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第2話 マニアック
マニアック その1
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「源尾の様子がおかしかったんだ」
「おかしいのはあんたの頭ですよ」などと失礼なことをさらりと言い放った鹿間は、ホットコーヒーへミルクを垂らしてマドラーでかき混ぜる。
いつもの喫茶店『2045』にて。相変わらず常連客以外に誰もいないこの空間には、ボックス席に向かい合って座る俺達の会話と、コーヒーの中に浮かぶ氷とグラスがぶつかり合う音が虚しく響いている。
コーヒーをずずと吸った鹿間は、文庫本をテーブルに置いて身を前に乗り出す。今日の本は表紙に緑のインクで警官の帽子が描かれたものである。
「夢の中で初恋の人と再会した? しかも、その人もまた伊瀬冬さんと同じ夢を見ていた? あまつさえ、その人から電話があった? ありえないでしょ、そんな話」
「いくらあり得なかろうと実際にあった出来事なんだ。無かったことにはできないだろ」
「簡単なことです。つまりその時、伊瀬冬さんはまだ夢の中にいたんですよ。だから現実ではあり得ないことが起きた。それだけ」
どうしても鹿間は俺のことを底抜け腑抜けのメルヘン野郎に仕立て上げたいらしい。まさかコイツがこれほどまでに強情な男だとは。伊達に眼鏡を掛けているわけではない。
さて、どうやって俺の正当性を主張し、この捻くれ眼鏡大魔神に白旗を上げさせようかと、相変わらず味のしないコーヒーを飲みつつ考えを巡らせていると、水島嬢が自分の分のコーヒーを片手にやって来て、鹿間の隣へ腰掛けた。まだ少女愛疑惑は晴れていないと見える。
「お相手が小さな女の子っていうのは置いといて、私は信じるわ、伊瀬冬くんの言ったこと。いいじゃない、そういうの」
「水島さんもまだまだ子どもですからね。そういうものにあこがれを持つのはわかります」
「あら、光ちゃん。だったらお尻の見せあいでもしましょうか? どっちが青いかすぐにわかるから」
年下にうまいことあしらわれた鹿間は、「なんですか、失敬な」とムッとしたように言う。眼鏡野郎が怯んだ隙を見逃さず攻勢をかけることにした俺は、わざとらしく余裕の笑みを浮かべて見せつけてやった。
「さて、この場においてはロマンが現実に対し倍の票差をつけて勝利したわけだが。鹿間、お前も民主主義の前に膝をついて頭を垂れろ」
「倍といえどたかが二対一でしょう。なにを勝ち誇っているんだか」と鹿間はあくまで現実主義を信じて譲らない。こういう輩がいるから戦争が無くならんのだと、ある種の憤りを覚えていると、「三対一だよ」という静かな声が背後から飛んできた。常連客の江村の声だった。
定位置としていた窓際の席から立った江村は、こちらへ歩いてきたかと思うと、俺の隣へ腰掛けた。
「あたしも、伊瀬冬が体験したことは現実だと思う」
淡々と言葉を並べる江村の喋り方と、金属製の蛇を思わせる冷たい瞳には、有無を言わせぬ迫力がある。敵に回したらと考えると恐ろしいが、味方でいると大変頼もしい。
助っ人の登場に面食らったのか、鹿間は「江村さんまで」と困惑の表情を浮かべた。
「ほら見たことか。三倍の票差だぞ、鹿間。圧倒的マイノリティだな」
「いつふたりを買収したんですか、あんたは」
「そんな卑怯なことするか。さっさと自分の負けを認めろ」
「嫌です。こうなりゃ意地でも反対派を貫きます」
「なんでそうお前はロマンを嫌うんだ。いいだろ、少しくらい」
「クリスマスプレゼントに太宰治の『人間失格』を渡されてから別れ話を切り出された経験があれば、誰だってロマンなんてクソ喰らえという考えになりますよ」
