あなたとぼくと空に住むひと

シラサキケージロウ

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青前さんと僕

青前さんと僕 その6

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 鬼鹿毛は私達二人を乗せてぐんぐんと走った。無軌道に進む彼の背中は、まるでレールの壊れたジェットコースターに載せられているかのような乗り心地だ。

 あまりの速さに振り落とされそうになるのを、私は彼のたてがみをぐっと握りしめなんとか堪え、青前さんはそんな私の腰に手を回して堪えた。目は開けられずにどこへ進んでいるのかわからないが、一直線に風を切っているのだけはわかる。時折、悲鳴のようなものが聞こえては背後に遠くなっていくのは、誰かが鬼鹿毛の姿を見たからだろうか。

「ナリヒラくんっ! あたしたち、どこ連れてかれるのさっ!」
「わかりませんっ!」
「だったらなんでこの子に乗ったの!」
「乗せられたのです! それより、あんまり喋ると舌噛みますよっ!」
「ナリヒラくんのばかぁ!」

 風、揺れ、寒さ、吐き気――その他諸々に耐えること約五分。鬼鹿毛はようやくその殺人的スピードを緩め、やがて脚を止めた。顔を上げ、固く閉じていたまぶたを恐る恐る開けると、そこは大きな道から一本外れたところにある古錆びた廃倉庫であった。

 高速道路のインターが近いことから、この町には物流関係の会社が多くあった。新座浮上後、倉庫の中身はおろか、商売道具のトラックすら置いてこの町から一番に撤退したのはそういった会社だったという。

 鬼鹿毛は「ぶるる」と鼻を鳴らし、鼻先で廃倉庫を指し示した。「あそこに行けばいいのかい?」と訊ねると、彼はコクコク頷いた。

 ここで逃げてもまた連れ戻されるだけだろう。覚悟した私はへろへろになりながらもなんとか彼から降りて、青前さんと互いに肩を貸し合いながら廃倉庫に向かった。鬼鹿毛はのろのろと歩く私達を煽るように、蹄を高らかに鳴らしながらついてきた。

 倉庫のシャッターは固く閉ざされていたが、その横の入り口は鍵が開いていた。入ってみると、暗い庫内には文字の色あせたラベルの貼られたダンボールが散乱している。カビの臭いに混じって、何やら生ごみの腐臭も漂ってくる。

 しかめっ面になった青前さんは、私の腕を強く引いた。

「ナリヒラくん、もう出ようよ。だいたい、こんなとこに何があるってのさ」

 その時、私達の背後にいた鬼鹿毛が高く嘶いた。シンと静まり返った庫内に彼の声が反響する。するとその声に答えるように、「鬼鹿毛か」という弱々しい声が奥から返ってきた。郡司氏の声だ。まさか、新座の英雄である彼がこのような廃墟を住処にしていたとは。

「今の声、誰かな?」と青前さんは心配そうに言った。

「郡司さんです。青前さんは覚えていないかもしれませんが、一度お会いしたことがあります」

 私達は携帯の光を頼りにして庫内を進んだ。少し歩くたびに顔に蜘蛛の巣が引っかかって煩わしい。私の腕を掴んでぴったりと身を寄せる青前さんは、白い息を吐きながら「オバケとかでないよね」と呟き、頻りに辺りをキョロキョロと見回している。

 耳をすませば聞こえてくる、コホコホと小さく咳き込む音の方に進んでいくと、中身がぎっしり詰まったゴミ袋とダンボールがさながらピラミッドのように高く積まれたところがあった。その頂点にせんべい布団を敷いて臥せっていたのが郡司氏である。

 私はピラミッドのふもとから郡司氏に声を掛けた。

「郡司さん、このような場所にいて、大丈夫ですか?」
「誰かと思えば小僧か。何をしに来た」
「鬼鹿毛に呼ばれて来たのです。どうにも体調が芳しくないようですが」
「ふん。お前に心配されたくないわ」

 強がって答える最中も郡司氏の咳は止まらない。具合は相当悪いらしい。

「あたし、家に戻って風邪薬取ってくる。ナリヒラくんはあの郡司さんって人についてあげて」
 彼の体調の悪さを前にして冷静さを取り戻した青前さんは、私にそう指示して倉庫を出ていった。鬼鹿毛が黙ってその後を追い、やがて外から蹄の音が遠のいていくのが聞こえてきた。

