あなたとぼくと空に住むひと

シラサキケージロウ

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茂川先生と私

茂川先生と私 その4

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 六十年前の新座浮遊から間もなくして、大型スーパーやコンビニ、レストランなどの生鮮食品を扱う全国展開するチェーン店の類は、運輸コストの関係から市内を次々撤退していった。そしてそれに追随するように、ユニクロやヤマダ電機のような店も、まるで火事場泥棒のようにこっそり新座から逃げ出した。

 しかしこのドン・キホーテは違った。しまむらと同じく、決して新座から逃げようとしなかった。いくら大雨が身体を打ち付けようと、いくら雷が自らの存在を脅かそうと、マスコットキャラクターのドンペンは砂埃に身を汚しながらそこにあり続け、正面に建つ新座警察署を黙って見守っていた。彼の誇り高き立ち姿は、まさに男の中の男であった。

 私たちは屋上から店内に入った。店に客はまばらである。棚に並んだ商品達は自己増殖を繰り返したかのように天井付近の高さまで積み上がっており、威圧的に私達を見下ろしていた。

 茂川先生は酒が並ぶ棚の前まで私を連れてくると、カルーアコーヒーの720ml瓶を片手に「いいかい」とこっそり耳打ちした。

「これをレジまで持って行って、店員に同じものをペットボトルの容器に欲しいと言うんだ。そうすれば店員がそんなものはありませんと答える。そしたら君は、それならこれと同じものを350ml瓶で3つ欲しいと言う。そうすれば、あとは店員についていくだけでいい」
「なんですか、それ。スパイ映画じゃあるまいし」
「いいから行くんだ。僕も必ず後から行く」
「映画では、そういう人は必ずと言っていいほど帰ってこない」
「これは映画じゃない」

 そう言って先生は私の胸にカルーアコーヒーを突きつけるように手渡すと、酒の棚とにらめっこしながら何かを吟味するように「うーん」と唸り始めた。

 私は半信半疑のまま、瓶を片手にレジへと向かった。レジを担当しているのは、不機嫌そうな顔をした中年女性店員であった。私は「もしかしてからかわれているのでは」という疑念がどうしても拭えず、彼女に話しかけるのをためらっていたが、そこでも思い浮かんだのはやはり青前さんの顔だった。

 脳内の青前さんは「意気地なし!」と私に叫んだ。「このチキン!」とアメリカ人であれば憤怒間違いなしの罵りさえも飛ばしてきた。

 いくら相手が想像の青前さんとはいえ、ここまで言われて尻ごむようでは男じゃない。「やってやりますよ」と誰にも聞こえないように呟いた私は、覚悟を決めて店員に声をかけた。

「これと同じものをペットボトルで欲しいのですが」

「そんなもの無いですよ」と冷たく言い放った店員は、馬鹿を見る目を私に向けた。それでも私はめげずに「なら、これと同じものを350ml瓶で3つ欲しいのですが」と言い返した。

「……それなら確か、裏にあったねぇ。よろしければ一緒にどうぞ」

 店員は私に手招きすると、店の奥へと向かっていった。

 彼女の後をついていくと、在庫商品を置いておく倉庫の中へと案内された。切れかかった蛍光灯がちかちかと明滅し、積み重なった段ボール箱の上にうっすら積もった埃を照らしている。

 もしかしたら、本当にカルーアミルクの350ml瓶を3本渡されるだけなのではないかと危惧する私をよそに、彼女は倉庫をどんどんと歩いていった。そして突き当たりにある荷物用のエレベーターまで来たところで、「これに乗って」と彼女は言った。

「乗って、どこまで行くんですか?」
「乗ればわかるよ、乗ればね」

 いつの間にかもう引き返せないところまで来ているらしい。私は自らの身を運命に委ねることにしてエレベーターに乗り込んだ。中は照明がついておらず、いやにひんやりとしていた。

 やがて扉が自動的に閉まったと思えば、ガコンという音がしてエレベーターが動き出した。一寸先も見えない暗闇の中にひとり。上に向かっているのか、それとも下へ向かっているのかもわからない。閉所恐怖症の人間であれば卒倒五回分に値する恐怖だろう。

