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郡司さんと私
郡司さんと私 その7
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私達は新宿三丁目駅から副都心線に乗った。がたんがたんと揺れる電車は、現在地下道を通って雑司ヶ谷から池袋間を通過中である。隣に座る青前さんはかたくなに口を閉ざしたまま目的地を言おうとしない。しかし、何を言わずとも彼女の雰囲気からわかる。
その理由はわからないが、彼女は新座に帰ろうとしているのだ。
突然の新座への帰還――ゾウキリンと同じだ。そういった意味では私達は、あの黄色くてすべすべした生き物となんら変わりないのかもしれない。
大泉学園で電車を降りた青前さんは、やはりというべきか新座直通のバスに乗りこんだ。車内には私達の他にもサラリーマンらしき客が数人乗っていた。やがてヴンという短い振動が起こり、大きな鉄の塊がゆっくりと宙に浮きあがった。
バス停に停まるに連れて、ひとりまたひとりと乗客が降りていく。バスはやがてアンリの最寄りまで辿り着いたが、青前さんには降りる気配がない。しばらく進んだバスは私達以外の乗客全てを吐き出した後、やがて終点の旧新座駅まで辿り着いた。そこで降りた青前さんは、「ホントにゴメン」と頭を下げてから歩き出した。
「いいんです。さて、これからどこへ行きましょうか」
「映画、観たいな。そうだよ。映画観ようよ。この町にだって、立派な映画館があるんだからさ」
「ええ、そうしましょう」
星の無い空が新座を暗く染めている。私達は見慣れた町並みを眺めながら、柳瀬川沿いの旧ショッピングモールまでの道を歩いた。すれ違う人といえば犬を連れて散歩をする人やランニングをする人くらいで、新宿とは打って変わって静かなものである。文字にすればたった一字しか違わないというのに。
住宅街を三十分ほどかけて歩き、やがて私達は目的地に辿り着いた。当然のことながら、今や廃墟の建物の周囲に人はいなかった。
青前さんに連れられるまま建物の中を進み、四階にある映画館へ。「先に行ってて」と彼女が言うので、それに従い劇場の席に座って待っていると、やがて前方のスクリーンに映像が映し出された。
映画本編が始まるより先に青前さんが戻ってきて、私の隣の席に腰掛けた。
「何を観るのですか?」と訊ねると、青前さんは「ブルースブラザーズ」とだけ言って答えた。
「……ねえナリヒラくん。やっぱりあたし、新宿よりも新座の方がずっと好きだな。何にも無いところだと思うけど、それでも好き。それだから好きなの」
彼女はまるで自分に言い聞かせるようにそう呟いた。私は「存じています」と深く頷き、隣の彼女に微笑みかけた。そこでようやく青前さんは表情を和らげ、嬉しそうな笑顔を見せてくれた。
〇
映画が終わったのは十一時前のことだった。建物を出た私は、大きく伸びをしながら欠伸をした。夕飯抜きなのでお腹もぐるぐる音を立てているが、それ以上に丸一日動いていたものだから眠くてしょうがない。もう一度劇場内の柔らかい椅子に座ってしまえば、きっと私は眠ってしまうことだろう。
青前さんもまた眠いのか、目元を擦りながら「楽しかったね」と言った。
「ええ。まったく愉快な映画でした。たしか、かなり古い映画なんですよね? そうとは感じませんでしたが」
「でしょー? サイコーの映画なんだから。あたしの一番お気に入り」
そう言って青前さんは、劇中で流れた曲を上機嫌に歌った。
他愛のない話をしながら歩く私達は、やがて柳瀬川の上を通る橋に差し掛かった。中頃まで来たところで、青前さんがふいに「なんだろアレ」と言って視線を川の上流の方へ向けた。そちらの方に目を向けてみると、何やら塔のように高くぼんやりとした白い影が見える。なんだろうと思っていると、それは突然前方に倒れ込んだ。地面が大きく揺れる音がして、驚いた私達は思わず互いに身を寄せ合った。
「な、なんだろうアレ」と怯えたように言いながら、青前さんの瞳は突然現れた非日常に魅せられている。危険な兆候であると瞬時に悟った私は、彼女の腕をぐっと握った。