なるほど。この男にそんな悲しい過去があったとは。知りたくないことをひとつ知ってしまった。敵ながら同情の余地がある。しかし手を緩めるわけにもいかん。「現実に囚われた頭カチカチ野郎」「ロマンのひとつも笑顔で語れない奴に明日があるのか」「そんな調子じゃ彼女ができてもまたフラれるに決まってる」と波状攻撃で責めていると、隣の江村がふと声を上げた。
「ところで伊瀬冬、気を付けて。夢があなたのすべてじゃないんだから」
急に不穏な発言をしたかと思えば、席を立って再び己のテリトリーへと帰っていく。「なんだよ、あれ」と思わず呟くと、水島嬢が「つまり」と口を開き、ミステリアスな江村の言葉へ補足を加えた。
「勉強しろってことじゃない? 大学のテスト、近いんじゃなかったっけ?」
〇
『運命』との再会のおかげですっかり忘れていたが、水島嬢の言う通り、大学の学期末テストが間近に控えていたはずである。早々に喫茶店を退散した俺は、家に戻ってテスト対策の勉強をはじめた。
しかし、いくらつまらん教科書を眺めていたところで、いくらペンをノートの上で走らせたところで、頭に浮かぶのは電話の向こうの源尾が残した「ごめんね」という言葉ばかり。どんな専門用語もどんな方程式も、意味を成さずに右から左へ脳内を突き抜けていく。こうなると、勉強なんていくらやったところで時間の無駄だ。
仕方が無いので、今日もまた源尾の夢を見た時に備えて、男らしい立ち振る舞いとトキメキを感じずにはいられないであろう台詞、さらには年頃の女の子の気を惹くことのできるステキな話題などを考えて過ごしていると、あっという間に日が暮れた。これ以上無いほど有意義な時間の使い方だった。
夕食を済ませ、食器を片づけ、洗濯物を取り込んで畳み、本を読むなどしていると、そこそこに夜も更けてきた。少し早いが、もう眠っても問題ない時間だ。
今朝のように夢の途中で起こされてはたまらないため、スマホの電源をしっかり落とし、それから布団に入った俺は、源尾の顔を頭に描きながら固く目をつぶった。
目の前にあった現実が、ゆっくりと遠のいていく。
「おかしいのはあんたの頭ですよ」などと失礼なことをさらりと言い放った鹿間は、ホットコーヒーへミルクを垂らしてマドラーでかき混ぜる。
いつもの喫茶店『2045』にて。相変わらず常連客以外に誰もいないこの空間には、ボックス席に向かい合って座る俺達の会話と、コーヒーの中に浮かぶ氷とグラスがぶつかり合う音が虚しく響いている。
コーヒーをずずと吸った鹿間は、文庫本をテーブルに置いて身を前に乗り出す。今日の本は表紙に緑のインクで警官の帽子が描かれたものである。
「夢の中で初恋の人と再会した? しかも、その人もまた伊瀬冬さんと同じ夢を見ていた? あまつさえ、その人から電話があった? ありえないでしょ、そんな話」
「いくらあり得なかろうと実際にあった出来事なんだ。無かったことにはできないだろ」
「簡単なことです。つまりその時、伊瀬冬さんはまだ夢の中にいたんですよ。だから現実ではあり得ないことが起きた。それだけ」
どうしても鹿間は俺のことを底抜け腑抜けのメルヘン野郎に仕立て上げたいらしい。まさかコイツがこれほどまでに強情な男だとは。伊達に眼鏡を掛けているわけではない。
さて、どうやって俺の正当性を主張し、この捻くれ眼鏡大魔神に白旗を上げさせようかと、相変わらず味のしないコーヒーを飲みつつ考えを巡らせていると、水島嬢が自分の分のコーヒーを片手にやって来て、鹿間の隣へ腰掛けた。まだ少女愛疑惑は晴れていないと見える。
「お相手が小さな女の子っていうのは置いといて、私は信じるわ、伊瀬冬くんの言ったこと。いいじゃない、そういうの」
「水島さんもまだまだ子どもですからね。そういうものにあこがれを持つのはわかります」
「あら、光ちゃん。だったらお尻の見せあいでもしましょうか? どっちが青いかすぐにわかるから」
