あなたとぼくと空に住むひと

シラサキケージロウ

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茂川先生と私

茂川先生と私 その3

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 心のどこかではわかっていたが、茂川先生の仮説とやらには期待するだけ無駄らしい。私はこれ以上時間を浪費してたまるものかと、残ったカステラを口に放り込んだ後、席を立って早々に部屋を出ていこうとしたが、先生はそんな私の腕をむんずと掴み「待って!」と声を上げた。

「離してください」と冷たく突き放した私は先生の腕をふりほどく。「うひゃあ」などと情けない声を上げた先生はその場に尻もちをついたが、それでもなお諦めず這いつくばった体勢のまま私の足に両腕を絡めると、「行かないで!」と悲痛な叫びを上げた。こうまでされるとこちらが恥ずかしくなってくる。

 金色夜叉の如く追いすがる者を足蹴にする気概を、あいにく私は持ち合わせていない。私は「わかりましたから」と先生をなだめた。

「待ちますよ。また話を聞けばいいんですか?」

 すると先生は何事もなかったかのように即座に立ち上がり、ケロリとした顔で「いや、違うぞ」と言った。

「だいたい、そんな風にだだをこねる子供をあやすように扱うのは止めなさい。僕は紛うことなき准教授なんだからね」
「わかりましたよ。それで、私は何をすればいいんですか?」
「話は歩きながらだ。自分の荷物を持ちなさい」

 思い出したように権力を笠に着た茂川先生は、意気揚々と部屋を出た。言いたいことは山ほどあったが、私はそれらをぐっと堪えて彼の背中についていった。

 大学を出た私たちは、そのまま駅まで向かって三田線に乗った。どこへ行くかを尋ねても、先生は「僕を信じなさい」と答えるばかりであったが、彼のうきうきとした足取りからして新座に向かっているのであろうということは明らかだった。

 私は電車に揺られながら、隣に立つ茂川先生に訊ねた。

「そろそろ今日の目的を教えて頂けると助かるのですが」
「それがね、今日はちょうど、僕の仮説を実証するための大がかりな実験を計画していた日だったんだ。君もそれに付き合ってもらおうと思ってね」
「ちょうどって、どうせ元々計算づくだったんでしょう」
「バレたか。君は中々見どころがある」
「見どころ何て結構。それで、私がわざわざそんなことに付き合わなくちゃいけないんです」
「君は新座を愛する生粋の新座っ子だからね。知る権利があるというわけさ。それに、好きな女の子が新座浮遊の秘密を知りたがってるんだろう? だったら僕は准教授として、何より君の友人として、恋の成就に手を貸さなくちゃ」

 先生はぐっと親指を立ててみせた。突き指してしまえばいいのにと私は思った。

 巣鴨駅で電車を降りた私達は、山手線に乗り換えて池袋に向かった。そこから西武池袋線に乗り換え、降りた駅はやはりというべきか、新座へのバスが出ている大泉学園駅だった。

「さあ行こう、君のふるさとへ」

 先生の瞳は少女マンガのヒロインかと見間違うほどにきらきら輝いていた。

 バスに乗り込んだ茂川先生は、いの一番に最前列窓際の席を確保すると、身体ごと窓の方を向いて出発の時を待ち始めた。今時、子どもだってあんなことはしない。なるべく他人のふりをしたかった私は、最後列の5人掛けの席に座り出発時刻をじっと待った。時間帯のせいなのか、乗客は私たち以外に誰も乗ってこなかった。

 やがてバスが浮かび上がった。先生の「おお」という声が私の座る席まで聞こえたのが恥ずかしくて、私は寝たふりをして聞こえてないのを装った。

 膝に視線を落としてうつらうつらとしていると、先生が席に座ったまま「おーい」と私に声をかけてきた。

「そろそろだよ。出る準備をして」

 窓の外を見れば郵便局前のバス停に着くところであった。この辺りには見るべきものも無かったはずだが、さて。

 バスを降りた私は茂川先生の案内に従って道を歩いた。先生の軽やかな足取りは正面の交差点を抜けて、かつてオザムという名の大型スーパーであった大きな建物の前で止まった。

「ここがおあつらえむきの場所なんだ」

 そう言って建物を指さした先生は、屋上駐車場に向かって伸びるやや急なスロープを、ふうふう息を切らしながら登っていった。私もそれについていった。

 見事スロープを登頂した先生は、駐車場の真ん中辺りまで歩いていくと、何やら熱心に腕時計を弄り始めた。どんなろくでもないことをしているのだろうと思っていると、先生はその手を止めないまま、芝居がかった口調で私に尋ねた。

「時に、在原くん。新座浮遊の謎を解明したいと願う僕のようにロマン溢れる者が、この世界にどれだけいると思う?」
「昔は多かったかもしれませんが、今は7人くらいですかねぇ」
「それじゃあ野球チームも作れない数じゃないか!」
「でも、ボウリングならできるでしょう」
「まったく。君という学生は敬うということを知らないな」