 一分ほどして動きが止まり、扉が静かに開いた。喧噪と共に差し込んできた賑やかな光に、私は思わず目を細めた。

 目が慣れてきて景色が鮮明になってくる。私の前に広がっていたのは、国際展示場ほど大きなホールに、まるで戦後の闇市の如く数々の露天が立ち並ぶ光景であった。店と店の間に自然と出来た狭い道には、休日の池袋、サンシャイン通りのように多くの人が行き交っている。

 私はエレベーターを降りながら、「なんじゃこりゃ」と呟いた。まさか、ただのドン・キホーテからこのような場所に繋がっているとは。宮崎駿も目を丸くするトンデモ加減である。

「ここが本当に新座なのか?」

 私がしばし唖然と立ち尽くしていると、五分ほどして茂川先生もやってきた。その手には、ジョニーウォーカーという銘柄のウイスキーの瓶が握られている。

 先生は私の隣に並ぶと、「だから言ったろう?」と胸を張った。

「なんだってんです、ここは」
「世界最先端の技術や、現在では再現不可能のロストテクノロジーが揃う市場さ。ここも、貫井さんが作ったんだよ」
「まさか。ただの大地主が、どれだけの力を持っているんですか」
「彼にあったのは力じゃなくて熱意さ。熱意が人を動かしたんだ」

 驚く私を見て満足そうに何度も頷いた先生は、「行こう」と言って往来へと歩み出した。はぐれては二度と戻れないような気がして、私は先生の後をしっかり追った。

 すれ違う人の人種は多様であった。日本人はもちろん、アジア系の顔も多い。北欧系の色白美人女性もいれば、スーツをぴっちり着こなした英国人紳士もいる。白い髭をたっぷり蓄えたサンタクロースのように太ったおじいさんもいれば、何やら軍服めいたものを着込んだいかつい黒人もおり、ここまで国際色豊かであると、ここが新座だとは到底思えない。

「すごいな」と私が思わず呟くと、先生は偉そうに語り出した。

「ここが作られたのはNNSの設立よりもずっと前。新座が空に浮かんで三年後のことだった。貫井さんは新座から撤退したドン・キホーテの建物を周囲の土地ごと安く買い取って、そして地下にこの空間を作ったんだ。新座浮遊の謎をいち早く解き明かすため、世界中の最先端技術が集まる場所が必要だと信じてね」

「待ってください。ドン・キホーテが撤退したっていうのは本当ですか?」
「じゃなきゃ、こんな空間を作れるわけもないだろう。というか、注目すべきはそっちじゃないと思うけど」

 その事実を聞いて、私は酷くがっかりした。あの埃に塗れた誇り高きドンペンが、私の中で途端にみすぼらしい存在に姿を変えた。

「このチキン!」と、私はあのペンギン野郎を心中で罵った。

 肩を落として歩いていると、茂川先生が「ほらあれだ」と声を上げた。先生が指した先を見れば、いかにも怪しげな雰囲気のボロ屋がある。風が吹けばすぐに倒れそうだが、地下空間ということが幸いして風の類は吹かないので、向こうしばらく倒壊の恐れはなさそうである。

 店内に入ると、むせ返るほどの獣臭が立ちこめていた。狭いかごに入れられた双頭の雀や、水槽の中で青色に光るシーラカンスめいた金魚など、店のどこを見てもおとぎ話の世界から飛び出してきたような生物ばかり並んでいる。夢を見ているのではないかと思いながら店の奥を見ると、籐椅子に深く腰掛ける老婆がこちらをじっと見ていたのでぞっとした。もしや、あれは人間ではないのではないだろうかとさえも思った。

 そんな私の横を平然とすり抜けた先生は、老婆の前に立ち「どうも」と声を掛けた。

「例のヤツ、用意出来てます?」

 老婆は無言で頷くと、よぼよぼと立ち上がり、椅子の後ろに置いてあったかごを先生に手渡した。その中には青い瞳のカモメがすました顔で座っていた。

「さあ、用は済んだ。そろそろ行こうか」
「なんだか、何も考えてなさそうなカモメですね」
「馬鹿にしちゃいけない。見た目の通りのただのカモメじゃないぞ」

 茂川先生は不敵に微笑んだ。

「世にも奇妙な不思議生物。こいつの名前はレプリカモメだ」
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