年下にうまいことあしらわれた鹿間は、「なんですか、失敬な」とムッとしたように言う。眼鏡野郎が怯んだ隙を見逃さず攻勢をかけることにした俺は、わざとらしく余裕の笑みを浮かべて見せつけてやった。
「さて、この場においてはロマンが現実に対し倍の票差をつけて勝利したわけだが。鹿間、お前も民主主義の前に膝をついて頭を垂れろ」
「倍といえどたかが二対一でしょう。なにを勝ち誇っているんだか」と鹿間はあくまで現実主義を信じて譲らない。こういう輩がいるから戦争が無くならんのだと、ある種の憤りを覚えていると、「三対一だよ」という静かな声が背後から飛んできた。常連客の江村の声だった。
定位置としていた窓際の席から立った江村は、こちらへ歩いてきたかと思うと、俺の隣へ腰掛けた。
「あたしも、伊瀬冬が体験したことは現実だと思う」
淡々と言葉を並べる江村の喋り方と、金属製の蛇を思わせる冷たい瞳には、有無を言わせぬ迫力がある。敵に回したらと考えると恐ろしいが、味方でいると大変頼もしい。
助っ人の登場に面食らったのか、鹿間は「江村さんまで」と困惑の表情を浮かべた。
「ほら見たことか。三倍の票差だぞ、鹿間。圧倒的マイノリティだな」
「いつふたりを買収したんですか、あんたは」
「そんな卑怯なことするか。さっさと自分の負けを認めろ」
「嫌です。こうなりゃ意地でも反対派を貫きます」
「なんでそうお前はロマンを嫌うんだ。いいだろ、少しくらい」
「クリスマスプレゼントに太宰治の『人間失格』を渡されてから別れ話を切り出された経験があれば、誰だってロマンなんてクソ喰らえという考えになりますよ」
なるほど。この男にそんな悲しい過去があったとは。知りたくないことをひとつ知ってしまった。敵ながら同情の余地がある。しかし手を緩めるわけにもいかん。「現実に囚われた頭カチカチ野郎」「ロマンのひとつも笑顔で語れない奴に明日があるのか」「そんな調子じゃ彼女ができてもまたフラれるに決まってる」と波状攻撃で責めていると、隣の江村がふと声を上げた。
「ところで伊瀬冬、気を付けて。夢があなたのすべてじゃないんだから」
急に不穏な発言をしたかと思えば、席を立って再び己のテリトリーへと帰っていく。「なんだよ、あれ」と思わず呟くと、水島嬢が「つまり」と口を開き、ミステリアスな江村の言葉へ補足を加えた。
「勉強しろってことじゃない? 大学のテスト、近いんじゃなかったっけ?」
〇
『運命』との再会のおかげですっかり忘れていたが、水島嬢の言う通り、大学の学期末テストが間近に控えていたはずである。早々に喫茶店を退散した俺は、家に戻ってテスト対策の勉強をはじめた。
しかし、いくらつまらん教科書を眺めていたところで、いくらペンをノートの上で走らせたところで、頭に浮かぶのは電話の向こうの源尾が残した「ごめんね」という言葉ばかり。どんな専門用語もどんな方程式も、意味を成さずに右から左へ脳内を突き抜けていく。こうなると、勉強なんていくらやったところで時間の無駄だ。
仕方が無いので、今日もまた源尾の夢を見た時に備えて、男らしい立ち振る舞いとトキメキを感じずにはいられないであろう台詞、さらには年頃の女の子の気を惹くことのできるステキな話題などを考えて過ごしていると、あっという間に日が暮れた。これ以上無いほど有意義な時間の使い方だった。
夕食を済ませ、食器を片づけ、洗濯物を取り込んで畳み、本を読むなどしていると、そこそこに夜も更けてきた。少し早いが、もう眠っても問題ない時間だ。
今朝のように夢の途中で起こされてはたまらないため、スマホの電源をしっかり落とし、それから布団に入った俺は、源尾の顔を頭に描きながら固く目をつぶった。
目の前にあった現実が、ゆっくりと遠のいていく。
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