 私は目の前のがらくたピラミッドをよじ登り、郡司氏の枕元に座った。

「郡司さん。今に青前さんが薬を持ってきてくれます。もう少しの辛抱ですよ」
「……青前さんなどと、そう気安く娘の名前を呼ぶな」
「ですから、青前さんは青前さんであって、郡司さんの娘ではありません。現実を見てください」
「ええい! 口答えするな!」

 郡司氏は叫んだ勢いそのまま布団を投げうち立ち上がる――が、その気力に足腰がついていかず、彼はその場に尻もちをついた。威厳もへったくれもない姿がなんとも悲しい。

 郡司氏の姿を見ながら私は思った。恐らく彼は孤独を拗らせているのだ。風邪だって拗らせると肺炎になるのだから、孤独なんて大層なものを拗らせれば、頑固、傲慢、尊大、等々の厄介な症状を引き起こすのも無理はない。

 孤独につける薬は無いが、体調不良の方はまだ手立てがある。私はこれ以上彼の症状が悪化しないよう、なんとか宥めて横になってもらおうとした。

「郡司さん、落ち着いてください。そう腹を立てては身体に毒です」
「誰が俺を苛立たせてると思ってる! この――」

 その時、郡司氏は大きなくしゃみをした。それと同時に私達のいる場所が揺れる。彼のくしゃみでピラミッドが崩れかけているわけではなく、地面そのものが揺れているのだ。地震にもすっかり慣れたものだが、こんな場所だとまた別の怖さがある。私は思わず目の前のダンボールにしがみついた。

 やがて地震が収まった。仰向けになった郡司氏は天井を見上げながら不服そうに鼻を鳴らした。

「……小僧。甚だ不本意だが、お前に頼みがある」
「何なりと」
「娘を連れて新座を逃げろ。ここが落ちるより前に」
「……やはり、この町は落ちるのですか」
「ああ、落ちる」

 郡司氏は静かに、しかし力強く言い切った。

「新座を浮かせている張本人である俺がそう言ってるんだ。間違いない」





 新座の英雄は虚しかった。

 思い出せないほど昔、歌詠みの優男に娘を奪われてからというもの、彼は何の生きがいもなく生きてきた。繰り返す六十分を、繰り返す二十四時間を、繰り返す三百六十五日を、ひたすらに噛みしめて過ごした。

 新座こそが自分であり、自分こそが新座であるがゆえに死という概念はない。肉体は年々逞しくなっていき、恐れるものも出来ないことも何もないが、ゆえに彼は孤独であった。

 そんなある日、英雄はとある少女と出会った。名前こそ違えど、少女の姿は彼の娘にそっくりであった。彼は少女を本物の娘のように大切に扱い、また少女も彼を慕った。

 しかしそんな二人の関係はそう長くは続かなかった。六十分が積み重なり、二十四時間が積み重なり、三百六十五日が積み重なるうち、成長した少女は彼と疎遠になっていった。

 やがて少女はすっかり立派な女性になり、新座を出ていった。近くに住む男の元へ嫁いだのだった。

 自分に別れも告げずに町を出ていく彼女を見て、新座の英雄は思った。

「この町を去る人間が多いのは、ここに人を惹き付けておけるだけの魅力が無いからだ。だとすればどうにかしなくちゃならん。それが俺の責任だ」

 その日から彼は考えた。考えて、考えて、考え続けた。

 しかし彼はその当時から〝古い〟人間であったから、町おこしの方法など到底考えられなかった。それでも彼は干上がったアイデアの泉にスコップを必死に突き立てて、何かを掘り起こそうとした。

 幾年経ったある日、彼にとうとう天啓がやってきた。それはとても強引で、驚くほどに力任せで、目を覆いたくなるくらいに荒唐無稽で、誰も思い浮かばない唯一の方法――それが、新座を空に浮かばせるというものであった。

 こうして英雄は新座を〝天空のまち〟にした。今はもう六十年前の話になる。
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