「わかりません。ですが、逃げた方がいい気がします」
「で、でもさ、アレがなんなのか気にならない?」
「それはそうかもしれませんが。しかし青前さん、好奇心は猫も殺します。危険ですよ」
「わ、わかったよ」
「わかって頂けたのなら何よりです。さあ、逃げましょう」
シュンと肩を落とした青前さんを見て、私は自然と彼女の腕を握っていた力を緩めた。しかしそれがいけなかった。彼女は私の手を振りほどくと、陸上選手も真っ青のスタートダッシュで私の元から逃れて行った。
「青前さん! お待ちを!」
私は目一杯に叫んだが、青前さんに止まる気配はない。橋を駆け抜けていった彼女はそのままの勢いで柳瀬川の土手を滑り降り、白い塔が倒れた方へと進んでいく。
私は彼女の行く先を追いながら、白い塔を視界に入れた。倒れたはずのそれはゆっくりと起き上がり、そして再び勢いよく倒れる。まるで何かを押し潰そうとしているかのようである。あれは無機物などではなく、きっと意思を持った生物なのだろう。そう思ったところで、私の頭に「もしや」とある予感が過ぎる。
――あの白い塔の正体は――。
一歩、また一歩と塔に近づくたびに、塔の姿が鮮明になっていく。勢いあまって転がりながら土手を滑り降りて、より鮮明になった塔を見たところで、私は「やはり」と確信した。
「あれは、かしらなしだ」
川の上流へ少し進んだところで青前さんが立ち尽くしていた。彼女の視線の先には、かしらなしに跨る無表情のアマメと、鬼鹿毛に乗り憮然とした顔をする郡司氏の姿があった。10mもない距離で対峙する両者の空気は既に一触即発、破裂寸前である。
二人は私達の存在に気が付いていないのか、互いに睨み合ったまま啖呵を切り合っていた。
「そろそろ決着を付けてやるぞ、幽霊女。長年の因縁をここで晴らしてやる」
「望むとこだよ、変態髭男。あんたみたいな奴はここで叩きのめしてあげる」
「……行くぞ鬼鹿毛っ! 明日の朝食は白蛇のかば焼きだ!」
「やっちゃえカッシー! 今日の夜食は馬刺しの踊り食いだよ!」
互いが互いを目がけて、小細工なしに真っ直ぐ突進し合う両者。激突は秒読み。これより始まるは大一番。もはやゴジラを連れてきたところで両者は止まらない。
そんな二人の間に割って入る恐れ知らずがいた。青前さんであった。
「ストーップ! ストップストップストーップ!」
声を張り上げた青前さんは両腕をばたばたとさせながらぶつかり合う寸前の二人に駆け寄る。彼女の存在に気が付いた二人は、自らの操る猛獣達を何とかなだめて止めた。コンマ1秒のところで開戦は免れた。
私は青前さんに駆け寄り、彼女を抱き寄せた。
「青前さん! なんて危ないことをするんですか!」
「だ、だってほっとけないじゃない。喧嘩だなんて、映画の中だけで十分だもん」
「それは確かにそうかもしれません。ですが、自分の身の安全を考えてください。貴女が怪我をすれば、お父さんがどう思われるのかわかっているのですか?」
「……わかったよ。ごめん」
青前さんは唇を一文字に締めて俯いた。さすがの彼女もわかってくれたらしい。ひとまずホッとした私は、「まあ、無事ならそれが一番です」と彼女の手を握った。
そんな私達の元に、鬼鹿毛から降りた郡司氏が歩み寄ってきた。彼は青前さんの顔をじっと見ると、ふいに表情を綻ばせて「和花(のどか)なのか」と穏やかな声で言った。
青前さんは困った顔を私に向けて、アマメに向けて、そして最後に郡司氏へ向けた。
「い、いえ違いますが……」
「そんなわけがないはずだ。もうお前も立派な大人だろう。このかわいそうな年寄りをからかわんでくれ」
郡司氏の表情は痛いくらいに必死であった。空から落ち行く最中、目の前に現れた一本の細い糸を凝視するような、そんな表情だった。
そんな郡司氏に恐怖を感じたのか、青前さんは私の背後に隠れた。
「ほ、本当に違うんです。すいませんけど、どちら様ですか?」
すると郡司氏は途端に悲しそうな顔になり、自分を嘲るように「それもそうか」と言って笑った。
「もういるわけがないのにな、あの子が」
「あの子っていうのは?」と青前さんが訊ねる。
「いや、いいんだ。他人の空似か、どこかで血が繋がっているのか……いずれにせよ、妙なことを聞いて悪かった。忘れてくれ」
