あなたとぼくと空に住むひと

シラサキケージロウ

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青前さんと僕

青前さんと僕 その7

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 郡司氏の話を聞いて私が開口一番で言ったのが、「なんですそれは」という言葉であった。それに続いて「貴方はアホなのですか」という言葉が口をついて出そうになったが、辛うじてそれは呑み込んだ。

 とんでもない理由でとんでもないことをしでかす人だ。これが英雄の本質なのだろうか。あまりのスケールの大きさに目眩を覚えた私は、左手で視界を覆いながら、「よくもまあそんなことを出来ましたね」と唸るように呟いた。

 郡司氏は褒められたと勘違いしたのか、コホコホと咳き込みながら「愛ゆえだ」と自慢げに笑った。

 経験則から述べれば、愛だのなんだのと口にする人のうち八割は面倒くさい人である。残りの二割はどうしようもなく面倒くさい人だ。「愛ゆえに」などと言ってひとつの町を宙に浮かせた郡司氏の場合は後者にあたる。

 言ってやりたいことが色々あるのはさておいて、今は新座墜落を何とかする時だ。私は心の内を満たす呆れの感情を悟られないようにしながら、彼に問いかけた。

「郡司さん。この町を宙に浮かせたのが貴方ならば、墜落という形ではなく、この町をゆっくりと下に降ろすことも出来るのではないですか」
「それが出来たらそうするに決まってるだろう。そんなこともわからんのか」
「自慢げに言うことではありません。自分の都合で新座を空に浮かべたのは貴方なのです。何とかするのが英雄としての責任ではないのですか」
「英雄とは勝手なものだ。英雄とは自由なものだ。やりたい時にやりたいことをやるからこそ英雄なのだ」
「わかりました、英雄問答はもう結構。欲しいのは、墜落の危機に瀕した新座を救う方法です」

「無い」と郡司氏は断言した。「だから早く娘を連れて逃げろと言っているんだ」

 郡司氏はひと際大きなくしゃみをした。それと同時に今まで感じてきた中で一番大きな地震が起きる。言われなくても肌でわかる。墜落の時は近い。

 一分ほどして地震はかなり弱まったが、それでも小さな揺れはなお続いていた。

「……小僧、どうやらそろそろらしい。だから、早くしろ。俺からの最後の願いだ」

 弱々しく懇願する彼を前にした私には、選択肢なぞ残されていなかった。私は郡司氏の手を握り「任されました」と大きく頷くと、ピラミッドを滑り降りた。

 まずは青前さんだ。彼女が何と言おうと無理やりにでもバスに詰め込み下へと逃がさねば。続いて市長の説得。どうにもならないかもしれないが、その時は強硬手段に訴えるしかないだろう。たとえ犯罪者としての汚名を着ることになろうと構わない。

 覚悟を決めると同時に郡司氏の根城を飛び出すと、鬼鹿毛に乗って戻ってきた青前さんと鉢合わせた。彼女の腕には、中身がぎっしり詰まったトートバックが重そうにぶら下がっていた。

 鬼鹿毛から降りて倉庫へ入ろうとする彼女の腕を強く握った私は、彼女に語り掛けた。

「ちょうどよかったです、青前さん。落ち着いて聞いてください。新座はもうじき墜落します。ですから、早いところこの町を出てください」

「藪から棒になにさ。ナリヒラくんもワイドショーの言うことを信じるの?」
「ワイドショーを信じたわけではありません。私が信じたのは、この町を浮かせた張本人の言葉です」

 そう言って私は青前さんの腕を引いた。しかし彼女はその場から動こうとしなかった。

「やってしまった」と気が付いたのは、きらきら光る青前さんの瞳を見たその時だった。

「ナリヒラくん、新座を浮かせた張本人っていうのは誰のことなの?」
「お。落ち着いてください青前さん。そういう話をしている場合ではないのです。この町は本当に落ちるのですよ」
「うん。ナリヒラくんの目を見れば君が本気だってことはわかるよ。でも、一分くらいならいいでしょ?」

 こうなると、下手に誤魔化すよりも話をしてしまった方がずっと早い。でなければ彼女は墜落の直前までここから根を張ったように動かないだろう。

 私は新座浮遊の真相について話をした。郡司氏の正体、生い立ち、この町を浮かせた意図。それら全てを。話が進むに連れて、好奇心できらきらしていた青前さんの瞳から輝きが失われていく。その代わりに宿り始めたのが怒りの炎である。他の誰でもない、郡司氏に向けられた怒りだ。

 私が話し終えると同時に、青前さんは倉庫の方へと早足で引き返して行った。

「お、お待ちください。どこへ行くのですか」
「決まってるじゃない。郡司さんに文句言って来るの」
「そんな暇はありません。今は逃げるのです」
「でも、文句の一言だって言いたくなるよ。空に浮かんだ町なんて素敵だと思うけどさ、支え切れなくなったから落としますだなんて勝手すぎるもん。英雄とかなんとか言って、命をなんだと思ってるの?」
「お気持ちはわかります。ですがどうかここは堪えてください」
「ダメ。言わないと絶対後悔するから。あたし、後悔だけはしないように生きてるの」

 青前さんは私を柔らかく突き飛ばすと、倉庫の扉を強く開けた。彼女がこうなってしまった以上、私に出来ることといえば話が抉れないことを願うばかりである。

 辺りに散らばったダンボールを蹴散らしながら倉庫を進んだ青前さんは、がらくたピラミッドの前で仁王立ちしてその頂点にいる郡司氏を睨みつけた。そんな彼女の背後に立つ私は、情けなくも事の成り行きを見守る役目に徹している。