 茂川先生は「いいかね」と言ってわざとらしい咳払いをした。

「僕のような人間の数は、この世界で十万人を優に超える。十や二十程度じゃないんだぞ。十万だぞ、十万」
「なんだ。かつての新座の人口よりもずっと少ないじゃないですか」
「……その態度、後悔するぞ、在原くん。君はもうすぐ自分でも恥ずかしくなるくらいに驚くんだ」

 先生はふと遠くの空へと視線を向けた。釣られてその方向を見てみれば、空飛ぶ何かがジェットの音を響かせながらこちらに近づいてきているのが見える。

 それはやがて私たちの頭上で停止し、ゆっくりと着陸した。現れたのは、空飛ぶバスのそれより小型の反重力装置を搭載した灰色の空飛ぶ車だった。どこかで見たことのある車体だと思って観察してみれば、それは私が青前さんと共に観た『バック・トゥー・ザ・フューチャー』に出てくるデロリアンと瓜二つであった。

 私は確かに驚いた。というのも、自家用の飛行車は普通の自動車とは比べ物にならないほど高価で、いくら独身貴族といえども到底手が届くシロモノではないからだ。

 さらに言えば、ひとりでにここまで飛んできたところを見るに、自動操縦かそれに準ずる機能が付いているのだろうから、ただでさえ高価な飛行車が小さな町なら買収出来るほどの値段になるのは想像に容易い。茂川先生が持っていていいものではないはずだ。

「……いったいどこから拾ってきたんですか、こんなもの」
「人聞きが悪い。これは、僕らの所有物だよ」

「僕ら?」と私が尋ねると、茂川先生は「そうさ」と胸を張った。

「僕のような知識人や、新座の謎に挑まんとする富豪などからなる、世界中に支部を展開する秘密結社、NNSの所有物なんだ、これは」
「NNSだなんて、初めて聞いた名前ですね」
「秘密結社だもの。君が知らないのも当たり前さ」

 先生はデロリアンの運転席に颯爽と乗り込むと、内側から助手席の扉を開けて「さあ」と私に向けて手を伸ばした。

「行こうじゃないか、在原くん。まずは君に、君すらも見たことがない新座の一面をお見せしよう」

 私が助手席に座ると、金属同士を擦り合わせたような高い音が空気を揺らした後、デロリアン号はゆっくりと浮上した。恐る恐る窓から外を眺めてみれば、見る見るうちに屋上駐車場が遠くなっていく。空を飛ぶだなんてほとんど毎日経験していることなのに、少し景色が違うだけで何故だか妙に新鮮な気分であった。

 十分すぎる高度まで浮上した車は、やがて静かに前進した。慌ててシートベルトを締めた私は、念のために吊り手をしっかり握りしめた。

「それで、茂川先生。私をどこに連れて行くつもりですか」
「心配しなくても、乗っていればわかるさ」
「心配のひとつくらいさせてくださいよ。いま私は、妙な組織に所属する妙な人が運転する妙な車の助手席に乗っているんですよ」

「妙、妙、妙と失敬な。NNSは由緒ある組織なんだぞ」

 茂川先生は運転しながら語り出した。


「貫井英一郎さんという方の話をしよう。貫井さんは関東一帯に土地を持つ大地主でね。もちろん新座にも、多くの土地を持っていた。彼は誰よりも新座を愛し、そして誰よりも新座浮遊の謎を解き明かそうと必死だった。研究機関各所にも多くの寄付をしていた。浮遊の謎を解き明かした者には自分の持つ土地の半分を与えようなんてことも言っていた。そんな彼が亡くなったのが、いまから十年前の話だ。彼は死の十日ほど前、自分の遺産は新座の謎を解き明かすために使って欲しいと弁護士に話していた。しかしその当時、新座についての研究機関は成果が得られないとして軒並み閉鎖していた。そこで彼の遺産によって新たな組織が設立された。それが、このNNSというわけさ」


「なるほど。ところでNNSっていうのは、何の略なんです?」
「新座の、謎に、迫る会。略してNNSだ」

 聞かなければよかったと思うほどにセンスを感じない名前である。他人事だというのになんだか猛烈に恥ずかしくなった私は、窓を開けて涼しい風を招き入れることによってそれを誤魔化した。

 新座の上空を飛んでいく車はやがて平林寺の頭上を越えて、かつて川越街道と呼ばれていた道路沿いにある、ドン・キホーテを見下ろす位置で止まった。

「ここだ。ここに連れてきたかったんだよ」
「ここが、私ですら知らない新座の一面ですか? 残念ですがこんな所、何度も来たことがありますよ」

「入ってみればわかるさ」とわざとらしくウインクして見せた茂川先生は、店の屋上駐車場に車を着陸させた。車を降りた私は、地に足がついているという当たり前のことにどこかホっとしつつ空を見上げた。

 晴れ渡った空に甘い匂いが微かに香る。どうやら、そう遠くないうちに雨が降るらしい。
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