郡司氏はがっくりとうなだれると、「行くぞ」と力なく呟いて鬼鹿毛のたてがみを引いた。「ヒヒン」と小さく鳴いた鬼鹿毛は、彼に従い柳瀬川の下流の方へとトボトボ歩いていった。理由はさっぱりわからないが、アマメとの最終決戦は避けられたらしい。
闇へと消えていく彼の背中を青前さんと共に眺めていると、今度はアマメが私達の元にそっと近づいてきた。
「お兄さん、この前はよくも裏切ってくれたね。カッシーに頭かじられたいの?」
「言っただろう。僕は君についた覚えも、郡司さんについた覚えもないよ」
「知ってる? そういうの、コウモリ男っていうんだよ」
表情筋を動かさないまま不満げに鼻を鳴らしたアマメは、今度は青前さんの方に向き直した。
「お姉さん。ごめんね、危ないことに巻き込んじゃって」
「いいの」と青前さんはぎこちなく笑ってアマメの頭を撫でる。
「それにしても、なんなのこの白い蛇。あたし、夢でも見てるのかな」
「色々ヒミツがあるの。それよりもお姉さん、頭になにかついてるよ。取ってあげる」
青前さんは言われるままアマメに顔を寄せる。すると次の瞬間、青前さんはまるで糸の切れた操り人形の如く膝を折り、その場に倒れ込んだ。私は慌てて彼女に駆け寄り口元に手を当てる。息はあるが意識はない。どうやら眠っているだけらしいが、いったいどうしたというのか。
彼女を心配する私を余所に、アマメは「じゃあ、お姉さんをよろしくね」と手を振ってその場から去ろうとする。私が彼女の肩を掴んで引き留めたのは必然と言えた。
「アマメ、青前さんに何をしたんだ」
「……お兄さん、そんな怖い顔できるんだ」
「からかわないでくれ。もう一度聞くよ、アマメ。青前さんに何をした?」
「大丈夫。眠ってもらっただけだから。起きた時はきっと、これは夢だったって思ってるはずだよ」
「なんでそんなことをしたんだ」
「お姉さんだけはこの件に巻き込めないと思ったの。それだけ」
「それだけじゃわからないね。なんで青前さんを巻き込めないのか、もっと詳しく説明してもらわないと」
「そんなに知りたいの?」
「ああ。知らないと僕は納得できないな」
アマメは私の顔を覗き込んだ。彼女の行為はまるで私の心の中を覗いているかのようだった。
私の顔から何を読み取ったのかはわからない。しかし、彼女は「少し長くなるからね」と前置きした上で語りだした。
「わたしとあの髭が出会ったのは、もう結構前のことになるかな。出会ったきっかけっていうのが、さっきあの髭が言ってた〝和花〟って子の存在なの。わたしと和花は友達だった。それに、認めたくないけどあの髭も。和花が新座を離れてからはあの髭とは疎遠になったけど、それでも今みたいに敵対してるわけじゃなかった」
アマメは自らの前髪を撫で、小さく息を吐く。彼女の一挙手一投足は、私の眼には不思議と遠い昔の記憶を思い起こす老婆のように映った。
「きっかけはほんの最近――〝ゾウキリン〟だよ。ここ二か月になって突然、アイツらが現実になって現れたでしょ? あれね、実は和花が子どもの頃に考えたオリジナルのキャラクターなんだ。あの子は絵を描くのが大好きでさ、よくスケッチブックに描いたゾウキリンをわたしと髭に見せて、〝この子とも一緒に遊べたらいいのにね〟なんて言って笑ってた。……わたしはね、夢っていうものを、形になった瞬間にきらめきが無くなるものだって考えてる。でもあの髭は違う。アイツには、夢を夢のままにしておくだなんて繊細な考えどこにもないんだ」
アマメの話によって私の頭に思い出されたのは、青前さんの家の押入れから出てきたボロボロのスケッチブックだった。ふたりの女の子、白い蛇、髭を生やした大男、黄色の馬――そして、紙いっぱいの大きさに描かれたゾウキリン。
「……まさか、その和花って子どもは青前さんのひいおばあちゃんなのかい?」
「知ってるなら話は早いね。こんなくだらないことにお姉さんを巻き込みたくないわたしの気持ちも、お兄さんならわかるでしょ?」
「ちょっと待ってくれ。僕の目に君は100歳を超えた老人には見えない。君はいったい何者なんだい」
「わたしは最初から名乗ってるはずだよ。天女(アマメ)だって」
