歩き始めた。

「おはよう在原くん。元気そうだね」
「はい、元気です。茂川先生はどうですか?」
「元気も元気だよ。今日も僕のアパートから、よぉく新座が見えたからね」
「新座を見て元気になれる人なんて、茂川先生以外には中々いませんよ」
「ならいいじゃないか。珍しいことは悪いことじゃない」

 茂川先生は何故か自慢げにガッツポーズしてみせた。

「それでさ、在原くん。今日は確か、君は3限目で授業が終わる予定だったよね。よければ、授業後に僕の研究室に来てもらっていいかな」
「私の授業予定を先生が把握していることへの疑問はさておき、次の血液検査はまだのはずですよ」
「わかってるって。でもさ、浮遊について中々面白い仮説があるんだ。生粋の新座市民である君の意見を是非とも欲しくてね」

 先生の誘いを丁重にお断りしようとしたその時、私の脳裏に思い浮かんだのは青前さんの顔だった。脳内の彼女は、私に「一緒に新座の謎を探るって約束したでしょ!」と人差し指を突きつけた。脳内の彼女が言うようにしっかりと約束した覚えはないが、オムライスとパフェとコーヒーをタダで頂いた負い目はある。

 私は「わかりました」と頷いた。

「お邪魔させていただきます。お話聞かせてください」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

僕《わたし》は誰でしょう

紫音みけ🐾新刊2月中旬発売!
青春
※第7回ライト文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。 【あらすじ】  交通事故の後遺症で記憶喪失になってしまった女子高生・比良坂すずは、自分が女であることに違和感を抱く。 「自分はもともと男ではなかったか?」  事故後から男性寄りの思考になり、周囲とのギャップに悩む彼女は、次第に身に覚えのないはずの記憶を思い出し始める。まるで別人のものとしか思えないその記憶は、一体どこから来たのだろうか。  見知らぬ思い出をめぐる青春SF。 ※表紙イラスト=ミカスケ様

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

「真白」〜〜雪と蛇の女〜〜

まへまへ
キャラ文芸
恋愛ファンタジー小説です。 本作品の画像は全て生成AIを使用しております。 信州の雪深い山中で、母とともに小さなロッジを営む青年・一朗。 父を雪崩で亡くし、幼なじみをかばって手に傷を負った過去を抱え、静かに、淡々と日々を生きていた。 そんな彼の前に、ある日“白い蛇”が現れる。 罠にかかっていたその蛇を助けた夜から、運命は静かに動き出した。 吹雪の晩、ロッジに現れた少女――名を「真白」。 彼女は、あの日の白蛇だった。 純粋で無垢、けれどどこか懐かしい。 人の姿を得た彼女は、初めて知る「世界」に心を震わせ、一朗のそばで少しずつ“人間”を学んでいく。 雪に閉ざされた山のロッジで生まれた、人と白蛇の奇跡の絆。 過去の痛みと孤独を包みこむように、真白は優しく一朗の心に灯をともしていく。 けれど、やがて訪れる春が二人に突きつける――「蛇としての運命」と「人としての願い」。 白い雪の中で出会い、心を通わせた一朗と真白の、静かで切ない恋の物語ですが、ラバーフェチ要素やちょっとR15な要素(まへまへらしさ)が中盤以降登場しますので、、、。笑

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

処理中です...