初恋と、電気羊とジンギスカン

シラサキケージロウ

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第2話 マニアック

マニアック その7

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 座敷牢を出てから、俺は源尾を背負ったまま出口を求めて闇雲に城の廊下を駆け回った。このまま空も飛べると思えるほど身体が軽い。身体の奥から無尽蔵に力が湧き出てくる。扉が道を塞いでも、片手でちょいと押してやれば鍵が壊れて、ただの通り道になる。無敵だ。

「誰でもいいからあいつらを捕まえなさいっ! 多少は乱暴になったっていいわ! むしろ大歓迎!」

 邪智暴虐の王の噂を聞きつけたメロス以上に激怒したご様子のカチョウの声が、城内放送に乗って聞こえてくる。それに併せて、俺達の行く手を阻むように奴の取り巻き連中がわらわらと廊下に現れた。その手にはリコーダーやらホウキとチリトリやら、武器らしきものが握られている。

「しっかり捕まってな、源尾」

「うんっ」と背中から返事があったのを聞いた俺は、走る速度をさらに上げるべくより強く床を蹴った。勢いづいた俺を見て、取り巻き連中は臆病風に吹かれたのか、バンザイしながら背を壁について自身の安全を確保する。「どこまで役立たずなのよ、アンタ達はっ!」という声が廊下に響く。思い通りに事が運ばず、よほど苛立っているらしい。いい気味だ。

 しばらく廊下を駆け抜けていくうち、昇った先が見えないほど長い階段にぶち当たった。一段飛びで軽快に昇っていくと、俺の身長の五倍ほどはある大きさの鉄の扉がある。何重にも鎖が巻き付けられていて、万が一にも誰にも侵入できないようにしているのがいかにも怪しい。

 今の俺にはこんな扉もあって無いようなものだ。やや下がって助走をつけて飛び、頭から扉に突っ込む。ガチンという硬い音が響くと共に、鎖がはじけて扉は開いたものの、あまりの勢いだったものだから、止まるに止まれず腹から床に飛び込んだ。

「源尾、無事か?」と訊ねると、「なんとか」と返事がある。安心したところで立ち上がって周囲を見ると、そこは学習机と椅子が均等な間隔で並べられた普通の教室だった。窓から差し込む夕焼けの光が眩しい。グラウンドからは金属バットがボールを打つ音が聞こえる。教壇の背後の黒板にはやけに上手いサザエさんのラクガキがある。奇妙なことに、先ほど俺達が入ってきたはずの大きな扉が存在せず、代わりに普通の引き戸がある。今度はどこに来たんだ、俺達は。

「なんだよ、これ」と俺は思わず呟いた。

「……教室だよ。わたしたちの通ってた中学校の」と答えた源尾は教室を見回す。

 その時、引き戸が小さく開いて誰かが教室に入ってきた。紺色のブレザーの制服を着たその生徒はなんと源尾だ。隣の源尾に比べれば若干成長しているものの、間違いない。

 中学生・源尾は目の前にいる俺達を一切気にすることなく素通りすると、一番前の机まで歩いて中を探った。取り出したピンクのノートには、『社会』と丸っこい文字で書いてある。

「どうなってんだ、こりゃ」
「わかんないけど……もしかしたら、わたしの記憶が再現されてるのかも」
「もしそうだとしたらずいぶん急な話だな。急なのは今にはじまったことでもないけど」

 俺達がこそこそと喋っていると、中学生・源尾がきょろきょろと辺りを見回し、「誰かいるの?」と怯えたような声を上げた。「ここにいるだろ」と答えたが、源尾はいっそう不安そうに周囲に視線を向けるばかり。俺達が視界に入っていないということは考えられず、つまりは見えていないのに声だけが聞こえる状態なんだろう。

「あら。源尾さんじゃない」という覚えのある声が教室に聞こえたのはその時のことだ。現れたのはカチョウ……ではなく、顔つきや身体を年相応まで幼くした、中学生・カチョウだった。

 姿の無い俺達の声の正体をカチョウのものだと思ってくれたのか、源尾はホッとした様子で息を吐く。

「佐藤さんだ。どうしたの?」と問いかけた源尾は笑みを浮かべていたが、「別にいいでしょ。私の教室なんだから」という棘のある答えを聞いて、やや不安そうな顔になった。

「源尾さんはどうしたの? 部活は入ってなかったんじゃなかったかしら」
「う、うん。ちょっと忘れ物しちゃって。明日、小テストだったもんね」

 そう言って源尾はノートを見せてぎこちなく笑う。「ふぅん」と詰まらなさそうに言ったカチョウは、それを源尾の手から取ってぱらぱらとめくると、書き込みのあるページを破り、くしゃくしゃに丸めて床に放り投げた。

「ちょ――な、なんで……」
「あら、ゴメンなさい。手が滑っちゃった。でも、別に隣の男子に見せて貰えばいいじゃない。あなた、大人気なんだから」

 淡々と言いながらカチョウはまたノートのページを次々と破って捨てていく。俺はとっさに奴に近づき、その蛮行を止めようとしたが、手首を掴もうとした右手はただ空を切った。触れることもできないのか。丸められたページを必死に拾い上げながら、源尾は「やめてよ」と潤んだ声で繰り返す。大粒の涙が頬を伝って床に落ちた。

「泣かないでよ。これじゃ、私がイジメてるみたいじゃない。私はただ手が滑っただけなの」

 白々しいことを言い放ち、カチョウは口元を歪めて笑った。

「ねぇ、源尾さん。ひとつ言っとく。これからもきっと私……ううん、私だけじゃなくて、クラスの女子はほとんど全員、こんな風に手が滑ることがあると思うの。だから、とりあえず気を付けてね」