そう言いながらかしらなしによじ登ったアマメは、私を見下ろして手を振った。
「じゃあね、お兄さん。お姉さんをよろしく頼んだよ」
その言葉を合図に、かしらなしはするすると滑るように柳瀬川を進んで新座の夜に消えていった。私が出来たのは、彼女の姿を黙って見送ることだけだった。
その理由はわからないが、彼女は新座に帰ろうとしているのだ。
突然の新座への帰還――ゾウキリンと同じだ。そういった意味では私達は、あの黄色くてすべすべした生き物となんら変わりないのかもしれない。
大泉学園で電車を降りた青前さんは、やはりというべきか新座直通のバスに乗りこんだ。車内には私達の他にもサラリーマンらしき客が数人乗っていた。やがてヴンという短い振動が起こり、大きな鉄の塊がゆっくりと宙に浮きあがった。
バス停に停まるに連れて、ひとりまたひとりと乗客が降りていく。バスはやがてアンリの最寄りまで辿り着いたが、青前さんには降りる気配がない。しばらく進んだバスは私達以外の乗客全てを吐き出した後、やがて終点の旧新座駅まで辿り着いた。そこで降りた青前さんは、「ホントにゴメン」と頭を下げてから歩き出した。
「いいんです。さて、これからどこへ行きましょうか」
「映画、観たいな。そうだよ。映画観ようよ。この町にだって、立派な映画館があるんだからさ」
「ええ、そうしましょう」
星の無い空が新座を暗く染めている。私達は見慣れた町並みを眺めながら、柳瀬川沿いの旧ショッピングモールまでの道を歩いた。すれ違う人といえば犬を連れて散歩をする人やランニングをする人くらいで、新宿とは打って変わって静かなものである。文字にすればたった一字しか違わないというのに。
住宅街を三十分ほどかけて歩き、やがて私達は目的地に辿り着いた。当然のことながら、今や廃墟の建物の周囲に人はいなかった。
青前さんに連れられるまま建物の中を進み、四階にある映画館へ。「先に行ってて」と彼女が言うので、それに従い劇場の席に座って待っていると、やがて前方のスクリーンに映像が映し出された。
映画本編が始まるより先に青前さんが戻ってきて、私の隣の席に腰掛けた。
「何を観るのですか?」と訊ねると、青前さんは「ブルースブラザーズ」とだけ言って答えた。
「……ねえナリヒラくん。やっぱりあたし、新宿よりも新座の方がずっと好きだな。何にも無いところだと思うけど、それでも好き。それだから好きなの」
彼女はまるで自分に言い聞かせるようにそう呟いた。私は「存じています」と深く頷き、隣の彼女に微笑みかけた。そこでようやく青前さんは表情を和らげ、嬉しそうな笑顔を見せてくれた。
〇
映画が終わったのは十一時前のことだった。建物を出た私は、大きく伸びをしながら欠伸をした。夕飯抜きなのでお腹もぐるぐる音を立てているが、それ以上に丸一日動いていたものだから眠くてしょうがない。もう一度劇場内の柔らかい椅子に座ってしまえば、きっと私は眠ってしまうことだろう。
青前さんもまた眠いのか、目元を擦りながら「楽しかったね」と言った。
「ええ。まったく愉快な映画でした。たしか、かなり古い映画なんですよね? そうとは感じませんでしたが」
「でしょー? サイコーの映画なんだから。あたしの一番お気に入り」
そう言って青前さんは、劇中で流れた曲を上機嫌に歌った。
他愛のない話をしながら歩く私達は、やがて柳瀬川の上を通る橋に差し掛かった。中頃まで来たところで、青前さんがふいに「なんだろアレ」と言って視線を川の上流の方へ向けた。そちらの方に目を向けてみると、何やら塔のように高くぼんやりとした白い影が見える。なんだろうと思っていると、それは突然前方に倒れ込んだ。地面が大きく揺れる音がして、驚いた私達は思わず互いに身を寄せ合った。
「な、なんだろうアレ」と怯えたように言いながら、青前さんの瞳は突然現れた非日常に魅せられている。危険な兆候であると瞬時に悟った私は、彼女の腕をぐっと握った。
「わかりません。ですが、逃げた方がいい気がします」
「で、でもさ、アレがなんなのか気にならない?」
「それはそうかもしれませんが。しかし青前さん、好奇心は猫も殺します。危険ですよ」
「わ、わかったよ」
「わかって頂けたのなら何よりです。さあ、逃げましょう」
