あなたとぼくと空に住むひと

シラサキケージロウ

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青前さんと僕

青前さんと僕 その3

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 佐和田さんの家に入った時、私は一瞬、入る家を間違えたのかと錯覚した。それほどまでに彼女の家は、以前来た時とは全く変わってしまっていた。

 一階にあった奇天烈な形のゾウキリン作製装置は綺麗さっぱり無くなっている。代わりにあるのは、ビールの空き缶やワインの空き瓶が雑多に詰め込まれた無数のごみ袋である。おかげで部屋全体がなんとなく酒臭い。

 二階に上がるとなお酷かった。シックな家具が行儀よく並んでいた秩序ある部屋は見る影もなく、開きっぱなしの雑誌や脱ぎ捨てられた服や下着があちこちに散らばり、足の踏み場も目のやり場もない。テーブルの上には汚れた皿が何枚も積み重なっており、ろくに掃除をしていないことが伺える。

 部屋のどこにも佐和田さんの姿が見えなかったので、彼女の名前を呼びかけてみると、「ここだ」という彼女の声がソファーに置かれたくしゃくしゃになったタオルケットの下から聞こえてきた。
タオルケットを剝がしてみると、仰向けに寝転がる佐和田さんがいた。目は腫れぼったく、髪はぼさぼさである。酒の匂いに汗の酸っぱい臭いが混じって口元まで漂ってくる。

「笑うといい。酷い姿だろう?」と佐和田さんは調子はずれなまでに明るく言った。
「笑えませんよ。このようになるまで、いったい何があったというのですか」

 私の問いに答える代わりに、佐和田さんは黙って右腕を私の前に突き出した。彼女の手から直接渡されたのは小さな松ぼっくりであった。「なんです、これは」と私が訊ねると、佐和田さんは「愛の亡骸さ」と答えた。

「先日、君のおかげでゾウキリンが私の元まで帰ってきた。彼が〝それ〟になったのはその二日後のことだったよ。原因はさっぱりわからない。元々が不安定な存在だから、それまでと言えばそれまでなのだが……哀しいものだ、〝我が子〟が死ぬのは」

 一度だけ胸が強く鼓動した。ゾウキリンの情けなくも愛らしい顔が脳裏にちらつく。

 松ぼっくりを佐和田さんに返すと、彼女はそれをそっと懐にしまった。

「……彼は苦しまずに逝けたのですか」
「言葉を聞いていないからわからない。だが、表情は苦しそうだったかな」

 佐和田さんはソファーから身体を起こすと、ソファーの裏に置いてあった酒瓶に手を伸ばし、琥珀色の液体をラッパ飲みで呷った。

「身体に障りますよ、佐和田さん」

 佐和田さんの手から酒瓶を取り上げようとすると、彼女は「いいんだ」と言って私の手を振りほどいた。

「在原くん。私は新座を愛し、そしてゾウキリンを愛した。ゾウキリンが現実の存在となった時は、私の愛がついに彼に通じたものだと思った。この調子でいけば、ゆくゆくは新座にも私の愛が通じ、浮遊の理由をこっそり教えてくれるものだと思っていた。……しかし、死にゆくゾウキリンを見てそれは違うと理解した。私の愛が彼に通じるはずもなかったんだ」
「そんなことはありません。佐和田さんの愛は、きっとゾウキリンにも通じていました」

 佐和田さんは静かに首を横に振った。

「今回の件で私は悟ったよ。愛とは一方的なものなんだ。全力で押し付けるものなんだ。たとえ向こうが嫌がっていても、素知らぬ顔で渡してしまうものなんだ。そうすれば、渡された方はお返しを用意せざるを得ない。私がゾウキリンを愛し続けた結果、彼が仕方なく現実のものとなってくれたのと同じようにね」

 捨て鉢な態度でそう吐き捨てた佐和田さんは、突然へらへらと笑いだした。

 強く凛々しい佐和田さんを知っていたぶん、自暴自棄になった彼女を見るのはとても辛い。こんな自分を見て欲しくなかったからこそ、彼女は茂川先生と会うのを拒んだのではないかと私は考えた。

「……佐和田さん。貴女はきっと疲れているのです。外に出て、太陽を浴びましょう。私達と共に柳瀬川の桜でも眺めましょう。そうすればきっと、多少はマシになるはずですよ」
「気を遣ってくれるのはありがたい。でも、私はここに居たいんだ」
「ありがたいと思うのなら一緒に外へ出てください」
「思っていたよりも君は強情だね、在原くん」
「天岩戸をせっかくこじ開けたのですから、欲張らなければと思いまして」

 私がそう言うと佐和田さんは小さく微笑んだ。そこに滲む哀傷に心を刺された私は、「無理は言えませんね」と自らの発言を撤回した。

「悪いね」と呟いた彼女は、ソファーの下に手を突っ込んで何かを探し始める。やがて彼女が取り出したのは、くしゃくしゃになった茶封筒だった。
「ここにNNSの脱退届が入っている。これを茂川に届けてくれないかな」
「今度、柳瀬川沿いでピクニックをしてくれると約束して頂ければ」
「……敵わないな、君には」

 佐和田さんは私に封筒を押し付けた。

「予定には加えておこう。だが、予定は未定だ。いつになるかは答えかねるよ」





 家を出た私を待ち構えていたのは期待に瞳を輝かせる茂川先生だった。彼は私が佐和田さんを連れていないことを確認すると、その場にしゃがんで頭を抱えた。

 私は彼の隣にしゃがみ込み、家での彼女の様子と、彼女がなぜ家に篭り切りになったのかを説明した。茂川先生は相槌すら打たず、膝に顔を埋めたまま私の話をじっと黙って聞いていた。

 私が全てを話し終えると、茂川先生はようやく「そうか」と小さく呟いた。

「……申し訳ありません。外に連れ出せればそれが一番だったのですが」
「いや、在原くんが気に病むことはないよ。むしろ、君がいなかったらそこまでのことをわからなかった。改めてお礼を言うよ。ありがとうね」
「お礼を言われるようなことはしていません。私だって彼女が心配だったのですから」

 私は佐和田さんから受け取った封筒を茂川先生の手にそっと握らせた。

「これは?」と彼が訊ねるのに、私は「佐和田さんからの預かりものです」と答える。

「それを先生に渡したかったのだと、佐和田さんは仰っていました。中身はNNSの脱退届だそうです」
「佐和田さんがそう言ったのかい?」
「ええ。ラブレターでないことは間違いありません」

 私の言葉に小さく吹き出した先生は、膝に埋めたままだった顔をようやく上げた。目元に光るものがあったのは、あえて見ないふりをした。

 茂川先生は封筒のしわを丁寧に伸ばすとそれを大事そうに懐へとしまい込んだ。

「開けないのですか?」
「開けてしまえば中身を確認したということになる。中身を確認したということはこれを届ける義務が生じる。しかし、中身を確認しなければ義務は生じないからね」

「詭弁ですね」と私が言うと、茂川先生は「愛ゆえだよ」と豪語した。

 恥じらう素振りを微塵も見せず「愛」など言える茂川先生は、私の目には少し眩しすぎた。
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