「郡司さん、少しお話があるんですけど」

 郡司氏は頂上からこちらを見下ろし、「なにかな」とやけに穏やかな口調で返した。さながら、目に入れても痛くない孫を目の前にしたお爺さんである。
「ナリヒラくんから聞きました。郡司さん、あなたが新座を空に浮かばせたんですってね」
「そうだ。すごいだろう?」
「確かにすごいのは認めます。……けど、勝手じゃありませんか? 支えきれなくなったからって落とすんですよね?」
「……それは悪いと思ってる。でも、無理なものは無理なんだ。優しいお前ならわかってくれるな?」
「わかるわけないじゃないっ!」

 力いっぱいに叫んだ青前さんは足元にあったゴミ袋を蹴飛ばした。綺麗な放物線を描いて飛んだそれは、うまい具合に郡司氏の頭に着地した。

 何が起きたのかわからないのか、郡司氏は目を丸くして固まっている。青前さんはピラミッドを一気に駆け上ると、そんな彼の胸元を掴みにかかった。

「英雄なんでしょっ! やる前から諦めてどうするのっ!」
「し、しかしだな。今の俺の体力では――」
「バカっ! チキンっ! わからず屋っ! 弱虫ヘナチョコへっぽこ侍の根性無しっ! それでも本当に英雄なのっ?!」

 青前さんから誹謗中傷の雨あられが郡司氏に浴びせられる。するとどうしたことか、諦念の沼に沈んだナマズのように淀んでいた彼の瞳に、あのぎらぎらとした活力が少しずつ戻ってきたではないか。

「オタンコナス! アホ! スットコドッコイ! バカ! バカ! バカバカバーっカ!」

 次の瞬間、郡司氏が「黙らんかっ!」と強く叫んだ。その声は新座中の大気をびりびりと震わせるほど大きく、また並の人間であれば縮み上がって震え上がってしまうほどの迫力を秘めていた。しかし青前さんは〝並の人間〟ではないので、萎縮した様子をおくびも見せず、憮然とした態度で彼を睨み返した。

「大声出せば驚くと思った? 残念! 新座っ子ナメんな!」
「ええいまったく! とんだお転婆だな、お前は!」
「すいませんね! どうせあたしなんて女の子らしくないですよ!」

 そう言うと彼女は郡司氏に平手打ちをお見舞いした。ばちんという痛そうな音がこちらまで聞こえてくる。
「もーいいっ! サヨナラ! ナリヒラくん、こんな意気地なし放っておいてさっさと行こ!」

 青前さんがピラミッドから滑り降りようとすると、そんな彼女の腕を郡司氏が掴んだ。

「ここまで言われて引き下がれると思うかっ! 俺は新座の英雄だ!」
「へぇーっ、そんな貧相な身体で英雄? だったら、ナリヒラくんは大英雄だよっ、ヘラクレスだよ!」

 好き放題に罵られ、英雄たるプライドを散々踏みつけられた郡司氏の怒りはいよいよ頂点に達したのだろう。真っ赤な顔で「見ていろ」と唸った彼は、青前さんの手からトートバックをひったくり中に詰まっていた見舞いの品々を布団の上にぶちまけた。

 栄養ドリンク、おにぎり、風邪薬、スポーツ飲料、りんごやイチゴなどの果物、チョコレート等々……全ての物の封を開け自らの前にずらりと並べた郡司氏は、次から次へとそれらに手を伸ばした。
口いっぱいにおにぎりを頬張り、栄養ドリンクで流し込む。風邪薬と果物を交互に口に放り込む。板チョコをばりばりと噛み砕く。ごくごくと喉を鳴らしながらスポーツ飲料を一気飲みする。

 食料などの山は瞬きするたび減っていく。それと同時に郡司氏の身体が筋肉で膨れ上がっていく。曲がっていた背筋がしゃんと伸びると同時に身長も伸びていく。その急激な膨張の仕方は、さながら水を得た乾燥わかめである。

 青前さんが持ってきた差し入れを残さず食べきった郡司氏は、天に向かって「喝ッ!」と叫んだ。食べかすと唾が辺りにまき散らされ、先ほどから止まる気配の無かった微弱な揺れは、そこでぴたりと収まった。

 郡司氏は上着の袖口で口元を拭うと、むんと胸を張ってふんぞり返った。

「どうだ! これで落ちんわ! 文句は言わせんぞ!」

 そんな郡司氏を前にした青前さんは、途端にけたけたと笑い声をあげた。あまりにも面白そうに笑う彼女にどうすればよいのかわからないらしく、郡司氏は困惑したように口をぱくぱくさせている。

 しばらくしてようやく笑いの波が収まった青前さんは、目元を右手で拭いながら言った。

「やれば出来るじゃないですか。さすが、新座の英雄ですね」

 あの罵詈雑言も、あの平手打ちも、全ては郡司氏をやる気にさせるための演技だったのだ。郡司氏は彼女の手の平の上で、華麗なタップダンスを踊ったに過ぎないのだ。

 あっけらかんとした彼女の一言にしばし固まった郡司氏は、苦笑しながらぽりぽりと頭を掻いた。

「……まったく。この歳になったというのに、敵わん相手もいるものだな」
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