シュンと肩を落とした青前さんを見て、私は自然と彼女の腕を握っていた力を緩めた。しかしそれがいけなかった。彼女は私の手を振りほどくと、陸上選手も真っ青のスタートダッシュで私の元から逃れて行った。
「青前さん! お待ちを!」
私は目一杯に叫んだが、青前さんに止まる気配はない。橋を駆け抜けていった彼女はそのままの勢いで柳瀬川の土手を滑り降り、白い塔が倒れた方へと進んでいく。
私は彼女の行く先を追いながら、白い塔を視界に入れた。倒れたはずのそれはゆっくりと起き上がり、そして再び勢いよく倒れる。まるで何かを押し潰そうとしているかのようである。あれは無機物などではなく、きっと意思を持った生物なのだろう。そう思ったところで、私の頭に「もしや」とある予感が過ぎる。
――あの白い塔の正体は――。
一歩、また一歩と塔に近づくたびに、塔の姿が鮮明になっていく。勢いあまって転がりながら土手を滑り降りて、より鮮明になった塔を見たところで、私は「やはり」と確信した。
「あれは、かしらなしだ」
川の上流へ少し進んだところで青前さんが立ち尽くしていた。彼女の視線の先には、かしらなしに跨る無表情のアマメと、鬼鹿毛に乗り憮然とした顔をする郡司氏の姿があった。10mもない距離で対峙する両者の空気は既に一触即発、破裂寸前である。
二人は私達の存在に気が付いていないのか、互いに睨み合ったまま啖呵を切り合っていた。
「そろそろ決着を付けてやるぞ、幽霊女。長年の因縁をここで晴らしてやる」
「望むとこだよ、変態髭男。あんたみたいな奴はここで叩きのめしてあげる」
「……行くぞ鬼鹿毛っ! 明日の朝食は白蛇のかば焼きだ!」
「やっちゃえカッシー! 今日の夜食は馬刺しの踊り食いだよ!」
互いが互いを目がけて、小細工なしに真っ直ぐ突進し合う両者。激突は秒読み。これより始まるは大一番。もはやゴジラを連れてきたところで両者は止まらない。
そんな二人の間に割って入る恐れ知らずがいた。青前さんであった。
「ストーップ! ストップストップストーップ!」
声を張り上げた青前さんは両腕をばたばたとさせながらぶつかり合う寸前の二人に駆け寄る。彼女の存在に気が付いた二人は、自らの操る猛獣達を何とかなだめて止めた。コンマ1秒のところで開戦は免れた。
私は青前さんに駆け寄り、彼女を抱き寄せた。
「青前さん! なんて危ないことをするんですか!」
「だ、だってほっとけないじゃない。喧嘩だなんて、映画の中だけで十分だもん」
「それは確かにそうかもしれません。ですが、自分の身の安全を考えてください。貴女が怪我をすれば、お父さんがどう思われるのかわかっているのですか?」
「……わかったよ。ごめん」
青前さんは唇を一文字に締めて俯いた。さすがの彼女もわかってくれたらしい。ひとまずホッとした私は、「まあ、無事ならそれが一番です」と彼女の手を握った。
そんな私達の元に、鬼鹿毛から降りた郡司氏が歩み寄ってきた。彼は青前さんの顔をじっと見ると、ふいに表情を綻ばせて「和花(のどか)なのか」と穏やかな声で言った。
青前さんは困った顔を私に向けて、アマメに向けて、そして最後に郡司氏へ向けた。
「い、いえ違いますが……」
「そんなわけがないはずだ。もうお前も立派な大人だろう。このかわいそうな年寄りをからかわんでくれ」
郡司氏の表情は痛いくらいに必死であった。空から落ち行く最中、目の前に現れた一本の細い糸を凝視するような、そんな表情だった。
そんな郡司氏に恐怖を感じたのか、青前さんは私の背後に隠れた。
「ほ、本当に違うんです。すいませんけど、どちら様ですか?」
すると郡司氏は途端に悲しそうな顔になり、自分を嘲るように「それもそうか」と言って笑った。
「もういるわけがないのにな、あの子が」
「あの子っていうのは?」と青前さんが訊ねる。
「いや、いいんだ。他人の空似か、どこかで血が繋がっているのか……いずれにせよ、妙なことを聞いて悪かった。忘れてくれ」
郡司氏はがっくりとうなだれると、「行くぞ」と力なく呟いて鬼鹿毛のたてがみを引いた。「ヒヒン」と小さく鳴いた鬼鹿毛は、彼に従い柳瀬川の下流の方へとトボトボ歩いていった。理由はさっぱりわからないが、アマメとの最終決戦は避けられたらしい。