 当時の源尾が膝を折ってその場にうずくまり、カチョウは「立ちなさいよ」と言ってまた笑う。そしてその光景を目にした現在の源尾は、悲しそうにうつむいた。

 そうか。これはかつて源尾が本当に体験したことなんだ。ふざけやがって。ガキだからってやっていいことと悪いことくらい区別はつくだろう。

 いくら怒りに震えたところで、俺はコイツにゲンコツのひとつもくれてやることはできない。声だけ聞こえるなら説教くらいはできるだろうが、そんなことをしたってコイツは反省しないだろう。でも、今の俺にもできることはある。コイツをどうにもできないなら、源尾をどうにかしてやればいい。

 俺は中学生の源尾の傍にそっと歩み寄り、耳元で囁いた。

「源尾。見えなくても、声だけは聞こえるんだろ?」

「……だれ?」と源尾は涙に濡れた顔を不安そうに上げる。

「落ち着け。俺は味方だ。まずはゆっくり深呼吸して、俺の声だけ聴いてくれ」

 小さく首を縦に振った源尾を見て、とりあえず話を聞いてくれるらしいと安心した俺はゆっくりと続けた。

「源尾。その女がお前にくだらんことをする理由を教えてやる。ただの嫉妬だ。だから、相手にしようとしたり、仲良くしようとしたりしたって仕方ない。でも、相手するなってのも無理な話だ。同じ学校にいる限り、朝から放課後まで、そいつとは嫌でも顔を合わせる機会がある。そうなると、お前がいくら無視したって、そいつはどうせ……というか確実に、くだらん嫌がらせを続ける。そんなの嫌だろ?」

 源尾はまた首を縦に振り、それからブレザーの袖で涙をぬぐった。その表情からは新しい涙が流れる気配はない。

「そいつのせいで源尾が苦しむ必要なんてどこにもない。だから俺が簡単な解決方法を教えてやる。お前が、黙ってやられてるようなヤツじゃないってことをわからせるんだ」
「……やったことないけど、できるかな」
「安心しろ。意外と簡単だ。まず立ち上がって、お前をいじめたバカ女を睨め」

 深く息を吐きながら立ち上がり、カチョウを睨んだ源尾は「それから?」と見えない俺に指示を仰ぐ。

「次に、手のひらをパーにしろ」

 黙って指示に頷いた源尾は手のひらを開く。自分が気持ちよくいじめていた相手が急に強気になったのが面白くないのか、カチョウは「なによ」と不服そうに唇を尖らせた。

「これで最後だ。ボールを投げるみたいに構えて、バカのほっぺた目がけて〝手を滑らせろ〟」

 言い終わるや否や、源尾の右手のひらがカチョウの頬を綺麗に打ち抜く。ぱちんという乾いた音が教室に響き、それからその場の音が消えた。視線をぶつけ合うふたりの間に会話は無い。野球部の掛け声が窓の外から大きく聞こえる。

 思わぬ反撃を食らい、しばし唖然としていたカチョウは、赤くなった頬を擦り、前歯で切れた唇を指でなぞり、それからようやく今にも泣きそうな顔で源尾を見た。

「……アンタ、何してくれて――」
「手が滑ったの。ごめんね、佐藤さん」

 これまでのように弱々しく眉尻を下げた表情ではなく、かと言ってカチョウのように嫌味な笑みを浮かべるわけでもなく、唇を引き締めて相手を真っ直ぐ見据える毅然とした態度で源尾はそう言い放った。

 その瞬間、大きく揺れ始める教室。壁が、窓が、黒板が、そして過去の源尾さえも、積み木のようにボロボロと崩れ、落ちた途端に白い砂へと変わり、そして消えていく。夜空が剥き出しになり、満月がゆらゆらと俺達を照らした。教室が跡形もなく消えた後、その場所は屋上へと姿を変えていた。残っているのは、俺と源尾、それに加えて、下半身から身体が急速に砂へと変わっていくサトーだけだった。

 カチョウは両手両膝を地面につき、息も絶え絶えになりながら、恨みのこもった表情で俺を見上げた。

「……やってくれたわね。私のための世界を」
「お前のためじゃない。源尾のための世界だ。さっさと消えろ」

「言われなくても消えるわよ」とカチョウは喉元まで砂化が迫る自身の身体を一瞥しながら吐き捨てる。ふと吹いた心地よい風に奴の両脚が運ばれ、白砂が夜空へと吸い込まれていく。

「いい気にならないことね。アンタも消えるのよ。今日みたいにその子を助けられなきゃね」
「とんだ負け惜しみだな」

「ふん」と鼻で笑ったカチョウは、歪んだ笑顔のまま砂になって消えていった。

 その時、頭上からきぃーと金属同士が擦れる甲高い音が響いた。何事かと見上げれば、夜空に浮かぶヘッドライトを煌々と照らす黄色い電車が、こちらに向かってのんびりと下降してきている。あれに乗り込めば、長かった悪夢もようやく終わりだ。

 俺の隣に立った源尾は、電車を見上げながらしみじみと言った。

「……ここに来た時はどうなるんだろうって思ったけど、でも、よかったかもしれない。伊瀬冬くんのおかげで、昔のわたしが救われた気がするから」
「そっか。ならよかった」
「うん、よかった」

 やがて電車は俺達の前に降りてくると、ぷしゅうと音を立てながら乗車口を開く。俺の手をそっと取った源尾は、電車に乗り込みながら今日一番の笑みを咲かせた。

「ほんとにありがと、伊瀬冬くんっ!」



 ――よかった。これで、あと二回――。


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