闇へと消えていく彼の背中を青前さんと共に眺めていると、今度はアマメが私達の元にそっと近づいてきた。
「お兄さん、この前はよくも裏切ってくれたね。カッシーに頭かじられたいの?」
「言っただろう。僕は君についた覚えも、郡司さんについた覚えもないよ」
「知ってる? そういうの、コウモリ男っていうんだよ」
表情筋を動かさないまま不満げに鼻を鳴らしたアマメは、今度は青前さんの方に向き直した。
「お姉さん。ごめんね、危ないことに巻き込んじゃって」
「いいの」と青前さんはぎこちなく笑ってアマメの頭を撫でる。
「それにしても、なんなのこの白い蛇。あたし、夢でも見てるのかな」
「色々ヒミツがあるの。それよりもお姉さん、頭になにかついてるよ。取ってあげる」
青前さんは言われるままアマメに顔を寄せる。すると次の瞬間、青前さんはまるで糸の切れた操り人形の如く膝を折り、その場に倒れ込んだ。私は慌てて彼女に駆け寄り口元に手を当てる。息はあるが意識はない。どうやら眠っているだけらしいが、いったいどうしたというのか。
彼女を心配する私を余所に、アマメは「じゃあ、お姉さんをよろしくね」と手を振ってその場から去ろうとする。私が彼女の肩を掴んで引き留めたのは必然と言えた。
「アマメ、青前さんに何をしたんだ」
「……お兄さん、そんな怖い顔できるんだ」
「からかわないでくれ。もう一度聞くよ、アマメ。青前さんに何をした?」
「大丈夫。眠ってもらっただけだから。起きた時はきっと、これは夢だったって思ってるはずだよ」
「なんでそんなことをしたんだ」
「お姉さんだけはこの件に巻き込めないと思ったの。それだけ」
「それだけじゃわからないね。なんで青前さんを巻き込めないのか、もっと詳しく説明してもらわないと」
「そんなに知りたいの?」
「ああ。知らないと僕は納得できないな」
アマメは私の顔を覗き込んだ。彼女の行為はまるで私の心の中を覗いているかのようだった。
私の顔から何を読み取ったのかはわからない。しかし、彼女は「少し長くなるからね」と前置きした上で語りだした。
「わたしとあの髭が出会ったのは、もう結構前のことになるかな。出会ったきっかけっていうのが、さっきあの髭が言ってた〝和花〟って子の存在なの。わたしと和花は友達だった。それに、認めたくないけどあの髭も。和花が新座を離れてからはあの髭とは疎遠になったけど、それでも今みたいに敵対してるわけじゃなかった」
アマメは自らの前髪を撫で、小さく息を吐く。彼女の一挙手一投足は、私の眼には不思議と遠い昔の記憶を思い起こす老婆のように映った。
「きっかけはほんの最近――〝ゾウキリン〟だよ。ここ二か月になって突然、アイツらが現実になって現れたでしょ? あれね、実は和花が子どもの頃に考えたオリジナルのキャラクターなんだ。あの子は絵を描くのが大好きでさ、よくスケッチブックに描いたゾウキリンをわたしと髭に見せて、〝この子とも一緒に遊べたらいいのにね〟なんて言って笑ってた。……わたしはね、夢っていうものを、形になった瞬間にきらめきが無くなるものだって考えてる。でもあの髭は違う。アイツには、夢を夢のままにしておくだなんて繊細な考えどこにもないんだ」
アマメの話によって私の頭に思い出されたのは、青前さんの家の押入れから出てきたボロボロのスケッチブックだった。ふたりの女の子、白い蛇、髭を生やした大男、黄色の馬――そして、紙いっぱいの大きさに描かれたゾウキリン。
「……まさか、その和花って子どもは青前さんのひいおばあちゃんなのかい?」
「知ってるなら話は早いね。こんなくだらないことにお姉さんを巻き込みたくないわたしの気持ちも、お兄さんならわかるでしょ?」
「ちょっと待ってくれ。僕の目に君は100歳を超えた老人には見えない。君はいったい何者なんだい」
「わたしは最初から名乗ってるはずだよ。天女(アマメ)だって」
そう言いながらかしらなしによじ登ったアマメは、私を見下ろして手を振った。
「じゃあね、お兄さん。お姉さんをよろしく頼んだよ」
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